沈黙-サイレンス- [Blu-ray]
フォーマット | 色, ワイドスクリーン, ドルビー |
コントリビュータ | アンドリュー・ガーフィールド, 浅野忠信, イッセー尾形, 小松菜奈, 加瀬亮, マーティン・スコセッシ, 窪塚洋介, 塚本晋也, 笈田ヨシ, アダム・ドライバー, リーアム・ニーソン |
言語 | 英語, 日本語 |
稼働時間 | 2 時間 41 分 |
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メーカーによる説明
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商品の説明
なぜ弱きわれらが苦しむのかー
原作 遠藤周作「沈黙」×監督 マーティン・スコセッシ
構想28年。
戦後日本文学の金字塔が、アカデミー賞®監督の手で完全映画化。
「人間にとって本当に大切なものとは何か」を描き出す渾身の超大作。
<ストーリー>
17世紀、江戸初期。
幕府による激しいキリシタン弾圧下の日本。
高名な宣教師の棄教を聞き、その弟子のロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)らは長崎へと潜入する。
彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、弾圧を逃れた"隠れキリシタン"と呼ばれる日本人らと出会う。
しかしキチジロー(窪塚洋介)の裏切りにより、遂にロドリゴらも囚われの身となり棄教を迫られる。
守るべきは大いなる信念か、目の前の弱々しい命か。
心に迷いが生じた事でわかった、強いと疑わなかった自分自身の弱さ。
追い詰められた彼の決断とは―
<キャスト>
セバスチャン・ロドリゴ神父:アンドリュー・ガーフィールド
フランシス・ガルペ神父:アダム・ドライバー
通辞:浅野忠信
キチジロー:窪塚洋介
井上筑後守:イッセー尾形
モキチ:塚本晋也
モニカ:小松菜奈
ジュアン:加瀬亮
イチゾウ: 笈田ヨシ
クリストヴァン・フェレイラ神父:リーアム・ニーソン
<言語>
オリジナル(英語/日本語)
<映像特典> (計 約29分)
●「沈黙-サイレンス-」完成までの旅 (約24分)
●予告編集 (●US版カットダウン30秒 ●US版カットダウン60秒 ●日本版本予告 ●日本版予告90秒)
●TVスポット集(・ストーリー編 ・完全映画化編)
<ポイント>
●戦後日本文学の金字塔にして、今も読み継がれている遠藤周作の「沈黙」がマーティン・スコセッシ監督により実写映画化。
江戸初期、隠れキリシタン弾圧下の日本が舞台の遠藤周作の小説「沈黙」は、出版以来優れた文学作品として絶賛され、評論家には20世紀最高峰の小説の一つと言われている。
谷崎潤一郎賞を受賞した本作は、1969年に英訳されて以来世界各地でさまざまな言語で読み継がれている、まさに不朽の名作である。
●アカデミー賞®にも輝く巨匠マーティン・スコセッシ監督の最高傑作。
1988年、スコセッシ監督が原作と出会ってから28年、いくつもの困難を乗り越えてついに映画化が実現。
人間の強さ、弱さとは?信じることとは?そして、生きることの意味とは?
貧困や格差、異文化の衝突など混迷を極める今、人類永遠のテーマが、世界の映画人たちから尊敬される巨匠スコセッシ監督によってあまりに深く、あまりに尊く描かれる。
●日米を代表する豪華キャスト/スタッフが集結
主演は『アメイジング・スパイダーマン』シリーズのアンドリュー・ガーフィールド。
また『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のアダム・ドライバー、『シンドラーのリスト』『96時間』のリーアム・ニーソンが脇を固める。
一方日本からは浅野忠信、窪塚洋介、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮、笈田ヨシら、各世代の実力派が名を連ねる。
さらに全員でアカデミー賞®受賞6回、ノミネート23回のスコセッシゆかりの最高のスタッフ陣に、日本人スタッフチームよる美術、時代考証などが加わり、舞台となる江戸初期の長崎が高いクオリティで蘇った。
※ジャケット写真、商品仕様、映像特典などは予告なく変更となる場合がございますのでご了承ください。
© 2016 FM Films, LLC. All Rights Reserved.
登録情報
- アスペクト比 : 2.35:1
- 言語 : 英語, 日本語
- 製品サイズ : 25 x 2.2 x 18 cm; 80 g
- EAN : 4547462111821
- 監督 : マーティン・スコセッシ
- メディア形式 : 色, ワイドスクリーン, ドルビー
- 時間 : 2 時間 41 分
- 発売日 : 2017/8/2
- 出演 : アンドリュー・ガーフィールド, アダム・ドライバー, 浅野忠信, 窪塚洋介, イッセー尾形
- 字幕: : 日本語, 英語
- 言語 : 英語 (Dolby Digital 5.1), 日本語 (Dolby Digital 5.1)
- 販売元 : ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
- ASIN : B071FB1KS1
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 42,047位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 3,828位外国のドラマ映画
- - 4,202位ブルーレイ 外国映画
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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日本の歴史モノをここまで外国の監督に撮れるものなのかと思いました。観る人が見たら違和感とかあるのかもしれませんが。
いや~、監督もなさる俳優塚本晋也さんの名演…死に様に震えました。
イッセー尾形さん、「さよなら李香蘭」でも思いましたが、イヤ~な役をやらせたら右に出る者はいない感じですね。
隠れキリシタンの方々も、今みたいな自由信仰の時代に産まれていたらと思うと、時代のせいと一言で片付けるにはしのびないですね。
神様はおそらく
個人レベルの希望は
何一つ叶えないような
存在ではないかな?とも
思います。
窪塚洋介役の彼が
何度も何度も間違えては
悔い改める部分が
なんていうか
すごい考えさせられました。
人様を落としたり
はめておいても
悔い改めれば
何でも
果たしてイエスは
赦すのか?
弱い人間や
すがる人間の為に
作られているのが
宗教というイメージが強いです。
ただ
生きている
今の世の中より
パライソ=天国に
行く方があきらかに
楽だと感じざるを
得ない生活は
悲しみしか
ありませんでした。
とても心に残りました。
キリシタンへの残酷極まりない迫害は、長々と描写された割には目を背けるほどではなかったように思う。そう見えるように撮影していたのかもしれない。メルギブソンのパッションは無理だったが。
宣教師が未知の国を調査するスパイまたは尖兵としての役割を担っていたことに言及していたのは好印象。井上筑後守が問うたこの部分は是非ロドリゴの返答を聞かせて欲しかった。
物足りなかったのは、クライマックスの盛り上がりが無く終わってしまったこと。まあ、何がどうなったら盛り上がるなんて話でもないから仕方ないのかも。一見の価値はあった。
「フェレイラもロドリゴも棄教していない」
です。
高名なフェレイラ神父はたしかにキリスト教を無意味であるかのような発言をしましたが、信仰生活の中でそのように感じることは誰でもあります。
むしろフェレイラにとって、また教会という組織に信仰を守られてきたロドリゴにとっても疑念や無力感を持つ経験は必要であったといえます。時代背景ゆえに拷問や踏み絵などハードな内容になっていますが、信仰を持つ人であれば誰でも通る道なのです。つまづきのない信仰などありません。
しかし日本のキリスト教界とくにプロテスタントは「弱さ」「穢れ」に苦しむ人をあっさりと見捨てます。
映画冒頭スペインのシーン、老司祭が「我々はフェレイラを失った」と言います。意味としては、「神を否定した者など私たちに何の関わりもない。なかったことにしよう」です。
クリスチャンとして大変頭にくるシーンでしたが、残念ながら現代の教会でもよく見られるシーンです。
キリスト教会は、少しでも教義からはみ出した者に対して冷徹です。教会関係のブログをいくつか巡ってみると、フェレイラやロドリゴに寄り添うことなく冷淡に批判するクリスチャンの様子がおわかりになるでしょう。
私たちクリスチャンは「いい人」のように見られていますが、実態はかなり冷淡です。
ユダに永遠に消えることのない汚名を着せる教会に対してずっと疑問を持ってきた私は、映画から感じた「本当の意味での普遍的な救い」に感銘しました。
と同時に、現代においても変わらないキリスト教集団の冷徹さにほとほと嫌気が差しています。
「なぜ最後まで主に忠実でいられなかったのか」
簡単にこんなセリフをはく日本のキリスト教会の現状を憂います。
この国に、イエスの実践した救いを理解できる人がどれほどいるでしょう。私たちクリスチャンは、日曜ごとに教会に行っていようが奉仕活動をしていようがどんなに立派なことを言っていようが、キチジローよりはるかに劣るものです。
★どんな辛い時もロドリゴのそばにいたキチジロー
★あっさりとフェレイラを見捨てた教会
★(おそらく)ヒロイズムにかられて、棄教したフェレイラを見下したロドリゴ
誰がイエスに近いでしょう?
いいかげん日本のキリスト教会は目を覚ますべきだと切に感じます。
私は教義に捉われず、ユダに寄り添う人でありたい。
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遠藤周作の原作を忠実に再現していてなかなかの出来栄えだった。
この沈黙で、リーアム・ニーソンが演じる 「転び伴天連」 フェレイラ神父の苦悩に満ちた演技は凄く良かった。
なぜ棄教したのかと問い詰めるロドリゴ神父と対峙した時、基督教は日本には根付かないと説得した場面がある。
その時、30年前に見た映画を思い出した。
「ミッション」(The Mission イギリス映画)
「沈黙」と同じく17世紀、南米パラグアイ付近で先住民グアラニー族にキリスト教布教に従事するイエズス会宣教師たちの生き様、彼らの理想と植民地社会の現実や政治権力者の思惑との葛藤を描ている映画である。
ここで若かりしリーアム・ニーソンがフィールディング宣教師を演じ、ロバート・デニーロ扮するロドリゴ・メンドーサ(ロドリゴとは偶然の一致か)と共に植民地支配しようとする軍隊から先住民グアラニー族を守るために宣教師のおきてにあえて背き銃をとり闘う人となった。
どちらも異国でのイエズス会宣教師によるキリスト教布教の映画であるが、「沈黙」では信仰した宗教を棄てた者、「ミッション」では銃を執ってまで軍隊と闘い殉教する者を同じリーアム・ニーソンという役者が演じていたのにはなにか因果を感じてしまった。
どちらも心に響く秀作である。
日本人作家の 原作 をアメリカ人監督が映画化、という点に我々はどうしても注目してしまうが、映画と原作小説は実は全く別物、『美しき青きドナウ』とホンモノのドナウ川、の関係に近いところがあるのだろうから、忠実度・再現度にフォーカスした比較論は本来は無意味…ながら、そこはアメリカ映画らしく相当分かりやすく―分かりやす過ぎなくらいに―原作を解釈・映像化した本作、スコセッシこだわりのヴィジョンは如何なるものかと、例外的に比較・対照してみたくなる。
やはりと云うべきか、大きくスポッと抜け落ちているのは、遠藤文学の中心的テーマの一つである日本(人)文化論、もっと言えば戦後は焼け跡世代特有の対・西洋コンプレックス。隠れキリシタンに宣教師たちが当初から抱く「こいつらホントに分かってんのか?」という違和感、偶像崇拝や異様に変態した聖歌に象徴される、所詮は現世利益と後生安泰を希求するに過ぎない日本人の形而下的・功利的な宗教観への絶望と嫌悪は殆ど―リーアム・ニーソン演じるフェレイラ師の告白においても―省みられず、この点をむしろ強調して信仰の探求は半ば等閑に付していた感のある 篠田正浩 の露骨なアンチ・キリスト的アプローチとは対照的。
本作一番の特色はそのフェレイラの立ち位置。原作では堕落した敗残者として最後まで決して全面的には肯定されない人物―主人公の侮蔑・憎悪と連帯感・憐れみを同時に受ける、実はもう一人のキチジロー的存在―が、本作では煉獄を経て浄化され、一足早く新たなステージに至った先覚者のように描かれる。彼もまた信仰を失ってはいなかった=おそらくイエスの声を聞いたのであろうという解釈はかなりの甘口で、従って、宗派・教義としてのカトリックないし教会そのものをあらためて肯定したとも見える終盤の展開は、神学以前・教義以前を志向したメタ・キリスト教とも云うべき遠藤独特のイエス観とは齟齬を生じているように思う。棄教を拒否して信徒と共に殉教するガルぺ、棄教して信徒を救ったフェレイラ、いずれも教義・戒律や博愛精神に促された=ついにイエスの声を聞かなかった素朴な行為者に過ぎない点が、原作で主人公ロドリゴの聖性を際立たせた所以。西洋文学の形式に囚われて技巧的にはむしろ不器用な作家と評者には思える遠藤―ロドリゴ棄教の背景で鳴く 鶏 などはかなりアザトい―だが、初読ではたいていの読者がウンザリして放り出す原作終章の役人日記、難解な候文に韜晦しつつ信仰の本質を訴える手法は、これまたいささか甘過ぎ・やり過ぎ感のある本作のラスト・シーンより優れて高潔なものを感じさせ、数多い遠藤作品の中でもこの小説にひときわの輝きを添えているところなのだが。とは言え、これをいかに映像化するか?も悩ましいはずで、まあスコセッシとしては他に選択肢はなかったのかもしれない。いずれにしても、よく出来た映画です。
ところで、遠藤本人は 日本の禁教政策 そのものには決して否定的ではなかった―「(禁じていなければ外国に) 侵略されていたかもしれない 」―ことは銘記しておくべき。それを考えると、原作同様に徳川幕府を単純な悪役扱いにはしないものの、やはり上記のようなスコセッシ流の展開と結末は、本作を残虐非道な弾圧に対してキリスト教と信徒一般の強さ・美しさを描いた『 クォ・ヴァディス 』的護教映画=教会プロパガンダと錯覚させる恐れがなきにしもあらず。未読の人は原作にも触れてみるべきかも。