2008-11-20
■[雑記][サッカー] 二度寝した
メツと岡ちゃんのサバイバルゲーム、どっちが負けても最後の戦いとなるカタール戦は観ました(半分寝てましたが)。長友が活躍していた…。ドリブラーの諸氏も活躍していたなあ。とりあえず勝ててよかった。途中でぞろぞろ帰るカタール国民を見てまだまだじゃのうと思った。そして次はオーストラリアかー。プレミア組帰ってくるんでしょうから、となるとアデレードとは訳が違いそうですなー。
■[雑記][本] おもいもうける
水村美苗『日本語が亡びるとき』*1については本を読むまでちょっと中断。ただし、ほうっておいてもいろいろと記事を読んでしまって、注目点が自分でもころころ変わってしまって厄介なので、現時点での自分の疑問点をメモっておく。
大概の感想は事例として人生いろいろ、観点もいろいろだなあと読んでいるのだが、一つだけどうにも納得しにくい日記がある。
別の騒ぎの元にもなったこの日記。(ただし、わたしはまだ本を読んでいない状態で書いているので、このエントリは自動トラックバックを止めておく)
少女時代から漱石に耽溺し「続明暗」でデビューした水村の問題提起は、「たとえば今日、2008年11月7日、漱石と同じくらいの天賦の才能を持った子供が日本人として生を受けたとして、その子が知的に成長した将来、果たして日本語で書くでしょうか。自然に英語で書くのではないですか」ということである。
梅田望夫氏が得意な分野を私はしらないが、「その子が知的に成長した将来、果たして日本語で書くでしょうか。自然に英語で書くのではないですか」という文章をさらっと受けとめてしまい、あまつさえハイライトの一行として引用するというのは戦略的にはかなりの失敗なのではないかなと思った*2。多分私が最近発達心理学とか読字障害に興味があって、その分野の本を読みつつあるからだと思うのだけれど、「自然に英語で書く」というのはいったいどういう条件なのかに、私はいまものすごくひっかかりを覚えているのだ。
その昔、「生まれたばかりの子供は神の言葉を話すはず」という信念のもと、赤ん坊に話しかけずに育ててラテン語を話すのを待った皇帝がいたそうだが(神聖ローマ帝国のフリードリッヒ二世。こことかこことか参照、あれ、でもラテン語とはでてこないな、おっと出てきた)、そんなように、教えてもないのに子供が英語を使い始めるということなんだろうか。まさかね。(この点は『日本語が亡びるとき』を読まないと確認できないところなので、とりあえずここでストップしなくてはならないのだけれど、言葉を書き記すということはかなり最近になって出てきた能力らしいという話を聞いたことがあるので、書き言葉ってそんな普遍の言葉とかいうほど特権的か?って思っている部分がある。まあ、文字として残って伝播しやすいというのはあるのだろうけれど)
世界の人々に自分の考えを広めたいと思う子供はそりゃ確かに日本語と英語のどちらで書こうかなと考えて、有利なほうに行こうとするだろうけど*3、でも何語を選択するかは、広めたい自分の考えの内容にもよるのではないのかと思うのだ。「広めたい自分の考え」が英語化しにくいケースとしては例えば小説。日本語でしか書けないことを書こうとしている小説家って結構いるのでは。逆に「広めたい自分の考え」が英語化しやすい場合もあって、典型は反応が非常に強かった情報処理まわりとか。これは語彙自体も語彙で表現されるさまざまなアイデアやサービスや製品が日本語よりも豊富な英語で既に表現されているので、その先を書こうとするとなるほど英語の方が有利かもしれない。で、そういう、英語で表現しやすい分野・しにくい分野があるだろうと私は思っているので、前回、大学の学部で言うとどのへんの人たちにこの話はインパクトがあるのかな、とか言っていたのだ。
ところで、言語の習得って6歳までに子供の回りで話されていた言語に影響されると聞いた(NHK BSの「世界のドキュメンタリー」シリーズ、BBC製作の「人は僕を天才という」というドキュメンタリーで見た)。まず「自分の考え」のベースを母語で作って、母語以外はそのベースの上に習得されるというのが現在の私の理解。これは「自分の考え」を頭の中で構成する言語と、それを他の人に向かって表現するための言語の間には区別があるということでもあります。こうした構造は、私の認識では、心理学や言語学の分野では前提になっている考えだろうと思います。
「自然に英語で書く」という表現は、そうした、学問の基礎になっているような前提がうやむやになっていそうな、似非科学すれすれの危険な表現であるように私には思える。なので、現時点の疑問をここにメモにしておいて、実際の本で確かめられればなあと思っています。
(上記を踏まえて、この文を似非科学よりでない文章として読む唯一の逃げ道としては、将来的に日本語が「滅びて」*4しまって、日本にも英語話者しかいなくなってしまったがために子供が「自然に」英語を書くようになるというのを想定している可能性があるんだけど、でも「今日、2008年11月7日、漱石と同じくらいの天賦の才能を持った子供が日本人として生を受けたとして、」って書いてあるからなあ。その逃げ道は使えない。)
あとは余談。
なんというか、この日本語と英語の違いって面白いエントリーとホットエントリーの違いみたいな感じもする。「普遍語」とかいってるけど、英語で書いた方が「流通可能性」*5が高いってだけのように思う(「流通可能性」が高い方が集合知を集めやすいだろうけど、少数の人がしか言っていないことでも世界の叡智だったりするわけじゃないですか地動説とか。って随分時代が戻ったな)。英語で書けない普遍的な事柄も、あったりするんじゃないかと信じたいんだよね個人的には。レバ刺しのおいしさとかさ*6。温泉の気持ちよさとかさ*7。まあ、現在ではその「流通可能性が高い」という性質が問題だということになるのだが、流通可能性が高いのと「普遍」性は多分分けて考えた方がいい*8。
この構図をエントリーの話に応用すると、ホットエントリーは、「流通可能性」が高いエントリー。ブックマークをつける人たち(どんなひとたちがブックマーカーなのはよくわからないけど)の興味が集まりやすいエントリー。実は私にとって面白いエントリーはホットエントリーの中にはあまりないので困っている。で、面白いエントリーは個人ごとに基準が違う。どうもこのへんの、「みんながわかる」ということと「面白い」(とか、「力のある」)ということを一緒くたに論じられているような気がして、それでずいぶんと尻のすわりの悪い感じがしているのだここしばらく。
多分つづきは半年後でしょう。ブック○フで遭えることをお待ち申し上げておりますって感じだ*9。本屋ではどうせ品切れているでしょうから、まあ、みんなが読み飽きた頃に読もうかなと思っています。単なるジャパンパッシング対策なんならそれもそれなんだけどうーん。
- 作者: 水村美苗
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/11/05
- メディア: 単行本
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*1:ところで、滅びるとき、とかいて平然としている人がいて痛い。滅びるときだったらこの本に関する騒ぎはもうちょっとマイルドだったかもしれない。亡びる、という言葉を使ったところが「釣り」なんじゃないかといわれる理由の一つだと思う
*2:そこをスルーしなかったがために余分な敵を作っていそうな…
*3:しかし有利なほうに行く段階でそれって「自然」か?とか思う
*4:not亡びる。ここでは日本語話者が絶滅したことを想定している
*5:いまてきとうに考えた
*8:まあ、かの本で「普遍」という言葉がどのような形で使われているのか読んでいないのだから、本当はこんなことを書く権利は私にはないわけだが
*9:どうも小説のあとに将来への提言がついている、というのは本の構成としてはうさんくさい、提言部分は小説なのかどうなのかはっきりしてほしい。良質な小説は小説部分だけでおのずと提言の役を果たすものだろう。なのであまり積極的に手に入れる努力をしたいといまいち思えない

