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歎異抄 (光文社古典新訳文庫) Kindle版
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「アミダ如来はんにいただいた信心を、おれのもんやいう顔で取り返そういうのんは、ホンマにアホらしいことやで」。「ホトケはんやお寺さんへのおフセが多い少ないで、大きなホトケや小っさいホトケになるんやいうのは、こりゃあ、ケッタイな説や」。天災や飢饉に見舞われ、戦乱の収まらない鎌倉初期の無常の世にあって、唯円は師が確信した「他力」の真意を庶民に伝えずにいられなかった。親鸞の教えをライブ感溢れる関西弁で!
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2009/9/20
- ファイルサイズ1.0 MB
販売: 株式会社 光文社
登録情報
- ASIN : B00H6XBK6C
- 出版社 : 光文社 (2009/9/20)
- 発売日 : 2009/9/20
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1.0 MB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 116ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 106,217位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 138位日本文学(名言・箴言)
- - 257位光文社古典新訳文庫
- - 2,094位エッセー・随筆 (Kindleストア)
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カスタマーレビュー
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上位レビュー、対象国: 日本
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- 2023年8月31日に日本でレビュー済みAmazonで購入訳はとてもわかりやすくスラスラ読める。ただこれを読んでも『歎異抄』がなぜここまで評価されているのか、浅学な私にはいまひとつよくわかりませんでした。
- 2024年5月19日に日本でレビュー済みAmazonで購入歎異抄をより明快に理解しようと思って、古典新訳文庫の新訳に期待して本書を購入しましたが、関西語の現代語訳は、かえって分りにくいものでした。星二つ原点。
訳者が仏教でも古文でも専門家でないこと、関西出身者でないことに非常に驚きましたので、その道の大家の翻訳を希望する人は他の文庫をお読みください。岩波文庫はむしろわかりやすく解説も豊富です。私としては、高校の古文の教科書ガイドのような、一語一語の分析をまず読んで、どうして提出された現代語訳の解釈が可能なのか、腑に落ちるように読みみたいと思います。
閑話休題、本書の解説には訳者による歎異抄の分析と現代語訳に寄せた思いが述べられており、それは理解しやすく、楽しく読みました。星ひとつ回復。
悪人正機説とは何なのか、そのロジックを知りたかったのですが、やはり、阿弥陀如来が衆生を救おうと決意してくれた、だからあなたも死んだら極楽に行くことができる、という童話のような話を「信じる」ことができなければ、浄土と念仏の教えを「信じる」ことはできないと、当たり前のことをあらためて理解しました。悪人正機説は、この教えをを極端な例で示した、というだけのことであることが、解説で良く理解できました。
そこで、童話が寓意すること、仏教の無の概念、色即是空、空即是色の概念が分れば、他力本願の強さを理解できるのかもしれない、とも思い始めました。resignationとacceptanceの態度やvulnerabilityが人間にもたらす強さを伝えているのか、とも思い始めました。やはり、読むことや考えることではなく、自分がなにかを体験し、そのときにこの教えの意味を感じることで信心が得られる、ということなのかもしれません。
- 2023年8月9日に日本でレビュー済みAmazonで購入親鸞の言葉がこてこての関西弁になっていて面白い。実際、ここに訳者の意図があり、現状の仏教書は難しくなり過ぎて、教えを極めようとする一部の人にしか読み解けなくなったため、それを大衆のものに取り戻そうとしている。親鸞の言葉をまとめた『歎異抄』の著者、唯円自身が親鸞の教えが後世ゆがんでいくのを嘆いて本書を記したようなので、関西弁のこの現代語訳も現状への批判ともとれる。
はじめの50ページほどが関西弁の現代語訳、次の約40ページが原文、20ページが和讃とその現代語訳、約40ページが解説、年表、あとがきとなっている。
解説ではこの『歎異抄』の背景が分かって面白い。親鸞の言葉を唯円がまとめたという形式は、孔子やソクラテスと同じである。
「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや。この条、一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり」は本書では「ええ奴が往生するんやさかい、ましてや悪い奴がそうならんはずがない。世間のしょうむない奴らは、悪い奴が往生するんなら、なんでええ奴がそないならんことあるかいなというとるけど、なんや理屈におうとるようやけど、それはひとまかせ(他力本願)ちゅうモットーにはずれとるんや」と現代語訳される。
「流罪目録」について付け足しというこれまでの解釈に異を唱えている。本書解説ではこの受難が『歎異抄』を成立させ伝承した原動力になったと主張する。その解説がなかなか興味深い。
親鸞の教えには現実味があり、理想を無闇に追わないところにやさしさがある。即身成仏や真言密教、六根清浄など今の生で煩悩を断ち切るのはとても難しいことだと云って、次の生で悟りをひらくことを説く。真言密教や法華経の高名なお坊さんでさえ煩悩を持ったままホトケになるのだから、凡人の自分たちには到底今の生で悟りなどひらけないと云っている。戒律や行、恵解(えげ)とは無縁の者にとって、阿弥陀如来の本願、つまり自力でなんとかするのではなく阿弥陀如来の他力によって救いが訪れるという。その阿弥陀如来への信心が固まったら救いがあり、次の世で悟りがひらける。だから阿弥陀の願力を疑ったりして、他力を捨てて自分でなんとかしようとするのはよくない。自分であれこれ考えないのが自然(じねん)であり、つまり他力本願だとする。原文では「煩悩具足の身をもて、すでにさとりをひらくといふこと。この条、もてのほかのことにさふらう」として、煩悩を持ったまま悟りをひらくなどあり得ないという。
もともと『歎異抄』は親鸞の言葉が後世歪められ「異」なるものになっていくことを「歎」いて、唯円が批判を繰り広げている。
親鸞には独自の思想がないというのも、すべては法然や過去の膨大な経文から受け継いだもので、自分の考え、つまり自力ではないという。念仏修行を行うのが大切であって、浄土真宗をうちたてるのは本意ではなかったとしている。他力を否定し自力に頼ることはしない、独創はなく、すべては受け継いでいるというのは、謙虚でありまた真に迫る姿勢である。つまり本当に自分の発想だけで生まれてきたものなど実はなくて、どれもがどこかで聞いてきたこと、知り得たこととする。それをもとに生み出しているに過ぎない。突き詰めれば、他力ということになる。
自力でなんとかなる、何でもなせると思うのは行き過ぎた考え方なのかもしれない。
後半、和讃も掲載。本書では和訳もあるが、取り急ぎ感想だけ。
「悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆへに 虚仮の行とぞなづけたる」善を行うことに対する警句だろうか。考えさせられる。
「よしあしの 文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがほは おほそらごとのかたちなり」知ったかぶりになるのには気をつけたい。
「是非しらず邪正もわかぬ このみなり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり」名誉のために師になろうとするのは今も昔も変わらない。
『歎異抄』にこんな思想背景があったとは、驚きの多い一書であった。いろいろ教えもあった。善を行うという行為も何の考えもなく行うのは注意が必要だ。機械的にやるのは特に。
- 2011年5月24日に日本でレビュー済みAmazonで購入関西弁の訳になっています。
私は関西人じゃないので飛ばして本文を。
- 2019年11月5日に日本でレビュー済みAmazonで購入当方、生まれ育ちは東北であり、吉本新喜劇すら馴染みがなく、せいぜい生活笑百科くらいしか関西弁に触れる機会のない者にとっては、関西弁での訳というのは全く読みづらく、分かりにくくて仕方のないものであった。
やりたい方向性は理解するけれど、読みながらだんだんシラけてきてしまった。こんなの関西限定で販売すればよろしい。いっそのこと日本中の方言で書いてみたら?と皮肉の一つも言いたくなるが、そんなのは真宗のお坊さんの仕事か。こんなのは古典新訳の命題から外れてやしないだろうか?
なむあみだぶつ。
- 2012年6月18日に日本でレビュー済み古典の名著を読みやすい形で再翻訳するのがこのシリーズの目的なのでしょうが,今回の関西弁訳は読みやすくなっているとは思えませんでした.
長い内容ではないので意味は伝わってきますが,関西弁にした意義は特に見当たりませんでした.
数ある翻訳の1種類として存在するのはよいと思いますが,初めて読むのにあえて選択する必要はないかと思います.
- 2015年11月2日に日本でレビュー済みAmazonで購入授業中の説明と関西弁訳を合わせてよむととてもわかりやすいです。