アーティストについて
高校卒業後の1967年(昭和42年)4月に上京。 GSグループ「アウトキャスト」コンボバンド「ファイブサンズ」のバンドボーイを経て、キャバレー、クラブ等の専属バンドのドラマーとして音楽活動を開始。 仲間内で作った自主制作盤「なぜか埼玉」が1981年2月「タモリのオールナイトニッポン」で紹介され、屈折した感情を抱いた埼玉応援歌として全国で話題に。 同年4月フォーライフレコード(現フォーライフミュージックエンタテインメント)から全国発売。12万枚のヒットとなる。 B面「埼玉いろはずくし」は世紀の奇曲として一部で熱狂的な支持を得る。