著作の多く、内容に被りがあることもある内田樹さんですが、Twitterでご本人がお勧めされていただけあって、本作は内容が新鮮です。
内田さんのファンだけでなく広くお勧めしたい本だと思います。
Kindle 価格: | ¥682 (税込) |
獲得ポイント: | 7ポイント (1%) |
を購読しました。 続刊の配信が可能になってから24時間以内に予約注文します。最新刊がリリースされると、予約注文期間中に利用可能な最低価格がデフォルトで設定している支払い方法に請求されます。
「メンバーシップおよび購読」で、支払い方法や端末の更新、続刊のスキップやキャンセルができます。
エラーが発生しました。 エラーのため、お客様の定期購読を処理できませんでした。更新してもう一度やり直してください。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
日本霊性論 (NHK出版新書) Kindle版
迷走する日本人のこころと向き合う
二賢人から、渾身のメッセージ
東日本大震災後、あらためて問い直された日本人の死生観や宗教性。経済効率至上主義や個人主義が加速するなかで、置き去りにされた日本人の「こころ」の問題を、現代の二賢人が論じる。思想家として教育、医療、司法、宗教の倫理的立て直しを説く内田氏(第一部)、宗教者として日本的霊性のルーツに迫りつつ現代にふさわしい共生のありかたを探る釈氏(第二部)。どちらも自らの信ずる道を振り返りながら、社会を担う一員としての読者に、まっすぐ問いを投げかける。穏やかな笑顔からは想像もつかない、切実な問題意識に胸を打たれること間違いなしの力作。自分探しの「スピリチュアル」でもなく、特定の宗教・宗派にこだわるでもなく、人間が社会をつくり生き延びていくために根源的な支えとなる「霊性」をいま、問い直す。
※電子版限定 内田樹×釈徹宗対談「日本的霊性と大拙、そして私たち」収載
[目次]
第一部 なぜ霊性を呼び覚まさなければならないか/内田樹
第一章:先駆的な直感とセンサーの劣化について
第二章:人間社会に迫りくるもの
第三章:このメッセージは私宛である
第二部 「日本的」霊性と現代のスピリチュアリティ/釈徹宗
第一章:大拙の『日本的霊性』を読む
第二章:宗教的人格と霊性
第三章:霊性への道
二賢人から、渾身のメッセージ
東日本大震災後、あらためて問い直された日本人の死生観や宗教性。経済効率至上主義や個人主義が加速するなかで、置き去りにされた日本人の「こころ」の問題を、現代の二賢人が論じる。思想家として教育、医療、司法、宗教の倫理的立て直しを説く内田氏(第一部)、宗教者として日本的霊性のルーツに迫りつつ現代にふさわしい共生のありかたを探る釈氏(第二部)。どちらも自らの信ずる道を振り返りながら、社会を担う一員としての読者に、まっすぐ問いを投げかける。穏やかな笑顔からは想像もつかない、切実な問題意識に胸を打たれること間違いなしの力作。自分探しの「スピリチュアル」でもなく、特定の宗教・宗派にこだわるでもなく、人間が社会をつくり生き延びていくために根源的な支えとなる「霊性」をいま、問い直す。
※電子版限定 内田樹×釈徹宗対談「日本的霊性と大拙、そして私たち」収載
[目次]
第一部 なぜ霊性を呼び覚まさなければならないか/内田樹
第一章:先駆的な直感とセンサーの劣化について
第二章:人間社会に迫りくるもの
第三章:このメッセージは私宛である
第二部 「日本的」霊性と現代のスピリチュアリティ/釈徹宗
第一章:大拙の『日本的霊性』を読む
第二章:宗教的人格と霊性
第三章:霊性への道
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日2014/8/12
- ファイルサイズ1058 KB
この本を読んだ購入者はこれも読んでいます
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
出版社からのコメント
本書は東日本大震災の翌年、「今こそ霊性を賦活しなくてはならない」という内田樹さんの問題意識に沿って釈徹宗さんが企画されたふたつの連続講義の記録を、ほぼ全面的に改稿していただいたものです。本書で扱う霊性は、体系だった宗教が成立するよりもっと前の根源的な「目に見えない何かをおそれ敬うこころ」であり、社会のなかで生きていくための倫理的な知性であり、頭でっかちの陥穽にはまらぬための敏感な身体性といったものを指します。
第一部で内田さんは、人間社会を支えてきた柱が今、崩れそうになっていると警告を発します。西洋思想研究と合気道修行に明け暮れた数十年を経て、内田さんが身体の内側から確信した、世を立て直すに不可欠な「霊性」とはいかなるものでしょう。旧約聖書からマルクス、レヴィナス、スティーブ・ジョブズまで引きながら、どこへ連れて行かれるかわからないめくるめく内田的コンテキストに身をゆだねるよろこび……。ではすまないのが本書です。気楽に読み始めても、そのうち襟を正さずにはいられない。著者の筆はそれほど熱と切実さを帯びています。
第二部を執筆された釈さんは浄土真宗のお寺に生まれ育ち、ごく自然に仏道を歩んで来られました。古今東西の宗教を比較研究し、明快に私たちに教えてくださる釈さんをして、論理では説明のできない確信を持たせる信仰とは何なのでしょう。釈さんは、鈴木大拙の『日本的霊性』や山本七平の「日本教」等を引きながら、「日本人らしい霊性」を考えるヒントを提示します。さらに、認知考古学の仮説や現代スピリチュアルワークの様相など、霊性の歴史的パースペクティブをも示しつつ、宗教者/非宗教者、日本/西洋の枠を超えて共鳴しあえる霊性の可能性を探ります。ここにもまた、読む者の当事者性を否応なく喚起する、つよくて静かな祈りの力が宿っています。
本書では、異なる道を歩んできたふたりの足どりが、あるとき思いがけないところで邂逅します。それは、長いこと山中の隘路をたどった先に、突然開ける景色のように鮮やかです。そのときあなたが目にしたものは、きっとこれから生きていくうえで、たびたび指針となることでしょう。本書に込められたメッセージが、あなたなりの「霊性」を探り、培うきっかけとなれば幸いです。
第一部で内田さんは、人間社会を支えてきた柱が今、崩れそうになっていると警告を発します。西洋思想研究と合気道修行に明け暮れた数十年を経て、内田さんが身体の内側から確信した、世を立て直すに不可欠な「霊性」とはいかなるものでしょう。旧約聖書からマルクス、レヴィナス、スティーブ・ジョブズまで引きながら、どこへ連れて行かれるかわからないめくるめく内田的コンテキストに身をゆだねるよろこび……。ではすまないのが本書です。気楽に読み始めても、そのうち襟を正さずにはいられない。著者の筆はそれほど熱と切実さを帯びています。
第二部を執筆された釈さんは浄土真宗のお寺に生まれ育ち、ごく自然に仏道を歩んで来られました。古今東西の宗教を比較研究し、明快に私たちに教えてくださる釈さんをして、論理では説明のできない確信を持たせる信仰とは何なのでしょう。釈さんは、鈴木大拙の『日本的霊性』や山本七平の「日本教」等を引きながら、「日本人らしい霊性」を考えるヒントを提示します。さらに、認知考古学の仮説や現代スピリチュアルワークの様相など、霊性の歴史的パースペクティブをも示しつつ、宗教者/非宗教者、日本/西洋の枠を超えて共鳴しあえる霊性の可能性を探ります。ここにもまた、読む者の当事者性を否応なく喚起する、つよくて静かな祈りの力が宿っています。
本書では、異なる道を歩んできたふたりの足どりが、あるとき思いがけないところで邂逅します。それは、長いこと山中の隘路をたどった先に、突然開ける景色のように鮮やかです。そのときあなたが目にしたものは、きっとこれから生きていくうえで、たびたび指針となることでしょう。本書に込められたメッセージが、あなたなりの「霊性」を探り、培うきっかけとなれば幸いです。
登録情報
- ASIN : B00R68RYO4
- 出版社 : NHK出版 (2014/8/12)
- 発売日 : 2014/8/12
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1058 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 236ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 331,907位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 72位宗教史 (Kindleストア)
- - 248位宗教史 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2014年8月24日に日本でレビュー済み
最近の(っつてか昔からか?)樹兄さんは大丈夫かね?
ちぃとオカルト走ってなくね?
身体感覚とか大事にし過ぎて軽い超越的なアレにやられてまンなぁ…
心配!
樹はん、俗世にGET BAAAAAAAAAAKING!
ちぃとオカルト走ってなくね?
身体感覚とか大事にし過ぎて軽い超越的なアレにやられてまンなぁ…
心配!
樹はん、俗世にGET BAAAAAAAAAAKING!
2017年8月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
冒頭の内田樹氏の話から引き込まれた。韓国で出会った書店主に柔らかくも毅然とした佇まいを感じたという。軍事政権時代に投獄されるも転向しなかった人物だった。
また設定した目的に縛られない野生の思考も評者がなぜ道草を食ってきたか、その理由が分かり、目から鱗だった。すなわちその時は余計なこととわかっているのになぜ惹かれてしまったのか、後で振り返ると深い意味があることがわかる思考、すなわちブリコラージュのためだという。
このような一見、霊性、あるいは近年のスピリチュアリティから連想しがちな霊的なものとは関係ない話が本書の出だしである。
内田氏の担当する前半では、えっ、こういうことも霊性に関係することなの!?という議論がその後も展開され、相当、頭の柔軟体操になる。
後半は宗教学者にして住職にして認知症の人たちの介護ホームの運営者でもある釈徹宗氏が担当している。内田氏が霊性のいろいろな側面を刺激的に論じているのに対して、釈氏は鈴木大拙の霊性論を振り返りながら、また広く宗教学の視点を保ちながら、仏教に焦点を絞って、霊性が生き方になっている人たちをとりあげ、内田氏の議論の肉付けをしている。
評者が思うに本書の価値は、物事の価値や人間の価値が、これだけ投資したのだからこれだけの見返りを求めるという市場経済の論理と言おうか功利主義が基準になっていることを浮かび上がらせ、それを相対化し、功利主義を超える可能性を霊性に見ていることにある。
☆が5にならなかったのは、このスキーマがもっと掘り下げていればもっともっといい本になったのでは思うからだが、それは二人の次の連携プレーに期待したい。
また設定した目的に縛られない野生の思考も評者がなぜ道草を食ってきたか、その理由が分かり、目から鱗だった。すなわちその時は余計なこととわかっているのになぜ惹かれてしまったのか、後で振り返ると深い意味があることがわかる思考、すなわちブリコラージュのためだという。
このような一見、霊性、あるいは近年のスピリチュアリティから連想しがちな霊的なものとは関係ない話が本書の出だしである。
内田氏の担当する前半では、えっ、こういうことも霊性に関係することなの!?という議論がその後も展開され、相当、頭の柔軟体操になる。
後半は宗教学者にして住職にして認知症の人たちの介護ホームの運営者でもある釈徹宗氏が担当している。内田氏が霊性のいろいろな側面を刺激的に論じているのに対して、釈氏は鈴木大拙の霊性論を振り返りながら、また広く宗教学の視点を保ちながら、仏教に焦点を絞って、霊性が生き方になっている人たちをとりあげ、内田氏の議論の肉付けをしている。
評者が思うに本書の価値は、物事の価値や人間の価値が、これだけ投資したのだからこれだけの見返りを求めるという市場経済の論理と言おうか功利主義が基準になっていることを浮かび上がらせ、それを相対化し、功利主義を超える可能性を霊性に見ていることにある。
☆が5にならなかったのは、このスキーマがもっと掘り下げていればもっともっといい本になったのでは思うからだが、それは二人の次の連携プレーに期待したい。
2017年12月2日に日本でレビュー済み
知る人ぞ知る「凱風館」(道場兼学習塾)の館長・内田樹氏は武道家であるとともに、フランス文学から哲学、倫理学、さらに能楽を実践する思想家として幅広い知見と現代社会が抱える様々な問題に対してユニークな視点で発言される著名な言論人である。
周防大島で行われた講演やブログ等々の発言においても特に印象的なのは“身体性”の問題を突き詰めたところから発する俯瞰的なまなざしと危機意識に基づく強烈なメッセージである。
そのことは本著における宗教的な霊性論のみならず、“身体性”を意識した武道や能楽を横断する形而上学的な知のパラダイムを示すものであり、きわめて魅惑的で興味深い言説として注目される。ご自身はあくまでも思弁的な域を出るものではないといわれるけれど、個人的にはそれがレヴィナス研究に起因するものなのか武道や能楽における実践的経験がもたらす思想の現れなのか定かではないが、いずれにしても縦横に突っ走るその言説は本当にユニークで説得力がある。専門的な知見のみならず「知の巨人」と云われる所以ではないか、ぼくはそう思う。
とりわけ3.11の東日本大震災を前にして痛感された自然との根源的なかかわりと霊性を意識した“祈り”ともいえるものがこの著作に込められているように思われる。
一方、釈徹宗氏は浄土真宗本願寺派如来寺住職であり相愛大学人文学部教授という肩書をもつ思想家でありこちらも柔軟で幅広い視点をもつ著名な言論人といえる。
本著は2部構成となっていて、はじめに相愛大学で行われた(2012.8)内田氏の3日間集中講義「みんなの現代霊性論」と凱風館で鈴木大拙の『日本的霊性』をテキストとして行われた釈氏の講義を重ねることから同時代における霊性論をさぐる仕組みとなっている。
祈りとは人知の及ばないことについて天の助けを求める行為のことであり「この世には人知の及ばないことがある」という人間の能力についての限界がある。その感覚がなければ祈りははじまらない、と内田氏は説く。
共身体形成や歩哨などきわめて興味深い概念を紐解きクロスさせながら、たとえば超越的な危機が切迫していることを感受できるセンサーを共有することの必要性を強調する。最終的にはレヴィナスに着地することになるけれど、とりわけレヴィナスの重要な概念「顔」の解釈がそのまま霊性の概念に同期することを示唆しているようで、これはさすがにおもしろいと思った。
講義の冒頭、釈徹宗氏は大拙の霊性について“共鳴盤”のようなものを思い描いているとされた。きわめて的確で印象的な解釈だといえる。さらに霊性は「宗教や科学やアートなどの源泉」みたいなものだとも・・・
そのことを枕にして鈴木大拙の霊性論をたどる。また、西洋の形而上学におけるキルケゴールやベルグソンらを引用しながら「純粋経験」と「日本的霊性」は主体と客体が未分である瞬間、すなわち主客未分の直覚であり宗教が説く無分別知的な世界の把握であるとしている。
さらに、“現代的スピリチュアリティ”をめぐって宗教的なものとの相異について現代霊性論への興味へと誘う。たとえば、「知と信」の宗教的な問題から『日本的霊性』にある“妙好人”浅原才市のあり方を説きながらいわゆる現代における妙好人の姿を探求する仕掛けとなっているのである。
なるほど、「霊性」という観点で東西南北を横断するように仕掛けられた知的ダイナミズムをもつ本著は新しい価値が求められる現代が渇望する一冊と云えるかもしれない。
周防大島で行われた講演やブログ等々の発言においても特に印象的なのは“身体性”の問題を突き詰めたところから発する俯瞰的なまなざしと危機意識に基づく強烈なメッセージである。
そのことは本著における宗教的な霊性論のみならず、“身体性”を意識した武道や能楽を横断する形而上学的な知のパラダイムを示すものであり、きわめて魅惑的で興味深い言説として注目される。ご自身はあくまでも思弁的な域を出るものではないといわれるけれど、個人的にはそれがレヴィナス研究に起因するものなのか武道や能楽における実践的経験がもたらす思想の現れなのか定かではないが、いずれにしても縦横に突っ走るその言説は本当にユニークで説得力がある。専門的な知見のみならず「知の巨人」と云われる所以ではないか、ぼくはそう思う。
とりわけ3.11の東日本大震災を前にして痛感された自然との根源的なかかわりと霊性を意識した“祈り”ともいえるものがこの著作に込められているように思われる。
一方、釈徹宗氏は浄土真宗本願寺派如来寺住職であり相愛大学人文学部教授という肩書をもつ思想家でありこちらも柔軟で幅広い視点をもつ著名な言論人といえる。
本著は2部構成となっていて、はじめに相愛大学で行われた(2012.8)内田氏の3日間集中講義「みんなの現代霊性論」と凱風館で鈴木大拙の『日本的霊性』をテキストとして行われた釈氏の講義を重ねることから同時代における霊性論をさぐる仕組みとなっている。
祈りとは人知の及ばないことについて天の助けを求める行為のことであり「この世には人知の及ばないことがある」という人間の能力についての限界がある。その感覚がなければ祈りははじまらない、と内田氏は説く。
共身体形成や歩哨などきわめて興味深い概念を紐解きクロスさせながら、たとえば超越的な危機が切迫していることを感受できるセンサーを共有することの必要性を強調する。最終的にはレヴィナスに着地することになるけれど、とりわけレヴィナスの重要な概念「顔」の解釈がそのまま霊性の概念に同期することを示唆しているようで、これはさすがにおもしろいと思った。
講義の冒頭、釈徹宗氏は大拙の霊性について“共鳴盤”のようなものを思い描いているとされた。きわめて的確で印象的な解釈だといえる。さらに霊性は「宗教や科学やアートなどの源泉」みたいなものだとも・・・
そのことを枕にして鈴木大拙の霊性論をたどる。また、西洋の形而上学におけるキルケゴールやベルグソンらを引用しながら「純粋経験」と「日本的霊性」は主体と客体が未分である瞬間、すなわち主客未分の直覚であり宗教が説く無分別知的な世界の把握であるとしている。
さらに、“現代的スピリチュアリティ”をめぐって宗教的なものとの相異について現代霊性論への興味へと誘う。たとえば、「知と信」の宗教的な問題から『日本的霊性』にある“妙好人”浅原才市のあり方を説きながらいわゆる現代における妙好人の姿を探求する仕掛けとなっているのである。
なるほど、「霊性」という観点で東西南北を横断するように仕掛けられた知的ダイナミズムをもつ本著は新しい価値が求められる現代が渇望する一冊と云えるかもしれない。
2014年8月15日に日本でレビュー済み
本書で示される「霊性」は物理的論理的には説明できないものかもしれません。評者自身、決して霊性が高い人間ではありません。仕方がないと半ば諦めてます。でも、というか、だから、というか、本書の著者二人と彼らが挙げる人々が、うらやましくて仕方がありません。特に釈氏が語る、念仏者「妙好人」の人々です。
文中のリトさんは毎朝、毎朝、必ずお寺にあがってお念仏を称えていたそうです。「私、字が書けんから、あんた書いてくれ」と中学生の孫に頼み、「みなさま、お世話になりました。お念仏を称えてくだされば、いつも私はそこにいます」といった遺書を書いてもらったのだそうです。どんなにカネを稼いでも、エラくなっても、勉強して知識を詰め込んでも、到底かなわないナーと思います。同時に、自分にも「霊性」があればナー、信じられればナー、とも思います。というのも、、、
このハイパー近代たる現代において、私たちは結果としてだけれど、自ら望んで資本の奴隷、つまりは「精神なき専門人、心情なき享楽人」(ウェーバー)となってしまいました。同時に、格差社会とそれに伴う階層の固定化をみても、スミスの「内なる道徳」を持つジェントルマン的な個々人が構成する共同体を作る夢は夢のままに終わりそうです。近代人は神を殺し(脱宗教)、地縁血縁を捨て去り(脱共同体、都市化)、革命を夢みて(脱伝統)、その結果、他者のことを慮ることはなくなり、みーんなバラバラになってしまいました(ほとんど)。
だったらば、と思うのです。
本書にあるように、賢しらな人間の「理性」をいったん脇に置いて、五感(と第六感)を研ぎ澄まし、先人たちが築いてきた伝統的な倫理と宗教に、いったんでいいから身を委ねてみてはどうだろう、と思うのです。内田氏が訴える「『シグナル』を感じる力」をもう一度掘り起こし、釈氏が提示する「日常のなかで霊性を研ぎ澄ます」のは、とても魅力的に映ります。
でも、でも、でも、です。高度情報洪水化社会のなかでもがき苦しみながら、見ざる言わざる聞かざる状態を自らに強いて、この日常を何とか遣り過ごしている人間(あ、評者もその一人です)にとって、シグナルを感じる力を高め、霊性を研ぎ澄ますのは、非常にキツいように思われます(敏感になることは痛みを伴いますから)。ただ、ちょっとした高さのジャンプで越えられるような気がしないでもありません。
もし続編があるとしたら、というか続編を期待しているのですが、そのジャンプの方法論についての一編を勝手ながら希望します。小憎らしくも目が離せない「サトリ世代」がヒントなのでしょうか。
レビューにかこつけた評者の愚痴にお付き合いくださった方、もしいたとすれば、ご清聴ありがとうございました。パチパチパチ(笑)。
文中のリトさんは毎朝、毎朝、必ずお寺にあがってお念仏を称えていたそうです。「私、字が書けんから、あんた書いてくれ」と中学生の孫に頼み、「みなさま、お世話になりました。お念仏を称えてくだされば、いつも私はそこにいます」といった遺書を書いてもらったのだそうです。どんなにカネを稼いでも、エラくなっても、勉強して知識を詰め込んでも、到底かなわないナーと思います。同時に、自分にも「霊性」があればナー、信じられればナー、とも思います。というのも、、、
このハイパー近代たる現代において、私たちは結果としてだけれど、自ら望んで資本の奴隷、つまりは「精神なき専門人、心情なき享楽人」(ウェーバー)となってしまいました。同時に、格差社会とそれに伴う階層の固定化をみても、スミスの「内なる道徳」を持つジェントルマン的な個々人が構成する共同体を作る夢は夢のままに終わりそうです。近代人は神を殺し(脱宗教)、地縁血縁を捨て去り(脱共同体、都市化)、革命を夢みて(脱伝統)、その結果、他者のことを慮ることはなくなり、みーんなバラバラになってしまいました(ほとんど)。
だったらば、と思うのです。
本書にあるように、賢しらな人間の「理性」をいったん脇に置いて、五感(と第六感)を研ぎ澄まし、先人たちが築いてきた伝統的な倫理と宗教に、いったんでいいから身を委ねてみてはどうだろう、と思うのです。内田氏が訴える「『シグナル』を感じる力」をもう一度掘り起こし、釈氏が提示する「日常のなかで霊性を研ぎ澄ます」のは、とても魅力的に映ります。
でも、でも、でも、です。高度情報洪水化社会のなかでもがき苦しみながら、見ざる言わざる聞かざる状態を自らに強いて、この日常を何とか遣り過ごしている人間(あ、評者もその一人です)にとって、シグナルを感じる力を高め、霊性を研ぎ澄ますのは、非常にキツいように思われます(敏感になることは痛みを伴いますから)。ただ、ちょっとした高さのジャンプで越えられるような気がしないでもありません。
もし続編があるとしたら、というか続編を期待しているのですが、そのジャンプの方法論についての一編を勝手ながら希望します。小憎らしくも目が離せない「サトリ世代」がヒントなのでしょうか。
レビューにかこつけた評者の愚痴にお付き合いくださった方、もしいたとすれば、ご清聴ありがとうございました。パチパチパチ(笑)。
2017年7月17日に日本でレビュー済み
●武道をする理由:暴力に弱いから。弾圧されたら、屈してしまうから、そういう事態を避ける能力を高めたい。仲間を増やして、セーフティネットワークを築きたい。天下無敵は、敵をつくらない極意。
●シグナルを感じる=祈るということ。人知を超えたものに、思いをよせ、敬意をもつ。感じる。それが事故を防ぐ。多田先生は、背後の女房が機嫌が良いか悪いかわからないと、武道家にはなれない、と言った。運は、良くなれる。必要そうなものが分かる(ブリコロール)。直感。臭い。
●意思決定ストレスは胃潰瘍になる。それを減じるのが「神の声」「二分心」それが聞こえるか?
何度も読む価値あり
●シグナルを感じる=祈るということ。人知を超えたものに、思いをよせ、敬意をもつ。感じる。それが事故を防ぐ。多田先生は、背後の女房が機嫌が良いか悪いかわからないと、武道家にはなれない、と言った。運は、良くなれる。必要そうなものが分かる(ブリコロール)。直感。臭い。
●意思決定ストレスは胃潰瘍になる。それを減じるのが「神の声」「二分心」それが聞こえるか?
何度も読む価値あり
2016年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
宗教はなんとなく嘘くさい。
勧誘してくるグループ、自転車でどこからともなくやってくる異様な人達。
そもそも宗教の本質は何なのか。
疑問な人は、先ずはこの本を読んで宗教性の冷静な見方をしてみるのも一考かと思います。お二人の先生方の授業を聴講しているつもりで気楽に読んでみることをお勧めします。
勧誘してくるグループ、自転車でどこからともなくやってくる異様な人達。
そもそも宗教の本質は何なのか。
疑問な人は、先ずはこの本を読んで宗教性の冷静な見方をしてみるのも一考かと思います。お二人の先生方の授業を聴講しているつもりで気楽に読んでみることをお勧めします。
2015年5月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本人としての霊性とは?。ロジカルではなく、もっと土着なものとして解釈され日本に広まった独自の仏教から生まれた 様々な特殊な能力を持つ人々がこれからは必要になってくる。人知を超えたものがあふれる現代、そのような、人が御することのかなわないものを御する能力を持つ人々を受け入れる土壌を本書は作りなさいと謳っているように思えました。エビデンスや数値でどうしても差異が見つけられないものを嗅ぎ分けることのできる能力をもっと皆さんに持って欲しいと本書は書いてあるように思えました。