2010-03-21
2010-02-22
Plastic Tree / ドナドナ
- アーティスト: Plastic Tree
- 出版社/メーカー: ユニバーサルJ
- 発売日: 2009/12/23
- メディア: CD
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ビジュアル系といえば、どういったイメージがあるだろうか。派手なメイクでヘビーメタルから影響を受けたような音楽をやってる、ってのが一般的な認識だと思う。Plastic Treeはシーンに異彩を放っていると思う。
他のバンドがヘビーロック路線で行く中、Plastic Treeは、UKのミュージシャンに影響を受けた音を出していた。ボーカルの有村竜太郎の性質もいわゆるビジュアル系のくどい声質ではなく、多くのシューゲイザーバンドのようにか弱い声だ。
あるぱちかぶと / ◎≠
- アーティスト: あるぱちかぶと
- 出版社/メーカー: SLYE RECORDS
- 発売日: 2010/02/03
- メディア: CD
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あるぱちかぶとは、MichitaのアルバムにMCとして参加していたので、以前から気になっていた。結論から言うと、Michita好きも「あるぱちかぶと」好きも買いだと思う。
トラック、リリックともに大満足。また、結構このあるぱちかぶとっていうMCは、甲高い声だと思ってたけど、色々な声を使い分けれるみたいで、5曲目なんて、shing02っぽくもあり。
2009-11-23
キャラメル
- 出版社/メーカー: オンリー・ハーツ
- 発売日: 2009/07/24
- メディア: DVD
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レバノンの首都、ベイルートのサロンに集まる女性を描いた作品。淡々と日常が綴られていくだけで、取り立ててそこに起承転結の分かりやすい物語が存在しているわけではない。ただ、サロンの女性の生活や苦悩、つまり人生の一点が描かれているだけだ。
ということで非常に評価が難しい作品だと思う。また、男性よりも女性が見た方が、共感できるのかも知れない。
マクロスF〜イツワリノウタヒメ〜
人気アニメ、マクロスシリーズ最新作のフロンティア、待望の映画化。初代マクロスは、1982年に放映されていた。マクロスFの劇場版公開までに、27年が経過している。当時、小学生だった人も今は立派なおじさんになっていると思うと感慨深い。
とりあえず、映画単体としては相当酷い出来だと思うが、銀河の歌姫「シェリル・ノーム」のプロモーション・ビデオだとすれば、よく出来ている。テレビ版でも同様のことを感じたのだけれども、完全に物語がシェリルとランカの二大歌姫の歌を「映える」ものにするための装置。それ以上でも、それ以下でもない。映画版は作り手側が自覚的かどうかは知らないが、徹底して装置であろうとしており、非常に潔く、すっきりした作品になっていたように思う。とりあえず、マクロスの歌ファンは見るべき。
2009-11-08
幸福感や希望が無くても生きていける社会
「希望だけない国、日本」
http://d.hatena.ne.jp/elm200/20091107/1257558516
上記エントリーでは、OECDによる主観的幸福度の国別調査において、日本が希望も幸福感も無い国であることが書かれている。具体的には、日本で幸福感を持っているのは、35パーセント前後、将来に対して希望を持っているのが、40パーセント弱である。この数値は、主要先進国の中では最下位であり、発展途上国と比較しても、日本は希望の面で遥かに低い。これを見てどのような感想を浮かべるだろうか。おそらく日本の現状を嘆く人々が大半であろうと予測する。だが、一方で心の中では安心感を覚えた人も少なくないと思う。「ああ、不幸なのは私だけじゃなかったんだ」と。私も恥ずかしながら、その一人だ*1。
OECDによると、日本と対照的にデンマークではおよそ9割の人が未来に対する希望があり、同じく9割の人が幸福感を持っているという。デンマークのことはよく知らないが、きっと政治的・社会的・経済的にある程度安定しているのだと推測できる。しかし、このような社会において、幸福は一つの人間の主観的状態にもかかわらず、当為となる可能性を持っていないか。つまり、人間は幸福であるべき、という思考が埋め込まれていないか。
そのような状態にあるとき、残りの10パーセントの不幸な人々の生きづらさは、日本の60パーセントの不幸な人々よりも遥かに大きいと予測できる。40年前、アメリカの社会学者であるロバート・マートンが相対的剥奪という概念を提示した。マートンは、高い教育を受けた兵士ほど、昇進しなかった場合に不満を多く持つと述べている。つまり、当然手に入るだろうと予測されるものが、手に入らないときに最も剥奪感が生まれる。これが相対的剥奪感の骨子である。
この理論を上記事実に援用するならば、周りに幸せな人が多ければ多いほど、自分が不幸だった場合の剥奪感は大きくなってしまうといえる。幸福感を持っている人が多い社会では、幸福は誰にでも手に入るものと認識され易いからだ。しかし、現在の日本においては、幸福はもはや誰にでも手に入るものと認識されているとは思えない。
日本社会では、幸福という概念が急速にゾンビ化しつつある。家族はもう誰にでも手に入るものではなくなった。家族を持ったとしても、果たして現在の収入で養っていけるだろうか。現在の仕事を定年まで続けることができるだろうか。また、安定した仕事にきちんと就くことができるのだろうか。つまり、過去において幸福を構成する要素だったものが、今はすべてリスクに置き換えられてしまっている。幸福はリスクであり、もはや一部のリスクを賭けれる人のみのものである。そういった意味では、日本社会における幸福は、もはや当為ではなく、神話となりつつある。したがって、日本人が感じる相対的な剥奪感も非常に少ないと仮定できる。幸福は誰にでも手に入るものではないのだから。
問題は、幸福や希望が神話であったとしても、生きていける社会は是か非か、ということである。確かに日本の自殺率は非常に高い数値を示しているが、幸福度の高いフィンランドも日本並に高いことを見ると、日本には相対的に不幸でも生きていける環境があるといえる。ある種の脅迫的な青い鳥症候群に国民全体がかかっているよりは、健全のように思えるし、私自身、幸福でなくても生きていける社会の方が望ましいのではないか、と考えている。もちろん、経済的・政治的・文化的に今の日本が望ましい状態とは全くいえない。だが、価値観の問題とするならば、一つの「幸せ」な平準化された人生モデルというゾンビカテゴリーからの脱却の良いチャンスには違いないと思う。
僕たちは幸せになるため この旅路を行くんだ 浜崎あゆみ『Voyage』
僕らはきっと 幸せになるために 生まれて来たんだって 浜崎あゆみ『immature』
この世に生まれてきた 幸せになるために Sowel『幸せのちから』
*1:いや、もしかしたら、こんな卑小な考え方をするのは私だけかもしれません。一般化してすみません

