民俗学者である筆者が、日本民俗学の父とも言われる柳田を、民俗学の狭い範囲に閉じ込めるのではなく、政策官僚、社会問題研究家・運動家と言う側面から捉え直している。関東大震災、世界恐慌、敗戦、国難のたびに立ち上がって、政策を提言し、社会運動を起こす、その姿はウルトラマンと帰ってきたウルトラマンとウルトラセブンをひとりで演じているようでもある(適切な比喩が見つからない、誰か助けて)。最後の枢密院メンバーとして、敗戦日本の未来が、対話のできる国民の養成と、社会の仕組みについて考える教育にあると、国語科教育の改革、社会科科目の創設に力があったことを述べます。今、その方面の一線で活躍する人たちにも読んでもらいたいですね。
個人的な記憶を書けば、筆者と同じ頃、民俗学の色の濃い学部にいて、教授たちが苦い顔で戦前、戦後の民俗学を語る姿を思い出しました。なるほどそういうことだったのかと。
島崎藤村の椰子の実にインスピレーションを与えた柳田如きではない大きな柳田を描いているのが本書です。月並みだけど、コロナ禍の今だからこそ、というのが多少とも似合う本でしょう。
Kindle 価格: | ¥891 (税込) |
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社会をつくれなかったこの国がそれでもソーシャルであるための柳田國男入門 (角川EPUB選書) Kindle版
ツイッターやフェイスブックなどのSNSは普及したがユーザーが語るのは「私」だ。なぜ日本ではソーシャルが浸透しないのか。本当の意味でのソーシャル実現を目指した柳田國男の思考から、その要因と解決策を探る。
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2014/10/10
- ファイルサイズ3187 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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商品の説明
著者について
1958年生まれ。筑波大学人文学類民俗学専攻卒業。まんが原作者、評論家、編集者など多岐にわたり活躍。現在、国際日本文化研究センター教授。著書に『ミッキーの書式』『戦後まんがの表現空間』(第16回サントリー学芸賞)、『「捨て子」たちの民俗学』(第5回角川財団学芸賞)ほか多数。
登録情報
- ASIN : B00O4QJX5E
- 出版社 : KADOKAWA (2014/10/10)
- 発売日 : 2014/10/10
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 3187 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 242ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 258,794位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 9,559位コンピュータ・IT (Kindleストア)
- - 10,691位工学 (Kindleストア)
- - 18,747位コンピュータ・IT (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1958年生まれ。まんが原作者、批評家。『「捨て子」たちの民俗学』(第五回角川財団学芸賞受賞)などがある。神戸芸術工科大学教授、東京藝術大学大学院兼任講師。芸術工学博士(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 映画式まんが家入門 (ISBN-13: 978-4048685627 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年5月24日に日本でレビュー済み
レポート
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4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2015年4月5日に日本でレビュー済み
疑問なのは、ソーシャルの語源であるアメリカの国民はみんな「公民」なのか、という。
最近のアメリカのアメコミ実写化ブームを見ても、彼らが成熟した近代を生きてるとはどうも思えない。。。
そもそも本当の意味での「選挙民」を教育しよう、という志は構わないが、結局力のある人間に弱い人間は流されてしまうのではないかなぁ、と。
「秀才は育成できるが天才はその出現を待つしかない」という言葉があるけど
筆者の言う「日本の近代化」にはやはり、それだけ影響力のある、それこそロマン主義を捨てきれなかった柳田国男以上の知識人の到来を待つしかないのでは?とも思う。
そして恐らくその知識人は残念ながら筆者ではない。
個人的に柳田国男が民俗学という、一般人には怪しげな学問の学者以上の存在だった、という事を知れたのはよかった。
でも、本書の「自分で考えろ」というメッセージはやはり90年代のエヴァだなぁ、と思ったw
それがメッセージとしてまだ有効なのは、社会が相変わらず未成熟なのか、識者が進歩してないのかあるいはその両方か。。。
僕としてはもっと有効なメッセージを発した方がいいのではないかと思う。
いかなるメッセージなら本当に社会は変わるんだろう?
最近のアメリカのアメコミ実写化ブームを見ても、彼らが成熟した近代を生きてるとはどうも思えない。。。
そもそも本当の意味での「選挙民」を教育しよう、という志は構わないが、結局力のある人間に弱い人間は流されてしまうのではないかなぁ、と。
「秀才は育成できるが天才はその出現を待つしかない」という言葉があるけど
筆者の言う「日本の近代化」にはやはり、それだけ影響力のある、それこそロマン主義を捨てきれなかった柳田国男以上の知識人の到来を待つしかないのでは?とも思う。
そして恐らくその知識人は残念ながら筆者ではない。
個人的に柳田国男が民俗学という、一般人には怪しげな学問の学者以上の存在だった、という事を知れたのはよかった。
でも、本書の「自分で考えろ」というメッセージはやはり90年代のエヴァだなぁ、と思ったw
それがメッセージとしてまだ有効なのは、社会が相変わらず未成熟なのか、識者が進歩してないのかあるいはその両方か。。。
僕としてはもっと有効なメッセージを発した方がいいのではないかと思う。
いかなるメッセージなら本当に社会は変わるんだろう?
2016年8月1日に日本でレビュー済み
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僕は大塚英志という人が書く文章が好きだ。
彼自身の、近代になり損ねた日本に対する、いや、近代人になり損ねた日本人に対する愛を…それは少し屈折しているかもしれないが、その文章から感じられるからだ。
大塚は、今この時代になお、いやこんな時代だからこそ、「近代」を、「社会」を構築するための考えや視点を、私達に提供してくれる。
柳田國男という人については、作中で大塚自身が言及しているように、「妖怪の人」というイメージが、今の世の中では鎮座している。そんな彼の業績…というよりも「目指したもの」が何だったのか、丁寧に資料や引用を織り込みながら、説いていく。それが「新しい知識」に見えてしまうところに、自分の浅学ぶりが露呈してしまうが、ここから学んでいけばいいんだ、と思える。そんな素敵な書物である。
彼自身の、近代になり損ねた日本に対する、いや、近代人になり損ねた日本人に対する愛を…それは少し屈折しているかもしれないが、その文章から感じられるからだ。
大塚は、今この時代になお、いやこんな時代だからこそ、「近代」を、「社会」を構築するための考えや視点を、私達に提供してくれる。
柳田國男という人については、作中で大塚自身が言及しているように、「妖怪の人」というイメージが、今の世の中では鎮座している。そんな彼の業績…というよりも「目指したもの」が何だったのか、丁寧に資料や引用を織り込みながら、説いていく。それが「新しい知識」に見えてしまうところに、自分の浅学ぶりが露呈してしまうが、ここから学んでいけばいいんだ、と思える。そんな素敵な書物である。
2014年11月15日に日本でレビュー済み
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あくまで柳田国雄の 入門 なのだなという印象があります。
本のあとがきで結局は 索引をつくれ、柳田を読め! とまとめているので、
読者に宿題を残すこのスタイルが嫌な人には嫌かもしれません。笑
ただ、 今のsnsとかの雰囲気って変だな。なんなのかなこれ、
と感じていた人は、本書で謎が解けるかもしれません。
うよく、さよく、ロマン主義、近代などのワードがピンとこず混乱しているひとの
頭の整理にも役立つでしょう。
本のあとがきで結局は 索引をつくれ、柳田を読め! とまとめているので、
読者に宿題を残すこのスタイルが嫌な人には嫌かもしれません。笑
ただ、 今のsnsとかの雰囲気って変だな。なんなのかなこれ、
と感じていた人は、本書で謎が解けるかもしれません。
うよく、さよく、ロマン主義、近代などのワードがピンとこず混乱しているひとの
頭の整理にも役立つでしょう。
2020年3月29日に日本でレビュー済み
"本書が語ろうとすることは至ってシンプルです。柳田國男の民俗学が『社会をつくるツール』として一貫して設計されたこと(中略)現在、必要なのは柳田が繰り返し試み、頓挫してきた『社会をつくる手立て』としての柳田の学問を読み返すことではないか、ということに尽きます"2014年発刊の本書は【ソーシャル】という言葉の前に、『近代』や『社会』をちゃんと考えるキッカケを与えてくれる一冊。
個人的には田山花袋の『蒲団』を課題図書として開催した読書会の時に参加者から紹介されたのですが。
お恥ずかしくも、田山花袋と【仲が良かった】あるいは『遠野物語』で【妖怪や民間伝承を伝えてくれた民族学者】程度の理解でしかなかった私にとっては、柳田國男がロマン主義から『個人として社会と向き合う』自然主義へ、また日清戦争後、関東大震災後、第二次世界大戦後と起きた国難に応じて【農家の自立、普通選挙、国語教育】と社会全体に対して、明確かつ具体的に試みてきた事を知って、大変面白かった。(柳田國男全集。いつか挑戦しなければ。。)
また著者が本書で問題としている【この国の近代がソーシャル(=社会的)をつくり損なった】に関しても、現在、IT経営者が多用する【言葉としてのソーシャル】が結局はマネタイズだったり、仲間たちによるロマン主義的な意味で【捻じ曲げて都合よく使っている】事に以前からモヤモヤしている私にはとても共感できる指摘でした。様々な予想外な事が起きる最近ですが。『個人』として『学び直しながら』思考停止するわけでも、誰かに流されることもなく『社会全体』と向き合っていきたいと本書を読み終えて思いました。
ソーシャルと柳田國男について知りたい誰か。『近代』や『社会』について考えてみたい誰かにもオススメ。
個人的には田山花袋の『蒲団』を課題図書として開催した読書会の時に参加者から紹介されたのですが。
お恥ずかしくも、田山花袋と【仲が良かった】あるいは『遠野物語』で【妖怪や民間伝承を伝えてくれた民族学者】程度の理解でしかなかった私にとっては、柳田國男がロマン主義から『個人として社会と向き合う』自然主義へ、また日清戦争後、関東大震災後、第二次世界大戦後と起きた国難に応じて【農家の自立、普通選挙、国語教育】と社会全体に対して、明確かつ具体的に試みてきた事を知って、大変面白かった。(柳田國男全集。いつか挑戦しなければ。。)
また著者が本書で問題としている【この国の近代がソーシャル(=社会的)をつくり損なった】に関しても、現在、IT経営者が多用する【言葉としてのソーシャル】が結局はマネタイズだったり、仲間たちによるロマン主義的な意味で【捻じ曲げて都合よく使っている】事に以前からモヤモヤしている私にはとても共感できる指摘でした。様々な予想外な事が起きる最近ですが。『個人』として『学び直しながら』思考停止するわけでも、誰かに流されることもなく『社会全体』と向き合っていきたいと本書を読み終えて思いました。
ソーシャルと柳田國男について知りたい誰か。『近代』や『社会』について考えてみたい誰かにもオススメ。
2022年7月25日に日本でレビュー済み
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「ソーシャル」という英語には実は適切な日本語訳がないのではないかとしています。米国では結社がそうであるとのことです。
柳田がロマン主義の文学青年だった話は知らず、田山花袋との関係は勉強になりました。文学を止め、官僚/農政学者の道をまず歩みはじめることになる訳ですが、「経世済民」の思想はその後の民俗学、戦後の国語・社会科教育でも一貫しているとしています。また、自分で学んで自分で判断するという近代における個の確立を重視していたともしています。周囲に流されるのでは自分で判断していることにならないのです。
ただ、要するに著者が言いたいのは、近代的自我の確立でしょう。それは果たして達成しなければならないものでしょうか。欧米とは異なるルートを通ってきた日本人が小魚の群れ的な行動をとる傾向にあるのは、ある意味本能的な処世術です。
著者は柳田の学問における手法をデータベース的、ハイパーテキスト的と指摘します。それは雑誌の運営において、研究者個人の他に先駆けた発表を重視する方法論と齟齬をきたします。柳田がやろうとしていたことは現代になってWEBが発展することによってようやく機能する方法論だったのです。そういう意味で柳田の方法論はソーシャルなものだったのです。
基本的に漫画編集者/原作者でサブカル評論家であり民俗学に関しては学士でしかない著者が大学で民俗学の講義を行うことはアカデミック・ポストを一つ奪うものであり、いかがなものかと思っていましたが、本書を読んでまあ許せるかという印象に変わりました。
柳田がロマン主義の文学青年だった話は知らず、田山花袋との関係は勉強になりました。文学を止め、官僚/農政学者の道をまず歩みはじめることになる訳ですが、「経世済民」の思想はその後の民俗学、戦後の国語・社会科教育でも一貫しているとしています。また、自分で学んで自分で判断するという近代における個の確立を重視していたともしています。周囲に流されるのでは自分で判断していることにならないのです。
ただ、要するに著者が言いたいのは、近代的自我の確立でしょう。それは果たして達成しなければならないものでしょうか。欧米とは異なるルートを通ってきた日本人が小魚の群れ的な行動をとる傾向にあるのは、ある意味本能的な処世術です。
著者は柳田の学問における手法をデータベース的、ハイパーテキスト的と指摘します。それは雑誌の運営において、研究者個人の他に先駆けた発表を重視する方法論と齟齬をきたします。柳田がやろうとしていたことは現代になってWEBが発展することによってようやく機能する方法論だったのです。そういう意味で柳田の方法論はソーシャルなものだったのです。
基本的に漫画編集者/原作者でサブカル評論家であり民俗学に関しては学士でしかない著者が大学で民俗学の講義を行うことはアカデミック・ポストを一つ奪うものであり、いかがなものかと思っていましたが、本書を読んでまあ許せるかという印象に変わりました。