日中戦争という呼称は、多分に問題を孕んでいて、歴史事実の理解を妨げる効果すらあると思われるが、それはそれとして、日中全面衝突がいつ始まったのか、今の日本の常識では、盧溝橋事件ということになるかも知れない。
しかしそれは間違いだ。第二次上海事変こそが、日中全面衝突の始まりである。この事をよく見ていくと、通常言われることと真逆の歴史的事実が浮かび上がってくる。日本が一方的に悪かったとする侵略史観が、おかしいということに気づいてしまう。
そのためかどうか、これほど苛烈な戦闘について余りにも語られることが少なかったのではなかろうか。
この著書は、日本人の歴史意識の空白を埋め、その視野を広げる効果があるものと思う。中国という国と渡り合っていかなければならない宿命を背負う日本にとってそれは必須の作業ではなかろうか。
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日中戦争は中国の侵略で始まった Kindle版
知多半島の突端近くに中之院という小さな寺がある。そこにおよそ50体の兵士の石像が静かに佇んでいる。第二次上海事変で邦人の命を守るために、犠牲となった若者たちの像である。
昭和12(1937)年8月13日、在留邦人3万人が逃げ込んだ上海の日本租界に、約5万人の中国軍精鋭部隊が、協定を破って突如襲いかかってきた。守るはたった4000人の海軍特別陸戦隊……。ここから日本兵4万人以上の死傷者を出す3か月に及ぶ大激戦が始まり、日本はなんとか上海を守り切った。
その後、日本軍は壊走する中国軍を追撃して南京へと向かい、南京を占領した。そこで戦争は終わらず、中国は戦いを長引かせる戦略をとり、日中戦争は拡大の一途をたどっていった。
本書はその第二次上海事変の戦いを緻密に追い、日本軍の南京攻略は決して侵略ではなく、むしろ中国が侵略したことによって日中戦争が始まり、泥沼化した事実を明らかにしていく。
昭和12(1937)年8月13日、在留邦人3万人が逃げ込んだ上海の日本租界に、約5万人の中国軍精鋭部隊が、協定を破って突如襲いかかってきた。守るはたった4000人の海軍特別陸戦隊……。ここから日本兵4万人以上の死傷者を出す3か月に及ぶ大激戦が始まり、日本はなんとか上海を守り切った。
その後、日本軍は壊走する中国軍を追撃して南京へと向かい、南京を占領した。そこで戦争は終わらず、中国は戦いを長引かせる戦略をとり、日中戦争は拡大の一途をたどっていった。
本書はその第二次上海事変の戦いを緻密に追い、日本軍の南京攻略は決して侵略ではなく、むしろ中国が侵略したことによって日中戦争が始まり、泥沼化した事実を明らかにしていく。
- 言語日本語
- 出版社悟空出版
- 発売日2016/3/1
- ファイルサイズ9844 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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商品の説明
出版社からのコメント
日本人は何となく「日中戦争は日本の侵略戦争だった。中国には謝罪すべきだ」と思っていないか。昭和12年8月13日、在留邦人3万人が逃げ込んだ上海の日本租界に、突如5万人の中国軍精鋭部隊が襲いかかった。守るはたった4000人の海軍陸戦隊……。ここから日本兵4万人以上の死傷者を出した3カ月に及ぶ大激戦(第二次上海事変)が始まり、日中戦争は拡大していくこととなる。日中戦争は決して日本の一方的な侵略ではなかったのである。2015年10月、中国政府はユネスコの世界記憶遺産に南京事件の資料を登録した。それを放置することは、「日本国民は残虐だ」という誤った認識を世界に広めることに他ならない。日本人は今、過酷な戦いだった上海戦の実相を知り、「日中戦争は決して日本の侵略で始まったのではなかった」という歴史的事実をはっきり確認すべきときを迎えている。
著者について
近現代史研究家。 1944 年、仙台市生まれ。東北大学文学部卒。近代アジア史を中心に研究を続ける。南京事件の専門家。著書に『「南京事件」日本人48人の証言』、『日中戦争はドイツが仕組んだ』(ともに小学館)、『ジャカルタ 夜明け前』(勁草書房)『秘録・日本国防軍クーデター計画』(講談社)、『謎解き「南京事件」』(PHP研究所)など。「日本の名誉を守る国民の会」会長ほか保守派の論壇人として活躍している。
登録情報
- ASIN : B075ZNMZ5H
- 出版社 : 悟空出版 (2016/3/1)
- 発売日 : 2016/3/1
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 9844 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 236ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 269,524位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 6,184位ノンフィクション (Kindleストア)
- - 69,286位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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2022年3月10日に日本でレビュー済み
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2023年3月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
歴史の事象を点で考えるのではなく線と面で考えなければならないと改めて理解しました。
南京事件も歴史の一つの流れだと考えれば、違った景色が見え始めました。何故、あまりしられていないのかが不思議に感じました。
南京事件も歴史の一つの流れだと考えれば、違った景色が見え始めました。何故、あまりしられていないのかが不思議に感じました。
2018年6月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本のお節介さが、裏目に出て引きずり込まれてしまった日中戦争の実態が書かれた本でもっとたくさんの人が注目すべき一冊。
2016年8月11日に日本でレビュー済み
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事実は日中戦争はナチス・ドイツと日本の代理戦争だった。
そんな事実の中で陸軍主導の日独伊三国同盟の締結のばかばかしさと
蒋介石がドイツ・シンパでありながら、あっさりと連合国の一員として闘ったという表向きの
政治行動に、最近は日本軍と戦うことが少なかった八路軍(いまの共産党中国軍)が、ことあるごとに
反ファッシズム運動を戦ったのは自分たちであると主張する世界史のでたらめさは本書はあぶり出している。
本書は是非、国際語に翻訳されるべきだ。
そんな事実の中で陸軍主導の日独伊三国同盟の締結のばかばかしさと
蒋介石がドイツ・シンパでありながら、あっさりと連合国の一員として闘ったという表向きの
政治行動に、最近は日本軍と戦うことが少なかった八路軍(いまの共産党中国軍)が、ことあるごとに
反ファッシズム運動を戦ったのは自分たちであると主張する世界史のでたらめさは本書はあぶり出している。
本書は是非、国際語に翻訳されるべきだ。
2016年5月18日に日本でレビュー済み
確かに、表題と中身が違うとの正しいご指摘をされるレビューアーもいらっしゃるし、それを否定はしません。
しかし、一般図書で、ドイツが組織的に蒋介石国民党及び軍を支援し、巨額の兵器売買で儲けていたこと、
それが事実上日独伊三国同盟後も継続していたことを明確にした著作は、高く評価すべきです。
南京事件で、ラーベが何故あれ程出鱈目に支那の肩を持ち、被害を捏造、大袈裟に言うのかが疑問ではあったのですが、彼がシーメンスの駐在員で、裏で死の証人としてぼろ儲けしていたことが確認できただけでも、評価すべき本だと思います。
しかし、一般図書で、ドイツが組織的に蒋介石国民党及び軍を支援し、巨額の兵器売買で儲けていたこと、
それが事実上日独伊三国同盟後も継続していたことを明確にした著作は、高く評価すべきです。
南京事件で、ラーベが何故あれ程出鱈目に支那の肩を持ち、被害を捏造、大袈裟に言うのかが疑問ではあったのですが、彼がシーメンスの駐在員で、裏で死の証人としてぼろ儲けしていたことが確認できただけでも、評価すべき本だと思います。
2016年3月11日に日本でレビュー済み
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この本は2008年に出版された『日中戦争はドイツが仕組んだ』を加筆、改訂したものです。
言わんとしているのは「日中戦争は日独戦争」です。蒋介石軍がドイツ軍事顧問団の指導を受け、ドイツ製武器を装備していたのは事実ですが、だからと言ってそれが日中戦争の原因ではありません。蒋介石があと一歩で共産党を壊滅できる寸前まで追い詰めながら、突然日本に向かって戦争を仕掛けた背後には、アメリカとソ連の暗躍があったことは疑いのないことです。張学良が西安で蒋介石を監禁しながら、後に蒋介石と共に台湾に行き、最後にはハワイの病院で百歳の天寿を全うできたことがそれを端的に示しています。本書のように「蒋介石は無事南京に戻った」と軽くひと言で済ませられることではありません。
ドイツ顧問団の活躍と日本陸軍の好戦派の言動ばかりにページを割き、アメリカ・ソ連の動向にまったく触れないのは真実に蓋をするものです。
言わんとしているのは「日中戦争は日独戦争」です。蒋介石軍がドイツ軍事顧問団の指導を受け、ドイツ製武器を装備していたのは事実ですが、だからと言ってそれが日中戦争の原因ではありません。蒋介石があと一歩で共産党を壊滅できる寸前まで追い詰めながら、突然日本に向かって戦争を仕掛けた背後には、アメリカとソ連の暗躍があったことは疑いのないことです。張学良が西安で蒋介石を監禁しながら、後に蒋介石と共に台湾に行き、最後にはハワイの病院で百歳の天寿を全うできたことがそれを端的に示しています。本書のように「蒋介石は無事南京に戻った」と軽くひと言で済ませられることではありません。
ドイツ顧問団の活躍と日本陸軍の好戦派の言動ばかりにページを割き、アメリカ・ソ連の動向にまったく触れないのは真実に蓋をするものです。
2016年3月14日に日本でレビュー済み
この本はタイトルそのもので日中戦争を仕組んだのは中国であり、その中国軍の強化を意外やドイツがしていたこと、そして祖父たちが上海で日露戦争の旅順に匹敵する過酷な戦を強いられ、いかに戦い抜いたか、南京戦はその反撃戦、追撃戦であって日本の侵略とは言えないこと等が書かれている。一般人の私にはどれも知らないことばかりで、目からウロコが落ちた感じでとても興味深く読みました
2016年3月14日に日本でレビュー済み
この書は、主に上海事変での日本軍の戦いぶりを書いており、先のレビュアーの「タイトルと内容が合わない」との意見に同感である。
ネットで中身を見ることなく購入し、「まえがき」で、8年前に出版した「日中戦争はドイツが仕組んだ」に加筆、改訂したものと知り、予想と違う内容で、買ったことを後悔した。こういうケースではそのことが内容紹介で書かれているのに、何故か書かれておらず、新聞の本の紹介にも書かれておらず、故意に隠しているのでは…とさえ思えた。
しかし、序章の「知多半島に眠る兵士たちの石像」を読んで、この石像の存在を知ることができただけでも、買ってよかったと思えた。
この石像は原寸大で、昭和12(1937)年8月13日に始まった上海事変で戦死した名古屋の歩兵第六連隊の兵士たちの姿である。
通州で日本人住民が惨殺された頃、上海にいた約3万人の在留邦人が約5万人の中国軍に取り囲まれ、守るのは約4千人の上海海軍特別陸戦隊だけであり、持ちこたえるのは至難の業だった。そのため、陸軍の二個師団が日本から上海に送られ、名古屋の歩兵第六連隊も動員された。その5年前にも上海の在留邦人の生命が危ぶまれるという事態があった(第一次上海事変)が、日本軍が3日で勝利を収め、死傷者はわずかだったため、この第二次上海事変でもその程度ですむと考える人が多かった。
しかし、中国軍は5年前と違って、ドイツ軍事顧問団の働きにより強化され、「二個師団の兵力では覚束ない」と考えていたのは、松井石根軍司令官くらいだった。3カ月の激戦で第六連隊は2,935名の死傷者を出し、最初に送られた3,000名の将兵がすっかり入れ替わったことになる。コレラで命を落とす者も多く、初めは万歳を叫んで見送っていた名古屋市民たちは涙を浮かべて見送るようになった。
日本軍は3カ月の激戦で4万1千余名の死傷者を出しながらも租界を守り、中国軍を追って戦局は南京に移り、12月に南京陥落となる。
その後、上海で倒れた兵士を慰霊するための塔や観音が建てられ、名古屋でも、その死を悼んで、出征を前にして撮られた写真を基に石像が作られた。石像は百柱に達し、市内の墓地に建立され、戦後、占領軍から石像を破壊し撤去するよう命ぜられたが、激しく抗議する人々によって取り壊しは免れた。そうやって続いた石像も、都市化の波から免れられず、平成7(1995)年、軍人墓地が撤去され、半分ほどの石像が知多半島先端の古刹に移された。その際、土台はなくなり、地面に直接建てられ、そばで見ることができるようになったという。
カバーや目次の石像の写真は、実物を是非見てみたいと思わせるものである。
著者の阿羅氏は「あとがき」で、「日本は中国からの攻撃にことごとく受け身であり、攻撃を受けた日本は、反撃のための作戦を立てて遂行したのであって、自ら中国を侵略するために何年も前から作戦を練って始めたのではなく、むしろ中国が日本を戦争に引き込む準備を進めていたのである。このことは戦中の日本では常識だったが、GHQの情報操作により、戦後の日本人は『日中戦争は日本の侵略戦争だった』と思い込まされた。そこを中国共産党政権に付け込まれ、朝日新聞をはじめとする左翼マスコミが呼応し、『南京大虐殺』まで喧伝され、中国の宣伝工作によって、世界で既成事実化されようとしている。一人でも多くの日本人がこのことを知り、謂れのない非難には毅然とノーと突き返そうではないか」と述べている。
ネットで中身を見ることなく購入し、「まえがき」で、8年前に出版した「日中戦争はドイツが仕組んだ」に加筆、改訂したものと知り、予想と違う内容で、買ったことを後悔した。こういうケースではそのことが内容紹介で書かれているのに、何故か書かれておらず、新聞の本の紹介にも書かれておらず、故意に隠しているのでは…とさえ思えた。
しかし、序章の「知多半島に眠る兵士たちの石像」を読んで、この石像の存在を知ることができただけでも、買ってよかったと思えた。
この石像は原寸大で、昭和12(1937)年8月13日に始まった上海事変で戦死した名古屋の歩兵第六連隊の兵士たちの姿である。
通州で日本人住民が惨殺された頃、上海にいた約3万人の在留邦人が約5万人の中国軍に取り囲まれ、守るのは約4千人の上海海軍特別陸戦隊だけであり、持ちこたえるのは至難の業だった。そのため、陸軍の二個師団が日本から上海に送られ、名古屋の歩兵第六連隊も動員された。その5年前にも上海の在留邦人の生命が危ぶまれるという事態があった(第一次上海事変)が、日本軍が3日で勝利を収め、死傷者はわずかだったため、この第二次上海事変でもその程度ですむと考える人が多かった。
しかし、中国軍は5年前と違って、ドイツ軍事顧問団の働きにより強化され、「二個師団の兵力では覚束ない」と考えていたのは、松井石根軍司令官くらいだった。3カ月の激戦で第六連隊は2,935名の死傷者を出し、最初に送られた3,000名の将兵がすっかり入れ替わったことになる。コレラで命を落とす者も多く、初めは万歳を叫んで見送っていた名古屋市民たちは涙を浮かべて見送るようになった。
日本軍は3カ月の激戦で4万1千余名の死傷者を出しながらも租界を守り、中国軍を追って戦局は南京に移り、12月に南京陥落となる。
その後、上海で倒れた兵士を慰霊するための塔や観音が建てられ、名古屋でも、その死を悼んで、出征を前にして撮られた写真を基に石像が作られた。石像は百柱に達し、市内の墓地に建立され、戦後、占領軍から石像を破壊し撤去するよう命ぜられたが、激しく抗議する人々によって取り壊しは免れた。そうやって続いた石像も、都市化の波から免れられず、平成7(1995)年、軍人墓地が撤去され、半分ほどの石像が知多半島先端の古刹に移された。その際、土台はなくなり、地面に直接建てられ、そばで見ることができるようになったという。
カバーや目次の石像の写真は、実物を是非見てみたいと思わせるものである。
著者の阿羅氏は「あとがき」で、「日本は中国からの攻撃にことごとく受け身であり、攻撃を受けた日本は、反撃のための作戦を立てて遂行したのであって、自ら中国を侵略するために何年も前から作戦を練って始めたのではなく、むしろ中国が日本を戦争に引き込む準備を進めていたのである。このことは戦中の日本では常識だったが、GHQの情報操作により、戦後の日本人は『日中戦争は日本の侵略戦争だった』と思い込まされた。そこを中国共産党政権に付け込まれ、朝日新聞をはじめとする左翼マスコミが呼応し、『南京大虐殺』まで喧伝され、中国の宣伝工作によって、世界で既成事実化されようとしている。一人でも多くの日本人がこのことを知り、謂れのない非難には毅然とノーと突き返そうではないか」と述べている。