こうした入門書シリーズすべてに言えることだが、入門書ほど難しいものはない。簡便な本として限られた紙幅で広くその思想家の仕事をカバーし、さらにはその同時代的な意義と歴史的な意義をも見定めるために、水平的かつ垂直的に著者に関連する議論をカバーしなくてはならないのだ。そして、それを初学者にもわかるような平易な言葉で語らなくてはならないのと同時に、幾多もある入門書に「屋上屋」を架す以上、単純化・ステロタイプ化が許されない。
昨年生誕100年を迎えたサルトルは、日本でもリバイバル・ブームがあった。他の入門書・新書も含めて、サルトル関連本は相当数を数えた。その最後の一書をなすのが、梅木達郎の『サルトル』だろう。そして、梅木『サルトル』は、その最後を飾るにふさわしい、「特異な入門書」となっている。
おそらくその最大の要因は、梅木自身があとがきでも記しているとおり、梅木が通常の意味ではサルトル研究者になりきれなかったことに由来する。梅木はサルトル世代(加藤周一や海老坂武など)とポスト・サルトル世代(三宅芳夫など)の中間に位置した「遅れてきたサルトリアン」であった。同時代的に熱中することもできず、しかし、距離を置いて純粋に過去の思想家として扱うこともできない。そうしたアンビヴァレンスを抱えたまま、しかもサルトルを離れて、ジュネやデリダへと向かった著者ならではの独特な距離感が随所に感じられる。
近代主義者からはサルトル的な〈強い主体〉の構築に基づくストレートな政治的コミットメントが絶賛され、ポストモダニストからは近代的主体批判と透明性・直接性への批判からサルトルは限界だと切り捨てられた。だが本当にそうなのか。梅木は、ジュネやデリダを経た視線からもう一度、かつてサルトルに入れ込んでいた自分に立ち返る。いまなお汲み尽くされていないサルトルの現代的意義を著者とともに「再読」するには絶好の本だ。
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サルトル 失われた直接性をもとめて シリーズ・哲学のエッセンス Kindle版
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真実にじかに触れることは可能か
私たちが、「本当の自分」に出会いたい、愛する人の心を見極めたいと思うのはなぜなのだろうか。想像上のもの、他者、過去や未来、社会……私たちの周りにあって、意識が直接到達できないものと接近し直観することの可能性を徹底的に考察したサルトル思想の真髄を問い直す。
[内容]
Ⅰ わたしは世界にじかに接している
Ⅱ 時間性あるいは自己からの距離
Ⅲ わたしは他者に到達できない
Ⅳ わたしを疎外する歴史と社会
サルトル小伝
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私たちが、「本当の自分」に出会いたい、愛する人の心を見極めたいと思うのはなぜなのだろうか。想像上のもの、他者、過去や未来、社会……私たちの周りにあって、意識が直接到達できないものと接近し直観することの可能性を徹底的に考察したサルトル思想の真髄を問い直す。
[内容]
Ⅰ わたしは世界にじかに接している
Ⅱ 時間性あるいは自己からの距離
Ⅲ わたしは他者に到達できない
Ⅳ わたしを疎外する歴史と社会
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- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日2006/1/25
- ファイルサイズ1.1 MB
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登録情報
- ASIN : B012AUWUNW
- 出版社 : NHK出版 (2006/1/25)
- 発売日 : 2006/1/25
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1.1 MB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 104ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 262,610位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 3,754位思想
- - 5,163位哲学・思想 (Kindleストア)
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カスタマーレビュー
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上位レビュー、対象国: 日本
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- 2023年6月6日に日本でレビュー済みAmazonで購入100ページ程の内容なので気楽に読めました。私が学生の頃には既にサルトルの流行は過ぎていました。ただ、実存主義の実存のニュアンスが分からなくて知りたいとは思っていました。
参考になったのはサルトルが観念論と実在論の対立を乗り越えようとしたとあることです。現象学によるらしいです。これは非常に困難な問題だと思いますが、構築主義が流行っている今現在、根底から見つめ直すことは有益でしょう。
- 2019年1月18日に日本でレビュー済み非常にわかりやすくて読みやすかったです(^-^)入門書におすすめの1冊ですよ!
- 2017年5月23日に日本でレビュー済みサルトルの新しさは、世界(この人の世の中というもの)や歴史の外に身をおいたり、それを高みから見下ろしながら普遍的な真理を論じることを自分に禁じたところにある(はじめに)。サルトルの思想は、「わたし」に定位し、それを中心として見られた思想である(あとがき)。
サルトルの言う意識とは純然たる関係性である。意識は、なにものかについての意識である。同時にその意識は、その都度、はっきり自己に向き直るのではない自己(ついての)意識〔自己意識〕を伴っている。両者は反射関係にあり、意識は対象に向かいつつ、自己自身〔自己意識〕との反射的な関係を生きているものである。この関係性が、透明であり、絶対的な近さにおいて直接おのれをとらえる明証性をもつことが、すべての確実性の原点をなし、サルトル哲学の出発点をなす(p34)。この透明性や無媒介性は、そのまま意識と世界にまで延長されて、「渇き」さえもは飲みほされるべきコップとして、外に、世界の中に存在することになる(37)。
またサルトルは、目の前に存在するものではない、過去や未来、歴史、社会、想像されたもの、不在のもの、観念的な存在など、「非現前」のモチーフを、意識の直接的な接触から出発して説明しようとした(39)。私が世界を知るのでなければ、いったい誰が世界を知りえるのか。サルトルは、どこまでも個人の体験に直に与えられる直接性に忠実であったから、直接的な経験の外部(他者、集団、社会、歴史など)は、「私が疎外される」、私の自由の裏側として、語られる(101)。
二、「相剋は、対他存在(他者の対象としてのわたし)の根原的な意味である」のは、私が自由であり他者も自由であるなら、自由と自由のせめぎ合いが生じる可能性があるからだ。そのうえ、人間とは、自分の可能性に向けて自らを「企て」として投げかける存在である(定義)のだから、私が選んだ「目的」の光のもとに、世界も他者も私の目的の手段として利用する、あるいは障害として、「~されるべきもの」として現れる。相手は、それ本来のあり方に由来するのでない別の目的によって評価され価値づけられ、疎外される(77)。
サルトルは、自他の相剋関係を解消して、だれをも支配せず、だれからも支配されず、自他のあり方をそのあるがままの姿で認め合うような関係の構築を追求して、「溶融集団」「贈与」「呼びかけ」などを考案する(77~86)。
三、人間は世界(この人の世の中というもの)の内部で、部分的な接触(個人の意識に直接与えられるもの)をもち、世界に働きかけられつつ働きかけているのだが、世界の全体を眺めることも、とらえることもできない(90)。だからと言って、わたしが世界を知るのでなければ、いったい誰が世界を知りえるのか。サルトルは、個人の経験を全体化し、全体を個人の直接的な経験にもたらすことを企てていった(100)。
- 2009年3月29日に日本でレビュー済み「存在と無」を、著者サルトルの立場と、読者の実感に沿うように分かりやすく解説した好著。フッサール、ハイデガー、ヘーゲルなどの「影響を与えた哲学」の解説は最小限か殆ど無視して、主著を中心に核心を捉えた。サルトルが如何に微妙且つ「瞬間」を重視した哲学者であったかがよく出ていると思う。「存在と無」を読んだ時、難解ゆえ理解の線が細くなっている部分がある不安を覚える人は多いと思うが、本書を読むことで、その不安が払拭されて、かなりサルトルの言わんとする事柄の輪郭がしっかりしてくると思う。それだけで解説としては傑作だが、加えて、仏文、フランス思想系によくある、妙に恰好つけて、却って分かりにくくなってしまうあほらしさは著者には皆無。良識を伴った文章は読みやすく、しかし雰囲気で流さない立派さがある。「弁証法的理性批判」と「倫理学」の解説は紙面の関係上、言及が最小限なのは残念だが、「存在と無」からの脱却を目指した意図はしっかり示されていると思う。「真理と実存」のキーワードを「贈与」にあることも教えられた。著者は、サルトルが「贈与」概念が壁に突き当たってしまう点を指摘している。が、同時に「自我」から「他者」への掛け橋の思想的難易度が体感できると思う。ハイデガーの「ニーチェ」にサルトルを超える「美」に関する「贈与」概念の可能性を示している点は、ちょっと同意できず、個人的には、サルトルの切実さがハイデガーにあるとは思えなかった。日本の現象学者によって「異端者」「エピゴーネン」扱いされたサルトルだが、哲学者とは過去の思想家との「系譜」など辿れること自体オリジナリティの欠如で、サルトルの評価は下がるどころか上がるべきだと本書を読んで思った。「勝手に術語の意味を変えて使う」というサルトル批判自体「サラリーマン哲学者」の言い分に思える。
- 2006年6月20日に日本でレビュー済みサルトルの著作は、短編集である「水いらず」と「嘔吐」(を途中まで)、入門書は一冊ほどしか読んだことありませんでした。
この梅木さんの入門書は、サルトルの思想を私たちが生きている上で直面する問題とを結びつけて解説しており、読んでいて自分の体験として感じられる部分が多かったです。
私自身、自分が触れられる世界から抜け出して、それを超えた世界(他者)を理解することができないことに対する行き詰りを感じていたところであったのですが、似たようなことが平易な言葉で言及してあったので、今後よりサルトルを勉強したいという気持ちが高まりました。
彼の思想を学ぶと同時に自分の問題を考えたり発展させたりする上でも参考になり、読んでよかったと思います。