時の流れは

非常に残酷です。
かつて私にも無限の未来と希望を信じていた少年の頃には何でもできると思っていたこともありました。しかしこぼれおちる砂がダイヤモンドより貴重だと気づいた頃には失ったものは数え切れず、
失われたものを手に入れることは二度とかないませんが、そのような輝かしい時代には出来ずに、限られた未来と失われた可能性、そして厳然と存在する限界を目にすることに出来るようになった中年に出来ることもいくつかあります。日頃は私なりに節制しておりますが、こういうときこそ「出来ること」の封印を解くべきでしょう。ということで酒に逃避して寝ます。ぐぅぐぅ…ってこのワインこんなに甘かったっけ?一生のうちに一度は飲んでみたいとは考えている「スピリタス」は手元にないものの、もう少し強いものにすべきだったか…とはいえ明日は平日で普通に仕事しなければならないので、このくらいが妥当か。

それにしても

雨上がりの澄んだ夜空に掛かる月はかくも美しく青く輝いているのになあ…私の心はその対極にあるようですよ。
一年という時間は 去年と全く同じ理由と同じ今後の展望を聞かされてそれに納得した上「これからもがんばります!」といえるほど人間性を高めるには不十分ですが、「もーどーでもいいです」と思えるくらいには感情が磨耗するには十分過ぎる時間でした。この一年の間に積み重ねた来た物は結果として 全くの無駄であり、それは私なりにやるべきことを可能な限り実行したものですからそれを否定された日には これから一体どうすればええねん?! という疑問を呈さざるを得ませんでした。当然定量的な答えなど全く返ってきませんでしたが。
今日起こったある事件についてそれについて怒っていたり落ち込んでいたりすることは皆無とはいえませんが、あまり自分では大きなこととは思っていません。しかし、それを発端として怒った「不信」と「疑惑」は私の心に消えることなく、一層その存在感を強くしました。そしてそういうことを考える自分に嫌気がさしました。酒に逃げるのはそのためです…弱いなあ>自分
最もこのようにやさぐれるのは今夜一杯で明日には多分忘れてますけどね。


眼鏡装備のパラメータ増分補正

酔っ払ったついでに眼鏡に対する愛を解放してそれ関係ネタでも。
今、一番好きな眼鏡さんは「読子さん」です…というのまあどうでもいいです。
ネットを巡回していていて眼鏡を愛好する…正確には眼鏡を掛けた女性(ここでは二次元/三次元を問いません)を愛好する人々のサイトやコミュニティを拝見することがよくあります。そういうところでは、「コンタクト=邪道」でありまして、「眼鏡を掛ければ(それだけで)魅力30%アップ」とか「眼鏡を掛ければ(それだけで)評価が四割り増し」とかいった文章で「眼鏡を装備することの素晴らしさ」を啓蒙しようとしている場合が多いです。かつて職場の先輩であられたTさんも眼鏡(を掛けた人)の愛好家でいらして、一貫して「眼鏡を掛けるだけで評価は40%アップ」と仰っておられました。
さて、いろいろ見て回ってみる限り、「評価アップ」についての言及は多くの場合何故か「30〜40%」です。統計を取ったわけではないので正確なところはわからなくて、あくまで私の感じたことですが、「50%」を超える増分や「二倍!」とか「十倍!」といった景気のいい数字はあまりみられません。というか見たことがありません。「眼鏡のほうが絶対にいい!」という「眼鏡がなければ意味ない!」という「眼鏡」への偏愛は色々なところで語られ、それも熱くなる場合もあるのに、「増分」が低いとまではいいませんがそれなりに「控えめ」なのはよく考えると不思議です。そもそも「眼鏡」属性のうちに「控えめ」というものを「美徳」とする概念があったりするような気がするので、それが影響しているのか?こういうのはマジメに考察してみるとなかなか面白そうですが… 実際のところどうなんでしょうね。アルコール回った頭ではいつにも増して論理的な考えは導けそうも無いのでこれは今後の研究課題にしたいと思います。

泳いでても音楽――骨伝導利用の防水MP3プレーヤーが登場

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骨伝導によって音楽を内耳に直接伝える」MP3プレイヤーだそうです。要するに防水を施してあるから水泳しながら使えるというのが売りということですか。水泳しながら、というのに惹かれないでもないですが、あのデザインは三昔前のSF映画の改造人間みたいですなあ。笑いを取る、あるいは衆目をひきつけるには面白そうですが、そのためのネタとしては少し高いか。