次はこれだろ?これっっっと保元~平治~からの♪
ぐのの・・・登場人物多し関係をばばばば・・・って
クラスとか学年の人間関係イメージすればイイのか???
wwwwwワハハ スルーしてきたモンは改めて意識せねバな!!!
日本のドコ配置かトカ なんで義仲 北陸道トカ
スキなことはトコトン飽きない
平家内のもにゃくちゃトカ かる~く流しちゃった部分が詰まってきたっぽい
タノシイ♪
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平清盛と後白河院 (角川選書) Kindle版
後白河院とその最大の補佐役・平清盛。しかし両者はやがて激しく対立する。清盛暗殺の謀議・鹿ケ谷事件、治承三年の政変、平氏政権樹立――。対立の背景を詳細に検証し、「武士の世」前夜の権力闘争を描きだす。
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2015/8/15
- ファイルサイズ6032 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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商品の説明
著者について
1954年、兵庫県生まれ。中世前期政治史専攻。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。京都大学博士(文学)。『平清盛の闘い』(角川学芸出版)、『院政期政治史研究』(思文閣出版)、『武士の成立』(吉川弘文館)、人物叢書『藤原忠実』(吉川弘文館)など著書多数。
登録情報
- ASIN : B013W0D2HW
- 出版社 : KADOKAWA (2015/8/15)
- 発売日 : 2015/8/15
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 6032 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 236ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 313,666位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 15,152位歴史・地理 (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2012年6月7日に日本でレビュー済み
某公共放送の歴史番組に「人間のドラマ、それが歴史である」というキャッチフレーズがあった。
この本は、正にそのキャッチフレーズを地でいく展開である。
ただ事実を羅列していく無味乾燥な史実に留まらず、その背後にある人間の思惑、喜怒哀楽、その積み重ねを俯瞰することが歴史の醍醐味であろう。
この本が示す当時の人間群像は実に生々しくて、現代人の我々が見ても納得できるものとなっている。
権力や権威の構成が極度に複雑化した平安末期・院政時代をより深く理解し、後白河、平清盛はじめ、当時の野心に満ちた人間たちを身近に感じることができるだろう。
そういう意味でも「納得の一冊」である。
但し。
この手の本にありがちな傾向ではあるが、分析が緻密であると同時に登場人物もやたらと多い。
しかも「藤原〜」とか「平〜」とか似たような名前がわんさか出てくるので、読み進むのも一苦労。
院政期、特に後白河の時代は乱や政変の度に目まぐるしくキーパーソンが入れ替わる上に、家系・血統も入り組んでいる。
歴史好きの人か、よほどの読書根性の持ち主でないと完読は厳しいかも。
この本は、正にそのキャッチフレーズを地でいく展開である。
ただ事実を羅列していく無味乾燥な史実に留まらず、その背後にある人間の思惑、喜怒哀楽、その積み重ねを俯瞰することが歴史の醍醐味であろう。
この本が示す当時の人間群像は実に生々しくて、現代人の我々が見ても納得できるものとなっている。
権力や権威の構成が極度に複雑化した平安末期・院政時代をより深く理解し、後白河、平清盛はじめ、当時の野心に満ちた人間たちを身近に感じることができるだろう。
そういう意味でも「納得の一冊」である。
但し。
この手の本にありがちな傾向ではあるが、分析が緻密であると同時に登場人物もやたらと多い。
しかも「藤原〜」とか「平〜」とか似たような名前がわんさか出てくるので、読み進むのも一苦労。
院政期、特に後白河の時代は乱や政変の度に目まぐるしくキーパーソンが入れ替わる上に、家系・血統も入り組んでいる。
歴史好きの人か、よほどの読書根性の持ち主でないと完読は厳しいかも。
2012年4月11日に日本でレビュー済み
著者は院政期の政治史研究における第一人者である。これまで、数々の人物(藤原忠実、信西、源義朝、平清盛、藤原信頼など)に注目しながら、その時代の政治史固有の問題の解明に手腕を発揮してきた。
その著者が今回取り上げたのは、2012年のNHK大河ドラマの主人公・平清盛である。
前著『平清盛の闘い』(角川書店、2001年)においてその生涯は詳述されているが、本書においては清盛と平氏が大きく躍進するきっかけを与え、またその後、激しく衝突することとなる後白河院との関係に力点が置かれている。
著者は清盛と平氏の躍進を段階的に捉えている。
はじめが、平治の乱における勝利によって事実上の国家的軍事警察権を得たとき。
つぎに、後白河の承認を得ながら事実上の摂関家大殿(家長)となり、大臣への昇進を遂げたとき。
そして、後白河院政を停止して国家権力を独占するに至ったときである。
第一章・第二章では、保元・平治の乱によって平氏が大きく躍進を遂げ、事実上の国家的軍事警察権を掌握する過程が描かれている。
清盛は、保元・平治の乱において“期せずして”後白河の最大の協力者となることにより、その地位の保全と平氏一門の躍進を実現することとなった。
著者には保元・平治の乱についての詳細かつ的確な叙述は手慣れたものであり、本書前半のハイライトと言えよう。
第三章では、はじめ二条天皇の親政を強力に支援していた平氏が状況の変化(関白藤原基実、二条天皇の死去など)に対応しつつ、やがて後白河との提携に舵を切り、高倉天皇の即位を実現させるまでが描かれる。
この間、清盛は大臣(内大臣→太政大臣)への昇進を実現するが、当時の官職制度や身分秩序に照らして、この昇進により清盛が「白河院の落胤」であることが政治的に公認されたという。
第四章では、おもに平氏と後白河の提携関係において重要な役割を担った平重盛と藤原成親に注目しながら、提携関係の問題点を指摘している。
清盛にとっては「王家傍流」にすぎない後白河院も、重盛にとっては世を治める「治天」である。この微妙な認識の差と、後白河院近臣の成親との関係が、平氏一門内部における重盛の位置づけを危ういものにしているという。
『平家物語』におけるイメージを相対化した、成親の新たな人物像が提示されている点にも注目される。
第五章では、前章で触れられた平家と後白河との矛盾が、亀裂となって表出する鹿ヶ谷事件について詳述されている。
清盛が、公卿身分をもつ上級貴族である成親の殺害に踏み切ったのは、清盛を殺害せんとする計画を察知したからであるという。もしそれが実現してしまうと、後白河院に従属する重盛とそれ以外の一門との間で平氏が分裂してしまうという差し迫った危機を感じたからであるという。
しかしこの段階においても、清盛は後白河院政を停止することはできない。高倉天皇と徳子との間に皇子がおらず、「高倉院政」の実現には至らないためである。
とくに第四章・第五章は、近年の研究成果が大きく反映された、本書の焦眉といえよう。
第六章では、ついに後白河院政を停止し、高倉天皇と徳子との間の皇子・言仁の即位(安徳天皇)を実現させ、国家権力を独占するに至る過程が描かれる。
後白河は清盛の前にたびたびの屈服を余儀なくされたが、それでも懲りずに刃向かい続けるのは、彼が曲がりなりにも「治天」であることが大きい。清盛はその「治天」の地位を奪うことで、後白河との対立に終止符を打ったかに見えた。
しかしそれが全国規模での内乱を呼び起こし、清盛はそれへの対処を余儀なくされる。総官の設置や平安京の“改造”により総動員体制で内乱に立ち向かうのであるが、それも清盛が強力な武力によって国家権力を掌握していたことによるという。
終章では、清盛の死去と平氏一門のその後が描かれる。
清盛の後継者・宗盛は後白河との関係修復をめざすものの、後白河の平家に対する不信感は根深く、平家都落ちの際には後白河の単独脱出を許すこととなった。その後も、平氏を追討する立場となった源頼朝などはむしろ平家との穏便な交渉を進言するなどしたものの、後白河自身がそれを拒絶し、ついに平氏は壇ノ浦で滅亡することとなった。
ともすると個人と個人の矮小な関係ばかりが注目されるような風潮のなか、院政期の政治史に固有の問題が余すところなく叙述された本書を広くおすすめしたい。
その著者が今回取り上げたのは、2012年のNHK大河ドラマの主人公・平清盛である。
前著『平清盛の闘い』(角川書店、2001年)においてその生涯は詳述されているが、本書においては清盛と平氏が大きく躍進するきっかけを与え、またその後、激しく衝突することとなる後白河院との関係に力点が置かれている。
著者は清盛と平氏の躍進を段階的に捉えている。
はじめが、平治の乱における勝利によって事実上の国家的軍事警察権を得たとき。
つぎに、後白河の承認を得ながら事実上の摂関家大殿(家長)となり、大臣への昇進を遂げたとき。
そして、後白河院政を停止して国家権力を独占するに至ったときである。
第一章・第二章では、保元・平治の乱によって平氏が大きく躍進を遂げ、事実上の国家的軍事警察権を掌握する過程が描かれている。
清盛は、保元・平治の乱において“期せずして”後白河の最大の協力者となることにより、その地位の保全と平氏一門の躍進を実現することとなった。
著者には保元・平治の乱についての詳細かつ的確な叙述は手慣れたものであり、本書前半のハイライトと言えよう。
第三章では、はじめ二条天皇の親政を強力に支援していた平氏が状況の変化(関白藤原基実、二条天皇の死去など)に対応しつつ、やがて後白河との提携に舵を切り、高倉天皇の即位を実現させるまでが描かれる。
この間、清盛は大臣(内大臣→太政大臣)への昇進を実現するが、当時の官職制度や身分秩序に照らして、この昇進により清盛が「白河院の落胤」であることが政治的に公認されたという。
第四章では、おもに平氏と後白河の提携関係において重要な役割を担った平重盛と藤原成親に注目しながら、提携関係の問題点を指摘している。
清盛にとっては「王家傍流」にすぎない後白河院も、重盛にとっては世を治める「治天」である。この微妙な認識の差と、後白河院近臣の成親との関係が、平氏一門内部における重盛の位置づけを危ういものにしているという。
『平家物語』におけるイメージを相対化した、成親の新たな人物像が提示されている点にも注目される。
第五章では、前章で触れられた平家と後白河との矛盾が、亀裂となって表出する鹿ヶ谷事件について詳述されている。
清盛が、公卿身分をもつ上級貴族である成親の殺害に踏み切ったのは、清盛を殺害せんとする計画を察知したからであるという。もしそれが実現してしまうと、後白河院に従属する重盛とそれ以外の一門との間で平氏が分裂してしまうという差し迫った危機を感じたからであるという。
しかしこの段階においても、清盛は後白河院政を停止することはできない。高倉天皇と徳子との間に皇子がおらず、「高倉院政」の実現には至らないためである。
とくに第四章・第五章は、近年の研究成果が大きく反映された、本書の焦眉といえよう。
第六章では、ついに後白河院政を停止し、高倉天皇と徳子との間の皇子・言仁の即位(安徳天皇)を実現させ、国家権力を独占するに至る過程が描かれる。
後白河は清盛の前にたびたびの屈服を余儀なくされたが、それでも懲りずに刃向かい続けるのは、彼が曲がりなりにも「治天」であることが大きい。清盛はその「治天」の地位を奪うことで、後白河との対立に終止符を打ったかに見えた。
しかしそれが全国規模での内乱を呼び起こし、清盛はそれへの対処を余儀なくされる。総官の設置や平安京の“改造”により総動員体制で内乱に立ち向かうのであるが、それも清盛が強力な武力によって国家権力を掌握していたことによるという。
終章では、清盛の死去と平氏一門のその後が描かれる。
清盛の後継者・宗盛は後白河との関係修復をめざすものの、後白河の平家に対する不信感は根深く、平家都落ちの際には後白河の単独脱出を許すこととなった。その後も、平氏を追討する立場となった源頼朝などはむしろ平家との穏便な交渉を進言するなどしたものの、後白河自身がそれを拒絶し、ついに平氏は壇ノ浦で滅亡することとなった。
ともすると個人と個人の矮小な関係ばかりが注目されるような風潮のなか、院政期の政治史に固有の問題が余すところなく叙述された本書を広くおすすめしたい。
2022年9月17日に日本でレビュー済み
後白河法皇が天皇になったのは偶然です。
嫡流は崇徳天皇の系統でしたが、鳥羽上皇の寵姫、美福門院と待賢門院との争いのなかで、待賢門院の孫ながら美福門院の養子である二条天皇が皇太子となることで、その中継ぎつとして父の後白河が天皇となりました。
後白河法皇は行き当たりばったりで、清盛に反発しては反撃され、最後には幽閉同然となります。
ところが、後白河法皇は権威だけは有していたので、これがきっかけで反乱が頻発して平家が滅びていきます。
興味深かったのが、平家内部の権力争いです。
清盛の長男は重盛ですが、正室である時子の子供ではなかったため、嫡男の地位が確立していたわけではありませんでした。
時子の長男と比べれば10歳年長だったことと、沈着温厚な性格から公家たちの信頼を集めていたこと、家人とともに最前線で戦ったことで平家最強部隊であった伊藤忠清、平家貞を配下に持っていたことで、実力で嫡男の座を固めつつありました。
ところが後白河法皇の近臣と姻戚関係があるなど、法皇との関係が近すぎて、その法皇が反平家の反乱を意図したことで一気に立場を失います。
そして、時子の長男である優柔不断の宗盛が嫡男の地位を得て、重盛が若くして死去したことで平家の弱体化が始まります。平家最強部隊の重盛の家人も都から遠ざけられます。
このあたりが、平家の限界なのかなと。
保元の乱、平治の乱など様々な乱が置きますが、ほとんどが身内の権力争いが原因で、政策もへったくれもありません。
庶民の暮らしを慮った様子を見られません。
これが平安貴族なのかなと思いました。
平安末期を後白河院の視点から見たい人のために!
嫡流は崇徳天皇の系統でしたが、鳥羽上皇の寵姫、美福門院と待賢門院との争いのなかで、待賢門院の孫ながら美福門院の養子である二条天皇が皇太子となることで、その中継ぎつとして父の後白河が天皇となりました。
後白河法皇は行き当たりばったりで、清盛に反発しては反撃され、最後には幽閉同然となります。
ところが、後白河法皇は権威だけは有していたので、これがきっかけで反乱が頻発して平家が滅びていきます。
興味深かったのが、平家内部の権力争いです。
清盛の長男は重盛ですが、正室である時子の子供ではなかったため、嫡男の地位が確立していたわけではありませんでした。
時子の長男と比べれば10歳年長だったことと、沈着温厚な性格から公家たちの信頼を集めていたこと、家人とともに最前線で戦ったことで平家最強部隊であった伊藤忠清、平家貞を配下に持っていたことで、実力で嫡男の座を固めつつありました。
ところが後白河法皇の近臣と姻戚関係があるなど、法皇との関係が近すぎて、その法皇が反平家の反乱を意図したことで一気に立場を失います。
そして、時子の長男である優柔不断の宗盛が嫡男の地位を得て、重盛が若くして死去したことで平家の弱体化が始まります。平家最強部隊の重盛の家人も都から遠ざけられます。
このあたりが、平家の限界なのかなと。
保元の乱、平治の乱など様々な乱が置きますが、ほとんどが身内の権力争いが原因で、政策もへったくれもありません。
庶民の暮らしを慮った様子を見られません。
これが平安貴族なのかなと思いました。
平安末期を後白河院の視点から見たい人のために!
2012年4月22日に日本でレビュー済み
本書は、平清盛が保元・平治の乱に勝利した後も幾多の権力闘争を勝ち抜き、治承3年(1179年)に後白河院を幽閉して最終的に国家権力を掌握するまでの過程を、平清盛vs後白河院を軸に叙述したものである。
私は、平治の乱で平清盛が源義朝を討って京で最大の軍事勢力となり、その力で強引に権力を掌握し、仁安2年(1167年)に清盛が太政大臣になった時点で平氏政権が概ね完成したものだと理解していた。
本書では、清盛の権力掌握の過程を概ね3段階に分けている。第1段階が平治の乱での勝利。これで清盛は国家の軍事警察権を掌握したとする。第2段階は、摂政・藤原基実の死去を契機に摂関家領を掌握し、内大臣に昇進した仁安元年(1166年)。清盛は皇胤として王権の一翼を担うことになったとする。第3段階は、治承3年(1179年)に後白河院を幽閉し、国家権力を独占したとする。
意外に思えたのは、上記第2段階の部分である。著者の指摘によれば、「太政大臣はすでに「名誉職」となって」おり、「もっぱら摂関家以外の外戚や政界の長老を処遇する地位でしかな」く、「当時は大臣になった者なら誰もが就任する可能性をもって」おり、「清盛の官歴において重大な意味を持つのは……内大臣に就任したことである」とのことだ。
藤原摂関家が権力を掌握した時点、つまり令外の官である関白が内覧の権限を以て政務を執った時点で、律令官職がある程度形骸化したはずであり、言われてみれば筋の通った話であるが、まさに盲点であった。
ともあれ、本書で興味深かったのは、清盛が最終的には権力を掌握したにしろ、それは一筋縄では行かず、後白河院はもとより、女院、摂関家、院の近臣に接近したり、様々な駆引きをしつつ、権力の座に徐々に近づいてゆく苦労が感じられる点である。さらには、清盛は平家の棟梁として盤石な基盤を持っていたわけでなく、弟・頼盛とほぼ終生にわたって緊張関係にあったとする点なども意外であった。そして、棟梁の座を巡る確執は、清盛の子である重盛と宗盛の間にも生じていたというのは皮肉な話である。
武士が台頭しつつあった当時でも、無骨一辺倒では到底、当時の国家権力は掌握できないものなのだなあと感じ入った。清盛の気苦労は如何ばかりであったろうか。古代末期の時代、天皇、院、女院、摂関家といった権力者が並立する中で、清盛がいかにして政権を確立していったのか、また、それをいかにして維持したのかが分かる良書である。
なお余談になるが、当時の院政という政治形態(要はキング・メーカーが実権を握る政治形態)は、なぜか今でも生きているのだなあと、こちらはいささか、残念な気持ちになった。
古代末期の政治闘争も、突き詰めて行けば、現在と同じなのだなぁというよりは、むしろ、今も昔も変わりなしというところかな。
私は、平治の乱で平清盛が源義朝を討って京で最大の軍事勢力となり、その力で強引に権力を掌握し、仁安2年(1167年)に清盛が太政大臣になった時点で平氏政権が概ね完成したものだと理解していた。
本書では、清盛の権力掌握の過程を概ね3段階に分けている。第1段階が平治の乱での勝利。これで清盛は国家の軍事警察権を掌握したとする。第2段階は、摂政・藤原基実の死去を契機に摂関家領を掌握し、内大臣に昇進した仁安元年(1166年)。清盛は皇胤として王権の一翼を担うことになったとする。第3段階は、治承3年(1179年)に後白河院を幽閉し、国家権力を独占したとする。
意外に思えたのは、上記第2段階の部分である。著者の指摘によれば、「太政大臣はすでに「名誉職」となって」おり、「もっぱら摂関家以外の外戚や政界の長老を処遇する地位でしかな」く、「当時は大臣になった者なら誰もが就任する可能性をもって」おり、「清盛の官歴において重大な意味を持つのは……内大臣に就任したことである」とのことだ。
藤原摂関家が権力を掌握した時点、つまり令外の官である関白が内覧の権限を以て政務を執った時点で、律令官職がある程度形骸化したはずであり、言われてみれば筋の通った話であるが、まさに盲点であった。
ともあれ、本書で興味深かったのは、清盛が最終的には権力を掌握したにしろ、それは一筋縄では行かず、後白河院はもとより、女院、摂関家、院の近臣に接近したり、様々な駆引きをしつつ、権力の座に徐々に近づいてゆく苦労が感じられる点である。さらには、清盛は平家の棟梁として盤石な基盤を持っていたわけでなく、弟・頼盛とほぼ終生にわたって緊張関係にあったとする点なども意外であった。そして、棟梁の座を巡る確執は、清盛の子である重盛と宗盛の間にも生じていたというのは皮肉な話である。
武士が台頭しつつあった当時でも、無骨一辺倒では到底、当時の国家権力は掌握できないものなのだなあと感じ入った。清盛の気苦労は如何ばかりであったろうか。古代末期の時代、天皇、院、女院、摂関家といった権力者が並立する中で、清盛がいかにして政権を確立していったのか、また、それをいかにして維持したのかが分かる良書である。
なお余談になるが、当時の院政という政治形態(要はキング・メーカーが実権を握る政治形態)は、なぜか今でも生きているのだなあと、こちらはいささか、残念な気持ちになった。
古代末期の政治闘争も、突き詰めて行けば、現在と同じなのだなぁというよりは、むしろ、今も昔も変わりなしというところかな。