Hatena::ブログ(Diary)

kinotiz このページをアンテナに追加

 観た映画の話と、考えていることの話。

2016-04-09

[]自己肯定を喚起する 自己肯定を喚起するを含むブックマーク

欲望を喚起するマーケティングが終わって、今は社会的な貢献の中で自分自身の満足を得るためのマーケティングが必要というような話を上司からされております。社会的な存在意義のようなものがないと自己肯定できないって、ずいぶん今の人は大変だなぁというか、むしろ処世術というか、社会の中で役に立ってる自分が素敵とでも思わないとやってられないんだろうとか。

同僚の姪っ子の話がすごくて、欲しいものがないという。高校に入学するのだから、何でもいいからお洋服とか、文房具とか、そういうものをプレゼントしてあげるから言ってごらん、と言っても、そういうのはいい、というのだそうだ。

で、これ、私はすごくわかる。わかるっていうか、私にも少し似たところがあった。

小さいころから欲しいものがなくて、ないけどムリにでも何か買ってあげると言われるのでじゃあ本を買ってと言っていたくらいで、むしろ欲しいのは美しい顔であったり、豊満な胸であったり、やせた体であったり、モテる人格であったりしたのだけど、どれも手に入らないから、他に欲しいものなんてなかった。おそらく、欲望は近いところにあるからこそ欲しくなるんであって、どれも遠いな〜って思うと、全然欲しくならない。

ところが少し成長して、やせて、着られるお洋服が増えて、買えるお金ができたら、すごく欲しいものが増えた。あれも、これも、私のためにある、って思えるようになった。お店の前に立っているマネキンと同じ格好ができるということが、すごく嬉しかったのだろうし、楽しみでもあった。

欲しいっていうのは、そこに可能性のある自分がいるから生まれる感情だ。し、そこに想像できる自分がいるから生まれる心の動きだ。ってことは、同僚の姪っ子は、お洋服を着た自分を想像していないんだろうし、それを着て何をしたいということもないのかもしれない。

反対に。旅行には行きたいんだそうだ。お友達とでかけたり、おうちに呼んだり、するのは好き。そのための準備はするし、そのためにはお金を使う。おいしいものを食べにいきたい、素敵な風景を観に行きたい。そのための交通費や食費や宿泊費には、お金を使いたい。でも着ていくのは、そんなに豪華なお洋服じゃなくっていい。お洋服きて素敵な自分じゃなくて、友達と一緒に楽しんでる自分の方が、きっと姪っ子ちゃんはいいのだ。

体験は、その人にしかできない。同じ風景も、同じ食事も、同じ洋服も、同じ時間も、ひとつとして存在しない。成熟した社会の中で、若い人たちはそれに気づいている。自分がどう感じるか、自分が体験したことをどう伝えるか、そしてそれが、他人の目にどう映るか。360度の視界の中で、”繕う”ことも”魅せる”ことも、その感覚とはちょっとちがう。彼らはきっと、安心したいのだ。異なる自己を肯定するために、異なる体験を肯定するために、自己の価値を大切にしながらも、誰かと共有することで納得してもらえるものを好きになる、突出したものではなくあらかじめ評価されたものを好む。

私には、そういうのって、許してもらうことに近い。私はこういう私ですけど、問題ないでしょうか。私はこういう感覚をもち、こういう体験をしている、こういう人間ですけど、OKでしょうか。みんな、そう言ってるように見える。それが常に評価されて、常に変動していく中で、ずっと関係を持ち続けようとおもったら、誰もが納得する理由を探すしかないし、それが利己的なものを排した、社会貢献によって達成される自己肯定なんだろうし、その意味では、今の消費の中心、労働の中心になりつつある人たちはむしろ社会の欲望のようなものをうまく自己と切り離さないと、ちょっとキツいんじゃないかなぁとか、余計なことを考えてしまう。

いや、そもそも、社会なんてないんだろうナって少し感じたりもする。それってなんとなく繋がっているもののレベルで、日常的には、友達や、家族や、同僚という範囲の中で繰り広げられる感情のやりとり、だし、そこにある程度納得できる体験が見出せたら、それ以上のものは求めないという、なんというか、謙虚な暮らし。

残るものなんてない。だから、今体験できることを大切にしたい。そういう、素直さの表れなんだとしたら、すごくわかるけど、先々大変だよなぁ、って、思って、そう思うってことは、やっぱだんだん年取ってきてるのかなぁ。とか、思います。

結論はないけど、喚起すべきなのは自己肯定だっていう話なんだと思います。

2016-04-03

[][]「パルプフィクション」「キルビル」「キルビル2」「レザボアドッグス」「デスプルーフ」 「パルプフィクション」「キルビル」「キルビル2」「レザボアドッグス」「デスプルーフ」を含むブックマーク

一ヶ月ほど、ずっとクエンティン・タランティーノの映画ばかり観ています。ずっと避けていたというか、どうせ映画馬鹿の撮ったマニアックな映画だろうとタカをくくっていたというか。観てみたら、面白かった…悔しい…。特に悔しいのは、今まで絶対観ないと心に誓っていたキルビルが(しかも続編のほうが)案外よかったことです。ユマ・サーマンががんばってました。棺おけに入ったらああやって出たらいいんだなって思いました。

タランティーノの映画って、会話や映像の細部が面白い。細部だけでできあがっているのかと思ったら、案外構成もしっかりしていて、そういうギャップがエンターテイメントとしてうまくいってる理由なのかなとか、素人なりに思いました。細部にこだわっている、っていうんではなくて、いい具合に力が抜けてるんだけど、ああ、あるよねぇそういう瞬間、っていうのが、彼らしい。ポール・トーマス・アンダーソン監督は新しい既知になりうる可能性を生み出すけど、タランティーノは既知をフィクションの中で再現する。ウェスアンダーソンは世界を作りこむけど、タランティーノはシークエンスを作りこむ。

コメディのようなタッチで進みながら、パルプフィクションのサミュエルLジャクソンの妙な迫力であったり、レザボアドッグスのハーヴェイ・カイテルがもらすうめきであったり、俳優のもつ魅力がひょっこりでてくるところもすごく面白くて、反対にデスプルーフのカート・ラッセルは妙に重厚なのにいきなりやられてしまったりするので、なんというか、タランティーノは全体的にギャップの人なんだなと理解しました。

初期は脚本もシンプルだし、ミニマルなので見やすいです。変に先入観を持たず、早く観とけばよかったと思いました。

いろいろ、人生にはまだ学ぶこともあるんだなとか、適当にまとめておきます。

レザボア・ドッグス [DVD]

レザボア・ドッグス [DVD]

パルプ・フィクション [Blu-ray]

パルプ・フィクション [Blu-ray]

2016-03-27

[]Twitterのアカウントを消しました。 Twitterのアカウントを消しました。を含むブックマーク

特別、ここに書く話でもないかもしれないですが、わずかながら、両方をご存知の方もいらっしゃるので。

表題のとおり、Twitterに持っていたアカウントを消しました。

理由は、過去を忘れてもいいかなぁと思ったから。

私はずっと、自分のことを整合性を持って語ることができるのが自分らしさだと思ってきましたが、何かしら、他人のような自分が延々とネット上に生き残っているのも気持ちが悪いものだなと感じ始めました。

そこには亡霊のように、過去の自分が息づいていて、それは自分のかけらを背負っているのに、ある意味では、まったくの他人になってしまっていて、そういうものが唐突に気味が悪くなった。

過去の清算とか、過去を忘れたいとか、消したいとか、そういう衝動も整合性もなく、なんだろう、忘れてもらえない過去、が不気味になったというのが一番近い感覚です。

それに、未練がましく過去を引きずり続けるのもかっこ悪いなぁという思いもありました。

過去に考えたことを取っておけば、後々小説のネタにでもなるんじゃないかと思ったりもしましたが、まぁこの先しばらくそういうチャンスもなさそうですし、なんだか未来のほうを向いていきたい気分でもあったので、衣替えのようなものだといってもいいかもしれません。

内省的な自分のことは嫌いではないですし、そういう時間も自分にとっては必要だろうと思いますが、それを他人にわざわざ見せるのは、悪趣味じゃないかと思うようになったのもの大きい。

内省は自分でやってろと。


この3年ほど、一般企業で働いて、自分自身に大いに社会性が欠けていることに気づきました。特に気づかいってやつ。これが全然できません。

ただ、いいこともあって、その一つが前向きになったこと。

もともと楽観的な性格ですが、ここ最近それに拍車がかかっている気がします。そこで過去のTwitterの投稿とかを見るとなんかすごく暗い。暗いし、「みてみて」感がひどい。自分が大切すぎてまったく周りが見えてない感じがありありと伝わってきて、正直、やや振り返っただけで激痛を伴いました。

今でも、すごく自己中心的で、自分がいかに傷つかないかばかり考えてしまいがちですが、それに気づける環境になっただけほんとありがたい話です。世の中には、他人のことを考えてる人がこんなにいるんだと。


公害のようなものをいつまでも公衆にさらしておくのもなぁという思いも湧いてきて、表題のようなことになりました。これまでご覧くださった方、つながりを持ってくださった方、ありがとうございました。


今後どうするかわかりませんが、自分の中の部活動として、このブログはやっていこうかなと思っています。

割と、そこそこ、正直に書いていると思うので。