明治期の国語辞典である『言海』を手がかりに、当時の「ふつうの言葉」を明らかにしようとしたもの。なお、著者には同じく『言海』を扱った『『言海』と明治の日本語』(港の人,2013年)があり、できれば順番に読んだ方がいいだろう。
『言海』がどのようにして編纂されたかから始まり、従来のいろは順から五十音順になった理由、発音の示し方、漢語を和語で説明している例が多いこと、カタカナ語の採用、ふりがなの使われ方などが点検されていく。
そのさきに見えてくるのは、明治期の日本語の実態である。いまの日本語と予想以上に異なるのに驚かされる。
それにしても分析の手法がたくみで、説得力もある。辞書を使った研究とは、こうやればいいのかと教えられた。
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「言海」を読む ことばの海と明治の日本語 (角川選書) Kindle版
日本初の近代的辞書と言われる『言海』は、明治期の日本語を映し出す鏡の役割を持っていた。編纂者・大槻文彦が凝らした配列や表記、語彙選別の苦労を丹念に読み解きながら、『言海』の真価を明らかにする。
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2014/7/15
- ファイルサイズ5323 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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商品の説明
著者について
1958年神奈川県生まれ。1986年早稲田大学大学院博士課程後期退学。高知大学助教授を経て、現在、清泉女子大学教授。専攻は日本語学。著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)『正書法のない日本語』(岩波書店)などがある。
登録情報
- ASIN : B00LIKLNJS
- 出版社 : KADOKAWA (2014/7/15)
- 発売日 : 2014/7/15
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 5323 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 178ページ
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- - 36位国語辞典 (Kindleストア)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年9月21日に日本でレビュー済み
『言海』とは何か。
まず著者によるかんたんな紹介を本書から引いておきます。
「『言海』は、大槻文彦(1847-1928)によって編まれ、明治22(1889)年に4分冊で刊行を開始し、明治24(1891)年に完成した辞書である。「最初の近代的国語辞典」と評価されている。」
ふつう辞書というものは新しいものであればあるほど良いといわれています。それは、国語辞典や英和辞典のようなとりわけ長く版を重ねてきた辞書のばあい、誤りや誤植などが改められ、新語や流行語も採録されて、よりアップ・ツー・デートされたものになっているからです。新しく発刊された辞書でも、既刊の他の辞書が研究され、その長所がとりいれられるなどして、既刊のものよりさらに内容的に充実したものになっているだろうと予想されるからです(その期待はしばしば裏切られることがありますが)。
では、明治の半ば頃に刊行された古い、ふるーい国語辞典『言海』は、もはや利用価値はないのかというと、そうではないと著者はいいます。
本書は、さまざまな角度から、この『言海』が「よく吟味されて編輯されている辞書」であることをあらためて確認していきます。
以前より、評者は、大正年間に刊行された判型が「四六版」の『言海』を所有していましたが、最近古書店で明治29年発行の第10版、それも「四六倍版」と呼ばれる大型本を安く手に入れることができました(印刷者名が愛敬某となっているので、著者の業界用語では「第10版A本」となります)。後者は、大判なだけに活字も見やすく、装丁としても背と表裏の表紙四隅が革装になっていてなかなか重厚な造本となっています。
これまで長く手元にあった「四六版」の『言海』は、たまに引くことはあっても、基本的に書架の飾りとなっていました。この国語辞書の特徴も知らなければ、読み方も知らなかったということもあって、そもそも活用できないでいたというのが実情です。
本書は、現在見ることのできる国語辞書とはかなりちがう作りのこの『言海』について、その読み方、使い方をさまざまな角度から指南してくれます。
まず著者によるかんたんな紹介を本書から引いておきます。
「『言海』は、大槻文彦(1847-1928)によって編まれ、明治22(1889)年に4分冊で刊行を開始し、明治24(1891)年に完成した辞書である。「最初の近代的国語辞典」と評価されている。」
ふつう辞書というものは新しいものであればあるほど良いといわれています。それは、国語辞典や英和辞典のようなとりわけ長く版を重ねてきた辞書のばあい、誤りや誤植などが改められ、新語や流行語も採録されて、よりアップ・ツー・デートされたものになっているからです。新しく発刊された辞書でも、既刊の他の辞書が研究され、その長所がとりいれられるなどして、既刊のものよりさらに内容的に充実したものになっているだろうと予想されるからです(その期待はしばしば裏切られることがありますが)。
では、明治の半ば頃に刊行された古い、ふるーい国語辞典『言海』は、もはや利用価値はないのかというと、そうではないと著者はいいます。
本書は、さまざまな角度から、この『言海』が「よく吟味されて編輯されている辞書」であることをあらためて確認していきます。
以前より、評者は、大正年間に刊行された判型が「四六版」の『言海』を所有していましたが、最近古書店で明治29年発行の第10版、それも「四六倍版」と呼ばれる大型本を安く手に入れることができました(印刷者名が愛敬某となっているので、著者の業界用語では「第10版A本」となります)。後者は、大判なだけに活字も見やすく、装丁としても背と表裏の表紙四隅が革装になっていてなかなか重厚な造本となっています。
これまで長く手元にあった「四六版」の『言海』は、たまに引くことはあっても、基本的に書架の飾りとなっていました。この国語辞書の特徴も知らなければ、読み方も知らなかったということもあって、そもそも活用できないでいたというのが実情です。
本書は、現在見ることのできる国語辞書とはかなりちがう作りのこの『言海』について、その読み方、使い方をさまざまな角度から指南してくれます。
2014年9月23日に日本でレビュー済み
かなり以前に高田宏氏の『言葉の海へ』を読んでいたので、大槻文彦のことは何となく覚えていたが、彼が作った辞書『言海』を直接手にしたこともなく、具体的にどのような辞書だったのか知らなかったので興味を惹かれて手にしてみた。
『言海』では、意味や語源が示されたことは当然だが、それまでの辞書がイロハ順だったのに対し五十音順であること、発音が記されていることなど、現代の辞書を使っていれば常識にように思えることが画期的だったことが理解できる。見出し語や語釈を掘り下げることによって、刊行当時である明治時代の言語の諸相にも迫っていく。さらに、当時の文学作品を参照にしながら、「明治の日本語」の実態をも探ろうとしている。
明治時代の文学作品の言語について考えてみると、同じ言葉でも、大きな意味は同じでも現代と微妙にニュアンスが違っている場合があるだろう。そのような言葉でも、意味が通じる限り、読み飛ばしている可能性があり、それでいいのかということである。
また、『言海』の後を追うように刊行された山田武太郎(美妙)が編纂した『日本大辞書』との比較、その特徴なども興味深い。『日本大辞書』を単に『言海』の模造品として「切り捨てる」必要がない、と著者は書いているが、頷ける主張である。
著者が書くように、『言海』が「よく吟味されて編輯されて」ており、しかも当時の言語事情を反映しているのが当然である以上、明治文学の作品を精緻に「読む」過程の中で、『言海』を含む辞書の役割をもう少し考え直すべきなのかもしれない。
『言海』では、意味や語源が示されたことは当然だが、それまでの辞書がイロハ順だったのに対し五十音順であること、発音が記されていることなど、現代の辞書を使っていれば常識にように思えることが画期的だったことが理解できる。見出し語や語釈を掘り下げることによって、刊行当時である明治時代の言語の諸相にも迫っていく。さらに、当時の文学作品を参照にしながら、「明治の日本語」の実態をも探ろうとしている。
明治時代の文学作品の言語について考えてみると、同じ言葉でも、大きな意味は同じでも現代と微妙にニュアンスが違っている場合があるだろう。そのような言葉でも、意味が通じる限り、読み飛ばしている可能性があり、それでいいのかということである。
また、『言海』の後を追うように刊行された山田武太郎(美妙)が編纂した『日本大辞書』との比較、その特徴なども興味深い。『日本大辞書』を単に『言海』の模造品として「切り捨てる」必要がない、と著者は書いているが、頷ける主張である。
著者が書くように、『言海』が「よく吟味されて編輯されて」ており、しかも当時の言語事情を反映しているのが当然である以上、明治文学の作品を精緻に「読む」過程の中で、『言海』を含む辞書の役割をもう少し考え直すべきなのかもしれない。