ハーバード大でのボルヘスの講演録。盲目でありながらこれだけ縦横無尽に詩を引用する彼の力量は、圧巻の一言である。
口語に基づいた文章なので一見すると読みやすいのだが、内容を十分に理解するのはそう易しくない。話の焦点が曖昧で移ろいやすいし、その瞠目すべき博識や、詩というテーマ性そのものも理解しにくさの一因になっている。と言うのも、ボルヘス自身が言うように、詩というのは理解することに重きが置かれたものではないのである。ただ、丹念に読んでいくと、彼の主張は割とシンプルなのかな?という気もする。口に出して語り、歌われること、その音の響きの楽しさを無邪気に味わうこと、そして何より読み手に豊かなイメージを喚び起こすこと(=暗示すること)。これこそが詩の仕事であり、それは各々の生活や人生の中に見いだされる喜びそのものでもある、ということが言いたかったのかなと思ったが、果たして・・・。
興味深かったのは、文学の将来予測と現代人の悲惨について語っている箇所だ。カフカが例示されているのだが、カフカをこんな風に読むのかというのがとても参考になった。また、上述のような本書の理解しにくさは、読者が様々に講演を楽しめるという側面と表裏一体でもあり、それは何度も噛みしめるように読む楽しさがあるということでもある。これからも折りに触れて読み返したい一冊だ。
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詩という仕事について (岩波文庫) Kindle版
20世紀文学の巨人ボルヘスによる知的刺激に満ちた文学入門.誰もが知っている古今東西の名著・名作を例にあげ,物語の起源,メタファーの使われ方の歴史と実際,そして詩の翻訳についてなど,フィクションの本質をめぐる議論を分かりやすい言葉で展開する.ハーヴァード大学チャールズ・エリオット・ノートン詩学講義(1967-68)の全記録.
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2011/6/16
- ファイルサイズ1415 KB
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登録情報
- ASIN : B01M0CEF5U
- 出版社 : 岩波書店 (2011/6/16)
- 発売日 : 2011/6/16
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1415 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 352ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 66,213位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 561位岩波文庫
- - 11,085位文学・評論 (Kindleストア)
- - 16,175位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2011年6月18日に日本でレビュー済み
本書は1967年秋から68年春にかけて、ボルヘスがハーバード大学で行った「詩」に関する6回の講演の記録である。
各回のテーマは「詩という謎」、「隠喩」、「物語り」、「言葉の調べと翻訳」、「思考と詩」、「詩人の信条」となっている。
老獪なボルヘスのことだから、その講演の骨子をまとめることは不可能だが、あえて挑戦してみれば、以下のようになるだろうか。
・詩のもっとも古い形は叙事詩である。(66ページ)
・その叙事詩は、<抒情詩>と<物語>に分裂した。したがって、小説も詩だ。(71ページ)
・そうした詩に接するとき大事なのは「詩を汲む」ことである。(8ページ)
・書かれた詩は死んでいるが、読み手が「詩を汲む」と言葉は息を吹き返す。(10ページ)
・詩を成り立たせているのは表現による暗示である。(166ページ)
・その有力な方法は、異なるふたつのイメージを結びつける隠喩だ。(61ページ)
そういって、英語で、スペイン語で、ボルヘスお気に入りの一節を引用するが、この点だけは味わいきれない。もちろん訳者は訳文をつけてくれるが、外国語の音を音楽のように聞くわけにもいかず、どうしても隔靴掻痒になってしまう。そこで――、
・われわれは詩の意味を考える前に、その美しさを感じるのだ。(119ページ)
といわれる例として、私はたとえば、額田王の《あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る》(『万葉集』巻一)を思い出した。この絶妙な色彩感覚は美しいと思う。
近代なら、たとえば堀口大學の「雪」を思った。
《雪はふる! 雪はふる!/見よかし、天の祭なり/……/冬の花弁の雪はふる!/地上の子らの祭なり!》
・詩人は言葉を魔術的なものに変えてしまうのだ。(112〜3ページ)
・それゆえ、詩の翻訳は言葉の移し替えではなく<再=創造>と考えるべきではないか。(101〜2ページ)
・肝心なのは詩行の背後に隠れているものだ。(158ページ)
・人の長い一生は<自分が何者であるか>を悟る一瞬につづめ得るとすれば、私の場合、もっとも重要なのは、言葉が存在し、それを詩に織り上げるのが可能だということを知ったとき(詩人になろうと思ったとき)だった。(145〜6ページ)
読みたかった本なので一気に読了してしまったが、ほんとうはじっくり読むべき本である。しばらく間を置いて再読したい。
★がひとつ足りないのは、ボルヘス愛好の詩の精髄を原語で味わいきれないためだ。もちろん、こちらに責任があるわけだが……。
各回のテーマは「詩という謎」、「隠喩」、「物語り」、「言葉の調べと翻訳」、「思考と詩」、「詩人の信条」となっている。
老獪なボルヘスのことだから、その講演の骨子をまとめることは不可能だが、あえて挑戦してみれば、以下のようになるだろうか。
・詩のもっとも古い形は叙事詩である。(66ページ)
・その叙事詩は、<抒情詩>と<物語>に分裂した。したがって、小説も詩だ。(71ページ)
・そうした詩に接するとき大事なのは「詩を汲む」ことである。(8ページ)
・書かれた詩は死んでいるが、読み手が「詩を汲む」と言葉は息を吹き返す。(10ページ)
・詩を成り立たせているのは表現による暗示である。(166ページ)
・その有力な方法は、異なるふたつのイメージを結びつける隠喩だ。(61ページ)
そういって、英語で、スペイン語で、ボルヘスお気に入りの一節を引用するが、この点だけは味わいきれない。もちろん訳者は訳文をつけてくれるが、外国語の音を音楽のように聞くわけにもいかず、どうしても隔靴掻痒になってしまう。そこで――、
・われわれは詩の意味を考える前に、その美しさを感じるのだ。(119ページ)
といわれる例として、私はたとえば、額田王の《あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る》(『万葉集』巻一)を思い出した。この絶妙な色彩感覚は美しいと思う。
近代なら、たとえば堀口大學の「雪」を思った。
《雪はふる! 雪はふる!/見よかし、天の祭なり/……/冬の花弁の雪はふる!/地上の子らの祭なり!》
・詩人は言葉を魔術的なものに変えてしまうのだ。(112〜3ページ)
・それゆえ、詩の翻訳は言葉の移し替えではなく<再=創造>と考えるべきではないか。(101〜2ページ)
・肝心なのは詩行の背後に隠れているものだ。(158ページ)
・人の長い一生は<自分が何者であるか>を悟る一瞬につづめ得るとすれば、私の場合、もっとも重要なのは、言葉が存在し、それを詩に織り上げるのが可能だということを知ったとき(詩人になろうと思ったとき)だった。(145〜6ページ)
読みたかった本なので一気に読了してしまったが、ほんとうはじっくり読むべき本である。しばらく間を置いて再読したい。
★がひとつ足りないのは、ボルヘス愛好の詩の精髄を原語で味わいきれないためだ。もちろん、こちらに責任があるわけだが……。
2014年5月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
詩をめぐるボルヘスの広く深い趣味と考察が展開される講演録です。
2013年2月8日に日本でレビュー済み
詩を心から楽しみ、愛する気持ちが感じられた。理論的な説明を抑制しているので、よく理解できない部分もあった。ただ、理屈が過ぎると、詩を楽しむ心が損なわれるような気もする。英語詩が多いので岩波文庫の英語詩を読んでからの方がよいと思う。
2012年1月8日に日本でレビュー済み
「詩という仕事について」。
まず,このタイトルがすばらしいです。本書は,2002年に出版された「ボルヘス,文学を語る―詩的なるものをめぐって」の文庫版ですが,よくぞ,このタイトルに変えたと思います。目次は以下のとおりです。
1.詩という謎
2.隠喩
3.物語り
4.言葉の調べと翻訳
5.思考と詩
6.詩人の信条
この目次から,ボルヘスが何を言いたいか,何を伝えようとしていたか,あるいはボルヘスの頭の構造がわかるようですし,これらについて,あのボルヘスが語るというだけで,興奮を覚えてしまうのは,自分だけではないでしょう。なお,原著タイトルは“This Craft of Verse”であり,この,「この(This)」という言葉の重みを読み取ることもまた,大切であると感じました。
ボルヘスの言葉は時に実用的です(「もし私が作家たちに助言しなければならないとしたら(その必要があるとは思っていません。物事は皆が自分で解決すべきですから),ただ,これだけは言いたい。自分の作品をいじるのは,できるだけ少なくしなさい,と。あれこれひねくり回すのは,いい結果を産まないと思います。自分に何ができるか,それがわかるときがやがてきます。自分の本来の声を,自分自身のリズムをみいだすときが,きっときます。少し手を加えたくらいで,それが役に立つとは思えないのです。)。
しかし,あまり単純に理解しちゃいけない。これもまた,ボルヘスの教えです。
まず,このタイトルがすばらしいです。本書は,2002年に出版された「ボルヘス,文学を語る―詩的なるものをめぐって」の文庫版ですが,よくぞ,このタイトルに変えたと思います。目次は以下のとおりです。
1.詩という謎
2.隠喩
3.物語り
4.言葉の調べと翻訳
5.思考と詩
6.詩人の信条
この目次から,ボルヘスが何を言いたいか,何を伝えようとしていたか,あるいはボルヘスの頭の構造がわかるようですし,これらについて,あのボルヘスが語るというだけで,興奮を覚えてしまうのは,自分だけではないでしょう。なお,原著タイトルは“This Craft of Verse”であり,この,「この(This)」という言葉の重みを読み取ることもまた,大切であると感じました。
ボルヘスの言葉は時に実用的です(「もし私が作家たちに助言しなければならないとしたら(その必要があるとは思っていません。物事は皆が自分で解決すべきですから),ただ,これだけは言いたい。自分の作品をいじるのは,できるだけ少なくしなさい,と。あれこれひねくり回すのは,いい結果を産まないと思います。自分に何ができるか,それがわかるときがやがてきます。自分の本来の声を,自分自身のリズムをみいだすときが,きっときます。少し手を加えたくらいで,それが役に立つとは思えないのです。)。
しかし,あまり単純に理解しちゃいけない。これもまた,ボルヘスの教えです。
2011年6月23日に日本でレビュー済み
20世紀アルゼンチンの盲目の詩人、作家ホルへ・ルイス・ボルヘスによる講義集です。6章から構成され、最後に編集者ミハイレスクの解説が付いています(訳者のあとがきもあります)。
先日岩波文庫新刊の棚をうろうろして偶然出会い、<詩>という言葉に惹かれて購入しました。ボルヘスは現代ラテンアメリカの高名な文学者なので私も『伝奇集』くらいは持っていたのですが、購入以来数年間積ん読状態のままで、結局そちらより本書を先に読んでしまいました。
まず本書においては、講演ということで文章が語り口調であるためか、予想を遥かに越えたその読みやすさに驚きました。ボルヘスは難解な作家であるというイメージを持っていましたし、実際小説作品などは理解しにくいのでしょうが、本書はとにかく語り口が素直で、専門用語なども全く使われないためさくさくと読めてしまいます。講演から立ち昇るボルヘスの人柄が非常に気さくで気取りがなく、親しみやす過ぎると言っていい位であったのにも驚きました。
さて本書はボルヘスが<詩>という芸術の秘密を我々に語ってくれる講演集です。ボルヘスはダンテやキーツ、ホメロス、また作品では『千一夜物語』が好きなようで、今回私が併読したボルヘスのもう一つの講演録『七つの夜』にも彼等の名前や作品が出てきました。その他にも非常に多くの詩人や作家、時には画家の名前が引用されますが、私は知っている人が半分、知らない人が半分位でした。英国の詩人・作家が比較的多く、主だった名を挙げればシェイクスピアやキプリング、ジョイス、ハズリット、スティーヴンソン、スコット、カーライル、ロセッティ、コールリッジ、ポープ、ブラウニング夫妻、ワーズワース、テニスン、ミルトン、チョ−サー、ジョン・ダン、作品ではディケンズの『ピクウィック・クラブ』やドイルの『ホームズ』等も。ドイツからはゲーテやショーペンハウアー、カントやニーチェ、ゲオルゲ。アメリカもメルヴィル、トウェイン、エマソン、ホイットマン、ロングフェローなどが論じられ、無論ボルヘスのホームグラウンドであるラテンアメリカの大詩人ダリオや劇作家カルデロン、セルバンテスの傑作『ドン・キホーテ』、アルゼンチンガウチョの歌『マルティン・フィエロ』等も引用されます。アジアからは老子、イスラム圏からはハーフィズら。要するにボルヘスの読んだ作品と知識は浩瀚にして該博ということです。こういう半端でない読書量と博学ぶり、また素直で気取らない人柄は、なんとなく大江健三郎さんに似ているなあと感じたのは私だけでしょうか?
私は最愛の詩人の一人であるテニスンやヴィクトール・ユゴー、ホイットマンらの詩文(翻訳文)が引用され、また彼らについての私の知らない情報が紹介してあると嬉しくてキャッキャしていましたが、フォーゲルワイデやアセンス等、本書中に訳注はあるものの辞書で引いても出てこない詩人も多く、やや消化不良な気味も。今後また調べていきたいと思います。
ともあれボルヘス入門としては非常に良い本だと思います。お勧めです。
先日岩波文庫新刊の棚をうろうろして偶然出会い、<詩>という言葉に惹かれて購入しました。ボルヘスは現代ラテンアメリカの高名な文学者なので私も『伝奇集』くらいは持っていたのですが、購入以来数年間積ん読状態のままで、結局そちらより本書を先に読んでしまいました。
まず本書においては、講演ということで文章が語り口調であるためか、予想を遥かに越えたその読みやすさに驚きました。ボルヘスは難解な作家であるというイメージを持っていましたし、実際小説作品などは理解しにくいのでしょうが、本書はとにかく語り口が素直で、専門用語なども全く使われないためさくさくと読めてしまいます。講演から立ち昇るボルヘスの人柄が非常に気さくで気取りがなく、親しみやす過ぎると言っていい位であったのにも驚きました。
さて本書はボルヘスが<詩>という芸術の秘密を我々に語ってくれる講演集です。ボルヘスはダンテやキーツ、ホメロス、また作品では『千一夜物語』が好きなようで、今回私が併読したボルヘスのもう一つの講演録『七つの夜』にも彼等の名前や作品が出てきました。その他にも非常に多くの詩人や作家、時には画家の名前が引用されますが、私は知っている人が半分、知らない人が半分位でした。英国の詩人・作家が比較的多く、主だった名を挙げればシェイクスピアやキプリング、ジョイス、ハズリット、スティーヴンソン、スコット、カーライル、ロセッティ、コールリッジ、ポープ、ブラウニング夫妻、ワーズワース、テニスン、ミルトン、チョ−サー、ジョン・ダン、作品ではディケンズの『ピクウィック・クラブ』やドイルの『ホームズ』等も。ドイツからはゲーテやショーペンハウアー、カントやニーチェ、ゲオルゲ。アメリカもメルヴィル、トウェイン、エマソン、ホイットマン、ロングフェローなどが論じられ、無論ボルヘスのホームグラウンドであるラテンアメリカの大詩人ダリオや劇作家カルデロン、セルバンテスの傑作『ドン・キホーテ』、アルゼンチンガウチョの歌『マルティン・フィエロ』等も引用されます。アジアからは老子、イスラム圏からはハーフィズら。要するにボルヘスの読んだ作品と知識は浩瀚にして該博ということです。こういう半端でない読書量と博学ぶり、また素直で気取らない人柄は、なんとなく大江健三郎さんに似ているなあと感じたのは私だけでしょうか?
私は最愛の詩人の一人であるテニスンやヴィクトール・ユゴー、ホイットマンらの詩文(翻訳文)が引用され、また彼らについての私の知らない情報が紹介してあると嬉しくてキャッキャしていましたが、フォーゲルワイデやアセンス等、本書中に訳注はあるものの辞書で引いても出てこない詩人も多く、やや消化不良な気味も。今後また調べていきたいと思います。
ともあれボルヘス入門としては非常に良い本だと思います。お勧めです。
2015年11月23日に日本でレビュー済み
ボルヘス曰く、「詩を汲む」、つまり楽しんで読むことが最も大切だという。
英詩を中心に様々な言語、文化からの詩の引用がされる。
その他に、哲学や小説への言及も面白い。
ボルヘスお得意の「書物」をモチーフにした話から、プラトンの対話篇の理由や、ホメロス的な「古典」概念と聖書その他の「聖典」概念との違い、後者から近代的な逐語訳への傾向が生まれたことなど、刺激的な話題に事欠かない。
小説が叙事詩の堕落した形態でもはや袋小路にあるというのは今や歴然たる事実。
スティーブンソンやキップリングらの稠密な短篇の方に活路見出せるか。
英詩を中心に様々な言語、文化からの詩の引用がされる。
その他に、哲学や小説への言及も面白い。
ボルヘスお得意の「書物」をモチーフにした話から、プラトンの対話篇の理由や、ホメロス的な「古典」概念と聖書その他の「聖典」概念との違い、後者から近代的な逐語訳への傾向が生まれたことなど、刺激的な話題に事欠かない。
小説が叙事詩の堕落した形態でもはや袋小路にあるというのは今や歴然たる事実。
スティーブンソンやキップリングらの稠密な短篇の方に活路見出せるか。
2012年1月12日に日本でレビュー済み
ボルヘスは、自分の事を、詩人や小説家ではなく、本質的には、読書であると語る。自分が読んだものの方が、自分が書いたものよりも、遥かに重要であるとも。
ボルヘスが、その言葉を証明するかのように、彼が幼い頃から読んできた、様々な詩について、メモをみる事なしに、見事に暗唱しながら、彼なりのその味わいを徴収に語っている。
ボルヘスは、物語を構成するプロットには、そもそも少数しかない、あるいは必要ない。むしろ、詩人が、様々な言葉を使い、その物語を語ることの可能性を信じている。詩人は、再び創造者になると、ボルヘスは信じてるようだ。
この言葉からは、ボルヘスの作品は、そのプロットというよりは、彼が物語ろうとしているテーマ、そして、どのような言葉を使って、それを表現しようとしているか、そうしたことに注意して読むと、これまでとは違った、味わい方ができる、ということがわかる。
ボルヘスの、この講義の中で、彼がその生涯を通してつかみ取った、詩を始めとした文学の本質を、やや謙遜がちな表現を通じて、私たちに語っている。
彼の抗議を真摯に受け止めた人間は、これから読んでみようとする作品について、それが文学の本質に触れているものかどうかを、慎重に判断してから、手にすることだろう。
ボルヘスが、その言葉を証明するかのように、彼が幼い頃から読んできた、様々な詩について、メモをみる事なしに、見事に暗唱しながら、彼なりのその味わいを徴収に語っている。
ボルヘスは、物語を構成するプロットには、そもそも少数しかない、あるいは必要ない。むしろ、詩人が、様々な言葉を使い、その物語を語ることの可能性を信じている。詩人は、再び創造者になると、ボルヘスは信じてるようだ。
この言葉からは、ボルヘスの作品は、そのプロットというよりは、彼が物語ろうとしているテーマ、そして、どのような言葉を使って、それを表現しようとしているか、そうしたことに注意して読むと、これまでとは違った、味わい方ができる、ということがわかる。
ボルヘスの、この講義の中で、彼がその生涯を通してつかみ取った、詩を始めとした文学の本質を、やや謙遜がちな表現を通じて、私たちに語っている。
彼の抗議を真摯に受け止めた人間は、これから読んでみようとする作品について、それが文学の本質に触れているものかどうかを、慎重に判断してから、手にすることだろう。