鈴麻呂日記

2016-01-03

2016年01月03日のつぶやき

本には書かれるに相応しい「時」がある:読書録「ギリシア人の物語機

ギリシア人の物語機〔閏臉のはじまり

著者:塩野七生

出版:新潮社

ギリシア人の物語I 民主政のはじまり

ギリシア人の物語I 民主政のはじまり


ローマ人の物語」の塩野氏による新シリーズ。3巻予定で、例によって年末に1巻ずつ発売となるようです。

ローマ人の物語」は最後の2巻が未読、「ローマ亡き後の地中海世界」「十字軍物語」もスルーしてて、「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」は興味深く読ませていただきました…ってのが最近の塩野作品との関わりなんですが(エッセイは割と読んでるかな?)、このシリーズを読む気になったのは、やっぱり「民主主義」ってことを考えるようになったからでしょうかね?


<民主政とその政体下でのリーダーたちの能力の有り無しは、一介の私人にとっても重要な問題だ。個人の努力で解決が可能な問題と、国家が乗り出してこないと解決できない問題のちがいは、厳として存在する。それで私が選んだのが、古代のギリシアに、それもとくにアテネに戻ってみることであった。何と言おうが、彼らこそが民主政治の創始者であったのだから。>


塩野氏としては、一時期はメディアで「民主主義とは何か」「そこでのリーダーとは」ってことを識者たちと論じはしたものの、<騒々しく論争しても有効な対案には少しも結びついていない>ことに嫌気がさして、「そもそも」に立ち返り、制度を「創り」「運営した」原点を確認したかった…ってことのようです。

この問題意識こそが「現代的」であり、僕の興味にも触れたところなんでしょう。ま、「本」特に「歴史書」には、それが書かれるには書かれるだけの「理由」と「時」があることなんじゃないか、と。


塩野作品の場合、何よりも「人」が描かれます。

本書にも魅力的な人物が次々出てきますが、メインは「テミストクレス」ですかね。

「ソロン」が土台を作り、「クレイステネス」が整備したアテネの「民主政」を、ペルシア帝国からの危機の中で如何に「テミストクレス」が運営していくのか?

これがまあ、メインテーマではないかと。

映画「300」の題材になった「テルモビュレーの戦い」もある「ペルシア戦役」はドラマチックであり、ヒロイックであるとともに、人間ドラマにも満ち溢れています。

戦役後の英雄たちの「その後」には、

「こういうことって繰り返されるんだよなぁ…」

って哀感すら感じます。


制度は「使う」ものであり、「使われるもの」ではない。

塩野氏の主張は一貫しています。

「歴史」から得たその視線を、どう「現代」に持つのか?(塩野氏が安倍政権を信任しているのはこのスタンスからでしょう)

これが中々難しかったりもするんですよねぇ。


<人間とは、偉大なことでもやれる一方で、どうしようもない愚かなこともやってしまう生き物なのである。

このやっかいな生き物である人間を、理性に目覚めさせようとして生まれたのが「哲学」だ。

反対に、人間の賢さも愚かさもひっくるめて、そのすべてを書いていくのが「歴史」である。

この二つが、ギリシア人の創造になったのも、偶然ではないのであった。>


「哲学」と「歴史」。

それは今もまた必要とされているものなんでしょう。

「生き物」としての人間はギリシアの時代からさほど変わっていないようですから…。

年末がまた楽しみ・・・だけど、他の読み残しもボチボチ読んでいこうかなぁ。

クレイジーやなぁ…:映画評「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」

ついにジョージ・ミラー自らメガホンを取ってのシリーズ最新作。

まさか本当に作られるとはw。


f:id:aso4045:20160103094842j:image

「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」


でも正直言うと僕はあんまりこのシリーズ、好きじゃないんですよね。三作全部見てますが、一作目はまあ何とかって感じですが、二作目・三作目は「う〜ん…」って印象。観てる間はそれなりに楽しめますし、「北斗の拳」の元ネタになるくらいのwインパクトの強さは分かるんですが…。


なんで、最新作が公開され、随分と一部では盛り上がってるし、評価されてるのも知ってたんですが、劇場公開はスルーしてしまいました。

しかしまあ2015年を代表する作品になるのは確かなようなので、年末年始の帰省にあわせてレンタルDLし、サンダーバードの中で視聴した次第。


でも結局印象は変わらなかったなぁ〜w。

技術が上がってることもあって、世界観を描く映像的な部分では格段に凄くなってるのは分かりますし、アクションの迫力も大したものです。描写は少ないながらも、登場人物たちの「心情」も深く描かれているように思います。

でもなぁ…。


結局、この「世界観」に乗れるかどうか、でしょうか?

シリーズ全体に対する乗り切れなさはそういうことなのかも。こういうのが「大好き」って人がいることも分かるんですけどね。

(あと本作については「敵役」である「イモータン・ジョー」があまりにも呆気なくやられちゃうところが「?」。風貌のオドロオドロしさに相応しい「何か」を見せて欲しかったです)


ちなみに今回メル・ギブソンからトム・ハーディにマックスが交代してますが、これは「正解」。

メル・ギブソンにある「華」はトム・ハーディには見られませんが(失礼w)、それがこの世界観にはマッチしていると思います。

「アッシには関わり合いのねぇことでござんす」

とか言いながら、どっぷり関わっちゃうあたりw。


(ここのところ、「スター・ウォーズ」「ロッキー」と、立て続けに70年代80年代シリーズものの最新作を見ましたが、その元々のシリーズにあまり「思い入れ」がない自分に改めて気付かされています。

「ヒネクレもん」だったんですかねw)

う〜ん乗り切れない:読書録「報復」

・報復

著者:ドン・ウィンズロウ 訳:青木創、国弘貴美代

出版:角川文庫Kindle版


「ストリート・キッズ」シリーズ、「犬の力」のドン・ウィンズロウの新作。

と言っても、読んだことがあるのは「ストリート・キッズ」くらいでしょうかw。

リアル書店で2作同時発売されるのを見かけて(もう一作は「失踪」)、

「年末年始、たまにはこういうのでも」

と思ってDLしました。


911以降にアメリカ本土で実施された飛行機爆破テロ(もちろん「フィクション」)で家族を失った元・デルタフォース隊員が、傭兵部隊の力を借りて「報復」する…というストーリー。

現代的といえば現代的な背景をベースに、「ナバロンの要塞」や「鷲は舞い降りた」的な本格冒険小説を思わせる骨太の展開が繰り広げられます。

直接的な情感や長々とした描写を排しつつ、短い単語や専門用語、言葉の畳み掛けの中からドライブ感とハードボイルド的情感を醸し出してくるってのは作者のスタイルでしょうか?

読んでて、「力」のある作者なのは良くわかります。


が、個人的には最後まで乗り切れませんでした。

このテーマを扱うに当たって、「敵」となるテロリストを、「思想的狂信者」「世界情勢の被害者」といった人物とせず、「テロ」を「ビジネス」として扱う人物にしたあたりは、物語を「復讐譚」とするために必要な設定だったんでしょうが(またそういう側面が今のテロリズムに出てきているという認識もあるのでしょう)、結局それが作品を薄っぺらなものにしてしまっているように感じます。

主人公の心情、そこから「行動」に至るまでの流れ、周りの人物の描写等々、よく書き込まれているなと思いましたし、胸が痛くなるようなシーンも多々あるんですが、だからこそ「敵」のサイドの「ストーリー」にも「厚み」が欲しかった。登場人物たちが持つ「背景」や「過去」「心情」のせめぎ合いの中から生まれる「やり切れなさ」…「テロリズム」を描くにはこの視点が必要なんじゃないかな、と。

アドルフに告ぐ」の手塚治虫はヤッパすごかったなぁ、という話w。

(作者も多分分かってて、様々な背景と過去を持つ傭兵たちの関係性や物語の中にはそういう要素が持ち込まれています)


まあ確かにそんな構成にしたら、ラストは「ハッピーエンド」じゃ済まないし、エンタメ小説として「どう?」ってのも分かります。

でもかつての名作冒険小説にはそういうところありましたよね。

本作が骨太な展開でそれらを目指していると思えるだけに、「惜しいな」と。

今の時代に「冒険小説」を成立させることの難しさを感じさせる話ってことかもしれませんな。