やっと日本語訳が出たという感じですね。
旧訳版にあった宗教学的なキーワードに対する解説はありませんが、
その分、読みやすくはなっていると思われます。
現在、グノーシスなどについては研究書なども多く出ているので、
割愛したのは英断だと。
さて、これは話の筋たるものは少ししかなく、あとはひたすらディックの分身である
ホースラヴァーファットと友人たちの神学談義です。
ですので、つまらないと思う方は、ひたすらつまらないと思いますが、
他の作品を読んでディックはどういう考えの人だったんだろうと思われた方には、
ある種の答えをくれると思います。
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ヴァリス〔新訳版〕 Kindle版
友人グロリアの自殺をきっかけにして、作家ホースラヴァー・ファットの日常は狂い始める。麻薬におぼれ、孤独に落ち込むファットは、ピンク色の光線を脳内に照射され、ある重要な情報を知った。それを神の啓示と捉えた彼は、日誌に記録し友人らと神学談義に耽るようになる。さらに自らの妄想と一致する謎めいた映画『ヴァリス』に出会ったファットは……。ディック自身の神秘体験をもとに書かれた最大の問題作。/掲出の書影は底本のものです
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2014/5/15
- ファイルサイズ593 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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登録情報
- ASIN : B00LITTJD6
- 出版社 : 早川書房 (2014/5/15)
- 発売日 : 2014/5/15
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 593 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
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- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 368ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 110,583位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
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2024年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画ブレードランナーの原作「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」の作者P.K.ディックによる作品。
過去ディックの作品を読みふけっていた時期があったが、30年ぶりにディックの作品を手に取った。
読み始めると冒頭全くSFではない、しかも小説の体をなしていないような感じなのである。
読み進めていくうちに丁度主人公だと思っていたホースラヴァー・ファットの他に僕なる主人公が現れたところあたりで小説の体になってくる、読み進めやすくなってくる。
そして作中に映画「VALIS」が登場。この映画がディック的なSFの内容なのだが、映画はフィクションではなく現実を反映したものであるという展開となり、作品はSFへとなっていく。
昨今、ホログラフィック宇宙論・世界シミュレーション仮説・時間は存在しない等といった物理学での仮説を聞くことがでてきたが、そのような認識を40年も昔に作品に取り込んだディックはさすがである。
過去ディックの作品を読みふけっていた時期があったが、30年ぶりにディックの作品を手に取った。
読み始めると冒頭全くSFではない、しかも小説の体をなしていないような感じなのである。
読み進めていくうちに丁度主人公だと思っていたホースラヴァー・ファットの他に僕なる主人公が現れたところあたりで小説の体になってくる、読み進めやすくなってくる。
そして作中に映画「VALIS」が登場。この映画がディック的なSFの内容なのだが、映画はフィクションではなく現実を反映したものであるという展開となり、作品はSFへとなっていく。
昨今、ホログラフィック宇宙論・世界シミュレーション仮説・時間は存在しない等といった物理学での仮説を聞くことがでてきたが、そのような認識を40年も昔に作品に取り込んだディックはさすがである。
2019年1月17日に日本でレビュー済み
ディックは、独特の世界観をもった風変わりなSF作家と思われているが、とんでもない。彼は私が思うに、文学史上に残る巨人である。
ディックは長編40本以上という非常な多作だが、初期から晩年の『ヴァリス』にいたるまでテーマは一貫している。彼の描く世界観は、一言で言うと「胡蝶の夢」そのものである。すなわち、現実への不信、虚構の世界観である。『ユービック』では時間が退行し、『流れよわが涙、と警官は言った』では自分の存在が世界から忘れ去られ、『高い城の男』では虚構の世界と現実の世界の境目が崩れたりする。神秘体験にたびたび遭遇したディックは、この世のあり方に常に不信感を感じていたのだろう。
それ以上に彼が現実に不信感(というか納得いかないという感じ、理不尽)を抱いたのは、愛する人々が次々と死んでいくという事態だろう。ヴァリスは、友人が自殺するエピソードから始まる。それをきっかけとして、主人公ファットは狂っていく。やがてファットは、超越的な存在(それを彼はVALISと名づけた)から、息子の病気や歴史の真実や時空のありかたなどの知識を授かりだす。それらを彼は釈義としてつづっていく。物語は中盤まで延々とこの釈義がつづられる。ここまでで、挫折してしまう人も多いだろうが、正直言って釈義は斜め読みでかまわないと思うので、がんばって読みすすんでいただきたい。
この小説も語り手が実は主人公の分裂した自己であったりと、複雑なつくりをもつ。さらに、小説の頭にソ連の辞書からの引用としてVALISの説明が書かれている。小説中では、VALISがソ連のスパイ衛星のようなものではないかと語られるシーンがあるが、この引用のために、読者はVALISが何なのかますますわからなくなってしまう。
さて、このようにヴァリスでも世界の虚構性がいやというほど描かれるわけである。ディックが「神なき世界の生き方」として与えた回答は、ヴァリスでは「神」とのふれあいによるディックの再生として見事に描かれている。ディックの回答は、単当直入にいうと「愛」である。「神なき世界に何を信じて生きるか」という問いに、彼は「愛」と答えたのである。物語終盤の「神」の言葉を読んでみてほしい。ほとんどキリストの言葉と同じである。それをいかにディックは熱を込めて書いているか!彼はここを書きながら涙していたに違いない。
ディックの思想は『電気羊はアンドロイドの夢を見るか』でもっともわかりやすく描かれている。この作品が彼の最高傑作とされているのは、わかりやすさのためだろう。しかし、わたしに言わせれば電気羊はメッセージが単刀直入すぎてしらけてしまう。メッセージの中身は同じなのだが、こうもストレートに言われると、押し付けがましいし、説得力がない。物語を通して暗に伝えられるからこそ、ディックの思いが胸をうつのである。その点で、映画の『ブレードランナー』のほうがはるかにディックの思想の核心をうまく捉えることに成功している。ここでは、奴隷として生まれたレプリカンとたちが、愛を知ったころにはもう死が待っているという絶望的なまでに理不尽な状況の中で、必死に生きようとする姿が描かれている。レプリカンとこそ、われわれ人間のあり方にほかならない。不条理な世界にあっても懸命に生きていかなくてはならず、そこに愛と共感がなくてはならない。これがディックの与えた回答である。
本作のほかにも『ユービック』、『スキャナー・ダークリー』、『去年を待ちながら』などの傑作があるので全部読んでほしい。個人的には『去年を待ちながら』が好きだなぁ。
ディックは長編40本以上という非常な多作だが、初期から晩年の『ヴァリス』にいたるまでテーマは一貫している。彼の描く世界観は、一言で言うと「胡蝶の夢」そのものである。すなわち、現実への不信、虚構の世界観である。『ユービック』では時間が退行し、『流れよわが涙、と警官は言った』では自分の存在が世界から忘れ去られ、『高い城の男』では虚構の世界と現実の世界の境目が崩れたりする。神秘体験にたびたび遭遇したディックは、この世のあり方に常に不信感を感じていたのだろう。
それ以上に彼が現実に不信感(というか納得いかないという感じ、理不尽)を抱いたのは、愛する人々が次々と死んでいくという事態だろう。ヴァリスは、友人が自殺するエピソードから始まる。それをきっかけとして、主人公ファットは狂っていく。やがてファットは、超越的な存在(それを彼はVALISと名づけた)から、息子の病気や歴史の真実や時空のありかたなどの知識を授かりだす。それらを彼は釈義としてつづっていく。物語は中盤まで延々とこの釈義がつづられる。ここまでで、挫折してしまう人も多いだろうが、正直言って釈義は斜め読みでかまわないと思うので、がんばって読みすすんでいただきたい。
この小説も語り手が実は主人公の分裂した自己であったりと、複雑なつくりをもつ。さらに、小説の頭にソ連の辞書からの引用としてVALISの説明が書かれている。小説中では、VALISがソ連のスパイ衛星のようなものではないかと語られるシーンがあるが、この引用のために、読者はVALISが何なのかますますわからなくなってしまう。
さて、このようにヴァリスでも世界の虚構性がいやというほど描かれるわけである。ディックが「神なき世界の生き方」として与えた回答は、ヴァリスでは「神」とのふれあいによるディックの再生として見事に描かれている。ディックの回答は、単当直入にいうと「愛」である。「神なき世界に何を信じて生きるか」という問いに、彼は「愛」と答えたのである。物語終盤の「神」の言葉を読んでみてほしい。ほとんどキリストの言葉と同じである。それをいかにディックは熱を込めて書いているか!彼はここを書きながら涙していたに違いない。
ディックの思想は『電気羊はアンドロイドの夢を見るか』でもっともわかりやすく描かれている。この作品が彼の最高傑作とされているのは、わかりやすさのためだろう。しかし、わたしに言わせれば電気羊はメッセージが単刀直入すぎてしらけてしまう。メッセージの中身は同じなのだが、こうもストレートに言われると、押し付けがましいし、説得力がない。物語を通して暗に伝えられるからこそ、ディックの思いが胸をうつのである。その点で、映画の『ブレードランナー』のほうがはるかにディックの思想の核心をうまく捉えることに成功している。ここでは、奴隷として生まれたレプリカンとたちが、愛を知ったころにはもう死が待っているという絶望的なまでに理不尽な状況の中で、必死に生きようとする姿が描かれている。レプリカンとこそ、われわれ人間のあり方にほかならない。不条理な世界にあっても懸命に生きていかなくてはならず、そこに愛と共感がなくてはならない。これがディックの与えた回答である。
本作のほかにも『ユービック』、『スキャナー・ダークリー』、『去年を待ちながら』などの傑作があるので全部読んでほしい。個人的には『去年を待ちながら』が好きだなぁ。
2021年12月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人間の精神と個の認識、現実と空想が入り混じった世界を題材にした作品。宗教関連の記述が多く、また散文的記述が多々含まれるので、読んでいて途中で流れを見失い、2,3ページ戻って読み返すということが度々あった。一般の「筋が一本通っている」SF小説と期待して読むと、面食らうだろう。ディックの「精神世界」ファンであれば読むに値するかとは思うが、それ以外の読者に対しては個人的にはおすすめしない。
2014年7月9日に日本でレビュー済み
小説のつくりが壊れかかっている、というか壊れてしまっているところが読みどころ。
同じようなタイプ(と私には思える)の小説で、壊れそうで壊れていないのは、中島らも『バンド・オブ・ザ・ナイト』だ。
ソフィアをいわゆる萌えキャラとして捉えてラノベとして読むのも面白い。大昔、サンリオ文庫版では、藤野一友の表紙絵と裏表紙のキャプション(佐藤守彦)に持って行かれたのだけれど、80年代は遠く過ぎ去った今なら落ち着いて読める。。
俺はどこにでもいる普通のSF作家。1974年3月にピンクの光線を浴びてから、ローマでキリスト教徒が迫害されていた時代と現代とを二重に生きるようになった。…というようなラノベ文体に翻案するとディックの日常雑記小説だとわかる。しかし、314頁に突然黄金比が小数で現れたりするので油断はできない
同じようなタイプ(と私には思える)の小説で、壊れそうで壊れていないのは、中島らも『バンド・オブ・ザ・ナイト』だ。
ソフィアをいわゆる萌えキャラとして捉えてラノベとして読むのも面白い。大昔、サンリオ文庫版では、藤野一友の表紙絵と裏表紙のキャプション(佐藤守彦)に持って行かれたのだけれど、80年代は遠く過ぎ去った今なら落ち着いて読める。。
俺はどこにでもいる普通のSF作家。1974年3月にピンクの光線を浴びてから、ローマでキリスト教徒が迫害されていた時代と現代とを二重に生きるようになった。…というようなラノベ文体に翻案するとディックの日常雑記小説だとわかる。しかし、314頁に突然黄金比が小数で現れたりするので油断はできない
2022年9月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
前半、これは薬物中毒者の幻想の話なのだろうかと思うスロースタートなのだけれど、60%程読み進めていくとジェットコースターに乗っちゃった感じ。
これは著者のディックの神秘体験とそこから出てきた神学哲学に関することがめちゃくちゃ乱暴だけどカラフルなビジュアルで迫ってくる。文字情報読んでるのに…というもの。仏陀もでてくる。ディックの宗教観もすごいのだが、これ陰謀論につながるやつではないかと思ったら、やはりご本人が襲撃されたことがあり、それについて陰謀論の傾向にあったと。なるほど。著者の人生を色濃く反映した作品なのだな。重い。重いよ。自分が正常だっておもってることなんてほんと不確かだわとしかいいようがない。そんな不安定な感じで最後まで読んでいくしかないのだ。
宗教的なものに興味がある人は、個人の宗教観をのぞきみる気持ちで読めると思う。本当に個人的なものが反映されていると思う。生後一ヶ月で死別した双子の妹の死について彼はずっと考え続けているのだ。それが登場人物に反映されている。
これは著者のディックの神秘体験とそこから出てきた神学哲学に関することがめちゃくちゃ乱暴だけどカラフルなビジュアルで迫ってくる。文字情報読んでるのに…というもの。仏陀もでてくる。ディックの宗教観もすごいのだが、これ陰謀論につながるやつではないかと思ったら、やはりご本人が襲撃されたことがあり、それについて陰謀論の傾向にあったと。なるほど。著者の人生を色濃く反映した作品なのだな。重い。重いよ。自分が正常だっておもってることなんてほんと不確かだわとしかいいようがない。そんな不安定な感じで最後まで読んでいくしかないのだ。
宗教的なものに興味がある人は、個人の宗教観をのぞきみる気持ちで読めると思う。本当に個人的なものが反映されていると思う。生後一ヶ月で死別した双子の妹の死について彼はずっと考え続けているのだ。それが登場人物に反映されている。
2014年7月1日に日本でレビュー済み
短編集「変数人間」から信じられないスピードで定期的な発刊を続けているここんところのハヤカワ文庫。昔は映画公開に合わせて2年~3年ごとに短編集が1冊出ていたのに、2013年の12月から既に「ヴァリス」で4冊目。今月の10日には、新たな短編集が刊行されるんだから、アホなのか確信犯なのかわからない。もう読み飽きた短編を含め、装いを新たに新刊の香りに包まれてディックの世界を味わえるのは、とても嬉しいことなのだけど、果たしてどれだけ需要があるのだろう。まあ、ファンからしたらどうでもいいことだけど。
創元推理文庫の「ヴァリス」の難解度丸出しの版に比べると、今回の新訳はかなりくだけた訳になっていて、新しいディックファンには入りやすいのではないかと思う。
「巨大にして能動的な生ける情報システム(旧)」と「巨大活性諜報生命体システム(新)」
どっちもなんのこっちゃという感じだけど、旧訳がなんだか生きててメッチャ動き回るでっかい機械なのか?というニュアンスに比べて、新訳は生きてる大きな巨大コンピューターみたいなイメージで、なんかシュッとしてる。これも21世紀に生きている私たちだから理解できることなのであって、こんなことを "なめネコ" ブームの1981年に本にしているディックは、やっぱりブッとんでいる。
「ぼくはホースラヴァー・ファットだ。(P.13-3)」と言い切った次のセンテンスから、もうファットとフィルに分離してしまっている、この物語。村上春樹のぼくと影、カフカとカラスのような内省的な自己対話の世界が既にそこから始まっていく。そこから第8章までのめくるめく神学論と精神病の話はかなり読者を選ぶと思うが、第9章の映画『ヴァリス』から始まるハイスピードな物語を堪能するには、どうしても理解しておかねばならない知識が前半に詰め込まれているので、わたしみたいに読みながら熟睡してしまって、どこまで読んだかわからなくて、同じところを何度も読むハメになったとしても、ページは進めていくべきでしょう。
それにしても大滝版ヴァリスをまだ中坊の頃に読んで、さっぱり理解できなくて、だけど第9章からのちょっとサスペンスな感じが楽しくて、理解できないまま、また再読していたのを20年以上経って、なんだかポッと思い出してしまった。今後も「聖なる侵入」と「ティモシー・アーチャーの転生」が続けて刊行されるようなので、ハヤカワ文庫の無謀なディック推しを、わたしは諸手を挙げて支援したい。
創元推理文庫の「ヴァリス」の難解度丸出しの版に比べると、今回の新訳はかなりくだけた訳になっていて、新しいディックファンには入りやすいのではないかと思う。
「巨大にして能動的な生ける情報システム(旧)」と「巨大活性諜報生命体システム(新)」
どっちもなんのこっちゃという感じだけど、旧訳がなんだか生きててメッチャ動き回るでっかい機械なのか?というニュアンスに比べて、新訳は生きてる大きな巨大コンピューターみたいなイメージで、なんかシュッとしてる。これも21世紀に生きている私たちだから理解できることなのであって、こんなことを "なめネコ" ブームの1981年に本にしているディックは、やっぱりブッとんでいる。
「ぼくはホースラヴァー・ファットだ。(P.13-3)」と言い切った次のセンテンスから、もうファットとフィルに分離してしまっている、この物語。村上春樹のぼくと影、カフカとカラスのような内省的な自己対話の世界が既にそこから始まっていく。そこから第8章までのめくるめく神学論と精神病の話はかなり読者を選ぶと思うが、第9章の映画『ヴァリス』から始まるハイスピードな物語を堪能するには、どうしても理解しておかねばならない知識が前半に詰め込まれているので、わたしみたいに読みながら熟睡してしまって、どこまで読んだかわからなくて、同じところを何度も読むハメになったとしても、ページは進めていくべきでしょう。
それにしても大滝版ヴァリスをまだ中坊の頃に読んで、さっぱり理解できなくて、だけど第9章からのちょっとサスペンスな感じが楽しくて、理解できないまま、また再読していたのを20年以上経って、なんだかポッと思い出してしまった。今後も「聖なる侵入」と「ティモシー・アーチャーの転生」が続けて刊行されるようなので、ハヤカワ文庫の無謀なディック推しを、わたしは諸手を挙げて支援したい。