「占いにすがる」に続く、鬱屈精神科医シリーズ(?)第二弾。タイトルにはお祓いとあるが、今回は直接的にはお祓いの話ではない。家の話だ。といっても、普通の家エッセイとは少し違う。前作から共通して、エッセイでありながら実験記録、そして物語……という区分けのできない本になっている。だからといってとっつきにくくはなく、家をめぐる自身の考えや思い出にまつわる挿話が、春日先生のウィットに富んだ文章で次々と展開していくさまは軽妙でスイスイ読めた。
タイトルのお祓いとは、自分の実家をリフォームすることである。実家や両親にまつわる嫌な思い出との折り合いをつけるため、その思い出が詰まった家をリフォームし〈書き換え〉を行う。その手法は前作で占い師のもとを渡り歩いた試みに似ており、自分を使った実験のようでもあり、巡礼のようでもある。精神科医であるがゆえに精神医学の限界を知っており、医療という形で精神を慰められない春日さんの、それでも何かないかという希求。誰しも近い思いがあるのではないだろうか?
誰にとっても馴染み深い、〈家〉という手段での試みは、前作以上に普遍的なものとして読み手に迫ってくる。
春日さんにとって、家とはただ住むだけのものではない。思考実験のための実験室であり、記憶の標本室であり、精神的な映像を映す映画館でもある。ゆえにただ快適なだけではない(かといって、住みやすさも捨てない辺りのバランス感覚に親しみを覚えられる)特別な意味をもった、家への模索がはじまる。
その完成図は家具を入れる前の状態のみ、ネットで見ることができる。ブルックリン・スタイルのその家は、見る限りあまり家らしくはない。春日さん本人も書いているが、カフェなんかにありそうな感じだ。それでもその部屋はどことなくワクワクさせられるし、居心地も不思議と良さそうだ。
この〈家〉による春日さんのお祓い、その結果ははたしてどうなったのか。
その結果をこのシリーズの続編で書いてくださることを期待しつつ、自分も理想の家について考えてみたくなる一冊だった。
ちなみに、本文にとっての家ともいえる装丁も、独特の重厚さと前作との統一感があって良いです。
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鬱屈精神科医、お祓いを試みる Kindle版
開けたら春日先生の脳みその中。
凄腕の精神科医の魂が暴走したら、 もう誰にも止められない。
これはもうリノベーションというより「どこでもドア」だと思います。
(穂村弘・歌人)
精神科医は還暦を超えて、さらに危機を迎えていた。自分は親から、呪いをかけられている。どうしても、そこから逃れられない。どうすればいいのか。
小さい頃、盗み聞きした両親の会話(父「あいつ(息子であるわたしのこと)、将来は美容師にしたらどうだろう」。母「そうね」)や、失明を恐れる母の発言(美しい母は失明への恐怖を持っていた。その話を脅迫的に聞かされる息子。無力感しかないが、もし母が視力を失ったら、力関係は逆転し、息子のわたしが主導権を握ることにならないか。不細工な私は彼女の視野には映らなくなるということではないか。そうしたら……)などなど、数々の親の呪いを抱えてきたが、年を取る毎に妄想となって膨らむ一方なのだった。ムージル的に言えば、無自覚のうちに私は不幸におちいっているのかもしれない。いまやモーパッサン式「御祓い」をするしかない。そうして、作者はさまざまな方法を試みる。そして、最後、親の呪いを取り払うために、実家のリノベーションにとりかかる。はたしてお祓いは成功するのか。
前作に続き、私小説的に綴られる精神科医の痛切なる心の叫び。
凄腕の精神科医の魂が暴走したら、 もう誰にも止められない。
これはもうリノベーションというより「どこでもドア」だと思います。
(穂村弘・歌人)
精神科医は還暦を超えて、さらに危機を迎えていた。自分は親から、呪いをかけられている。どうしても、そこから逃れられない。どうすればいいのか。
小さい頃、盗み聞きした両親の会話(父「あいつ(息子であるわたしのこと)、将来は美容師にしたらどうだろう」。母「そうね」)や、失明を恐れる母の発言(美しい母は失明への恐怖を持っていた。その話を脅迫的に聞かされる息子。無力感しかないが、もし母が視力を失ったら、力関係は逆転し、息子のわたしが主導権を握ることにならないか。不細工な私は彼女の視野には映らなくなるということではないか。そうしたら……)などなど、数々の親の呪いを抱えてきたが、年を取る毎に妄想となって膨らむ一方なのだった。ムージル的に言えば、無自覚のうちに私は不幸におちいっているのかもしれない。いまやモーパッサン式「御祓い」をするしかない。そうして、作者はさまざまな方法を試みる。そして、最後、親の呪いを取り払うために、実家のリノベーションにとりかかる。はたしてお祓いは成功するのか。
前作に続き、私小説的に綴られる精神科医の痛切なる心の叫び。
- 言語日本語
- 出版社太田出版
- 発売日2017/10/27
- ファイルサイズ2185 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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商品の説明
著者について
春日武彦(かすが・たけひこ) 1951年京都府出身。日本医科大学卒。産婦人科医として6年間勤務した後、精神科へ移る。大学病院、都立松沢病院精神科部長、都立墨東病院神経科部長等を経て、現在も臨床に携わる。医学博士、精神科専門医。甲殻類恐怖症。藤枝静男とイギー・ポップに憧れ、ゴルフとカラオケとSNSを嫌悪。著書には『鬱屈精神科医、占いにすがる』(小社)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎新書)、『臨床の詩学』(医学書院)、『緘黙』(新潮文庫)等多数。
登録情報
- ASIN : B076HLSKBM
- 出版社 : 太田出版 (2017/10/27)
- 発売日 : 2017/10/27
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 2185 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 204ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 89,032位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,724位ノンフィクション (Kindleストア)
- - 22,263位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年10月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
お祓いと言っても、祈祷師にお祓いしてもらったわけではなく、彼独自の方法による、とある呪縛への「お祓い」です(安心してください、オカルトではありません)。
岸田秀センセイといい春日センセイといい、「あの対象」になぜそこまで呪縛されているのか私には分からないのですが、心理学者/精神科医だからこそ自分の中に深く根差す存在を強く自覚できるのでしょうか。完成したお宅を見るにつけ(ネットで見ました)そうとう祓い去りたかったんだなと思いました。
読後には「猫を抱き上げたときのように生暖かい救済の感覚」を春日センセイと共有できるかもしれません。
岸田秀センセイといい春日センセイといい、「あの対象」になぜそこまで呪縛されているのか私には分からないのですが、心理学者/精神科医だからこそ自分の中に深く根差す存在を強く自覚できるのでしょうか。完成したお宅を見るにつけ(ネットで見ました)そうとう祓い去りたかったんだなと思いました。
読後には「猫を抱き上げたときのように生暖かい救済の感覚」を春日センセイと共有できるかもしれません。
2022年12月29日に日本でレビュー済み
患者を差別するくせに、自分はお祓いに救いか。よっぽど我が身が可愛いんだな、この精神科医は。文系の考え方に浸かりやがって。
2017年11月27日に日本でレビュー済み
著書多数、以前はTV出演も多く、温厚そうな笑顔と柔和な口調で精神病理を解り易く説明しておられた春日先生。
かねてより兆候は窺えたものの、前作の『鬱屈精神科医、占いにすがる』(太田出版)が一つのターニング・ポイントだったようで、本作はさらに突き進めたような内容でかなり読み応えあり。
実際にお祓いを試みるのではなく、60歳代に入ってから精神力も体力も急激に衰えたと感じたそうで、両親の遺した中古マンションを自分好みにリノベーションし、三つの呪縛、とりわけ、失明の恐怖に怯えたからかアルコールと安定剤を併せ呑み、酷く酩酊しては一人っ子である著者に延々と愚痴り続けた母の記憶から解放されたいという切ない願いだ。
自らの母親を美人と言って憚らず、“不釣り合いな不細工さ”であった自分を“痛恨”とまで言い、露悪趣味スレスレの自虐ネタが長々、くどくどと綴られ、その晦冥の深みには辟易さえしてしまうくらい。
また、子供を作らなかった理由を“障害児が生まれるという妄想的確信”、“産科医だった頃に障害児を持つことになった親の表情、リアクションが忘れられない”からという点が引っ掛かり、障碍を持つ可能性が高いと診断されたのにも拘わらず産む決意をした御夫婦が身近にいらっしゃったので「如何なものか」と思ったが、選択肢について他人が云々言うべきではないのだろう。
しかし、P20、著者の妻が結婚を拒否出来ぬタイミングで、「子供は欲しくない」と告白したことで、余計な御世話だろうが、後々にお互いの遺恨を遺さなければいいとは思った。
ここには書かれていないが、医者とナースが結婚まで行き着くのは我々が想像している以上に極めて稀で、自らを卑劣と書きながら、そこに意識、無意識拘わらず職業差別的なものが働いていたとしたら・・・まあ御夫婦のことだから口出しは止めておこう。
ローベルト・ムージル、中村好文、ロラン・バルト、吉屋信子、エラリイ・クイーン、イーフー・トゥアン、小島信夫、テネシー・ウィリアムズ、山田詠美、アラン・シリトー、川崎長太郎、藤枝静男、岡本綺堂などの著作から引用が目立ち、それに纏わる思いと実体験を絡め、いわば二重構造になっており、これがなかなか効果的に働いている。
個人的には、P80~、たった独りで教会を建てようとする男、P184~、NHK教育「テレビ絵画教室」で著者の目を引いたにも拘わらず描いた絵を酷評された青年の話が印象に残った。
前者について、アメリカは開拓時代の影響からか、今も庭の柵を自分で作ったり壁を家族で塗り直すケースが少なくはなく、後者については、著者の絵画における審美眼に関して判断はつかないが、このように想像することにより精神的な補償作用を施すところが如何にも精神科医といったニュアンスで興味深い。
他、気になったところを少し。
P114、E・A・ポーの短篇「ウィリアム・ウィルソン」は、3部形式のオムニバス『世にも怪奇な物語』(1967年)の第2話「影を殺した男」(監督:ルイ・マル、主演:アラン・ドロン)として映像化されていて、映画好きらしい、そして著者の世代なら観ていないはずはないのに触れていないのがどうにも不思議。
P134~、ドアーズの2ndアルバム『Strange Days』収録の「People are Strange」に言及、“ジム・モリソンは、まさに境界性パーソナリティ障害の頂点だ”と言い切り、『ロックの歌詞から診断する精神分析』みたいな本を企画すれば、御本人曰く“物書きとしても低迷している自分”から、脱却する契機となるのでは?
P179~、“PTSD患者はトラウマとなった記憶を消し去れない”とあり、これは身に沁みる。
我が元妻はかつて精神科医に通い薬を貰っていて、繰り返し過去のトラウマを語り、こちらもそれを聞くのが役目だと思いひたすら耐えていたが、ある日、仕事で徹夜後に仮眠を取るため帰宅すると延々と愚痴が始まり、「勘弁してくれ」と懇願して浴室に布団を持ち込み眠ろうとしても、泣きながらずっと喋り続けていたのを憶い出す。
P226~、藤枝静男の傑作短篇「一家団欒」を引き、墓石の下で自らの亡き父母と再会する想像に及ぶ箇所は、家族と悔いが残る別れ方をなさった方々には、本当に好き慰めになるかもしれない。
余談になるが、P169、12行目に明らかな誤植を発見。
著者の文章ではなく、山田詠美の小説からの引用なので、これは大変失礼なことと思われ、重版の際には是非とも訂正してください。
かねてより兆候は窺えたものの、前作の『鬱屈精神科医、占いにすがる』(太田出版)が一つのターニング・ポイントだったようで、本作はさらに突き進めたような内容でかなり読み応えあり。
実際にお祓いを試みるのではなく、60歳代に入ってから精神力も体力も急激に衰えたと感じたそうで、両親の遺した中古マンションを自分好みにリノベーションし、三つの呪縛、とりわけ、失明の恐怖に怯えたからかアルコールと安定剤を併せ呑み、酷く酩酊しては一人っ子である著者に延々と愚痴り続けた母の記憶から解放されたいという切ない願いだ。
自らの母親を美人と言って憚らず、“不釣り合いな不細工さ”であった自分を“痛恨”とまで言い、露悪趣味スレスレの自虐ネタが長々、くどくどと綴られ、その晦冥の深みには辟易さえしてしまうくらい。
また、子供を作らなかった理由を“障害児が生まれるという妄想的確信”、“産科医だった頃に障害児を持つことになった親の表情、リアクションが忘れられない”からという点が引っ掛かり、障碍を持つ可能性が高いと診断されたのにも拘わらず産む決意をした御夫婦が身近にいらっしゃったので「如何なものか」と思ったが、選択肢について他人が云々言うべきではないのだろう。
しかし、P20、著者の妻が結婚を拒否出来ぬタイミングで、「子供は欲しくない」と告白したことで、余計な御世話だろうが、後々にお互いの遺恨を遺さなければいいとは思った。
ここには書かれていないが、医者とナースが結婚まで行き着くのは我々が想像している以上に極めて稀で、自らを卑劣と書きながら、そこに意識、無意識拘わらず職業差別的なものが働いていたとしたら・・・まあ御夫婦のことだから口出しは止めておこう。
ローベルト・ムージル、中村好文、ロラン・バルト、吉屋信子、エラリイ・クイーン、イーフー・トゥアン、小島信夫、テネシー・ウィリアムズ、山田詠美、アラン・シリトー、川崎長太郎、藤枝静男、岡本綺堂などの著作から引用が目立ち、それに纏わる思いと実体験を絡め、いわば二重構造になっており、これがなかなか効果的に働いている。
個人的には、P80~、たった独りで教会を建てようとする男、P184~、NHK教育「テレビ絵画教室」で著者の目を引いたにも拘わらず描いた絵を酷評された青年の話が印象に残った。
前者について、アメリカは開拓時代の影響からか、今も庭の柵を自分で作ったり壁を家族で塗り直すケースが少なくはなく、後者については、著者の絵画における審美眼に関して判断はつかないが、このように想像することにより精神的な補償作用を施すところが如何にも精神科医といったニュアンスで興味深い。
他、気になったところを少し。
P114、E・A・ポーの短篇「ウィリアム・ウィルソン」は、3部形式のオムニバス『世にも怪奇な物語』(1967年)の第2話「影を殺した男」(監督:ルイ・マル、主演:アラン・ドロン)として映像化されていて、映画好きらしい、そして著者の世代なら観ていないはずはないのに触れていないのがどうにも不思議。
P134~、ドアーズの2ndアルバム『Strange Days』収録の「People are Strange」に言及、“ジム・モリソンは、まさに境界性パーソナリティ障害の頂点だ”と言い切り、『ロックの歌詞から診断する精神分析』みたいな本を企画すれば、御本人曰く“物書きとしても低迷している自分”から、脱却する契機となるのでは?
P179~、“PTSD患者はトラウマとなった記憶を消し去れない”とあり、これは身に沁みる。
我が元妻はかつて精神科医に通い薬を貰っていて、繰り返し過去のトラウマを語り、こちらもそれを聞くのが役目だと思いひたすら耐えていたが、ある日、仕事で徹夜後に仮眠を取るため帰宅すると延々と愚痴が始まり、「勘弁してくれ」と懇願して浴室に布団を持ち込み眠ろうとしても、泣きながらずっと喋り続けていたのを憶い出す。
P226~、藤枝静男の傑作短篇「一家団欒」を引き、墓石の下で自らの亡き父母と再会する想像に及ぶ箇所は、家族と悔いが残る別れ方をなさった方々には、本当に好き慰めになるかもしれない。
余談になるが、P169、12行目に明らかな誤植を発見。
著者の文章ではなく、山田詠美の小説からの引用なので、これは大変失礼なことと思われ、重版の際には是非とも訂正してください。