『しあわせ仮説』(ジョナサン・ハイト著、新曜社)を読む。
「しあわせ」とは何かについて社会心理学者の著者がポジティブ心理学の立場から考察した本。ポジティブ心理学というのは、人間の長所に重点をおいた心理学で個人の病理より長所をのばす方法論に関心をもつ心理学の分野である。著者は人間の自己はさまざまな分裂をかかえたものであるとし、それを”象と象使い”のたとえで説明する。無意識的で自動的な進化的には古いシステム(象)を言語を使い合理的に思考するシステム(象使い)が制御するというより助言を与えるようにできているという。ヒュームのいうように「理性は情緒の奴隷にすぎず、そうであるべきであり、情緒に奉仕し、服従する以外の役目を望むことはできない」ようなものに近いという。問題は象使いは象を変えることができるかとうところだが、著者はその方法として認知療法や瞑想の有効性を指摘している。しかし遺伝的に規定されている点(著者はこれを「大脳皮質くじ」と呼び、幸運にもいいくじに恵まれている人もいればはずれている人もいるという)もあり、不運な人にとっては薬物療法もその選択肢だと述べており、方法論的にはかなり寛容である。この後象の性質(返報性に反応しやすいこと、偽善的であり象使いはそれに奉仕すること)などが紹介される。この中で「私たちは、暴力や残虐行為を「純粋悪の神話」と彼(バウマイスター)が呼んでいるものを通じて理解したいという根深い欲求」(自己奉仕バイアス)があることは社会と自分の関係を客観的にみる場合に役立つだろう。後半ではそうした象と象使いが住む私たちはどのようにすれば人生においてしあわせであることができるのかが考察される。著者によれば幸福の水準(H)とは生物学的な設定点(S)と生活条件(C)と自発的活動(V)によって規定されるという。どの要素に重点をおくかは立場によってことなってくる。ここでは自発的活動について「フロー」が充足感をもたらすことを述べている。続く章では、人生における絆(愛)、人生で遭遇する逆境、徳の意味についての考察が続く。愛の考察では情熱愛と友愛の2種類の愛の特性と違いが述べられ、たいへん興味深く読んだ。逆境についても時と場合によっては有効な点があり、人生の知恵には明示的なものと暗黙的なものがあり後者は自分で獲得していかなければならないことが語られる。徳については、この心理学の特徴らしくアリストテレス的なアレテーの重要性を指摘している。最後には神聖性が人生においてもつ意味が著者の経験も交えて語られる。
進化論的な知見の援用が成功しているかはさておき、生物学や哲学に偏りすぎた人間観におちいらず現実的で有用な人間論だと感じた。

しあわせ仮説

しあわせ仮説