ライル『心の概念』

心の概念心の概念


某シンポ準備会のテキストです。
http://d.hatena.ne.jp/contractio/20140301

第五章「傾向性と事象

  • 1. まえがき
  • 2. 傾向性言明の論理
  • 3. 心的能力と性癖
  • 4. 心的事象
  • 5. 達成

うーん、難しい。とりあえずミニマムな主張だけ確認したい。
心的なものを表わす概念には、挿話的概念だけではなく、傾向性概念もある。傾向性概念を区別しなかったり、傾向性概念を誤って取り扱うと「機械の中の幽霊」という心についての神話に陥ってしまう。
ここで、傾向性概念の分析がなされ、傾向性概念は「Xである」とされる。
# ただ、いまいちここの分析がよくわからず、傾向性概念が何だと言っているのか、うまく整理できていない。
# 本文の表現を借りれば、傾向性概念は、ある種の推論を許す「切符」であるらしいが、切符って何だよ、比喩じゃなくてちゃんと言えよと言いたい。


さらに挿話的概念にも複数の種類があり、それをきちんと区別しなければ心についての神話に陥ってしまう。ここでは「達成動詞」と「仕事動詞」の区別が問題にされる。



追記:
スタンフォード哲学事典「ギルバート・ライル」にあった「傾向性」の説明
http://plato.stanford.edu/entries/ryle/#Dis

傾向性概念は、ある種の推論をする権利を与える。例えば「ジョンはフランス語を知っている」から「ジョンはフランス語で電話できる」を推論してよい。
ただしこの推論はpro tantoであり、occation-sensitiveである。訂正されうるし、文脈にも依存する。


また、この記事には以下のことも書いてあった。ライルの「行動主義」は、心的な言明を傾向性言明に置き換えようというプロジェクトではない。そうではなく、ライルは「心的な言明について議論が生じた時に、それに決着をつけるたくさんの方法があること、そうした公的基準がなければ心的概念をうまく適用できないこと」を想起させようとしている。そうすることで、心の私秘性という神話を攻撃している。
# 後者の「心的な言明についての議論に決着をつける方法」と傾向性概念の関係はどうなっているのだろう。