
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
おらおらでひとりいぐも Kindle版
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2017/11/17
- ファイルサイズ1173 KB
- 販売:
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
Amazon 新生活SALE (Final) を今すぐチェック
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
商品の説明
メディア掲載レビューほか
幸せな狂気
〈あいやぁ、おらの頭このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが〉
昨年度の文藝賞を受賞した若竹千佐子の『おらおらでひとりいぐも』は、主人公桃子さん74歳の、内面から勝手に湧きあがってくる東北弁の声ではじまる。
24歳の秋、桃子さんは東京五輪のファンファーレに背中を押されるように故郷を離れ、身ひとつで上京。それから住みこみで働き、美男と出会って結婚し、彼の理想の女となるべく努め、都市近郊の住宅地で2児を産んで育て、15年前に夫に先立たれた。ひとり残された桃子さん、息子と娘とは疎遠だが、地球46億年の歴史に関するノートを作っては読み、万事に問いを立てて意味を探求するうちに、自身の内側に性別も年齢も不詳の大勢の声を聞くようになった。それらの声は桃子さんに賛否の主張をするだけでなく、時にジャズセッションよろしく議論までする始末。どれどれと桃子さんが内面を眺めてみれば、最古層から聞こえてくるのは捨てた故郷の方言だった。
桃子さんの人生は戦後の日本女性の典型かもしれないが、他人が思うほど悪いものではない。最愛の夫を喪ったときに根底から生き方を変え、世間の規範など気にせず、〈おらはおらに従う〉ようになったのだ。話し相手は生者とは限らない。そんな〈幸せな狂気〉を抱えて桃子さんは孤独と生き、未知の世界へひとりで行こうとしている。
日々を重ねなければ得られない感情には、〈悲しみがこさえる喜び〉もあるのだ。63歳の新人作家は三人称と一人称が渾然一体となった語りを駆使し、その実際を鮮やかに描いてみせた。お見事!
評者:長薗安浩
(週刊朝日 掲載)著者について
岩手大学教育学部卒業後は、教員をめざして県内で臨時採用教員として働きながら教員採用試験を受け続けるが、毎年ことごとく失敗。目の前が真っ暗になるほど落ち込むなかで夫と出会い、結婚。30歳で上京し、息子と娘の二児に恵まれる。都心近郊の住宅地に住みながら子育てをする。この時は、妻として夫を支えることが人生の第一義だと考えていた。その傍ら深沢七郎、石牟礼道子、河合隼雄、上野千鶴子らの本が好きで読んでいた。
55歳の時、夫が脳梗塞で死去。あまりにも突然の死に悲しみに暮れ、自宅に籠る日々を送っていると、息子から「どこにいても寂しいんだから、外に出ろ」と小説講座を進められ、講座に通いはじめる。それまでも小説を書きたいと思っていたが書くべきことが見つからず、完成したことはなかった。8年の時を経て本作を執筆し、第54回文藝賞を受賞。
著者について

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
人間は色々なものを背負いながら老いて死にゆくが、心は純粋な子供時代を基に形作られる。
桃子さんがそうであったように、孫娘もいつの日か桃子さんと一緒に過ごした、優しさに溢れる懐かしい思い出を振り返るときが来るのだろう。
宮沢賢治、妹が亡くなった朝の詩のひと節
子供の頃、童話の様な世界と不思議な言葉遣いに魅了された
その言葉と年齢を経た主人公というテーマにも興味を覚えた
東北弁の独言は苦手だ
知らない人間にはそんなに簡単ではない
まずザワっとする
少し慣れた頃には
親しい人を失った狂おしいまでの痛み
どこかでホッとしている自分の狂気
子供より自分が大切だったことを認める自己認知
老いることは新しいことの発見でもあるという発見
いくつも共感できるテーマが文中に浮かんでくる
でも浮かんだと思うとあっという間に消える
こちらに考えさせるいとまもない
しかも、ラストには孫が登場。爽やかな風すら感じさせる。これは救いなのか
残念だ
何か中途半端
でも、馴染みのある九州弁だったらまた違ったのだろうな
久しぶりに図書館で借りればよかったー。
ああ、おかね払っちゃった。って思ってしまいました。
方言で語られる冒頭はインパクトがある。癖がありすぎて、挫折しそうになった。でも徐々にこの語り口がなじんでくる。方言で懸命に語るおばあさんの姿が浮かんでくる。一生懸命、人生の悲しみや喜びを語る。いずれ年老いていく自分自身のことも、考えずにはいられない。このおばあさんのように生きられるのだろうか。このおばあさんのように生きたい。いろんな思いを抱きながら、そして自分の年老いた両親を思い出しながら読んだ。この方言だから、この物語は味わいがあって、素晴らしいのだと、最後までたどり着いて思った。また読み返したいと思う。
映画ややファンタジックに仕上がっていたが主演の田中裕子さんを始め、若き日の主人公を演じた蒼井優さん等、キャスティングが素晴らしく、派手さはないが静かな感動作に仕上がっていた。
今ならアマプラの見放題対象となっているので興味のある方には是非お薦めしたい。
本作も素晴らしかった。ほぼ東北弁で書かれていて、映像の助けもないが、心と頭に不思議と染み込んでいく。
これをよく映像化したものと感心。映画では主人公桃子の日常にスポットが当たっていたが、本作でも舞台はそうなのだが、桃子と時間の関係というか、より大きな時間の中で生きる彼女の姿が印象的だった。
思い出すのは「失われた時を求めて」。現代小説の古典というべき名著であるが、過去の考察を続ける主人公「わたし」よりも、桃子の時間の観念の方が先を行っている感じがした。
今現在を《舞台》とすると、過去をつなぐのは《迫(せり)》である。
「失われた時…」では主人公はこの迫に乗って《奈落(舞台下)=過去》へ降りていく。
一方、桃子の場合は迫が奈落から過去を載せて上がってくる。つまり今のステージ上に過去が混在することになる。
さらに桃子の舞台には吊物装置が付いていて《天井=未来》からも少し先の桃子がやってくる。おしゃべりな過去の桃子に対し、未来の桃子は寡黙。今の桃子と言葉を交わすことはない。
桃子の時間は大昔マンモスがいた頃から亡き夫がいるあの世にも繋がっている。
“失われた時を求めて”ばかりの「わたし」比べて、過去と未来とともに生きる桃子は自由である。