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「その日暮らし」の人類学~もう一つの資本主義経済~ (光文社新書) Kindle版
私たちはしばしば「働かない」ことに憧れながらも、成果を追い求め、今を犠牲にしてゴールを目指す。しかし世界には、そうした成果主義や資本主義とは異なる価値観で人びとが豊かに生きる社会がたくさんある。「貧しさ」がないアマゾンの先住民、気軽に仕事を転々とするアフリカ都市民、海賊行為が切り開く新しい経済圏……。彼らの生き残り戦略から、働き方、人とのつながり、時間的価値観をふくめた生き方を問い直す。
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2016/7/20
- ファイルサイズ14489 KB
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登録情報
- ASIN : B01JKO3OYA
- 出版社 : 光文社 (2016/7/20)
- 発売日 : 2016/7/20
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 14489 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 207ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 5,394位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 29位光文社新書
- - 133位社会学概論
- - 169位社会学 (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年3月15日に日本でレビュー済み
レポート
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新書は読むのに時間がかかりますが、こちらの本はすらすら読めました。仕事で憂鬱な気分でしたが自分の知らない世界を知って、ちょっと気持ちが楽になりました。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2024年2月14日に日本でレビュー済み
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先進国社会の中では未来のための活動によって現在を食い潰して消費していくような営みが主流。タンザニアをはじめとする発展途上国のインフォーマル経済を支える人々の商売や購買行動からLiving for today の論理とその意義について書かれている。
2022年5月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
前に所属した会社がまあひどい状態となり、何らかのヒントにならないかと購入。
原始的だと思う一方で、多角化、値段設定、情報の取り扱いなどは現在の最先端の企業にも類似点があるように思える。(もちろん、GoogleやAmazonはそれをめちゃくちゃ洗練させて実行しているわけだが)
貯めずに使い切ってしまう彼らの行動は、不安定になりつつある状況を打開するヒントになるのではないだろうか。
原始的だと思う一方で、多角化、値段設定、情報の取り扱いなどは現在の最先端の企業にも類似点があるように思える。(もちろん、GoogleやAmazonはそれをめちゃくちゃ洗練させて実行しているわけだが)
貯めずに使い切ってしまう彼らの行動は、不安定になりつつある状況を打開するヒントになるのではないだろうか。
2023年11月16日に日本でレビュー済み
その日暮らしと言っても、ビートルズのイマジンで歌われた「living for today」とは全くの別物で、出たとこ勝負の運任せな生き方を紹介していて、先進国のように今日をより良い明日のための手段としている生活の対比として見ようとする試みなのだろうが、いろいろと疑問が残る。
まず、どこまでタンザニアなどの貧しい国々からなる下からのグローバル資本主義が、先進国が主導するグローバル資本主義に対するアンチテーゼとなりうるのか疑問だ。著者はグローバル資本主義からなるフォーマル経済のアンチテーゼとしてインフォーマル経済を持ち出しているが、むしろどちらもグローバリゼーションによって生み出された双生児にも見える。フォーマル経済があるからインフォーマル経済も成り立っているのではないか。主流があるから傍流があるように、インフォーマル経済もフォーマル経済がなければ成り立たないのではないだろうか。そうであれば、アンチテーゼにはなり得ない。
タンザニアと中国の貿易商の件を読んでいても、グローバル社会の監視が行き届かないような、零細企業群の商活動がコピー商品や詐欺など違法な取り引きで利益を上げて生きていく様子は、実に逞しい印象を受ける。が、それはまさに荒野のサバイバルのような無法地帯だから成り立つ話で、これがフォーマルな商業と同等な価値や魅力があるかどうかは疑問だ。
他にもタンザニア現地での様々な取材を元に、現地人の商生活を紹介しているが、どの辺りに「living for today」があるのかよくわからない。「その日暮らし」と「今日を生きる」を混同しているのだろう。明日を生きるために今日生きることと、今日この日を大切に生きるというどちらに重心を置くのかがテーマになっているのかと思えば、そうではなく、厳しい今日をどう生き残るかという話になってしまっている。
その点でタンザニア人はとても逞しいぞ、と言われても、風土も歴史も民族性も全く違う人々の生活を読んだところで、なるほどそうかと思い直して彼らの生き方を模倣することはできない。彼らとて安定した収入を見込めるのなら、今日という日を明日のために投資とすることに異存あるまい。その予測が立たないほど不確定で不安定な流動性の高い社会に生きているから、そのような生き方をせざるを得ず、様々な工夫をして生きている。
冒頭に哲学的なテーマを持ち出してくるものだから、話の辻褄が合わなくなったのだろう。人類学的なアプローチを加えたことで牽強付会になってしまった印象だ。単にフォーマル経済が伸長するなかで、インフォーマル経済もアフリカなどで成長しているというレポートに終始したほうが理解しやすかった気がする。
まず、どこまでタンザニアなどの貧しい国々からなる下からのグローバル資本主義が、先進国が主導するグローバル資本主義に対するアンチテーゼとなりうるのか疑問だ。著者はグローバル資本主義からなるフォーマル経済のアンチテーゼとしてインフォーマル経済を持ち出しているが、むしろどちらもグローバリゼーションによって生み出された双生児にも見える。フォーマル経済があるからインフォーマル経済も成り立っているのではないか。主流があるから傍流があるように、インフォーマル経済もフォーマル経済がなければ成り立たないのではないだろうか。そうであれば、アンチテーゼにはなり得ない。
タンザニアと中国の貿易商の件を読んでいても、グローバル社会の監視が行き届かないような、零細企業群の商活動がコピー商品や詐欺など違法な取り引きで利益を上げて生きていく様子は、実に逞しい印象を受ける。が、それはまさに荒野のサバイバルのような無法地帯だから成り立つ話で、これがフォーマルな商業と同等な価値や魅力があるかどうかは疑問だ。
他にもタンザニア現地での様々な取材を元に、現地人の商生活を紹介しているが、どの辺りに「living for today」があるのかよくわからない。「その日暮らし」と「今日を生きる」を混同しているのだろう。明日を生きるために今日生きることと、今日この日を大切に生きるというどちらに重心を置くのかがテーマになっているのかと思えば、そうではなく、厳しい今日をどう生き残るかという話になってしまっている。
その点でタンザニア人はとても逞しいぞ、と言われても、風土も歴史も民族性も全く違う人々の生活を読んだところで、なるほどそうかと思い直して彼らの生き方を模倣することはできない。彼らとて安定した収入を見込めるのなら、今日という日を明日のために投資とすることに異存あるまい。その予測が立たないほど不確定で不安定な流動性の高い社会に生きているから、そのような生き方をせざるを得ず、様々な工夫をして生きている。
冒頭に哲学的なテーマを持ち出してくるものだから、話の辻褄が合わなくなったのだろう。人類学的なアプローチを加えたことで牽強付会になってしまった印象だ。単にフォーマル経済が伸長するなかで、インフォーマル経済もアフリカなどで成長しているというレポートに終始したほうが理解しやすかった気がする。
2020年8月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分の生き方を反省させ、かつ勇気を与える良書です。いろいろ考えさせられたことをコメントしておきます。本書のまとめになるかもしれません。
1.「その日暮らし」の反対は「先憂後楽」
「その日暮らし」の反対は「先憂後楽」でしょう。著者も「現在のおこないが将来の安定やリスクに直結するものだという価値観から逃れることは困難である。(p.215)」とする。だから、ひたすら働き貯蓄するのだろう。
余計なことだが、「先憂後楽」とは施政者の心構えをいったもので、民衆が繁栄を楽しんだ後で、自らも民の繁栄を楽しむということであった。これが、先に苦労すれば、後で楽ができるという意味に転じてしまった。本書はこの両方の意味を打倒することが目的となる。
2.「その日暮らし」は端(たん)を優先すること
「その日暮らし」の力が入らない生き方は、孟子が「人間の誤りは一般に、一生懸命努力し、ことさらにすることにある(フランソワ・ジュリアン著『道徳を基礎づける』講談社学術文庫p.136)」とすることに似ている。
孟子は、幼児が井戸に落ちそうなのを見れば、どのような人であっても憐れみの情がおこるところから論を始めている。そこには「先憂後楽」のように、先に備えることも、施政者の自覚もない。ただただ幼児を助けようとするのである。孟子はこれを端(たん)といった。
一般に儒教では徳(仁義礼智)が重要視されるが、徳の前に端があることが忘れられている。意志の概念を批判する本書は、端を参照することでもっと広がりが出るだろう。端は情であっても憐れみだけの情ではない。端の情は応答、つまりレスポンシビリティであり、本当の意味で責任をとることでもある。
著者は、「人間はみなLiving for Todayである」を繰り返す(p.216)。上記のように考えれば人は端に生きており、みなLiving for Todayである。
3.「その日暮らし」は「アナーキスト」
「その日暮らし」の戦略は、「風向きや風のにおいを嗅ぎわけ、追い風が吹き始めたときはぱっと風をつかむ、....(p.219-220)」コツが必要であると本書は結ばれる。これはアナーキストの生き方に通じるものがある。
アナーキストを無政府主義者と説明すれば、テロリストと同じと理解してしまうだろう。もちろんアナーキストはテロリストと同じではない。アナーキストとは、「ほとんど誰もが、警官やボスのいない非軍事的世界に生きることを望んでいる。そこではコミュニティは民主主義的に自らの問題に対処し、諸個人は基本的必要性が満たされ、自分にとって重要だと決めたことを追究することが許されている」社会を望む者たちのことである(デヴィッド グレーバー (2004)『アナーキスト人類学のための断章』以文社 p.3)。
「その日暮らし」とは、政府が約束する安心・安全の政策に騙されて不安に生きることではなく、「何とでもなりますから、食っていけますよ」といえる「アナーキスト」のことである。
1.「その日暮らし」の反対は「先憂後楽」
「その日暮らし」の反対は「先憂後楽」でしょう。著者も「現在のおこないが将来の安定やリスクに直結するものだという価値観から逃れることは困難である。(p.215)」とする。だから、ひたすら働き貯蓄するのだろう。
余計なことだが、「先憂後楽」とは施政者の心構えをいったもので、民衆が繁栄を楽しんだ後で、自らも民の繁栄を楽しむということであった。これが、先に苦労すれば、後で楽ができるという意味に転じてしまった。本書はこの両方の意味を打倒することが目的となる。
2.「その日暮らし」は端(たん)を優先すること
「その日暮らし」の力が入らない生き方は、孟子が「人間の誤りは一般に、一生懸命努力し、ことさらにすることにある(フランソワ・ジュリアン著『道徳を基礎づける』講談社学術文庫p.136)」とすることに似ている。
孟子は、幼児が井戸に落ちそうなのを見れば、どのような人であっても憐れみの情がおこるところから論を始めている。そこには「先憂後楽」のように、先に備えることも、施政者の自覚もない。ただただ幼児を助けようとするのである。孟子はこれを端(たん)といった。
一般に儒教では徳(仁義礼智)が重要視されるが、徳の前に端があることが忘れられている。意志の概念を批判する本書は、端を参照することでもっと広がりが出るだろう。端は情であっても憐れみだけの情ではない。端の情は応答、つまりレスポンシビリティであり、本当の意味で責任をとることでもある。
著者は、「人間はみなLiving for Todayである」を繰り返す(p.216)。上記のように考えれば人は端に生きており、みなLiving for Todayである。
3.「その日暮らし」は「アナーキスト」
「その日暮らし」の戦略は、「風向きや風のにおいを嗅ぎわけ、追い風が吹き始めたときはぱっと風をつかむ、....(p.219-220)」コツが必要であると本書は結ばれる。これはアナーキストの生き方に通じるものがある。
アナーキストを無政府主義者と説明すれば、テロリストと同じと理解してしまうだろう。もちろんアナーキストはテロリストと同じではない。アナーキストとは、「ほとんど誰もが、警官やボスのいない非軍事的世界に生きることを望んでいる。そこではコミュニティは民主主義的に自らの問題に対処し、諸個人は基本的必要性が満たされ、自分にとって重要だと決めたことを追究することが許されている」社会を望む者たちのことである(デヴィッド グレーバー (2004)『アナーキスト人類学のための断章』以文社 p.3)。
「その日暮らし」とは、政府が約束する安心・安全の政策に騙されて不安に生きることではなく、「何とでもなりますから、食っていけますよ」といえる「アナーキスト」のことである。
2022年5月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「その日暮らし、Living for Today」を人類学的に追及した本。大真面目な学術論文かと思える文体から最初は辟易するかもしれない。けれど、読んでいくうちに引き込まれて、あっという間に読了出来た本である。中国の山寨(中国語で「模倣品、ニセモノ」の意味)産業の追及や、タンザニアの都市部に暮らす人々の「その日暮らし」という生き方は、一見計画性が無く、怠惰なものに映るかもしれないが、商人や人々の間の「貸し」、「借り」の関係が日本のそれとはまるで違い、近しい共同体間では借りは返さなくとも良く、スマホのアプリを利用したエムペサという送金システムは、living for today の生き方の不安定さ、面白さを読みながら考えさせられる。最終章がまとめになっているので、最後から読んで、最初に戻って読むと良い本。
私的には栗本慎一郎氏に私淑していたせいもあって、これは「経済人類学」の本とすぐに判明したので、読んでいてすんなりと読めたのは、栗本氏の著書をほぼ全て読んでいたおかげだ。そこは感謝するしかない。
本の帯には以下が書かれている。
今を豊かに生きるには?
・失敗しても誰かの稼ぎで食いつなぐ
・最小限の努力で生きる
・借金は返さなくてもよい仕組み
・法的には違法、でも社会的には許される商売
・「騙し」をふくむ実践知(ここら辺は、詐欺を平然とする相手に商売をする営業マン必読!)
・アフリカ商人と中国人交易人との関係
「経済人類学」は、コミュニケーションとか、経済システムが「社会」に埋め込まれている、道徳観、習俗、生理、行動が必ずしも国家におけるフォーマル(合法的)なものではなく、インフォーマル(非合法、アングラ的)なものを含めたものとして考察されるべきとする学問だ。
最も、栗本慎一郎氏の場合、あらゆる垣根を超領野的にどんどんと広げてしまったので、誤解されている向きもあるが、「システム思考」が思い浮かばないと、この学問の重要さが全く分からないのだ。その関係性を生命の営み(生命圏)までつなげる必要すら栗本氏は感じた様だった。小川さやか氏も栗本さんの著書を色々と読んでいる節が文章のあちこちにその痕跡があるが、そこを端的に述べるのに苦労している節もあるし、何よりもこの時点では「准教授」でもあったので、大学内の学際「政治」が許さなかったのかもしれない。今後に期待したい。
何より「地下経済」と呼ばれる存在は概算するだけでも、年間18兆ドル(約2300兆円)もの動きがあるので、経済学者の多くはこの数値を「無視」している。従って「行儀の良い」経済学者の言うことは「信用ならない」と思った方が良い、と私は思っている。数値化出来るものだけで分析した経済指標など当てになるものではないし、こういったアンダーグラウンドの世界を織り込んだ分析をする経済学者に私は出会ったことがまるで無い。
私的には参考文献としては以下を勧める。
マルセル・モースの「 贈与論 」
ジョルジュ・バタイユ「 呪われた部分 」
グレゴリー・ベイトソン「 精神と自然 生きた世界の認識論 」
ナタリー・サルトゥー=ラジュ「 借りの哲学 」(この本でも引用している)
クリスチャン・ブッシュ「 セレンディピティ 点をつなぐ力 」
※偶有性というより、「金は天下の回りもの」という古来からのことわざを実践知として考察する一端を担う本として紹介したい
栗本慎一郎「 都市は、発狂する。―そして、ヒトはどこに行くのか 」
栗本慎一郎「 経済人類学 」(悪文なのだがまとめ方は悪くない)
マーシャル・サーリンズ「 石器時代の人類学 」
※「飢えと過重労働」だけを見る旧来の未開社会観を根底から覆した古典。現在ではユヴァル・ノア・ハラリの「 サピエンス全史 」で有名になった狩猟社会の方が農耕社会より豊かだったとする理論的背景がこの本の様だ。
ダニエル・L・エヴェレット「 ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観 」
※チョムスキー以来の言語学のパラダイムである「言語本能」論を揺るがす論争を巻き起こした本。何より著者自身が信仰を捨て無神論者になったことからうかがえるが、目に見える現在だけで行動する現実主義を目覚めさせる著書。
ロバート・ニューワース「 「見えない」巨大経済圏―システムDが世界を動かす 」
※インフォーマル市場の経済圏の大きさを知らしめる著書。お行儀の良い経済学の本を読む位なら、こういう本を読むべきと考える。
阿甘「 中国モノマネ工場 世界ブランドを揺さぶる「山寨革命」の衝撃 」
※11年前の著書であるが、現在の中国市場を席巻する広がりはもはや誰もが認めるところだろう。中国のこのやり方を批判する人も多いだろうが、戦後の日本でも日本製という名のモノマネ製品で溢れかえっていた「事実」を思い出すと良いだろう。
私的には栗本慎一郎氏に私淑していたせいもあって、これは「経済人類学」の本とすぐに判明したので、読んでいてすんなりと読めたのは、栗本氏の著書をほぼ全て読んでいたおかげだ。そこは感謝するしかない。
本の帯には以下が書かれている。
今を豊かに生きるには?
・失敗しても誰かの稼ぎで食いつなぐ
・最小限の努力で生きる
・借金は返さなくてもよい仕組み
・法的には違法、でも社会的には許される商売
・「騙し」をふくむ実践知(ここら辺は、詐欺を平然とする相手に商売をする営業マン必読!)
・アフリカ商人と中国人交易人との関係
「経済人類学」は、コミュニケーションとか、経済システムが「社会」に埋め込まれている、道徳観、習俗、生理、行動が必ずしも国家におけるフォーマル(合法的)なものではなく、インフォーマル(非合法、アングラ的)なものを含めたものとして考察されるべきとする学問だ。
最も、栗本慎一郎氏の場合、あらゆる垣根を超領野的にどんどんと広げてしまったので、誤解されている向きもあるが、「システム思考」が思い浮かばないと、この学問の重要さが全く分からないのだ。その関係性を生命の営み(生命圏)までつなげる必要すら栗本氏は感じた様だった。小川さやか氏も栗本さんの著書を色々と読んでいる節が文章のあちこちにその痕跡があるが、そこを端的に述べるのに苦労している節もあるし、何よりもこの時点では「准教授」でもあったので、大学内の学際「政治」が許さなかったのかもしれない。今後に期待したい。
何より「地下経済」と呼ばれる存在は概算するだけでも、年間18兆ドル(約2300兆円)もの動きがあるので、経済学者の多くはこの数値を「無視」している。従って「行儀の良い」経済学者の言うことは「信用ならない」と思った方が良い、と私は思っている。数値化出来るものだけで分析した経済指標など当てになるものではないし、こういったアンダーグラウンドの世界を織り込んだ分析をする経済学者に私は出会ったことがまるで無い。
私的には参考文献としては以下を勧める。
マルセル・モースの「 贈与論 」
ジョルジュ・バタイユ「 呪われた部分 」
グレゴリー・ベイトソン「 精神と自然 生きた世界の認識論 」
ナタリー・サルトゥー=ラジュ「 借りの哲学 」(この本でも引用している)
クリスチャン・ブッシュ「 セレンディピティ 点をつなぐ力 」
※偶有性というより、「金は天下の回りもの」という古来からのことわざを実践知として考察する一端を担う本として紹介したい
栗本慎一郎「 都市は、発狂する。―そして、ヒトはどこに行くのか 」
栗本慎一郎「 経済人類学 」(悪文なのだがまとめ方は悪くない)
マーシャル・サーリンズ「 石器時代の人類学 」
※「飢えと過重労働」だけを見る旧来の未開社会観を根底から覆した古典。現在ではユヴァル・ノア・ハラリの「 サピエンス全史 」で有名になった狩猟社会の方が農耕社会より豊かだったとする理論的背景がこの本の様だ。
ダニエル・L・エヴェレット「 ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観 」
※チョムスキー以来の言語学のパラダイムである「言語本能」論を揺るがす論争を巻き起こした本。何より著者自身が信仰を捨て無神論者になったことからうかがえるが、目に見える現在だけで行動する現実主義を目覚めさせる著書。
ロバート・ニューワース「 「見えない」巨大経済圏―システムDが世界を動かす 」
※インフォーマル市場の経済圏の大きさを知らしめる著書。お行儀の良い経済学の本を読む位なら、こういう本を読むべきと考える。
阿甘「 中国モノマネ工場 世界ブランドを揺さぶる「山寨革命」の衝撃 」
※11年前の著書であるが、現在の中国市場を席巻する広がりはもはや誰もが認めるところだろう。中国のこのやり方を批判する人も多いだろうが、戦後の日本でも日本製という名のモノマネ製品で溢れかえっていた「事実」を思い出すと良いだろう。