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atogoの日記

 

08-12-31

行列 14:37

成田山不動尊というお寺の近くに住んでいるので、近辺で一番太い道路には、関係する標識ができている。「大阪・京都方面」という指示。これは、大阪にも京都にも向いておらず、奈良に向いている。「この道から成田山不動尊へは行けません」 歩いて行くならその道が最短で一番わかりやすい。「12月31日から1月3日まで通行止め」 もちろん歩きなら通してくれる。車はとても不便だ。それでも、たぶん今晩からは、この道に車の行列ができるだろう。

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コンピュータを使って、数学や物理の式を計算する場合、空間なり時間なりを細切れに分割し、いちいち、ひとマスずつ計算していけば、だいたいの答えが得られる。実際の世界は、細切れではなく、連続なので、「だいたい」の答えしか得られないわけだけど、すごく細かく細切れにすれば、十分に納得のいく答えが得られる(場合が多い)。現代のコンピュータを使うなら、実は、ひとマスずつ計算するより、100マスだとか、そういう風に束で計算する方が速い。そうなるように設計されているからだ。こういう場合に、行列の出番がやってくる。計算したことを、行列にまとめて、行列ごとコンピュータに入力すると、行列で答えが、ババーンと出力される。だから、数学や物理の式をはじめから行列で書いておくと、コンピュータと相性がよいので、効率の良い計算ができる。

今年はこれでおしまい。

08-12-21

atogo2008-12-21

12:41

「群」といえば、群衆などたくさんのものの集まり、というのが普通の理解だと思うけど、物理や数学では、群は集まりが周期的になっている必要がある。たとえば、地球上でどんどん東へいったら、地球を一周して、もとのところへ戻って来る、というのが周期的であるという。時計の秒針は60回動くと、もとの位置にもどってくるので、これは0から59までの要素が60個の群だ。金太郎あめは、端と端が繋がっていないので、群じゃない。

ところで、ものの見方というのは、こっちから見るのと、あっちから見るので、すごく違うというのが普通だ。車輪は横から見ると円盤だけど、前から見ると直線だとか、そういう視点の置き方で、ものの見方は変わるものだ。いろいろな方向から観察することで、物事の本質、「これは車輪だ」といったことが高い精度で予測できる。物理や数学では、ボールの位置などを完全に数字や記号で表現できる。空間を勝手に決めるから、位置を完全に決めることができる。この場合、こっちから見ても、あっちから見ても、完全な位置を知ることが出来る。こういう完全な空間に置いては、観察するときに、自分をこっちからあっちへ動かすよりも、物体の方をあっち向けから、こっち向けに回す方が楽な場合が多い。数学の勝手な世界でなく、現実の世界でも、シンプルな空間、例えばまな板の上、で野菜を切る場合なんか、同じことをしている。つまり、包丁を入れるときには、自分が動かずに、野菜を回す。

位置を表すものを座標という。座標は、空間がどういう形をしているかで変わる。同じものの長さを測るときに、センチメートルと、インチで、そのは数字は変わるけど、ものの長さが変わるわけじゃない。外国為替なら、円安円高で変わるのが、お金価値(座標)ではなく、国の価値(空間)だと思う方が簡単だ。個人レベルでは、空間を変えれば、外国為替の変動の影響は無い。つまり、その国へ行って、その国の通貨で給料をもらえば、為替変動は無い。ある国に住んでいるけど、収入は別の国から、という空間を飛び越えること(つまりワープ)をしていると、為替変動が直接個人の富の変動となる。景気の、好況不況も空間が伸びたり縮んだりしていると考えて、自分の損得と考えなければ、あまり景気に影響されず暮らしやすい。景気の良し悪しは、周期的になっているので、良いときをベースとするのではなく、良いときも悪いときもあるよね、と思って準備をしておいた方が良い(という非成長時代に入っている)。景気も群として解析したら良いかも。

08-12-07

atogo2008-12-07

作業と研究 12:38

客観的に見た場合、僕は研究者、ということになる。研究者といっても、組織の中で給料をもらうので、普通のサラリーマンだ。それ相応の仕事をする必要がある。研究機関にも、雑務があるので、自分の好きなことだけをやっていればよいというものではない。給料をもらうための仕事とは、そういった雑務を処理することになる。雑務は、処理されるために存在するので、そこに新しい発想は必要ない。いかにうまく作業を行い、処理してしまうかを問われる。組織の中では、ほんとうは研究を求められていないんじゃないか、と感じる。だから、研究をやらせていただいている、と思っている。

理想的には、研究は、雑務と反対側に存在する。新しいものや、新しい考えを生み出せたとき、それが研究となる。そこに至るまでの道筋は、作業に過ぎない。学生や研究者らしき人のなかには、作業と研究を混同している人もいる。作業は、はっきりとした目的を持って行うものだ。研究は、行き着く先がクリアでない。したがって、作業と研究の違いがわかっていなければ、ゴールにたどり着けない。

作業を、可能な限り、正確に、効率的に、行う必要がある。研究において、作業を避けることを声高に述べる人はあやしい。そういう人は、たぶん作業の精度が低い。研究は、良い作業に支えられている。アイデアだけでは、良い研究ができない。作業において、速さと時間は直接には関係がない。たとえ数十年かかる作業だとしても、それより良いものが無ければ、それが最も速いということだ。

アイデア無しに、研究は始まらない。作業の途中で、アイデアが生まれることがある。作業と研究が混同される、主な原因かもしれない。新しく生まれたアイデアは、研究が枝分かれしたと考えた方がよい。混ぜこぜにすると、処理できなくなるに違いない。「枝分かれ」という語が意味するように、枝は幹に繋がっている。たくさんの枝が生える幹は太い。大きな幹を持っている人が、良い研究者だと思う。細い幹をたくさん、というのも考えられるが、研究者としては、あまり評価されない。

なぜ研究を行うか、ということを聞かれることがある。理由はいまのところよくわからない。たぶん、研究は、気の長い趣味みたいなものだと思う。よい研究ができたときに、理由がわかるのだろう。

08-11-21

atogo2008-11-21

クラスタ 23:12

研究用の計算機の調子が悪いので、修復作業を続けている。40ノードの普通のPCクラスタの立ち上げを学生がほぼ放棄したからだ。テストしてみたところ、全然使い物にならない。原因が複合的だった。まず、ハブがだめだった。交換。次に、2枚ほどマザーボードがダメだった。交換。CPUファンを一つ交換。これで、なんとか研究用のシミュレーションが動くようになったが、どうもなんとなく具合が悪い。メモリテストをしてみたところ、エラーを出すものが多い。交換。使ううちに、どんどん壊れている。こんなことがあるのだろうか?と不思議に思いながらも、実際に、次々とメモリがエラーを出すようになっていく。交換。同じブランドの、同じランクのメモリに代えたが、これもほとんどダメで、使っているうちに、どんどんダメになっていく。交換予定。そんなことが9月からはじまって、いまだに続いている。最近、ヒートシンクのついたオーバークロックメモリをテストしたところ、どうも具合が良い。これで解決となってくれるとうれしい。メモリ価格が、急に下落したのにともなって、品質も下落したのだろうか。

今週は、業者に納入してもらった64ノードのクラスタシステムが不安定なので、全部再インストールからやり直した。ハブの一つが不調なので交換。2台ほどネットワークデバイスがあやしいので、二つあるデバイスのもう一つの方に付けかえ。一台のマザーボードが怪しい。ハードディスクのI/Oがおかしくなる。遅いマシンなので電源オフして放置。ハードのトラブルはこれくらい。台数が多いので、インストールをどうするかが問題だった。ネットブートを使ってのインストールを、初めて試みた。今回は自動設定を見送った。ネットブート用のサーバーの準備は予想外に簡単で、3時間ほどで終了。tftpd、httpd、dhcpdをインストールして設定するだけだ。どういう仕組みで動作するのか、というのを知らなかったので、理解するのに時間を割いた。おおよそ論理がわかれば、設定はほとんど無いも同然なので、すぐ終わって当たり前だ。もうやりたくないけど、またこういう仕事があれば、次回は自動設定を試みたい。

これらのクラスタにはUbuntu8.04を使った。小さいし、安定していて、とても良い。情報も多い。でも、ネットブートインストールのサーバー設定情報は、日本語のものは見当たらなかった。アカウントの認証にはLDAPを使っている。何年か前に使い始めた頃は、情報も少なく、あまりこなれてもいなかったので苦労した。いまはずっと簡単になった。キューシステム(torque)は、Ubuntuのレポジトリに入っているものは具合が悪くうまく動かない。MPI(OpenMPI)はバージョンが古く、メモリリークがあるので使えない。こういったユーザーの少ないものは、普通にソースからコンパイルしてインストールする方が安全なようだ。

白い山はモンブラン。山頂は手前の山が邪魔をして見えていない。サマースクールの合宿所の食堂から見えた景色だ。