若者のすべて [Blu-ray]
¥2,828 ¥2,828 税込
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フォーマット | Blu-ray, モノ, ブラック&ホワイト, ワイドスクリーン, 字幕付き |
コントリビュータ | アニー・ジラルド, カティーナ・パクシヌー, レナート・サルヴァトーリ, クラウディア・カルディナーレ, アラン・ドロン, ルキノ・ヴィスコンティ |
言語 | イタリア語 |
稼働時間 | 2 時間 57 分 |
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商品の説明
巨匠ルキノ・ヴィスコンティがアラン・ドロン主演に描く兄弟の愛と裏切りを描く壮大なる叙事詩。
Blu-ray版が再リリース!
【内容】
イタリア南部で貧しい生活にあえいでいたパロンディ家の次男シモーネ、三男ロッコは、年老いた母親を連れ、北部の大都市ミラノに出稼ぎに出た長兄ヴィンチェを頼って、上京する。ヴィンチェには 婚約者ジネッタがいたが、態度は非常にそっけない。シモーネとロッコ はプロ・ボクサーを目指しジムに入るが、娼婦のナディアに夢中になり、自ら夢を潰してしまう。一方、ロッコはクリーニング店で働くものの、徴兵されてしまう。寄宿地で偶然にもナディア再会したロッコは、ナディアと恋に落ち、愛し合うようになるのだが・・・。
【作品情報】
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
脚本:ルキノ・ヴィスコンティ、スーゾ・チェッキ・ダミーコ、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、マッシモ・フランチオーザ、エンリコ・メディオーリ
出演:アラン・ドロン/アニー・ジラルド/レナート・サルヴァトーリ/クラウディア・カルディナーレ/カティーナ・パクシヌー
【スペック】
製作国:イタリア・フランス、177分、モノクロ、日本語字幕、イタリア語音声、製作年:1960年
16:9 ビスタ
1960年ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞/国際映画批評家連盟賞
封入解説書、オリジナル予告編
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- 言語 : イタリア語
- 製品サイズ : 30 x 10 x 20 cm; 110 g
- EAN : 4933672247199
- 監督 : ルキノ・ヴィスコンティ
- メディア形式 : Blu-ray, モノ, ブラック&ホワイト, ワイドスクリーン, 字幕付き
- 時間 : 2 時間 57 分
- 発売日 : 2016/6/24
- 出演 : アラン・ドロン, アニー・ジラルド, レナート・サルヴァトーリ, クラウディア・カルディナーレ, カティーナ・パクシヌー
- 字幕: : 日本語
- 販売元 : IVC,Ltd.(VC)(D)
- ASIN : B01DXS60OA
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 102,634位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 7,999位ブルーレイ 外国映画
- - 9,785位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年2月5日に日本でレビュー済み
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きめの細かいストーリーで素敵な映画。若くて、出演者が美しい。
2019年10月9日に日本でレビュー済み
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一度ではなかなか分かり辛く、二度3度目と繰り返して鑑賞した
2018年12月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
青春時代の蹉跌と純情。自分たちにもこんな時代があったなと淡い思い出いっぱいの映画です。若い頃見たのとまた違う感情になります。
2019年5月4日に日本でレビュー済み
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テーマもしっかり伝わるのですけど如何せん時代背景が古すぎます。
2014年10月31日に日本でレビュー済み
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日々の打ち合わせ等で、まさに”あるある”なシチュエーションがあげられていて、構成も読みやすく参考になる内容でした。抽象的なハウツー本ではなく、具体的に自身に引き寄せて解決策を見いだせる一冊だと思います。会議での全員ツッコミ、なかなか日本企業の苦手とするところかもしれません。論点がずれてきたりするのもよくあること。羅針盤となる存在が必要です。これからの企業は、創造職人と知恵出し職人をつなぐ問題解決職人の育成に力をいれるべきだと思いました。
2013年4月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1960年ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞、国際批評家連盟賞ほか受賞。
これは力作です。
3時間に渡って、南イタリアからミラノに出てきた貧しい一家の苦闘が描かれます。
ネオレアリズモの精神が、この作品を貫いています。
パロンディ家の5人兄弟のうち、次男シモーネと三男ロッコに焦点が合わされています。
彼ら2人と娼婦ナディアとの関係が物語の軸を成しています。
一方で、残りの3人の兄弟については、描き込み不足といった点も見られます。
ロッコを演じたアラン・ドロン、シモーネを演じたレナート・サルヴァトーリ、
ナディアを演じたアニー・ジラルドの3人とも良い演技です。
この映画は、ヴィスコンティ自身、最も愛する一本だったそうです。
一見の価値は十分あります。
これは力作です。
3時間に渡って、南イタリアからミラノに出てきた貧しい一家の苦闘が描かれます。
ネオレアリズモの精神が、この作品を貫いています。
パロンディ家の5人兄弟のうち、次男シモーネと三男ロッコに焦点が合わされています。
彼ら2人と娼婦ナディアとの関係が物語の軸を成しています。
一方で、残りの3人の兄弟については、描き込み不足といった点も見られます。
ロッコを演じたアラン・ドロン、シモーネを演じたレナート・サルヴァトーリ、
ナディアを演じたアニー・ジラルドの3人とも良い演技です。
この映画は、ヴィスコンティ自身、最も愛する一本だったそうです。
一見の価値は十分あります。
2013年1月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ヴィスコンティの作品はほとんど持っているのですが、どう言う訳か若者のすべては持っていませんでした。
若き日のアランドロン共々堪能させていただきました。
若き日のアランドロン共々堪能させていただきました。
2017年3月29日に日本でレビュー済み
私は、昔、アラン・ドロンが大嫌いだった。「美形の男」が嫌いだったと言った方がいいのかもしれない。
でも。
「山猫」「若者のすべて」とビスコンティの作品でアラン・ドロンを見直して、うーん、おもしろいなあと感心した。好きになった。
ビスコンティは美男子をつかうのがうまい。ビスコンティは美男子を「超美男子」に育て上げる天才である。
「若者のすべて」では、アラン・ドロンは最初は「透明な青年」としてスクリーンに登場する。クリーニング店で女性にまじって働く姿は、何といえばいいのか……まるでオードリー・ヘップバーンである。非現実的。オードリー・ヘップバーンが「少年」の透明さをもっているのに対し、アラン・ドロンは「少女」の透明さを持っている。これが、なかなか危なっかしく、はらはらさせる。映画のなかに「五男坊」の、ほんとうの少年が出てくるが、この少年と比べるとアラン・ドロンが「少女」の透明さをもっていることがよくわかる。途中に針仕事をするシーンもあって、そういうことも「少女」性に拍車をかける。
ところが。
「少女」が「女」に変わるように、アラン・ドロンは「少女」から「男」にかわるのだ。後半、顔つきががらりとかわる。「少女」の顔つき、「少女」の透明さが消える。いや、これは正確な表現ではないかもしれない。アラン・ドロンが抱え込む「苦悩」が、顔に出てくる。「透明」だから、苦悩を隠せない。苦悩がアラン・ドロンを「男」に変えるのである。
とは言え……。
「少女」の特性のもうひとつ、「繊細さ」は維持し続ける。繊細さが、苦悩を単なる苦しみ悩みではなく、悲しみに変える。生きる悲しみ。ひとを、愛し、許す悲しみ。
アラン・ドロンの弟(四男)が「ロッコ(アラン・ドロン)はひとを許しすぎる。人間は時に許してはならないことがある」というようなことを五男坊に語るシーンがあるが、アラン・ドロンが具体化する「愛」というのは、「少女」が「女」になり、さらに「母」になったときの「愛」なのである。「母」とは、子供が何をしようが「私はおまえの味方だ」という存在だが、アラン・ドロンはこの「愛」を具現化し、そのために悲しみが底なし状態になる。
これに「お決まり」の「美男子は血が似合う(汚れ、傷が似合う)」というシーンもあって、やっぱり「美形」の力というのはすごいと驚嘆するのだが、
何はともあれ、
この不思議な「変化」はアラン・ドロンの「美形」を抜きにしてはありえない。
この不思議な「愛」ゆえに、恋人は悩んでしまう。彼女が知っている「男」とはまったく違う人間だ。そして、これが悲劇に拍車をかけるのだが。
まあ、ストーリーは、どうでもいいか。
クラシックなのだから、ストーリーについて書いてもしようがない。
この映画の音楽は、ニーノ・ロータ。映画の「結論」のような、四男と五男坊の会話の部分で流れる音楽が、かわっている。深刻なことを語るシーンなのだけれど、何か明るい。弾むような響きがある。これが妙に効果的である。大事な台詞なのだけれど、それを重くさせないようにしている。
これがあって、最後にアラン・ドロンのポスターが壁に貼られているシーンになる。その輝かしい顔を五男坊が掌で触れる。とても魅力的なシーンだ。「ロッコはぼくの兄さんなんだ」というような喜びと誇りが伝わってくる。
そこにエンディングのふるさとを思う歌が短く流れる。
ここは、何度も見て、とてもうれしい気持ちになる。悲劇を含んだ作品なのに、希望を感じる。
でも。
「山猫」「若者のすべて」とビスコンティの作品でアラン・ドロンを見直して、うーん、おもしろいなあと感心した。好きになった。
ビスコンティは美男子をつかうのがうまい。ビスコンティは美男子を「超美男子」に育て上げる天才である。
「若者のすべて」では、アラン・ドロンは最初は「透明な青年」としてスクリーンに登場する。クリーニング店で女性にまじって働く姿は、何といえばいいのか……まるでオードリー・ヘップバーンである。非現実的。オードリー・ヘップバーンが「少年」の透明さをもっているのに対し、アラン・ドロンは「少女」の透明さを持っている。これが、なかなか危なっかしく、はらはらさせる。映画のなかに「五男坊」の、ほんとうの少年が出てくるが、この少年と比べるとアラン・ドロンが「少女」の透明さをもっていることがよくわかる。途中に針仕事をするシーンもあって、そういうことも「少女」性に拍車をかける。
ところが。
「少女」が「女」に変わるように、アラン・ドロンは「少女」から「男」にかわるのだ。後半、顔つきががらりとかわる。「少女」の顔つき、「少女」の透明さが消える。いや、これは正確な表現ではないかもしれない。アラン・ドロンが抱え込む「苦悩」が、顔に出てくる。「透明」だから、苦悩を隠せない。苦悩がアラン・ドロンを「男」に変えるのである。
とは言え……。
「少女」の特性のもうひとつ、「繊細さ」は維持し続ける。繊細さが、苦悩を単なる苦しみ悩みではなく、悲しみに変える。生きる悲しみ。ひとを、愛し、許す悲しみ。
アラン・ドロンの弟(四男)が「ロッコ(アラン・ドロン)はひとを許しすぎる。人間は時に許してはならないことがある」というようなことを五男坊に語るシーンがあるが、アラン・ドロンが具体化する「愛」というのは、「少女」が「女」になり、さらに「母」になったときの「愛」なのである。「母」とは、子供が何をしようが「私はおまえの味方だ」という存在だが、アラン・ドロンはこの「愛」を具現化し、そのために悲しみが底なし状態になる。
これに「お決まり」の「美男子は血が似合う(汚れ、傷が似合う)」というシーンもあって、やっぱり「美形」の力というのはすごいと驚嘆するのだが、
何はともあれ、
この不思議な「変化」はアラン・ドロンの「美形」を抜きにしてはありえない。
この不思議な「愛」ゆえに、恋人は悩んでしまう。彼女が知っている「男」とはまったく違う人間だ。そして、これが悲劇に拍車をかけるのだが。
まあ、ストーリーは、どうでもいいか。
クラシックなのだから、ストーリーについて書いてもしようがない。
この映画の音楽は、ニーノ・ロータ。映画の「結論」のような、四男と五男坊の会話の部分で流れる音楽が、かわっている。深刻なことを語るシーンなのだけれど、何か明るい。弾むような響きがある。これが妙に効果的である。大事な台詞なのだけれど、それを重くさせないようにしている。
これがあって、最後にアラン・ドロンのポスターが壁に貼られているシーンになる。その輝かしい顔を五男坊が掌で触れる。とても魅力的なシーンだ。「ロッコはぼくの兄さんなんだ」というような喜びと誇りが伝わってくる。
そこにエンディングのふるさとを思う歌が短く流れる。
ここは、何度も見て、とてもうれしい気持ちになる。悲劇を含んだ作品なのに、希望を感じる。