何というか一言でいうと、とても面白く、一気に読了しました。
全19章、やや長い小説ですが、作者の伝えたい意志が強く伝わってきて、退屈さを感じませんでした。(風景特に植物の表現は、ややくどい感じがしました。これは作者のこだわりがあるところなのでしょう。)
10代の頃に興味本位で購入したものの積読してましたが、40すぎて改めて開きました。私も多くの人がそうであるように、この作品を過激なポルノ小説と誤解していましたが、とんでもありませんでした。読了して率直な感想としては、立派な質の高い文学-2人の登場人物の恋愛を通して、作者が明確な思想を展開し、そのために時代背景、社会、土地、感情等しっかり書き込まれています。性をテーマにしてあるため、猥褻と取られてしまう表現がたしかにありますが、普通に恋人同士がやるようなことが隠されずに書かれているだけで、むしろ清々しいです。2人の台詞も変に美化されていません。台詞だけ読むと、本当に恋愛しているのか分からなくなるほど、正直に自分の気持ちを伝え合っているので、そこが逆にリアルです。
作者ロレンス自身の生涯も波瀾万丈なので、実体験とリンクしており、説得力が強く感じられます。
古典の名作と言われるものは、大衆的人気を得た上で、時代の流れと共に沢山研究されて評価が定まっていると思いますが、一般的なイメージによってとっつきにくいものもあると再確認しました。やはり、読んでみないと分からないものです。
是非、一度頭をまっさらにして、一つの小説として読んでいただくことをお勧めします。
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チャタレー夫人の恋人 (光文社古典新訳文庫) Kindle版
上流階級の令夫人コニーは、戦争で下半身不随となった夫の世話をしながら、生きる喜びのない日々を送っていた。そんなとき屋敷の森番メラーズに心奪われ、逢瀬を重ねることになるが……。身分や地位を超えて激しく愛し合う男女を描いた至高の恋愛小説。過激な性描写ばかりが注目されてきた従来の作品イメージを覆す新訳。登場人物たちの苦悩や絶望はきわめて現代的であり、今を生きる我々にとって隣人とも呼べる存在だ。
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2014/9/20
- ファイルサイズ1056 KB
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登録情報
- ASIN : B00NBJG6RI
- 出版社 : 光文社 (2014/9/20)
- 発売日 : 2014/9/20
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1056 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 534ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 52,701位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 162位光文社古典新訳文庫
- - 401位英米文学研究
- - 1,128位評論・文学研究 (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年11月19日に日本でレビュー済み
本書は、lイギリスの農村地域での貴族階級のチャタレー夫人コニーと庶民階級に属する森番メラーズの恋を描く恋愛小説である。
かつて日本でわいせつ文書として裁判になり有名になった小説だが、今日読んでみて、わいせつ性はあまり気にならない。
機械文明・消費文明への批判と、機械に対する人間の生命力や肉体、さらに性の優位を解くものだが、今日となってはよくあるテーマなのかもしれない。イギリスの農村の自然描写に光るものがあるし、第一次大戦直後という時期に炭鉱開発と工場操業による自然破壊が深刻化していたのが、今さらながら意外感がある。木村政則氏の訳はうまくいっていると思う。
本書は、森番メラーズが善でコニーの夫クリフォードが悪、メラーズが正でクリフォードが邪と、やや単純に決めつけられているような気がするので、1点引かせていただく。
かつて日本でわいせつ文書として裁判になり有名になった小説だが、今日読んでみて、わいせつ性はあまり気にならない。
機械文明・消費文明への批判と、機械に対する人間の生命力や肉体、さらに性の優位を解くものだが、今日となってはよくあるテーマなのかもしれない。イギリスの農村の自然描写に光るものがあるし、第一次大戦直後という時期に炭鉱開発と工場操業による自然破壊が深刻化していたのが、今さらながら意外感がある。木村政則氏の訳はうまくいっていると思う。
本書は、森番メラーズが善でコニーの夫クリフォードが悪、メラーズが正でクリフォードが邪と、やや単純に決めつけられているような気がするので、1点引かせていただく。
2016年4月16日に日本でレビュー済み
本書の名は昔は猥褻文書裁判でのみ知っていたので特に積極的な関心も起こらず、別に読みたいとも思わなかったのだが、その後コリン・ウィルソンの『性のアウトサイダー』等でロレンスが取り上げられていたのと、『黙示録論』が案外そこそこ面白かったことから、割とニーチェ的な思想家の側面が有ることに気付いた。それでその内読んでやろうとは思っていたのだが仲々腰が上がらず、今回読み易そうな新訳が出たと云うので、この機に目を通してみることにした。
まぁとにかく取り沙汰されるセックス描写のことから触れると、確かに普通小説としては随分と直接的な性的描写が多いが、本物のポルノ小説に比べると遥かに分量が少なく、表現も抽象的で、こんなので劣情を掻立てられる読者と云えば、1週間オナ禁した中学生男子位のものだろう。そしてこの本は中学生なんかが読んでも余り面白いとは思えないのではなかろうか。或る程度感情的にも成熟し、押し付けがましい世間様に一定期間付き合ってうんざりした経験を持つ読者でなければ、この本を味わうことは難しいだろうと思う。取り敢えず、この本をポルノと呼ぶことは、本物の立派なポルノに対して失礼である。
話の筋は対して難しいものが有る訳ではなく、多少図式的に要約すれば、中産階級出で自由思想的な傾向を持つ女主人公が、上流階級出で階層意識に凝り固まった男と結婚するが、夫は直ぐに戦場で負傷して下半身不随となる。炭坑街に周りを囲まれた屋敷で一応は恵まれた生活を送り、時に浮気に刺激を求めたりもするが、やがては退屈して悶々とした日々を送り、そんな中で、下層階級出ではあるが繊細な感受性と知性を持ち、中流階級へと成り上がる機会を自ら放棄して世捨て人的生活を送っている森番の男と巡り会い、逢瀬を重ねる様になる………と云うもの。各登場人物の口を借りて、要所で機械文明や消費文明、現代の抽象化し自意識のみを肥大化させた芸術、凡庸な世間の狭隘な視野等に対する侮蔑の言葉が開陳されるが、それらに対抗する実存的エリート主義の精髄とでも云うべきものが、ここでは肉体的感覚として取り上げられている。性交と云うのはこの肉体的感覚、この肉体的官能の復権の象徴とでも云うべきものであって、第一次大戦後の衰微し混乱した世相を背景に、「触れ合いの民主主義」を拳を突き上げて主張したのが本書だと言えるだろう。
性交や肉体的接触にそんな御大層な意義を認める主張に違和感を覚える読者も居るだろうが、(主に夫婦間の)性的コミュニケーションの重要さや、育児や介護に於ける触れ合いの重要さ等については、現代の日本人の読者でも、(少なくとも実践ではなく観念的なレヴェルに於ては)解説無しに容易に理解出来るだろう。当初の構想に有った階級間の対立と云うモチーフが捨象されて背景に退き、現代文明に対する肉体の反旗と云う点に焦点が絞り込まれた結果、本書は社会小説としての力強さと迫力には些か欠けるものの、不満者、不適応者のひっそりとしてはいるが解放された喜びについての、幸福に満ちた報告に仕上がっている。「ジョン・トマス」や「ジェイン」(ペニスやヴァギナ)に対する過剰な反応と期待を多少差し引いてやれば、性的遍歴を通じた然程過激とも言えない教養小説として読むことが出来るだろう。
まぁとにかく取り沙汰されるセックス描写のことから触れると、確かに普通小説としては随分と直接的な性的描写が多いが、本物のポルノ小説に比べると遥かに分量が少なく、表現も抽象的で、こんなので劣情を掻立てられる読者と云えば、1週間オナ禁した中学生男子位のものだろう。そしてこの本は中学生なんかが読んでも余り面白いとは思えないのではなかろうか。或る程度感情的にも成熟し、押し付けがましい世間様に一定期間付き合ってうんざりした経験を持つ読者でなければ、この本を味わうことは難しいだろうと思う。取り敢えず、この本をポルノと呼ぶことは、本物の立派なポルノに対して失礼である。
話の筋は対して難しいものが有る訳ではなく、多少図式的に要約すれば、中産階級出で自由思想的な傾向を持つ女主人公が、上流階級出で階層意識に凝り固まった男と結婚するが、夫は直ぐに戦場で負傷して下半身不随となる。炭坑街に周りを囲まれた屋敷で一応は恵まれた生活を送り、時に浮気に刺激を求めたりもするが、やがては退屈して悶々とした日々を送り、そんな中で、下層階級出ではあるが繊細な感受性と知性を持ち、中流階級へと成り上がる機会を自ら放棄して世捨て人的生活を送っている森番の男と巡り会い、逢瀬を重ねる様になる………と云うもの。各登場人物の口を借りて、要所で機械文明や消費文明、現代の抽象化し自意識のみを肥大化させた芸術、凡庸な世間の狭隘な視野等に対する侮蔑の言葉が開陳されるが、それらに対抗する実存的エリート主義の精髄とでも云うべきものが、ここでは肉体的感覚として取り上げられている。性交と云うのはこの肉体的感覚、この肉体的官能の復権の象徴とでも云うべきものであって、第一次大戦後の衰微し混乱した世相を背景に、「触れ合いの民主主義」を拳を突き上げて主張したのが本書だと言えるだろう。
性交や肉体的接触にそんな御大層な意義を認める主張に違和感を覚える読者も居るだろうが、(主に夫婦間の)性的コミュニケーションの重要さや、育児や介護に於ける触れ合いの重要さ等については、現代の日本人の読者でも、(少なくとも実践ではなく観念的なレヴェルに於ては)解説無しに容易に理解出来るだろう。当初の構想に有った階級間の対立と云うモチーフが捨象されて背景に退き、現代文明に対する肉体の反旗と云う点に焦点が絞り込まれた結果、本書は社会小説としての力強さと迫力には些か欠けるものの、不満者、不適応者のひっそりとしてはいるが解放された喜びについての、幸福に満ちた報告に仕上がっている。「ジョン・トマス」や「ジェイン」(ペニスやヴァギナ)に対する過剰な反応と期待を多少差し引いてやれば、性的遍歴を通じた然程過激とも言えない教養小説として読むことが出来るだろう。
2015年4月18日に日本でレビュー済み
学生時代に読んだ時と比べると、全く別の小説の様な気がしました。
もちろん、当時読んだのは、「チャタレー裁判」の後なので完訳版ではなく削除版だったろうと思われます。
又、人生経験の少ない当時の私には、読解力の問題もあり、表面的な捉え方しかできなかった憾みがあります。
今回改めてこの本を読んでみて、この小説は階級を超越した人間関係と人間が「生きる」とはどういうことなのかを語り掛けている様に思います。
その「生」の要素の一つとして「性」を取り上げている様に思います。
それと同時に、「女性」の自立の問題も絡んでいるのでしょう。
日本では、「青鞜」運動が有名ですが、この当時のイギリスにもそうした動きがあって、それにロレンスが呼応した様に思えます。
こうして改めて読んでみて、この作品は現代社会にも通じる傑作だと思いました。
もちろん、当時読んだのは、「チャタレー裁判」の後なので完訳版ではなく削除版だったろうと思われます。
又、人生経験の少ない当時の私には、読解力の問題もあり、表面的な捉え方しかできなかった憾みがあります。
今回改めてこの本を読んでみて、この小説は階級を超越した人間関係と人間が「生きる」とはどういうことなのかを語り掛けている様に思います。
その「生」の要素の一つとして「性」を取り上げている様に思います。
それと同時に、「女性」の自立の問題も絡んでいるのでしょう。
日本では、「青鞜」運動が有名ですが、この当時のイギリスにもそうした動きがあって、それにロレンスが呼応した様に思えます。
こうして改めて読んでみて、この作品は現代社会にも通じる傑作だと思いました。