アラシノさん。

嵐が今夜もやってくる。なぜかというと、アラシノさんが呼んだからだ。まわりのみんなは、そのことをよく知っている。

アラシノさんは、このあたりではよく知られている。近所に長く住んでいるし、ここいらでは「ちょっとした」存在だ。眼光は他の誰よりも鋭く、体も態度も大きい。アラシノさんに逆らうと、ここいらに住むのは、ちょっと難しくなる。その腕っ節や存在感もそうだが、何より、アラシノさんは、彼の気分で、天気を呼んでしまうからだ。

アラシノさんの機嫌がいいと、間違いなく天気は、晴れになる。ある冬なんて、あまりにご機嫌すぎて、そのおかげで雪が降らず暖冬になり、冬季オリンピックの開催が危ぶまれた。またある6月にもいいことが続き(ガールフレンドができたのが、そのもっとも大きな理由なわけだが)その年は空梅雨になり、世界は水不足にあえぐことになった。

そしてアラシノさんの機嫌が損なわれると、嵐がやってくる。時々は、ひょうがふったり、あられがふったりする。だけど、いちばん機嫌が悪いと、嵐が訪れる。ひと夏に、5個も6個も嵐を呼んだこともある。おかげでたくさんの子供が、雨と嵐だらけの夏休みに、涙を流すことになった。

だから、アラシノさんのまわりのみんなは、アラシノさんのことを、まるで腫れものをさわるかのように扱う。何せ、機嫌を損なうと、自分の暮らしに影響してしまう。いつしか、誰も、アラシノさんに本音を語らなくなってしまった。

アラシノさんも、そのことは薄々かんづいていたが、何も言わなかった。だって、それはしようのないことなのだ、とアラシノさんは思った。ガールフレンドも、アラシノさんのもとを去って行った。去って行ったあとは、10日間、雨が続いた。終わる予感のない、しんしんとした静かな雨だった。

「あなたといるとね」と彼女は言った。「息苦しくなるの。あなたを傷つけるわけにはいかないじゃない? けどね、一方で、傷つけずにはいられなくなるときがあるのよ」アラシノさんは、黙って彼女からの別れを受け入れた。それは、アラシノさんが、アラシノさんである以上、しようのないことなのだ。こうして、毎年、嵐は町にやってくる。

今日も嵐がやってくる。季節外れの嵐だ。今年はアラシノさんの体調も不安定で、おかげで気候も不安定だった。春の到来は遅く、変な時期に雪も降った。しかし、これもまた、アラシノさんにはどうしようもないことだった。雪を降らしてしまうから雪は降るし、雨が降ってしまうから降ってしまう。本当は、アラシノさんだって、春の到来を祝いたかった。しかし、どうしようもなく、アラシノさんは嵐を呼んでしまったのだ。

嵐に備えて、みんなは移動を始めていた。みんな、口では何も言わなかったけど、アラシノさんに疎ましげな視線を送った。しかし、とアラシノさんは思う。これはしようのないことなのだ。

嵐にいちばんうんざりしているのは、他でもない、アラシノさん自身だった。嵐を呼んでしまう自分の怒りや苦しみや虚無感が、悲しくて仕方なかった。自分は空っぽだ、とアラシノさんは思う。何度も呼んだ嵐は、彼の元から色々なものを押し流していった。もう何も残ってはいない。

しかし生き残るためには、アラシノさんも移動しなければならない。アラシノさんは、イイダさんの部屋に入り込んだ。あら、あーちゃん、どうしたの? とイイダさんは言った。この部屋にやってくるときは、いつもこんな具合だ。イイダさんはとても若くて綺麗で、明らかに自分とは不相応だとアラシノさんは思うが、もう色んな人のところに渡り歩くのも疲れてしまった。

アラシノさんは黙って、ベッドに入った。ほどなくして、嵐が町にやってきた。木造アパートは、強い風と打ちつける雨で、きしみ、揺れ続ける。その音をきいて、アラシノさんは、嵐を呼んだことを後悔した。嵐なんて、二度とやってこなければいいのに、と、嵐の度に思うのだ。どうして、悲しいことを、繰り返してしまうのだろうか。

イイダさんがベッドにやってきた。彼女も、強い嵐におびえているようだった。こわいね、と彼女は独り言を言った。彼女はアラシノさんが嵐を呼んだことを知らない。ベッドに入ると、イイダさんは、アラシノさんのことを、きゅっと抱きしめた。その肩は、小さく震えていた。こわいね、けど、うちにきていれば、だいじょうぶだからね、あーちゃん。

アラシノさんは、ベッドでうたたねしていた。気が付いたら、イイダさんは、ベッドからいなくなっていた。嵐は、いつのまに過ぎ去っているようだ。キッチンの方から光がもれていて、アラシノさんは、ベッドから這い出て、キッチンへと向かった。

気づかれたか、とイイダさんは言った。スーパーが閉まる前にお買いものにいったの、と彼女は言った。そしたら、君の大好きなお刺身が大安売りだったの。最初からこれを狙ってうちにきたんじゃない? 彼女は笑って、まぐろの赤身のかけらを床に落とした。もちろん、次の瞬間にアラシノさんが胃袋におさめる。にゃあ、とアラシノさんが鳴くと、続きは明日ね、今日はもう遅いから、と彼女は笑って言った。ガスレンジの鍋からは、作りたてのみそ汁の香りがした。

静かになった夜に、アラシノさんとイイダさんは丸くなって、寄り添ってベッドで眠った。久々にいい夢がみれそうだ、と、アラシノさんは思った。おまけに、明日の朝ごはんには、美味しいお刺身が待っている。

嵐はもう過ぎた。明日の天気は、快晴だろうね。アラシノさん。

海外出張いってきました&報告ミートアップやります。

この度、アメリカまで3ヵ月の海外出張にいってきました。その報告ミートアップを開催します。

おそらく、企業の出張の報告会を興業にするのは、日本ではじめての試みかと思います。チケットももちろん売ります。イープラスで来週発売です。詳しくは東京カルチャーカルチャーのホームページで告知するので、気になる方はぜひチェック下さい。

http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_120315203883_1.htm

カルチャーカルチャースタッフ河原あず長期海外出張帰還記念イベント開催!
河原あず、アメリカ長期出張帰国報告ミートアップ

2012 04 10 [Tue]
Open 18:30 Start 19:30 End 21:30 (予定)
前売券/¥1,500、当日券/¥2,000 (飲食代別途必要・ビール\600、ソフトドリンク\390など)

ご存知の方はご存知の通り、東京カルチャーカルチャー担当の河原あずが、11月17日より2月29日まで、104日間のアメリカ出張に出かけてきました。

目的は「アメリカのミートアップ/イベントカルチャーの調査」

河原あずはアメリカの100日旅で何を得てきたのか? そもそも広大なアメリカのどこにいってどんな人に会い、どんなイベントを見てきたのか?

この日、104日間を2時間に詰め込んで、プレゼンテーションします。

ミートアップの取材の締めに相応しく、本来はニフティ社内の会議室で実施する出張の報告を、東京カルチャーカルチャーで、ミートアップスタイルで開催します。旅の裏話、アメリカの最先端のイベント事情や、シリコンバレーのビジネス事情などを、時間の許す限りお話します。

Q&Aセッションあり、お仕事の話だけではなくアメリカ珍道中の丸秘エピソードの披露あり、お土産争奪じゃんけん大会ありと、盛りだくさんの120分です。アメリカのイベントカルチャーに興味のある方ならきっと楽しめるはず!? お気軽にご参加下さい。

【出演】河原あず(東京カルチャーカルチャーニフティ株式会社アメリカ長期出張プログラム3期メンバー)、こねこ(ぬいぐるみ/河原あずのソーシャルメディアマスコット)
【司会進行】青木隆夫(ニフティ株式会社/アメリカ長期出張プログラム1期メンバー)

浦和レッズ創設以来初の営業赤字に寄せて〜拝啓・橋本社長。

拝啓、株式会社三菱自動車フットボールクラブ・橋本光夫社長。

92年のJリーグ開幕より、浦和レッズをずっと応援しているものです。この度、どうしても橋本社長、並びに経営陣の皆様にお伝えしたいことがあり、ぶしつけながらお手紙差し上げます。

http://www.urawa-reds.co.jp/tools/page_store/news_6798.html

上記の経営情報開示、拝見いたしました。非常に苦しい経済状況の中、浦和レッズJリーグで随一の売り上げを維持しており、また同時に各種経費の削減にも取り組まれているとのこと。チームを応援するものとして、頭が下がる思いです。

しかし一方で、本日の発表をみると、非常に不可解に思います。発表、もしくは報道では「観客収入減」が主な赤字の原因としてクローズアップされております。しかし昨年度比でみれば、観客収入の減少よりも広告収入の減少幅が大きいものと見受けられます。

昨年度は大口スポンサーの契約の更新年ということもあり、それで広告収入が膨らんだものと発表されました。ではなぜ、2010年度の予算については、広告収入の減少を加味し、「昨年並み-広告収入減少分」の売上を想定し予算をたてられなかったのでしょうか?

私も1企業人ですが、率直に申し上げて、非常に不可解です。予算の立て方が甘く、身の丈にあった売上を想定できず、事業経費をはじき予算だてしたことが、今期の赤字の原因ではないでしょうか?

入場料減少のマイナス2億は、トップチームの経費削減額2億でほとんど吸収できているようにも見えます。はっきり申し上げて、観客収入減少は、今期の赤字の理由にはならないと思います。

なぜこのような執拗なお手紙をしたためているかというと、このような事実を直視せず、「チームが負けてサポーターが来ないから赤字になった」と一見すると解釈できるような本日の説明をみて、多くのサポーターが悲しむだろうと感じたからです。

われわれだって、毎試合、ホームの試合に観に行きたいんです。だけど、年を重ねれば色んな事情もでてきます。毎試合サッカーをみるというのは、それなりにハードなことです。Jリーグも創設20年に近づき、大きくサポーターを取り巻く環境も変化しています。少なくとも、チームが勝てないから客がこない、それだけの単純な話ではありません。

しかしチームは「サポーターが来ないから赤になりました」と堂々と発表する。

まるで、私のようななかなかスタジアムにいきたくてもいけないサポーターが、犯罪者扱いされたような気分です。

年にわずか数回でも、必死になってチームと戦うためにあらゆる用事を繰り上げてでも足を運んだ、あの努力はなんだったのでしょう。

浦和レッズを愛するものとして、お願いです。どうか、もっと客観的に、現在の経営環境をとらえ、そしてあなたがたのお客を見つめ直して下さい。

弱くても、満席になっていた時代もあったではないですか。成績だけが全てではありません。そのことを、まず、しっかりと把握して、きちんと中長期的な事業計画を立て、チームを長期的スパンで育てていただきたいのです。

本日の発表では、非常に悲しい思いになりました。赤字になったことに自体ではないです。その原因を客観的にとらえられず、サポーターとトップチームの戦績に責任転嫁しようとする、その態度に、私は大きな疑問を抱きました。

私だけではありません、多くのサポーターが悲しい思いをしています。

そして、覚えていてください。こういう悲しい思いを繰り返すことで、サポーターは、チームから離れていくのです。

乱文失礼いたしました。経営陣のどなたかにでも、ご笑覧いただければ幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

また、末筆ではありますが、震災の際のチームの対応は高く評価しています。サポーターとして本当に誇らしくなる対応をしていただきました。ありがとうございます。この件については、役員の皆様に素直に御礼申し上げたいです。

浦和レッズの今期の躍進、また、三菱自動車フットボールクラブの、ますますのご発展を、心よりお祈り申し上げます。ぶしつけなお手紙失礼いたしました。ご無礼お許しいただきたく、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

WE ARE REDS...

橋を渡る

 島には、何十人かの人間と、それよりかはずっと多い猫が暮らしていた。Rは集落からはちょっと離れた小高い丘の上に部屋を借りて、静かに暮らしていた。どんな暮らしをしているのか、僕が直接知る術はなかったのだけど、何人かの共通の知人を介して、なんとなく彼女の暮らしぶりを知ることはできた。少なくとも、彼女は独りでそこにいて、月に2回フェリーに乗って、2時間ゆられて本土にたどり着き、半月分の食料と画材と、スーツケースに詰め込めるだけの本を買って島へと帰っていく(おそらく、これは半月では読み切れない量だ、と、友人は僕に説明した。)。食料の中に、猫の食料とおやつを紛れ込ませるのも、欠かさない。若い女性一人が持つには明らかにつらい重量の荷物を抱えながら、彼女は次のフェリー便で、そそくさと島へと帰っていく。おそらくは、その短い買いだしが唯一の、彼女と「社会」との接点だった。

 僕は東北の大学に通っていたので、島の界隈に知人は多かった。彼女は僕の前から姿を消したけども、僕と彼女がかつて属したコミュニティの近くに居を構えることを決めた。それが偶然か、狙ってそうしたのかは分からないけど、彼女には元々「そういう」志向性があったのは確かだ。つまり、決して向こうから寄りつこうとはしないけども、かといって距離を一方的に引き離そうとはしない。直接つながるのではなく、何かを媒介して、誰かと緩やかにつながることを好む。彼女は部室のすみっこで、ずっと本を読んでいて、僕たちは彼女の5メートル脇で馬鹿話に花を咲かせ、そして時々彼女に本を貸したり、酒を渡したりした。彼女は僕たちと接点を持つことを一見嫌っていたけど、そういうコミュニケーションに首を横に振ることは、一度もなかった。本は必ず完読して翌日にきっちりと返してきたし、酒は時間をかけてゆっくり飲みほして、僕らがもう一杯つぎにくるのを待っていた。

 Rが島に住んでいる。僕とRの関係性を知っていた友人から連絡がきたのは1年半くらい前だったけど、すぐにそこに向かう気はおきなかった。たぶん彼女はそんなことを望んでもいないし、僕は僕で新しい生活に慣れるのに精いっぱいな時期だった。時間がたてばたつほど、なんとなく今更動くのもおっくうになり、理由をつけては大学の友人の幾つかの誘いも断っていた。そんな時期だったから、彼女から絵葉書が届いたときには、心からびっくりした。丘の上から無造作に1枚写真をとって、無造作に印刷して、ぶっきらぼうな字で住所と名前だけが書かれていた。住所はえらく簡素なもので、これで本当に届くのかと不思議になるくらいだ。Rらしいな、と思った。日々の生活の1つ1つに無駄が発生しない土地を、彼女は選んだのだ。

 フェリーが岸壁について、ゆっくりと島に降り立つと、まず猫の姿を探した。しかし、猫は一匹もいなかった。間もなく日も暮れようとしていたし、灯りも数えるほどしか点いていなかった。フェリーから降りたのは僕一人で、港には、迎えの人も観光案内の人も、漁師も誰もいなかった。リュックから、絵葉書を取り出して、なんとなくの目星をつけて、僕はゆっくりと島の中心へと歩き始めた。

 狭い村だから、誰か一人つかまえて場所を聞けばすぐに着くだろうと思ったが、薄暗い集落に人の気配はなかった。いや、家の灯りはついていたので、人はいるはずなのだけど、人の気配というものがなかった。人どころか、猫すらも見かけることはなかった。何件か、家をノックしてみた。しかし、返事はない。控えめながら灯りが部屋を灯しているのに。しかし、人影らしきものは、窓からは確認できなかった。あるいは近くで集会でもしているのかもしれないと思ったが、そんな設備はどこにも見つけることはできなかった。集落はそれ以上そぎ落とすことができないくらいにシンプルなものだった。閉まっている郵便局が1つあり、色あせた郵便ポストが無造作に置かれていた。ポストの脇をみると、集配時間のメモに時間は全く書いていなかった。数少ない街灯が鈍い光を発している。ため息をついて、ポストの脇に腰かけた。リュックにいれていたマフラーを取り出して首に巻いた。

 何枚かの絵葉書を持って、Rはそこにやってきた。いつのまに目を閉じてリュックに寄りかかり眠っていた僕の頬を、彼女は遠慮なく平手ではたいた。朦朧とした意識の中で彼女を確認する。彼女は「ああ。」と短く言った。「おはよう。」と試しに言ってみた。「おはよう。」と彼女は答えた。きちんと返事が返ってきたところをみると、彼女の機嫌はどうやら悪くないようだ。僕の存在などおかまいなしにポストに絵葉書を放り込む彼女をみて、僕は安心した。

 集落から森を抜けて15分ほど歩くと、彼女の住む小屋があった。誰がどんな目的で建てたのかは分からないけど、とにかく年季の入った、頑丈そうな小屋だ。そんな僕の考えを見透かしたのか、彼女は短く「別荘だよ。」と言った。「誰の?」と返すと、彼女は短く頷いた。誰か資産家の別荘だったのか、或いは彼女の親戚の別荘だったのか、もしくは今の彼女にとっての「別荘」なのかは分からなかったけど、彼女が別荘だといえば、そこは別荘なのだろう。この家の出自についての問いかけに関心をすっかりなくしたRは、やかんでお湯を沸かし始めた。

 灯りをつけてないのだけど、ガスの灯でぼんやりと部屋全体が照らされた。窓からは月明かりが入り込んでいて、謙虚に部屋の中を照らしていた。そこには無数のカンバスがあり、無造作に放ってあった。たぶん、彼女に聞くと、「放ってない。片してあるよ。」と言うのだろう。部屋の散らかり具合からすると、僕の人生のトップ3に入る部屋の乱雑さだった。ちなみに第1位は、大学時代にはじめて足を踏み入れたときの、彼女の部屋だ。その乱雑さに、僕はひそかに安心した。彼女は元気にやっているようだ。

 1枚の絵が目に入った。ひときわ大きなカンバスに描かれていたからだ。しかしそれだけではなく、妙に引き込まれるものがある絵だった。満月の夜の海を描いた絵だ。豪胆なタッチで描かれた油彩画は、決して控えめとはいえない自己主張を持っていった。どちらかというと謙虚さを売りとする彼女の画風からすれば、それは明らかに異色だった。しかし、細かい手癖をみると、間違いなく彼女の手によって描かれたものだった。

 真四角のカンバスに浮かぶ丸い大きな月。あらぶる海にまっすぐ、光を落としている。光は波によって散らされ、揺らめきながらもカンバスの端まで続いている。何重にも分厚い絵の具に重ねられた海に浮かぶ一本の光。そこには決然とした意思があり、迷いはなく、優しさの欠片もなかった。

 明けてあった窓から、1つの塊が落ちてきた。にゃあ、と短く鳴いたところで、それが猫だと分かった。猫は僕を一瞥すると、何の関心もなく、小屋を突っ切り、向かいの窓へと向かい、外へと出て行った。すると、それを合図にするかのように、何匹かの猫が、やはり同じ窓から落ちてきて、僕を一瞥し、髭を揺らしながら悠然と向かいの窓に向かい、そしてその窓から外へと飛び出していった。彼らは、特に何をするわけでもなく、しかし何かを確かめるようなそぶりで、静かに、しかし堂々と小屋を横切って行った。向かいの窓を覗いてみると、猫はすっかり姿を消していた。辺りの視界は開けているから、生き物がいる気配が全くないのは解せなかった。猫たちは何処からきて、何処へ向かうのだろう?

 Rが暖かいお茶を持ってきた。Rは僕の隣にちょこんと座り、じっと僕の目の前にある、大きな月夜の絵を見つめた。ササキさん、と彼女は言った。彼女にこう呼ばれるのは、一体何年ぶりのことだろう?Rはあの頃と同じように、僕に寄り添い、白い息を吐き出して、ただ静かにまっすぐ、彼女の正面を見つめていた。あの頃と違うのは、視界の先に、絵があることだ。

 「月のハシ」と彼女は言った。月の端っこのことからと思ってじっと絵の月をみつめてみたが、どうやらそれは見当違いだったようだ。彼女は海の上に浮かぶ光の筋を指でなぞった。ああ、月の橋。と僕は言った。彼女は頷いた。そう言われると、海の上のまっすぐな月光は、海を渡した一本の橋のように見えた。

 「ササキさんは、猫がどこからきて、どこに行くんだって思う?」彼女は言った。まるで僕の考えを見透かしたように。分からない、と僕は言った。小屋の周りには、生命の気配はすっかり消え果てていた。風が強く吹き、その度に小屋を音を立てて通過した。それなりに寒かったが、Rは全く意に介していなかった。風が吹く度、通りたければ通れ、とでも言いたげな目で、じっと風の吹く方を見つめた。

 「猫は、橋を渡るの。」と彼女は言った。月の橋を、猫は渡る。猫は、その時を待っているの。猫にとって、この島は、通過するためのものでしかないんだよ。何処からきたのかもわからないし、何処にいくかも分からない。けど、橋を渡ることは決まっているの。彼女はゆっくりと、小さく、しかし明瞭な声で僕に囁いた。

 彼女は続ける。「海と月が、橋を作るんだよ。海がぶわっと持ち上がって、いつか私たちを包み込む。そのとき、橋は、私たちの行くさきへとつながるんだ。光と波が、橋を作るんだよ。私は、それをつなげることはできない。だから、彼らは、私の前をずーっと通り過ぎるだけなの。私にできるのは、それをヒョウショウすることくらい。」ヒョウショウと言うRの不格好な発音に、僕は「表象」という漢字をそっと脳内であてた。「彼らはこの島で、ずっとそれを待っている。私は、待っている猫たちにご飯をあげる。猫はそれを当り前だという風に受け取って、何も言わずに食べて、私をちらっと見ただけで、遠くに去っていくんだ。」

 それだけ言うと、彼女はちちちと舌を鳴らした。何処からあらわれたのだろう。窓には、一匹の猫が目を光らせていた。すとんと降りて、猫は僕の隣にいる彼女の元へと向かった。僕と、彼女と、猫がいる、小さな小屋。僕らは、じっと目の前の絵を見つめている。

 「私も一緒にいっていいかなあ?」と彼女は訊いた。なんと答えていいかは正直分からなかったけど、僕は「いいんじゃないかな。」とシンプルに答える。彼女はシンプルな答えを求める性分なのだ。彼女は唐突に、僕の手をつないだ。猫は、いつのまに僕らの視界から消えていた。彼女が僕の手を触れるのは、確か2度目だった。彼女は窓の方へと歩き出し、僕はひきずられるように手をつながれたまま同じ方向へと向かう。彼女は手を離すと、すたん、と胸くらいの高さの窓の枠に上り、そして外に飛び降りた。僕は、半身を乗り出して、外を観た。丘の向こうには、真黒な海が広がっていて、Rの書いた絵よりはもっともっと高くに、月が昇っている。月はまん丸と僕らを照らしていた。

 Rが手招きをする。何匹かの猫が、彼女の近くにやってきた。一体彼らは、どこに潜んでいたんだろう?僕は窓から半身乗り出したまま、そこから動くことはできなかった。「ササキさんは、猫がどこからきて、どこに行くんだって思う?」さっきのRの問いが、頭の中で響き渡った。Rと猫は、何かに魅入られたように、じっと海を見つめている。

 「ササキさん、待っててよ。すぐ、そこに戻るからね」

 Rは後ろに振り返り、小屋の窓にもたれかかる僕にそう言った。海はあくまで静かで、月はあくまで真ん丸だった。僕はと言えば、もう一歩もそこから動くことができなかった。それだけ、あのとき見た光景は、美しすぎたのだ。僕が介在する余地が、まるで欠片もないくらいに。

 丘の下で集落の灯りが見えた。風が島を通り抜ける音を僕は聞いた。窓枠に腰かけた僕は、身動きひとつとれず、猫に囲まれて手招くRの姿を、じっと、じっと見つめていた。

気がつけば三十路。2011年。

MacBook Air 11インチ欲しい!

どうやらキャンペーンらしいですね。

あけましておめでとうございます。すっかり更新滞ってますがわたしは元気です。相変わらず東京カルチャーカルチャーでちまちまやってます。近況はツイッターFacebookをご覧いただければと。

まとまった文章書きたいときはまた更新させようと思います。よしなに。今年もよろしくお願いします。

あけましておめでとうすら言ってないけど。

まあ近況報告です。相変わらず東京カルチャーカルチャーにてイベントの裏方をやっておりまして、色々とてんやわんやってます。2月はほぼ全部のイベントに諸事情でアテンドすることになり、週末は本当にしんどかった。その上、代休予定が打ち合わせでつぶれること3回。それでもそれなりに楽しくやっております。はい。

http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_090225201886_1.htm

Web2.0中の人ナイトというイベントを3/29にやります。要は若手エンジニアのショートプレゼン+パネルディスカッションという内容ですが、国内最大級SNSmixiGree、日本最大の料理サイト「Cookpad」のエンジニアの出演がほぼ決定しております。また、誰がきいても知っているあの会社やあの会社のエンジニアも出演の見込み……と、ニフティのライブハウスなのになんだかすごいことになりつつあります(笑)。

イベントの仕切りは、mixiの若手エンジニアを中心とする「日本野望の会」。その名の通り、打ち合わせのときの目がぎらぎらしてて前のめりで、面白くなりそうだなという予感に満ち満ちてます。イープラスでチケット買えますので、是非遊びに来て下さい。なんか久々にニフティらしい仕事というか(笑)。準備からわくわくしてますよ。
(イープラス購入ページ)http://eplus.jp/sys/T1U89P0101P006001P0050001P002027593P0030001P0006

黒沢健一さんのインタビューやりました。東京カルチャーカルチャーのサイトで読めます。
http://tcc.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/vol1-2aa2.html

黒沢健一といえば、L⇔Rのヴォーカルで、僕がここまで音楽好きでいられたのも彼の影響といっても過言ではないくらいのミュージシャンです。(高校1年のとき、Let me Roll it!収録の「DAYS」に無性に心撃たれたのが、Jポップヘビーリスナーになったきっかけだったです。はい。)

健一さんがカルカルで12/27にライブをやった縁で、今回、7年ぶりに発売された新譜「Focus」のプロモーションも絡めて、インタビュー取材することになりました。自分的には、10月にやった石田ショーキチ、原朋信(っシュガーフィールズ)インタビューに続き、ルーツ探訪企画第3弾とあいなりました。

自分で言うのもなんですが、反響がいいです。健一さんのインタビューは案外まとまったものが(特にネットでは)少ないし、7年ぶりの新譜リリースというシチュエーションも手伝って、健一さんファンの前のめりっぷりがすごい(笑)。健一さんファン以外が読んでもそれなりのものが通ずるように、丁寧に、優しく、だけど深くつくってるつもりです。ぜひご一読下さい。40代の音楽好きの方には特におすすめです。

このインタビュー、ライブレポートとセットになってます(一応、ライブハウスなので)。写真ひっしに撮ったので、こちらで臨場感を味わっていただければ幸い。

それと、近々、2/11に盛況ののち終了した「ハガキ職人ナイト5」と、1月の藤田俊哉さんトークショーのライブレポートもあげる予定です。藤田さんはJリーグの開幕に間に合わすつもりが、ここまで引っ張ってしまった。どうにかせねば。

他にも、裏では色々と動いているのですが、対外的なお仕事というとこんなところです。ああ、プライベートについては推して知ってください。はい。

2008年総括。

毎年恒例、ということで、2008年の振り返りをば。

【1月】電子ピアノ買い換え。ヴィン★プラネット(http://moocs.nifty.com/special/vinvin/)をオープン。
W-ZERO3[es]のメーラが壊れる。Ad[es]に移行。花園神社初詣で大吉。2年連続。AAAがキッズにダンスを教えるコーナースタートhttp://moocs.nifty.com/special/school/aaa/index.htmあずぴあライブ「僕らが歌をうたう理由」。シンスケ横山氏と会社で話すようになる。イージューライダーのような人だとか、北海道の六月の風のような人だとか評される。

【2月】エレカシの宮本のインタビュー取材同行。恵比寿リキッドで石田ショーキチライブ。浅田小学校取材記事公開。この仕事、実はとても気に入ってる。http://moocs.nifty.com/partner/asada-mc/  2/17信長貴富祭りのステージに。乗れたのが奇跡的だったと思う。soulitレコ初ワンマン。CDのスペシャルサンクスに「as」の文字。29日、ムークスリニューアル。SNSもオープン。そして今はもうWEBにはでてないほぼ日のさんまインタビューで憑き物がとれたような気持ちになったのでした。「クワーッ」

【3月】青山の土曜学校(編集・ライター養成講座)に申し込む。3/9あずぴあライブ「歌種夜(うたたねないと)」 J開幕。レッズ戦を横浜にみにいく。がっかり。オジェック監督解任。その後のごたごたは周知の通り。はあ。一眼レフデジカメ購入。ほぼ日「はたらきたい。」が名著。中目黒にて「SNSの未来を考える飲み」。FM局員+某SNS社員と。シュガーフィールズ独演会。坂口安吾朗読に驚き印象に残る。 雨の花見。覚悟が決まって、少し落ち着きを取り戻した時期。三月末、人事関連でごたごた。

【4月】東京カルチャーカルチャーに異動の事例。周囲も自分も驚く。 引継ぎをしつつ、早速カルカルに飛び込む。いろんな人をひきあわせてみる。 土日がイベントでつぶれてけっこう大変になる。 何かしなきゃと思いつつ、何ができるかはよくわからなかった。

【5月】五月にも、さまざまな出会い。 ゴールデンウィークDPZエキスポ。シンスケ横山発案でスパイラルライフイベントのブッキング。代官山UNIT石田ショーキチメタル祭り。Skypeで大苦戦。パソコンが嫌いになる。 うた魂♪みる。「フルチン」。延々、スパイラルの過去雑誌記事を読み漁る日々。 ほぼ週刊あず日記、カルカルスタッフ日記でスタート。土曜学校が開幕。赤レンガ倉庫で黒沢健一ライブ。鈴木芳樹(id:yskszk)さん逝去。未だ、マイミク。ずっと、マイミク。

【6月】青山ユニットで石田ショーキチライブ。ラズベリーベルとStep To Farに泣く。 初イベント「SLBN」、盛況のうちに終わる。楽しかった。http://tcc.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/spiral_life_boo_1845.html An×Anにはまる。高円寺の90年代イベントで初DJ。 春に取材同伴した肉屋ギターの記事更新。反響よかった。http://moocs.nifty.com/special/vinvin/takai-guitar/20080619/ TFMでノイマン君とご対面。土曜学校取材で裁判傍聴。あずぴあライブ。いまいちだった。以降、活動ペースダウン。 小学館の菅原さん「Google任天堂はすごい」 晴海で外人さんとあう。

【7月】カルカル飲み会。ばしばし叩かれる。TFMの案件根回し。イベント開催が正式に決定。後にひけなくなる。ピロウズO-EAST。One Lifeが名曲すぎる。 母校の講義でゲストとして招かれる。メンペのイベントがすごかった。勇気もらう。今年のベストイベント。http://tcc.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/08720_82d3.html TFMに取材で出入りする。バイノーラル録音の音質がすごい。21日ひぐらし演奏会。ほんとにつくづくよく乗れたなと感心する。ポニョは史上最大興行規模の子供向けサイケデリックムービーだった。 菖蒲まで取材し、テスコギターに関するテキストをまとめ提出。http://d.hatena.ne.jp/assa/20081104 劇団新感線の「五右衛門ロック」を堪能。今はなきコマ劇場。

【8月】カルカルカフェ営業。大繁盛でおおわらわで、つか暑くて大変だった。TFMイベント大盛況。80埋まるとは。みんなでラジオ愛を爆発させる。http://tcc.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/tokyo_fm200883_d95a.html 望遠(標準兼用)カメラレンズ購入。大日のプロレスリア王を観に行く。面白かった。 サマソニ半日取材。暑かった。Yelleよかった。原稿は1本のみ採用。http://moocs.nifty.com/special/ss08/report/perfume.htm お台場で花火を観てもひとり。この時期、よくピアノを弾く。DPZエキスポ。終了後の打ち上げを抜け出し、カルカル若手と妙な雑談。その夜高熱、脳内BGMはピカデリー。ピロウズ@AX。Funny Bunnyが胸にしみすぎる。よしながふみについて。妖怪出現。8/23あずぴあ、アルカフェで2曲披露。デトロイトメタルシティがいい映画。母校がロケ地で音楽ショーキチ。8/31未明に、TFMにて“僕らの”ラジオ番組流れる。http://vin-planet.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post_9622.html


【9月】編集としてかかわった「この店で一番高いギターを弾かせてくれ」が「一番高いギターを弾かせろ」としてエイ出版から発売。イベント化も決定。沖縄料理屋。毎週どこかで飲んでいた9月。噂について考える。カルカルBBQ。暑さでくらくら。はしゃぎすぎてる夏の子供たち。「ノルウェイの森」「ラフ」再読。せつないモード。メール増える。土曜学校懇親会。意外とテスコ課題が好評だったことに気付く。ずっと話したかったと、ナンパまでされる。驚いた。言うつもりが、先に言われていた。そんな月。結果オーライ。ギターショップに、本をもってお礼参り。ジブリ美術館、雨で寒かった。急遽、土曜学校の課題を変更。シュガーフィールズ原さん4時間取材。 石田ショーキチさんサイドから、取材OKが出る。カルカルで異動する主任追い出し飲み。酔っ払い続出。翌朝は眠いが、二日酔いもなく目覚めのいい10月の始まり。

【10月】石田ショーキチ3時間インタビュー。ギターイベント。その後タクシー、事務所まで。徹夜でこもって、テープおこし、原稿書き、構成、デザイン。怒涛のスケジュールも、奇跡的に締め切り間に合わせる。鎌倉で遊ぶ。全力で遊ぶ。カルカルメルマガ「かるまが」スタート。バリ島に渡る。友人夫婦の結婚式は本当に感動的だった。http://tcc.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/1-f41b.html http://tcc.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/2-ecd6-1.html 新郎や友人たちと夜の海にダイブ。翌日から、腹痛が半月続く。カイロが手放せない日々。カメラを落とすも奇跡的に無事。別荘に棲む猫について考える。ハガキ職人ナイト決定。ACLでレッズが絶望的な逆転負け。何も考えられなくなった。「お父さんのためのカルカル講座」無断でスタート。江ノ島ドライブ。いろいろある。そういう時期だってことだ。

【11月】腹痛がやんだら咳が悪化する。ホクナリンテープ効いた。 土曜学校卒業制作「40'sロッカーの肖像」が優秀賞。 打ち上げの飲みで思考の整理作業。楽しい予感に包まれる。 小室哲哉逮捕。色々聴き直してた時期。ショック受ける。本多孝好「チェーンポイズン」が本多節炸裂の名著。音速ライン「風恋花凛」が音速節炸裂の名盤。 カルカルプレゼントキャンペーンスタートで負荷増大。 整体に通い始める。ばっきばきにされる。新あず宣言。ハガキ職人ナイト、満員御礼、大盛り上がり。http://tcc.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/4-20081123-fdb2.html あずぴあショートライブ。幸せな時間をすごす。母校で「ネットワーク社会を100倍楽しむ方法」という15分プレゼン。石田ショーキチ&デスロックのタイバンライブ@ベイシス。とてもよかった。食生活を意識的に改善に向かわせる。夜食におにぎり食べなくなる。

【12月】限定メニュー制作、投稿サイト制作。高野健一ライブ。大変だったけど、素晴らしいライブだった。http://tcc.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/palpop10-6802.html 「パクリ・盗作スキャンダル読本」が3年の時を経て文庫化。 http://www.amazon.co.jp/dp/4796668160 土曜学校の飲み会、そのあとゴールデン街で焼酎。ピロウズ赤坂ブリッツ。マニアックな選曲で打ちのめされる。iPodが意識不明の重態。次世代を購入するもエラーでちゃんと動かず苦戦。 渋谷でSNSの未来を考える忘年会。初心を思い出す。がんばろう。 健康診断。はじめてBMI値が「標準」になり衝撃を受ける。白髪がみつかり、ショックをうける。いい年齢だ。手帳購入。スケジュール管理改革をスタート。宅配はネコである。ねこサンタが街にやってくる。冬のメンペも感動的なフィナーレ。カルカル忘年会を淡々と。黒沢健一@カルカルが素晴らしすぎた。ありがとう人生。歌会で4時間歌い通す。誕生日、家と川崎でまったり過ごす。

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27の人生は上出来だった。というか、上出来すぎた。ラジオ、石田ショーキチ黒沢健一……と、それなりの苦労もあったものの、結果はわるくなくて「明日交通事故にあうかも」と毎日のように考えるくらい運を使い果たしたような気がする。
28の人生は、他力ばかりでなく、自力でも何かを動かせればと思うこの頃。新あず宣言でいくよ。

2009年もよろしくお願いします。