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忠臣蔵 もう一つの歴史感覚 (講談社学術文庫) Kindle版
日本人の心の中に「大石内蔵助」という名は一つの男の理想像として刻み込まれている。しかし、このイメージは、実は歴史上の実像とは隔たりがある。それでは、「忠臣蔵」という共同幻想をつくったのは、本当はだれなのか。そして、この壮大なフィクションは、なぜこれほど日本人に愛され続け、『仮名手本忠臣蔵』はどのようにして歌舞伎最大の古典となったのか。明晰な構成と文体で鮮やかに描き出す、第一人者による意欲作。(講談社学術文庫)
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2013/11/11
- ファイルサイズ1306 KB
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商品の説明
著者について
渡辺 保
1936年東京生まれ。演劇評論家。慶應義塾大学経済学部卒。東宝演劇部企画室を経て慶應義塾大学、東京大学、淑徳大学等で教鞭を執り、放送大学名誉教授。おもな著書に『女形の運命』『娘道成寺『四代目市川団十郎』『黙阿弥の明治維新』『江戸演劇史』『明治演劇史』など。
1936年東京生まれ。演劇評論家。慶應義塾大学経済学部卒。東宝演劇部企画室を経て慶應義塾大学、東京大学、淑徳大学等で教鞭を執り、放送大学名誉教授。おもな著書に『女形の運命』『娘道成寺『四代目市川団十郎』『黙阿弥の明治維新』『江戸演劇史』『明治演劇史』など。
登録情報
- ASIN : B00HCB82VO
- 出版社 : 講談社 (2013/11/11)
- 発売日 : 2013/11/11
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1306 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 307ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 344,076位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,132位演劇・舞台 (Kindleストア)
- - 3,704位演劇 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年10月18日に日本でレビュー済み
レポート
Amazonで購入
書き込み、傍線の多さにもめげず、渡辺保の世界をレビューできました。
役に立った
2024年1月16日に日本でレビュー済み
史実としての赤穂浪士の討ち入り事件の経緯をたどりながら、物語としての忠臣蔵成立の事情を、歌舞伎役者の逸話などを交えて語る一書。
共に、断片的にしか知らなかった事実を、江戸中期の歌舞伎爛熟期の熱気そのままに伝えてくれる。
事件としての赤穂浪士の討ち入りが、なぜかくも我々日本人の心に響くのか?それはやはり、組織としての武士たちの行動が、個人を超えた「何か」を私たちに訴えかけて来るからではないだろうか?そして、作品としての忠臣蔵が、長い年月のあいだに、多くの人の手を経て「仮名手本忠臣蔵」として完成していったのは、著者も言うように赤穂事件に対する、当時の日本人の共同幻想として成立して行ったのではないか、と思う。
まあ、そういう議論はともかくとして、本書は江戸時代の「歌舞伎」の歴史、それも役者中心の歌舞伎の歴史を描く点でも秀逸で、ここに登場する歌舞伎役者らの逸話は実に面白い。
特に、初代尾上菊五郎の段が話題豊富で、例えば自身が営む油屋から出火、あたり一帯が消失したが、幸い自身の本宅だけが焼け残ったため、住民の恨みを買い、打ちこわしにあった話とか、四代目松本幸四郎がなかなか隅に置けない陰謀家だったらしく、色子として売られ育ったという出自もさることながら、スキャンダルの虚報を流して團十郎を陥れたり、恩人の菊五郎を一座から追い出そうと画策したため、舞台で菊五郎とあわや刃傷沙汰になりかけた、など面白い話題に事欠かない。
そして何よりも興味深いのは、式亭三馬が『忠臣蔵偏癡気論』で、忠臣蔵に登場する人物たちの不自然な行動などに異議を唱えていることである。著者は、そこに三馬は洗練されつくした「美しづくめ」の空虚さを見たのだと言う。
おそらく19世紀人三馬の目には、忠臣蔵が、完成に近づけば近づくほど、劇としての躍動感やリアリティーを失ってゆくのを感じたのではないだろうか?そしてそれは、とりもなおさず、歌舞伎そのものが同じ運命にあったことを物語るような気がする。
そのことは、著者が「粋と肚」で語った、「團十郎と菊五郎は、その近代的な感覚によって江戸の思い出の感受性を古典化し、一つの美学に洗練し、完成した。」という言葉にも表れているように感ずる。それを敷衍すれば、歌舞伎は完成されたが故に、大衆芸能としての生命力を失い、古典芸術として「鑑賞」されるものになってしまったのではないか、と言うことである。
いずれにしても、歌舞伎は舞台もさることながら、それ以上に、その歴史や逸話が大変面白く、もっと知りたくなること請け合いであり、私のような歌舞伎初心者には打ってつけの好著と言えよう。
尚、蛇足ながら切腹した46名の内、16才と最年少だった大石内蔵助の息子大石主税の母りくのことを思うと、惻隠の情を禁じえない(R6.1.16)。
共に、断片的にしか知らなかった事実を、江戸中期の歌舞伎爛熟期の熱気そのままに伝えてくれる。
事件としての赤穂浪士の討ち入りが、なぜかくも我々日本人の心に響くのか?それはやはり、組織としての武士たちの行動が、個人を超えた「何か」を私たちに訴えかけて来るからではないだろうか?そして、作品としての忠臣蔵が、長い年月のあいだに、多くの人の手を経て「仮名手本忠臣蔵」として完成していったのは、著者も言うように赤穂事件に対する、当時の日本人の共同幻想として成立して行ったのではないか、と思う。
まあ、そういう議論はともかくとして、本書は江戸時代の「歌舞伎」の歴史、それも役者中心の歌舞伎の歴史を描く点でも秀逸で、ここに登場する歌舞伎役者らの逸話は実に面白い。
特に、初代尾上菊五郎の段が話題豊富で、例えば自身が営む油屋から出火、あたり一帯が消失したが、幸い自身の本宅だけが焼け残ったため、住民の恨みを買い、打ちこわしにあった話とか、四代目松本幸四郎がなかなか隅に置けない陰謀家だったらしく、色子として売られ育ったという出自もさることながら、スキャンダルの虚報を流して團十郎を陥れたり、恩人の菊五郎を一座から追い出そうと画策したため、舞台で菊五郎とあわや刃傷沙汰になりかけた、など面白い話題に事欠かない。
そして何よりも興味深いのは、式亭三馬が『忠臣蔵偏癡気論』で、忠臣蔵に登場する人物たちの不自然な行動などに異議を唱えていることである。著者は、そこに三馬は洗練されつくした「美しづくめ」の空虚さを見たのだと言う。
おそらく19世紀人三馬の目には、忠臣蔵が、完成に近づけば近づくほど、劇としての躍動感やリアリティーを失ってゆくのを感じたのではないだろうか?そしてそれは、とりもなおさず、歌舞伎そのものが同じ運命にあったことを物語るような気がする。
そのことは、著者が「粋と肚」で語った、「團十郎と菊五郎は、その近代的な感覚によって江戸の思い出の感受性を古典化し、一つの美学に洗練し、完成した。」という言葉にも表れているように感ずる。それを敷衍すれば、歌舞伎は完成されたが故に、大衆芸能としての生命力を失い、古典芸術として「鑑賞」されるものになってしまったのではないか、と言うことである。
いずれにしても、歌舞伎は舞台もさることながら、それ以上に、その歴史や逸話が大変面白く、もっと知りたくなること請け合いであり、私のような歌舞伎初心者には打ってつけの好著と言えよう。
尚、蛇足ながら切腹した46名の内、16才と最年少だった大石内蔵助の息子大石主税の母りくのことを思うと、惻隠の情を禁じえない(R6.1.16)。





