沈まぬ太陽

 ※この話はフィクションです、と常に表示される本書だけれども、もちろん日本航空をモデルとしている。理不尽な境遇に遭いながらも、社内の労働問題や不正を正していく恩地の物語。恩地さんマジスゲーっす。労働争議でいきなり委員長になって、社長にクリティカルな議論で刺していくとことか、社内の初ストをまとめ上げるとか。

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

 僕がまず感じたことは、こういう人物像は、これからの時代には今ひとつピンとこない存在だ、ということ。だいたい、「沈まぬ太陽」にせよ「下町ロケット」にせよ、確かに主人公すごいんだけど、彼らが「ヒーロー」足り得たのは、その時代だったからで、もちろん、違う時代であれば、別の形で傑出した人物になっていたかもしれないけど、今の時代に照らし合わせると、結局なにがしたいんのかよくわからないんだもの。いやもちろんわかる、恩地は理不尽な扱いを受けていたし、その裏には利権が渦巻いていた。それに対して、恩地は「正しい」ことをしたし、筋を通していたと思う。
 だけど、この話の舞台である20〜30年前とは、日本の状況が全然違う。恩地がいくらナイロビやカラチに飛ばされたって、奥さん働かなくても家族を養っていけるし、派遣社員は一切登場しないし、若手の給料上がらないよね、みたいなこともない。
 つまり、労働組合がみんな団結して利権集団に立ち向かおう、みたいな図式が有効に機能するし、それで引き出せるものがあった時代と思う。もちろん、そのスキームは現代でも有効なんだけど、昔と違うのは、みんながそう言ってる、ということだ。アタリマエだろう。国全体が貧しくなれば、皆が「誰かが甘い汁を吸っている」と考える。それも間違ってはない。だけど、それってゼロサムゲームであって、全体のパイが小さくなれば、引き出し元も減ってくるだろう。
 そうなると、「労働組合がみんな団結して利権集団に立ち向かおう」スキームは、コストに対してペイが見合わなくなる。みんな平等にっていうのは正しくて、その正しさは揺らがないんだけど、結局それでは解決しない、というのがわかる、もう直感的にわかってしまうのだ。
 次の時代の恩地は、例えば新しい社会の仕組みを提案する人。例えば「労働を適正な量に抑えて、プライベートの豊かさを最大化する人」だったり、「人間関係の失われる都市で、共同体を再構成する人」だったりするはずで、さらに言えば、そういう人やそういう組織を、理想論だけじゃなくて、現実社会にソフトランディングさせる人だろう。