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2012-03-24

介護と老衰と −祖父の他界に際して−

金曜日に一方を聞いた祖父の他界を受け、今日

挨拶に行ってきた。


享年95の祖父が永遠の眠りに臥しているその傍らで、お通夜、告別式の段取りを

決めている父達は急がしそうであり、エキサイトしてまとまりそうのない会議のようであった。


無理もないことである。父が生まれたときには父にとっての祖父はすでに他界

していたので今回のような場所に当事者一歩手前(今の私のような立場)で触れる学習機会はなかったわけだし、且つ父達ももう60−70の大人である。

その年になって完璧に新しく、かつ難しいイベントに、兄弟で取り組むなんてことが初めてなのだから。簡単にいくわけない。


祖父との距離を一歩置いた自分の立場から自分勝手な意見をいうと、一番最初に感じたことは、ほっとした。ということであった。


祖父、祖母の認知症や肉体的衰えは父兄弟のリソースを消費し、またその長期性、基本的に死が完了であるという難しさが、父の兄弟関係にも悪い影響を及ぼした。


父達も既に身体に不自由な場所が出始めるころであり、重い病気と闘っている人もいる、もった子供の先々に懸念を覚えるなど、それぞれ悩みがある状況。

そんな自分達の家族のことを楽観でき、自分のことに集中できるという状態にはほど遠いにも関わらず、祖父、祖母の状態は確実に悪くなり、そして絶望的なほどにゆっくりと状況が推移するのである。その完了を迎えるまでにずーっと続く介護で時間と手間をとられてしまう。しかもえてして兄弟間のスタンスがカンペキにあうことは無く、逐次調整が必要になる。 SEの習性でプロジェクトとして捕らえると、要件も見えないまま後手後手に状態をみながら火消しを延々行い続けるような形になってしまうのであろう。

それが容易ではないことを想像するのは難しくない。


それが故、父達は自分のたちの老後の準備を始めることができない。だから僕は、祖父が喪に伏したことを機に、少しづつ、父達もこの介護経験をベースに自分達の老後を考える時間もてるのではないか、という安堵かんを覚えたのだとおもう。


僕がこういうちょっと距離をおいた立場から思うことは、こと、介護、老後について準備が足りないなぁということである。


みんなが自覚すべきことは、医療の発達にともない、人はなかなか老衰で死ねないということ。もう身動きできないほど身体が弱っても、また自分でご飯が食べれない状況になっても、人は何年も生きながらえる。点滴、胃ろうなど栄養を摂取するにはさまざまな手段がある。 病院や施設という清潔な場所ではそもそも感染症なんてものにかかることも稀で、もうなんというか亡くなるきっかけを失うように思う。


人間は寝て、おきてを繰り返し、いつか目が覚めなくなるみたいに老衰ってものをイメージしていたのだが、僕のイメージは覆った。寝て、おきてを繰り返してるうちに もうそれすらも分からない朦朧とした期間が、2,3年続いて(この間、病院や施設に入っているわけだ)そしてやっとなくなるのである。


こんな時代が来ることは、祖父はおろか父たちも想像するのは難しかったであろうと思う。だからここ、10年の介護との向き合い方は非常に難しかったと思う。 僕たちはこの経験を生かし、父達とのかかわりかたを考えて生きたいと思う。来るべき日に備え、緩やかに着陸できるような準備を、元気なうちから進めていければ、と。まだ、準備時間はあるのだ。しかし確実に減っている。だから、一歩づつ意識、環境を作っていきたいと思った。


おじいちゃん、長い間、お疲れ様でした。

2012-03-23

2012年03月23日のツイート

2012-03-22

2012年03月22日のツイート

2012-03-21

2012年03月21日のツイート

2012-03-20

2012年03月20日のツイート