アノマリサ [Blu-ray]
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フォーマット | 色, ドルビー, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | チャーリー・カウフマン, トム・ヌーナン, デヴィッド・シューリス, ジェニファー・ジェイソン・リー |
言語 | 英語, 日本語 |
稼働時間 | 1 時間 31 分 |
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メーカーによる説明
アノマリサ [Blu-ray] | アノマリサ [DVD] | |
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カスタマーレビュー |
5つ星のうち3.8
52
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5つ星のうち3.8
52
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価格 | ¥1,439¥1,439 | ¥1,312¥1,312 |
製品仕様 | Blu-ray | DVD |
発売日 | 2016/12/21 | 2016/12/21 |
商品の説明
鬼才チャーリー・カウフマン監督最新作!
世界が絶賛した珠玉のストップモーション・アニメ!
●アカデミー賞をはじめ世界中の映画祭を席巻!
感動と共感の嵐を巻き起こした話題作!
●オスカー受賞(『エターナル・サンシャイン』)脚本家C・カウフマンの新境地!
“人間の本質"を“人形"で描き切った独創的な傑作!
『マルコヴィッチの穴』(99)、『アダプテーション』 (02)、『脳内ニューヨーク』(08)など
奇想天外なストーリーで大人気の世界的監督&脚本家が、初めてアニメーションに挑戦!
●人生に絶望した男がすごした≪特別な一夜≫とは…?
すべての孤独な大人たちへ贈る、心に響く人間賛歌!
【ストーリー】
カスタマー・サービスの分野でモティベーション・スピーカーとして名声を築き、本も出版しているマイケル・ストーン。
しかしながら彼自身は人生に何の刺激も感じられずにいた。
ある日、講演者として呼ばれてきたシンシナティ―で、彼の講演を聞きに来ていたリサという女性と出会う。
長いこと、誰の声であっても全て同じ声に聞こえていたマイケルが、唯一聞こえた"別の声"の彼女と特別な一夜を過ごすのだが・・・。
【キャスト】
マイケル声:デヴィッド・シューリス(内田 直哉)『ゼロの未来』『博士と彼女のセオリー』
リサ声:ジェニファー・ジェイソン・リー(玉川 砂記子)『ヘイトフル・エイト』『ジョージア』
その他:トム・ヌーナン(星野 充昭)『ヒート』『ロボコップ2』
【スタッフ】
監督:チャーリー・カウフマン『エターナル・サンシャイン』『マルコビッチの穴』、
デューク・ジョンソン
脚本:チャーリー・カウフマン
製作:ローザ・トラン、デューク・ジョンソン、チャーリー・カウフマン、ディーノ・スタマトプロス
製作総指揮:ジェームズ・A・フィーノ、ダン・ハーモン、ジョー・ルッソII
編集:ギャレット・エルキンス
音楽:カーター・バーウェル
アニメーション・スーパーバイザー:ダン・ドリスコル
【特典】
製作の舞台裏
ミニチュア世界のベッドシーン
音が与える効果
■製作:2015 アメリカ
■Disc枚数:1
■画面サイズ:16:9 スコープ・サイズ
■収録時間:91分
(C) Anomalisa, LLC 2015. (C) 2016 Paramount Pictures.
※映像特典、商品仕様、ジャケット写真などは予告無く変更となる場合がございます。
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- 言語 : 英語, 日本語
- 製品サイズ : 30 x 10 x 20 cm; 60 g
- EAN : 4988102475765
- 監督 : チャーリー・カウフマン
- メディア形式 : 色, ドルビー, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 31 分
- 発売日 : 2016/12/21
- 出演 : デヴィッド・シューリス, ジェニファー・ジェイソン・リー, トム・ヌーナン
- 字幕: : 英語, 日本語
- 言語 : 英語 (Dolby Digital 5.1)
- 販売元 : パラマウント
- ASIN : B01M3PVKDC
- 原産国 : 日本
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 80,885位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
イメージ付きのレビュー
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
色々な解釈ができる映画内容なので、
人によってはよくわからなかったという人もいると思います。
主人公は成功した人生を手に入れた半面、退屈さを感じていました。
だからこそ、周囲の人間が全て同じに見えてしまう…
実際、主人公以外の登場人物は全て同じ顔で、同じ声になっています。
そんなとき、違う顔、違う声の女性が現れます…
そして…
というような、あらすじです。
ある程度、あらすじを読んでからじゃないと、解釈が難しい映画だと思いますが
個人的には好きな映画です。
お話し的には「なんだかなぁ…」という印象ですが、アメリカのビジネスマンも お疲れなのね… 良く言えば共感 キツく言えば 単純な性行。でも人形で描き切った凄味! 一夜がリアルで、"あるある"が面白くて 贅沢。可愛い声:ジェニファー・ジェイソン・リー✿ 吹替が玉川 砂記子さんと知り また魅たい❤︎ 主人公より リサたちが素敵です✴︎
生きていてもそれを感じるときってありますよね?
もしかしたら、そんな人はこの映画に共感し、救われることができるかもしれません。
人形劇だけども、人形や小道具や人形の動きそのもの、さらに映画の中で描かれる日常がものすごいリアルで普通。
そういう意味でこの映画は「退屈」と感じる人がいるかもしれません。
が、ストーリーが進むにつれて、主人公が憂鬱で暗く、「何かに追われている」ということがわかってきます。
普通な日常を過ごしているだけなのに、何か恐ろしいものに追われています。
それが何なのか?その辺の演出が上手くて、最後まで観てしまう。
夢見がちなアニメや人形劇ではなく、徹底した「大人の」リアル描写にこだわっています。
セックスでのかっこ悪いシーンも全写しでリアル。あーこれあるある、ってちょっと笑えたり。
(笑えるのは僕が不謹慎だからで、笑える映画じゃないです)
この映画で非常に重要なファクターは「人形」です。
誰にでも共感できるリアルな日常を、人間じゃなく人形が演じることで、達観した視点で人間とは一体なんなのか?ということを考えることができます。
人間が演じていたら、そこにいるのは人間だけの世界。人形が演じているので、そこにいるのは人間ではなく人形であり、観客は人形を操っている道化師の心境でスクリーン上の物語を観ることができます。
人間とは何なのか?我々はなぜ生きるのか?
究極的に、私たちが人間である限り、その問いに対する理論的な答えは人間にはわからないのです。
そんな絶望の淵で終わるほどこの映画は意地悪ではなくて、最後は清々しく救われた感じで終わります。
我々はなぜ生きるのか?人それぞれ、理論的でなくてもいい、答えっぽいものがあればいいのです。
それで生きていければいいのです。
動物は自分自身が「なぜ生きるのか?」と考えることはありません。
食べて繁殖して寝て消費して、ただ意味もなく死んでいきます。
人間も動物と同じなのです。同じように、ただ意味もなく死ぬだけなのです。
毎日同じことの繰り返しで、鬱々とした気分になったことがある中年の皆様には、この映画の最後の清々しさにより救われる感じがわかると思います。
決して万人向けの映画ではなく、「わかる人にはわかる」という大人向けの教育映画です。
本当にそれだけなので見ただけではまったく面白くないです。
これを楽しむには物語のあれやこれやが何のメタファーか一個一個タグ付けして、己の想像力を飛躍させた上で「解釈」を付けないといけない。
物語ってのは「見たら面白い」のが私は好きです。
「見ただけでは面白くない」から「自分でいろいろ足したり引いたり捏ね繰り回さないと面白くならない」そんな物語はいつだって星0です。
ただし、レビューにはたくさん「これはこう言う物語なんですよ」と解釈の手引きがあります。
それぞれの解釈はどれも興味深くて面白いのでレビューを見て楽しみましょう。
基本的にはこういう語り方のお話は嫌いです。
考察サイトでは、リサは実はポルノショップで購入した芸者人形であり、最後に子供に人形に精液がついてる、と指摘されるところから、リサとのセックスは実際には人形を使った自慰であり、リサの存在は主人公の妄想なのではないかと、考察されています。
この説を証明するようには芸者人形にはリサの顔の傷と同じ場所に傷があり、リサ同様、芸者人形は日本語を喋り、歌を歌います。最後に歌う芸者人形の声はおそらくリサの声と同じです。
そのためこの話は女性に対して高すぎる理想を抱き、鬱屈とした人生を夢想で晴らそうとしている男性の妄想話なのではないか、と考察されています。
ところが、私が見たところ、話はそれで終わりません。
実際には、彼は隠れゲイ(自分の同性愛指向を否認している男性)なのではないか、と推察できるシーンがとてもたくさん出てくるのです。
まず、芸者人形を購入する、物語の重要なシーンで、ポルノショップに入った彼の横に、異様に大きな男性器の梁型が映されます。人形劇とはいえ他のシーンでは非常にリアルな造形を行っているこの映画内で、この梁型の大きさは実用的とは到底思えない異様な大きさになっています。
彼は芸者人形を見つける前に、まずこの巨大な梁型と並んで映され、更にそれを無意識に触れて落とし、それを拾い上げています。芸者の人形を見つけるのはその後です。
またこの後購入する芸者人形は、当然女性の形をしているのですが、異様なほど気味の悪い人形になっています。口は歪み、骨格はむき出し、頭部には大きな傷がついており、なぜ彼がこんな人形を購入したのか、ましてやそれで自慰を行う気になったのか、全くわかりません。
端的に言って、梁型の巨大さは対象への欲望の大きさを、人形の異形さは彼にとっての女性のイメージを表しています。
つまり、彼は同性愛者なのです。
それは実は映画の冒頭から示唆されています。彼は飛行機で隣りに座った男性に手を掴まれています。何度も謝られますが、実はこの男性、リサと一夜をともにした後夢の中で電話をかけてきて愛を告白する男性と同じ顔をしています。実は手を握ってきたこの男性のことを、かれはずっと心の中に留めていたのです。もしかすると手を握った男性も、主人公がゲイだと見抜いたからこそアプローチをかけたのかもしれません。
夢の中で男性から逃げ出した主人公は途中で自分の顔が剥がれるのを見て、恐慌します。文字通り、異性愛の仮面が崩壊しそうになっているのです。
リサはせがまれて歌を歌いますが、その歌の歌手はあのシンディ・ローパー。ゲイのアイコンとして有名な女性です。
リサは彼女って自分を受け入れてて素敵、みたいなことを言いますが、これはゲイである自分を受け入れよう、と歌っているようにも聞こえる同歌手のとても有名な曲の歌詞に、非常に似た言及です。
また彼は有名人ではありません。彼は昔の女性と別れた後、まわりが自分のことを知っているように話すのを聞きますが、単なるカスタマーサービスの本を書いただけの彼が人気者なワケがありません。つまり、彼はひと目を異様に気にしていて、他人が自分のことを話してるのではないか、と気になってしょうがないのです。その後リサに「あの有名な」と言われますが、リサがいるため当然自分の妄想です。
結論から言うと、彼は女性との関係全般も、家庭での妻との関係も全くうまく行かず、しかし必死に異性愛の枠に自分を嵌めようともがき苦しんでいます。
おそらくそのために、出張先で昔の彼女にあって、ベッドに誘うのですが、当然断られます。彼が自分の顔が勝手に動いているように感じ、恐慌して「リサ」を探し出すのはその後のシーンです。
冒頭、そしてエンディングで流れる飾り気のない男性の話声や笑い声。自分を抑圧している主人公の男性には、それすら深い意味を持って聞こえことでしょう。それは絶対に手に入ることのない希望として。
この物語は隠れゲイの脳内のイメージを可能な限り「そのまま」表現しようとしているのだと思います。物語中リサ以外の人物が総て男性の声で喋ることも彼が自分の内側から逃げることが出来ないことを表しているように思えます。
この物語が語るのは多分、自分を受け入れずに理想を追い求めることの虚無と、その中における希望の残酷さ。もし彼が自分を受け入れられていたら、きっと世界は変わって見えたでしょう。そして彼はそれを求めています。だから彼は妄想の中でリサにアノマリー(普通じゃない)な自分を受け入れて、と遠回しに語らせているのです。しかし彼は、常に彼を追い詰めるだけの理想を追うしか選択肢が残されていません。
こうやって考えると、最後に芸者人形と向き合う彼の姿に底知れぬ悲しみが見えてこないでしょうか。
ごくフツーの展開、ごくフツーの情景、それが、奇妙な機械仕掛けの日本人形が登場してから、微妙に現実感覚がずれてくる。な~~んか、おかしい…変…どうなってる?と思っている間に、事態は急展開、飛躍に次ぐ飛躍、とんどんブッ飛ばして、シンシナティ動物園が話題になったかと思うと、あっさり結末に向かう。
不気味な日本人形、アノマリサだか、アノマカロリスだか分かったもんじゃない変な言葉が、和英辞典で調べたら「天国の女神」などと嘘ばっかりの説明で、なんのことやら、わかりまへん(T_T)で終わる。これこそが、Charlie Kaufmanなのだ、文句ある?<( ̄^ ̄)>と堂々と開きなっているような映画(アニメ)なのだ。
にもかかわらず、楽しいアニメである。日本アニメ、たとえば、ジブリなんかは重いテーマを重く描いてしまう悪い癖がある。「となりのトトロ」程度にとどめておけば、森と人間、自然と人間、癒やしの森林浴、森の精との出会いとか、まるで大江健三郎の森の物語シリーズみたいな重いテーマが、楽しく描けるではないか。それを、「火垂るの墓」とか「もののけ姫」とか「千と千尋の神隠し」などのように重いテーマをずっしり重く描いたら、いささか食傷しますよ。深刻なテーマにズルズル傾斜して、かえってテーマがぼけるというような事態は、工夫次第で避けられるはずだ。実際、あちらの国では、「アノマリサ」でも、「星の王子様とわたし」でも、とかく重くなりがちなテーマを見事に軽妙に描ききっているではないか。ジブリも初心に戻って、「トトロ」あたりを原点に戻るべきだ。
閑話休題。
Charlie Kaufman映画は、2008年の「脳内ニュー・ヨーク」のほうが、まだ、わかりやすいので、「アノマリサ」に怒り心頭したお方は、そちらへ、そうぞ。
寸秒:人間って孤独だなあ~でも、ドタバタしながらなんとか生きてる。
続いては、オススメしがたいが、良い映画→「パンズ・ラビリンス」←Pacific Rimのギレルモ・デル・トロの出世作。
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閑話休題。
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