『音楽嗜好症』(オリヴァー・サックス著、早川書房)を読む。
『妻と帽子をまちがえた男』など数々の著書で知られる著者が、人間と音楽の関係を神経内科学的立場から描いた本。コンピューターは人間の脳に喩えられることがあるけれど、一部が故障したときに、妙なる音楽がずっと鳴り響くようなことは決してない。しかし人間は脳損傷の具合によっては、楽曲が天から降ってくるようなことがあったり、無性に音楽への嗜好が高まったりする。拍子をとるような行為も深く人間性に根ざしているようで、人間はテンポとリズムについて非常に正確な記憶をもっているようだ。認知症は進行しても音楽についての認知機能は必ずしも低下しないことや、ウィリアムズ症候群のように“精神遅滞”があるとされている疾患でも音楽については人並み以上の能力をもつ(つまり音楽については普通の人が“精神遅滞”である)こと、絶対音感共感覚の不思議など読めば読むほど人間と音楽の神秘的な関係に驚かされる。さまざまな音楽についての病理の見本帳(音楽誘発性癲癇や音楽幻聴、蝸牛失音楽症などなど)のような点もあるのだが、著者はそれぞれの患者に冷静かつあたたかい眼差しを注いでいるので、読んでいて悲壮な感じは受けない。しかし本書を読むと他人は自分と同じように音楽を聴いているのだろうかという一抹の不安は感じる(たぶん同じではないだろう)。