アメリカを表現するために結成され「闘争」のために活動を――つまりは踊り続けていたビッグバンド:DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENは、しかし再結成してからはどうも手放しで誉められない出来だった。
パロディとは揶揄であり風刺であり批判であり、そして結果的に「模倣」になってしまう以上、リスペクトも含む行為である。
初期はアプローチとしての電化マイルス・デイヴィスと、暴れるアメリカに対するアジテイト&抵抗活動を行っていたわけで。でも、いざ再結成の段になってみればソレって既に若手やファンによるDCPRGの「自己模倣」じゃないですか、と。
しかしここでDCPRGが辿り着いた南アメリカ大陸は、でもそこにフランツ・カフカとつく以上はやっぱり架空の場所で。※カフカが執筆したのはもちろん「アメリカ」で、彼に渡米経験はない。
従前の楽曲は白黒ネズミ(のイメージ)とトマス・ピンチョン、そしてアメリカの歴史、アメリカン・ダンスと広義におけるアメリカ尽くし。対し本作は随所に挿入される韻文(VERSE)はシェイクスピアから拝借されたソネット「黒い美女(ブラック・ビューティ)」から。そして1曲目「RONALD REAGAN」の示す通り、まだ彼らが想像するアメリカは終っていない様子だ。
で、肝心の音楽。ライブ映像つきの「RONALD REAGAN」。開幕の短音パルスの波は時に細かく乱れ、時に間延びし、混沌をつくる。ベースと管楽器が主題となるダーティーなフレーズに辿り着いても無秩序に挿入され、存在感を示し、パルスは支配を続ける。ソロはどれも魅力的だが、とりわけ大村の手によるギターはメタルが出自と分かるフレーズ(早弾き)で新鮮だ。「Miles Runs The Voodoo Down」をスティーブ・ライヒの手法で、カオティックに再構築したような楽曲。
そして同時進行的にタッチしていたSIMI LABやJAZZ DOMMUNISTERSの影響だろうか、「声」の扱い方が従前と異なる。「過去 黒は真っ当に数えられず 美の名として呼ばれもせず」、リズムと管楽ユニゾンの隙間で繰り返されるコーラスが不遇の「黒(=黒人、か?)」の歴史を歌う3曲目「JUNTA - 軍事政権」、痙攣する打楽器ひしめく中、keyとgtが変態的なユニゾンを奏で、後半キーボードの音色が変わったところから感動的なエンディングを迎える4曲目「fkA (Franz Kafka’s Amerika)」などなど、以前と比べて圧倒的に濃密で「黒い」作風となっている。
この複雑怪奇な律動でもってアメリカと南アメリカを「黒く」描いたdCpeGはどこに行くのか、という命題にはなるほど、興味は尽きない。だがこのアルバムを手に取った我々が間違いなく断言できることは「動いてる小田朋美カワイイ(笑)」に尽きる。そして菊地の宣言通り、是非とも最終的には全メンバーを女性化(笑)してほしいところだ。