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空気吸うだけ

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2016-09-14

[]『君の名は。『君の名は。』を含むブックマーク

君の名は。(通常盤)

★★★★☆

初日に見たのですが、劇場は高校生ぐらいと思しき若い子でいっぱい。コミカルなシーンではクスクスと笑い声、佳境に入ってからのシリアス展開ではスンスンと泣き声も聞こえてきて。映画が終わった時、横にいた二人組など興奮した面持ちで「ヤバいぐらい号泣したな(大意)」と口にしておりました。

まさか新海先生の映画が、このような大々的な没入エモ体験を巻き起こす日が来るとは……。思い出すのは前々作『星を追う子ども』のことで、あの時は劇場がどっちらけた空気に包まれる中、カップルの男性が「いや前作は良かったんだよ、本当だって!」と女性を必死になだめておりました。あのカップルは元気にしているでしょうか。麦わら帽子はどこにいったのでしょうか。余計な御世話ですね、はい。

その『星を追う子ども』の時点で(出来はともかくとして)ポエムからストーリー主導の劇映画路線に舵を切り、続く『言の葉の庭』という佳品をものにしていたとは言え、今回の『君の名は。』がここまで出来るようになっているとは思わず、嬉しい驚きでした。

以下、ネタバレ。

例えばモブの扱い。ラーメン屋の爺さんが弁当渡して「あんたの描いた糸守。あらあ良かった」と言うくだり。あーこの爺さんにも人生があって、少年の描いた絵によって郷愁が呼び覚まされたのだ、彼のことを応援してやろうと思ったのだ、と背景が瞬時に立ち上がってきます。いやそれぐらいの効率的演出は普通やん出来て当たり前やろ、という声あるかもしれませんが、でも過去作においてはそのような手管とはてんで無縁、『秒速おセンチメートル』の爺さんとか電車の窓閉めるだけ、主人公のKOKOU感を高める道具でしたから。それに比すと超速の進歩と思います。

かつてアントニオ猪木は若手レスラーに「リングというキャンバスに絵を描けるか?」と問うたそうです。つまりただ漫然とラリアットを繰り出すのでなく、観客のエモーションを掌に乗せて操り、最終的に己が見せたい景色へ連れて行く、それが一流のプロレスラーであると。そういう意味で、今回の新海先生は見事なプロレスラーぶりであったと思います。満員の観衆のど真ん中でエンタメプロレスを敢行し、どっかんドッカン湧かせています。あの線の細かった若輩のヤングライオンが立派なメインイベンターにならはって……。言うなれば新海先生はオカダカズチカ、レインメーカーですよ。映画館に金の雨が降るよ。今なら告白実行委員会とだって勝負できるって、やってやるって!

終盤の『秒速』を模したすれ違いなど、言わば2.9プロレスです。皆が試合に決着がついてくれと願う、神木きゅんと萌音ねん再会してくれと祈る中で焦らしにじらして遂に必殺技が炸裂、カウント3入った!てなもんです。かく言うわたくしもこれには冷静ではいられず、やられてしまいました。ベタの物語部分では勿論のこと、メタな部分でも(過剰に)感情移入してしまったからです。

かつてロマンチック・ラブの否定に拘泥し「運命の出会いなんてねぇんだ!恋愛は成就しねぇんだ!」とナイフみたいに尖っては、触るもの皆傷つけた新海先生。ボーバクたる不安を胸に携帯パカパカ、新宿歌舞伎町でバーボンきめた新海先生。踏み切りに過去の恋愛の幻影を垣間見てメソメソするだけ、徹底した受け身のマグロプレイヤーだった新海先生。そんな新海先生が幾星霜の時を経て、ロマンチック・ラブがあってもいいじゃないかという境地に達し、二人の若者の出会いを祝福する。「君の、名前は」と問いかけることで、これからの物語は始まるのだと高らかに歌い上げてみせる。し、新海先生ー!遂にやりましたよ、男坂登りましたよ!ベタとメタが捻って交わる螺旋の感激がここにはありました。

これまでの新海先生は『ほしのこえ』→『雲の向こう』→『秒速』→『星を追う子ども』→『言の葉の庭』と傑作、駄作を交互に撮る初期フィンチャーのような趣きがありましたが、それと言うのも新しきに挑戦しては失敗し、その反省を次作に生かすという正攻法勝負を粘り強く繰り返してきたからと(今ならば)思えます。

『ほしのこえ』の成功を受け、最初に手掛けた長編映画『雲の向こう』。インタビュー読みますと、新海先生自身もこれ最大の苦心作と認め「何しろ経験がなく、三人以上の登場人物を動かす脚本も絵コンテも出てこなかった」という旨を語っています。わたくしこれ公開当時にシネマライズへいそいそと駆け付けたものですが、ナンチャッテSFにもなっていない内容におおいに失望して「先生あきまへん、背景だけ描いて脚本は他人に任せた方がええですわ」とかエラソーに言うておりました。

しかし新海先生はオリジナル脚本に拘り抜くことで次にあの『秒速』という傑作をものにします。現代ニッポンを舞台に、美麗な背景映像と感傷的なモノローグ。新海先生の必勝パターンはここに完全確立した観あり、しばらくは同工異曲の試合を続ければ良さそうなものですが、次に挑んだのが『星を追う子ども』。必殺技を封印し、ストーリー主導の映画にチャレンジしたものの、ジブリちゅうかJRPGの亜流とでも言うべき代物になっておりました。

続く『言の葉の庭』ですが、印象的だったのは予告で流れる「セカイの秘密そのものにカノジョは見える」という台詞。わたくしなど早合点して「先生やっぱりそれですよね、童貞モノローグ、得意技でハメ殺しですね。いいっすよ、UFC挑戦とか大それたことは諦めてシコシコやりましょう」などと思ってしまったのですが。これミスリードで実際は「カノジョはセカイの秘密そのものではない、弱さを抱えた一人の人間だった」というお話でした。『秒速』ポエム路線に戻ったと思わせて、その実は小さなドンデン返しを含む劇映画になっていたのです。

つまり腐れオタクである我々、いやわたくしは「新海先生、階級下げて得意のアウトボクシング、通好みの試合で勝ち星拾っていきましょ」などと思っていたのですが、先生自身はむしろ階級上げての真っ向勝負に挑んでいったのです。その成果が今回、『君の名は。』において結実したのだと思います。見誤っていたのは自分だったのねと、いつまでも童貞と思うなよ、と(今ならば)反省する次第です。

あーもちろんこの『君の名は。』とて、何もかもが上手くいっている訳ではない、ツッコミ入れたくなる箇所も当然あります。例えば誰もが真っ先に思うことでしょうが、携帯アプリ使いながら○○のズレに気付かないのってどうなん……。あるいは説得シーンがきっちり描かれないのが肩透かしだよなーと。憑依モードの時は出来なかったお父ちゃんへの説得を、リアルモードの時はなしえる。それをもって親子の相克が解消されて目出度しメデタシが王道プロレスちゃいますの……とかですね。

だだ新海先生の新進の気風、あくなきチャレンジ精神、これがある限り次回作、そのまた次回作と期待して良いのではないでしょうか。ちょっと油断すると、また『星を追う子ども』みたいな爆弾をカマす可能性もありますが。たぶん大丈夫だと思う、大丈夫なんじゃないかな。

長過ぎるのでここまで。以下は余談。観た後にオタク仲間と交わした喫茶店トークより抜粋。

  • パンフ読むと、ユキちゃん先生こと花澤先生のシーンはわざわざ『言の葉の庭』の作画監督に描いて貰ってるそうな。業が深過ぎるちゅうか、新海先生どんだけはなざー好きなんやと。
  • その花澤さんも出演していた『絶園のテンペスト』。○○のズレとか、実は○○○いたとか、もしかして元ネタこれではないか説。いやいや新海先生はタイムスリップとか村を救うとか、元ネタはコニー・ウィリスの『航路』だと言うていたよ。さすがにそれはないはず……。
  • オッパイ揉むのはサービスサービスであって、新海先生の性欲はあそこには向いていない。先生の性欲はむしろ携帯パカパカとか、優しくしないでとか、そういう精神的なこじらせにこそ大出力で宿るものであるから……。でも口噛み酒はガチだと思う。
  • 女の子モードの神木きゅん超可愛くなかった?もっと見たかったから、入れ替わりがなくなったと宣言された時、かなり残念な気分に。長澤まさみパイセンと仲良くなる展開など最高で、あれは一部のオタク(要はオレ)の中にあるマッチョ否定、リビドー嫌悪、チンポを喪失した状態で女の子と仲良くなりたいというドリーム実現と思う。さすが新海先生や……やっぱりモノが違う。
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