怒鳴る大人。

地元のローカルテレビのニュースで、ある小学生のソフトボールチーム(おそらくスポ少)の特集をしていました。
20後半〜30前半ぐらいの歳の、女性がコーチをして、熱心に声をかけたり、練習させたり、土日に遠征して練習試合をしたりする。少女達は拙くも一生懸命プレーし、育まれる絆云々な内容。


練習しているシーンで、フィールディングをミスした子供に対してコーチが「ちょっと待って」と止める。どうしてそっちに投げたのか、プレーの意図を尋ねるシーンがあったわけだけど、これについて少し思うところがある。
このコーチは子供の意見を聞いてるんじゃなくて、自分が考えることを相手に言わせたい(つまり、植えつけたい)と考えてるのがほとんどだということ。
こうい指導を繰り返すと、考えることを放棄する子供というのが出来上がる。この歳の子供達は、大人に対抗できないので(特に、怒鳴る大人に対して)、自分の意見を言うことが出来なくなる。コーチの言うとおりに動くようになり、そのうち何をするのにもコーチの了解を必要とする。それに対して無言に頷くコーチを「選手と強い絆で繋がっている」とか評価してしまうのがこの国の特徴で、実際のところ恐怖政治でしかないのだけれど。


練習試合のシーンが映る。初回に点を入れられ、コーチが「点を入れられたらどうするの?」と聞く。子供たち何も言わない。もう一度「どうするんだ?」と聞くと子供達がハモって『取り返す』という。コーチ満足そうに頷く。まるで軍隊だよこりゃ。
そのうち「負けて悔しくないのか!」とか言い出すんじゃないかとヒヤヒヤしていたが、勝ったので、杞憂に終わった。
負けて悔しく思うかどうかは選手の勝手であって、周りの人があーだこーだ言うもんじゃない。
何で子供たちに任せられないのだろう。ふざけてプレーしてるのなら叱るのもいいだろう。覇気がないなら喝を入れるのもいいだろう。だけど、それ以上のことに関与してしまうと、子供達が決断する場を奪ってしまうんじゃないかな、と思うんですよ。


当然、ソフトボールと僕がコーチをやっていたサッカーでは違う部分が多いし、何よりも、ニュースに出ていた人個人を批判する気はまったくないです(きっと仕事の合間を縫って無償でやっている、立派な方だと思われます)
ただ、こういう指導をしている大人がすごく多いこと、それをヨシとしている空気は、やっぱり問題だと思います。


「男が憧れる職業は3つある。潜水艦の艦長、オーケストラの指揮者、そしてプロ野球チームの監督だ」という言葉がありますが、それだけ、監督コーチという肩書きは、魅力的なものです。
実際、自分もコーチをやっていた頃は、モウリーニョになったような(笑)感覚でした。交代した選手がゴールを決めれば「俺最高!」でした(マジで)
ただ、コーチは選手に比べて、ずっと権力があります。コーチが黒だと言えば、反対できる子供はほとんどいません。コーチが声を大に「何でそんなプレーをするんだ!?」と聞いて「コレコレこういう理由で、このプレーを選択しました」と答えられる子供はほとんどいません。コーチに言われた瞬間に、自分が間違っていたのだと思い込みはじめます。


昔、子供のスポーツは、『遊び』でした。
自由に遊べるスペースがたくさんあり、何より『大人』が介入すべきスペースはどこにもない。
子供たちは自分でルールを作り、状況に応じてルールを書き換えるという高度なことをやっていました。
現代になり、子供が自由に遊べる空間はほとんどなくなりました。そしてスポーツが『習い事』へと変化したのです。
そこには大人という絶対的指導者がいて、彼らの言うとおり子供たちは動きます。
当然、スポ少など、習い事的スポーツは昔からありました。しかし、最近は『遊び』をすっ飛ばして『習い事』を始めるのがほとんどです。その子がそのスポーツが好きかどうかも分からないまま始めます。続けるか辞めるかの決定権は本人ではなく、その保護者にあったりします。
だからといって昔に戻そう、子供たちの治外法権を作ろう、というわけではありません。社会の変化に合わせて、子供を見る目を変えて欲しい、と思うのです。


当然、僕の言うことが絶対的に正しいという確証はどこにもないです。実例として、厳しく言われたからこそ伸びた子供もいるわけですし、また子供を取り巻く状況というのはどんどん変わっていくものですし。
①コーチ(大人)は子供が発する無言のメッセージに気づいてやって欲しい
②子供の成長の支えになって欲しい(子供にすがるのではなくて)
③常に自分を疑って欲しい
④目先のことではなく、先を見て欲しい
⑤膝を汚して、子供と同じ目線に立って欲しい

日本人コーチに即興性、柔軟性、創造性が欠けているから、選手にもそれが欠ける。
コーチが本や紙を見ながらやっているうちに選手には違う現象が起こっている。
その現象を見てコーチが判断する。サッカーはそういうスポーツ。
コーチが変わらないと選手は変わらない。
(中略)創造性に欠ける指導者はヨーロッパにもいる。
そういう指導者からは、創造性に欠ける選手しか生まれない。
文化、教 育、世情、社会に左右されることはよくない。
サッカーは普遍的なもの。
そして、 常に変わっていくからコーチも常に変わっていく必要がある。
イビチャ・オシム

サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法 (edu book)

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