エロ事師たちと並んだ野坂昭如の名作です。昭和20年代産まれには大変懐かしい筆使いです。
個人的にはエロ事師たちの方が好みですが、この作品も、葬儀にかける不思議な執念がよく描かれています。
この本のずっと後に「おくりびと」の映画が出ましたが、考えようによってはその源泉を表現した作品とも言えるように思います。
野坂作品がお好きな人にも、まだ読んだことのない人にもお勧めです。
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とむらい師たち (講談社文庫) Kindle版
人間、産むことはやめても、死ぬことはやめられぬ。死顔がもっている威厳と迫力に魅せられて、葬儀産業に着手――万国博に対抗して葬博の実現に賭けるガンめん、葬儀のレジャー産業化に狂奔する葬儀演出家・ジャッカンたちの、奇行愚行の笑いと哀しみ。表題作「とむらい師たち」ほか、異色快作4篇を収録。
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1973/3/15
- ファイルサイズ3123 KB
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登録情報
- ASIN : B07NNXDXXS
- 出版社 : 講談社 (1973/3/15)
- 発売日 : 1973/3/15
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 3123 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 217ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 356,260位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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2022年10月7日に日本でレビュー済み
この時点で、いや現在ではなおさらのこと!“死”というものをこういう形で取り扱った小説はない、といっていいと思う。他国ではいざ知らず、この日本国において“死”は日常から遠ざけられ、とうとう隔離されてしまった。“死”はおそらく葬儀屋たちに丸ごと一任されている。つまり、“死”はその本人のものでもなければ、家族や近親者のものでもない。“死”は専門家のものなのだ。専門家とは何か?“死”を商売にする者たちのことだ。生老病死―それぞれに専門家が居て、生命保険会社や老人ホームや病院やらが担当を受け持っているのと同じように、“死”の専門家として葬儀屋が存在する。彼らは穢れを忌み嫌う日本人から、そのすべてを委ねられたのだ。そこにスポットを当てたことがまず特筆すべきだが、それは伊丹十三が「お葬式」に蘊蓄を傾けエンタテインした程度とはわけが違う。主人公の出自は“隠亡”だ。隠亡とは何か、よりも先に、まずこの字面がスゴイ。亡き者を隠す、だもの。そもそもこの“隠亡”は“御坊”と書いた。死にまつわる仕事は下級僧侶の仕事だったのだ。つまり、修行である。それがいつの間にか水飲百姓以下の穢多や非人の仕事となっていったようだ。これと今の葬儀屋に直接のつながりはないが、“死”をブラックボックスにして隠しているという点では同じだろう。その葬儀屋をなぜ“とむらい師たち”と言い換えているのか。“弔い”とは「人の死を悲しみ、遺族を慰めること」である。儀式でしかない“葬儀”を本来に還してやることを意図したのではないだろうか。もっと言えば日常の裏でひっそりと行われていたものを表に押し出すこと。“死”と対峙するメメント・モリ(死を思え)こそがひとつのテーマであろう。かつて藤原新也が出した写真集も同じ意図だった。しかし、それをこれほどバカバカしいまでにけたたましくおちょくっとんのかいな!というくらいえげつのう描いたことに実はこの作品の真骨頂があると思われる。