Hatena::ブログ(Diary)

空気吸うだけ

カレンダー
2003 | 12 |
2004 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 04 | 06 | 08 |
2009 | 01 | 05 | 08 | 09 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 |
2012 | 11 |
2016 | 09 |

2016-09-14

[]『君の名は。『君の名は。』 - 空気吸うだけ を含むブックマーク

君の名は。(通常盤)

★★★★☆

初日に見たのですが、劇場は高校生ぐらいと思しき若い子でいっぱい。コミカルなシーンではクスクスと笑い声、佳境に入ってからのシリアス展開ではスンスンと泣き声も聞こえてきて。映画が終わった時、横にいた二人組など興奮した面持ちで「ヤバいぐらい号泣したな(大意)」と口にしておりました。

まさか新海先生の映画が、このような大々的な没入エモ体験を巻き起こす日が来るとは……。思い出すのは前々作『星を追う子ども』のことで、あの時は劇場がどっちらけた空気に包まれる中、カップルの男性が「いや前作は良かったんだよ、本当だって!」と女性を必死になだめておりました。あのカップルは元気にしているでしょうか。麦わら帽子はどこにいったのでしょうか。余計な御世話ですね、はい。

その『星を追う子ども』の時点で(出来はともかくとして)ポエムからストーリー主導の劇映画路線に舵を切り、続く『言の葉の庭』という佳品をものにしていたとは言え、今回の『君の名は。』がここまで出来るようになっているとは思わず、嬉しい驚きでした。

以下、ネタバレ。

例えばモブの扱い。ラーメン屋の爺さんが弁当渡して「あんたの描いた糸守。あらあ良かった」と言うくだり。あーこの爺さんにも人生があって、少年の描いた絵によって郷愁が呼び覚まされたのだ、彼のことを応援してやろうと思ったのだ、と背景が瞬時に立ち上がってきます。いやそれぐらいの効率的演出は普通やん出来て当たり前やろ、という声あるかもしれませんが、でも過去作においてはそのような手管とはてんで無縁、『秒速おセンチメートル』の爺さんとか電車の窓閉めるだけ、主人公のKOKOU感を高める道具でしたから。それに比すと超速の進歩と思います。

かつてアントニオ猪木は若手レスラーに「リングというキャンバスに絵を描けるか?」と問うたそうです。つまりただ漫然とラリアットを繰り出すのでなく、観客のエモーションを掌に乗せて操り、最終的に己が見せたい景色へ連れて行く、それが一流のプロレスラーであると。そういう意味で、今回の新海先生は見事なプロレスラーぶりであったと思います。満員の観衆のど真ん中でエンタメプロレスを敢行し、どっかんドッカン湧かせています。あの線の細かった若輩のヤングライオンが立派なメインイベンターにならはって……。言うなれば新海先生はオカダカズチカ、レインメーカーですよ。映画館に金の雨が降るよ。今なら告白実行委員会とだって勝負できるって、やってやるって!

終盤の『秒速』を模したすれ違いなど、言わば2.9プロレスです。皆が試合に決着がついてくれと願う、神木きゅんと萌音ねん再会してくれと祈る中で焦らしにじらして遂に必殺技が炸裂、カウント3入った!てなもんです。かく言うわたくしもこれには冷静ではいられず、やられてしまいました。ベタの物語部分では勿論のこと、メタな部分でも(過剰に)感情移入してしまったからです。

かつてロマンチック・ラブの否定に拘泥し「運命の出会いなんてねぇんだ!恋愛は成就しねぇんだ!」とナイフみたいに尖っては、触るもの皆傷つけた新海先生。ボーバクたる不安を胸に携帯パカパカ、新宿歌舞伎町でバーボンきめた新海先生。踏み切りに過去の恋愛の幻影を垣間見てメソメソするだけ、徹底した受け身のマグロプレイヤーだった新海先生。そんな新海先生が幾星霜の時を経て、ロマンチック・ラブがあってもいいじゃないかという境地に達し、二人の若者の出会いを祝福する。「君の、名前は」と問いかけることで、これからの物語は始まるのだと高らかに歌い上げてみせる。し、新海先生ー!遂にやりましたよ、男坂登りましたよ!ベタとメタが捻って交わる螺旋の感激がここにはありました。

これまでの新海先生は『ほしのこえ』→『雲の向こう』→『秒速』→『星を追う子ども』→『言の葉の庭』と傑作、駄作を交互に撮る初期フィンチャーのような趣きがありましたが、それと言うのも新しきに挑戦しては失敗し、その反省を次作に生かすという正攻法勝負を粘り強く繰り返してきたからと(今ならば)思えます。

『ほしのこえ』の成功を受け、最初に手掛けた長編映画『雲の向こう』。インタビュー読みますと、新海先生自身もこれ最大の苦心作と認め「何しろ経験がなく、三人以上の登場人物を動かす脚本も絵コンテも出てこなかった」という旨を語っています。わたくしこれ公開当時にシネマライズへいそいそと駆け付けたものですが、ナンチャッテSFにもなっていない内容におおいに失望して「先生あきまへん、背景だけ描いて脚本は他人に任せた方がええですわ」とかエラソーに言うておりました。

しかし新海先生はオリジナル脚本に拘り抜くことで次にあの『秒速』という傑作をものにします。現代ニッポンを舞台に、美麗な背景映像と感傷的なモノローグ。新海先生の必勝パターンはここに完全確立した観あり、しばらくは同工異曲の試合を続ければ良さそうなものですが、次に挑んだのが『星を追う子ども』。必殺技を封印し、ストーリー主導の映画にチャレンジしたものの、ジブリちゅうかJRPGの亜流とでも言うべき代物になっておりました。

続く『言の葉の庭』ですが、印象的だったのは予告で流れる「セカイの秘密そのものにカノジョは見える」という台詞。わたくしなど早合点して「先生やっぱりそれですよね、童貞モノローグ、得意技でハメ殺しですね。いいっすよ、UFC挑戦とか大それたことは諦めてシコシコやりましょう」などと思ってしまったのですが。これミスリードで実際は「カノジョはセカイの秘密そのものではない、弱さを抱えた一人の人間だった」というお話でした。『秒速』ポエム路線に戻ったと思わせて、その実は小さなドンデン返しを含む劇映画になっていたのです。

つまり腐れオタクである我々、いやわたくしは「新海先生、階級下げて得意のアウトボクシング、通好みの試合で勝ち星拾っていきましょ」などと思っていたのですが、先生自身はむしろ階級上げての真っ向勝負に挑んでいったのです。その成果が今回、『君の名は。』において結実したのだと思います。見誤っていたのは自分だったのねと、いつまでも童貞と思うなよ、と(今ならば)反省する次第です。

あーもちろんこの『君の名は。』とて、何もかもが上手くいっている訳ではない、ツッコミ入れたくなる箇所も当然あります。例えば誰もが真っ先に思うことでしょうが、携帯アプリ使いながら○○のズレに気付かないのってどうなん……。あるいは説得シーンがきっちり描かれないのが肩透かしだよなーと。憑依モードの時は出来なかったお父ちゃんへの説得を、リアルモードの時はなしえる。それをもって親子の相克が解消されて目出度しメデタシが王道プロレスちゃいますの……とかですね。

だだ新海先生の新進の気風、あくなきチャレンジ精神、これがある限り次回作、そのまた次回作と期待して良いのではないでしょうか。ちょっと油断すると、また『星を追う子ども』みたいな爆弾をカマす可能性もありますが。たぶん大丈夫だと思う、大丈夫なんじゃないかな。

長過ぎるのでここまで。以下は余談。観た後にオタク仲間と交わした喫茶店トークより抜粋。

  • パンフ読むと、ユキちゃん先生こと花澤先生のシーンはわざわざ『言の葉の庭』の作画監督に描いて貰ってるそうな。業が深過ぎるちゅうか、新海先生どんだけはなざー好きなんやと。
  • その花澤さんも出演していた『絶園のテンペスト』。○○のズレとか、実は○○○いたとか、もしかして元ネタこれではないか説。いやいや新海先生はタイムスリップとか村を救うとか、元ネタはコニー・ウィリスの『航路』だと言うていたよ。さすがにそれはないはず……。
  • オッパイ揉むのはサービスサービスであって、新海先生の性欲はあそこには向いていない。先生の性欲はむしろ携帯パカパカとか、優しくしないでとか、そういう精神的なこじらせにこそ大出力で宿るものであるから……。でも口噛み酒はガチだと思う。
  • 女の子モードの神木きゅん超可愛くなかった?もっと見たかったから、入れ替わりがなくなったと宣言された時、かなり残念な気分に。長澤まさみパイセンと仲良くなる展開など最高で、あれは一部のオタク(要はオレ)の中にあるマッチョ否定、リビドー嫌悪、チンポを喪失した状態で女の子と仲良くなりたいというドリーム実現と思う。さすが新海先生や……やっぱりモノが違う。

2016-09-10

[]『シン・ゴジラ『シン・ゴジラ』 - 空気吸うだけ を含むブックマーク

シン・ゴジラ音楽集

★★★★☆

わたくし、庵野先生がゴジラ映画を手掛けると聞き、これは事故物件確定ですぜフヒヒとほくそ笑んでおりました。きっとあれでっせ、構図とエフェクト描写だけキメキメでお話はおざなり。まーそれならそれで一向にかまわんウヒヒなどと思っておりました。

何故なら庵野先生って爆発描けば世界一の天才アニメーターだけれど、物語作家としては全く信頼が置けないと思っていたからです。それは予告編が公開され、どうやら今回のゴジラは震災をモチーフに、リアル志向のドラマをやろうとしていると推測される段階になっても変わらず。むしろ庵野先生、荷が重いんちゃいますの、そんなんこなせる能力ありますのと完全にナーメーテーター、侮っておりました。

以下、ネタバレ。

ところが蓋を開けてみると『シン・ゴジラ』はきちんとリアル志向のドラマになっていて、それも会議と現場で構成される(伊藤計劃さん言うところの)指令室映画として滅法面白いのだから驚きました。

押井監督がまだブイブイ言わせていた遠い昔、監督がもしゴジラを撮ったならば、情緒を廃した硬質な怪獣映画になるのではないか……言わば場外カウントや反則オーライの既存プロレスとは一線を画し、あくまでキックと関節技で勝負を決するUWFのように……などと妄想逞しくしていたものですが(今思えばウブですねー)その夢想をまさか庵野先生が叶えてしまうとは思いもよらなんだです。

また更に驚いたのは、長谷川博巳さん演じるシキシマ先輩の描かれ方です。序盤、彼の提言が無視される辺りはキタコレ、俺だけが危機を予測していた、それなのに硬直化した組織は俺の才能を生かせない、ベンチがアホやから野球ができへんねん、だから遅過ぎた言ってるンだ案件ですね分かります、わたくしも大好きですこのパターンなどと思ったのですが。

『シン・ゴジラ』はそういう話になっていません。庵野先生は今回、単騎天空を駆けるヒロイズムではなく、みんなでやろうと、みんなで諦めず、最後まで地道に仕事をやろうと主張しています。シキシマ先輩が事態の矢面に立つことになった時、問題を解決するのは彼独りの能力ではなく、集団の協力と地道な手続きの積み重ねによってこそと描かれています。ごちそうさまと言う普段の所作も疎かにするもんじゃないよと。時に頭を下げる上司の根回しだって必要だよ、それは格好悪いものじゃーないンだよと。

あと最後の述懐には『L.A.コンフィデンシャル』を想起したりも。汚濁を知りながらも敢えて権力ある立場に留まり、仕事を成し遂げるのだと。感情任せに「そんなの関係ないよ!」とシャウトしていたシンジ君、あるいは「大人になれ」と説教しながら空虚でなんも背負っていなかったゲンドウパパとはえらい違いです。

庵野先生、大人ですやん……立派な経営者みたいな台詞書きますやん……。そうだよな、株式会社カラーの代表取締役社長だもんな……。忘れてましたよ……。

これ見る前のわたくしの読みなんぞより遥かに高い目線から創られていると思いました。ウヒヒ予想していたのがたいへん恥ずかしい。侮り過ぎでしたゴメンなさいと謝罪したい気持ちです。

あーでもでも、だからと言って、夏エヴァの恨みは忘れないからな。別カウントだからな。これはこれ、それはそれだからな!(まだ言う)

2012-11-20

[]『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 - 空気吸うだけ を含むブックマーク

Shiro SAGISU Music from“EVANGELION 3.0

★★★☆☆

唐突なヒールターン、「いいかオイ、ポカポカなんてねえんだよ!」と観客をアイアンフィンガーフロムヘルで急襲。と思っていたのだけれど……。

以下、ネタバレ。

わたくし、このエヴァ新劇場版は旧劇場版の修正を試みているのだと思っておりました。旧劇場版、いわゆる夏エヴァの過剰にエキセントリック中年で攻撃的なところ。映画館の観客を大写しにしてみたり、「庵野死ね」という書き込みを挿入したり、挙句にムギューと首絞めて「気持ち悪い……」でカーテン引いてみせたり。いやあれはあの時代の気分としてはリアルだったのだろうけれど、さすがに歳を取ったのよ、もうそういう気分ではないのよ、健全なエンタメやりますよ、プロレスしよ、な、プロレスしよ。それがエヴァ新劇場版の目指すところだと思っていたのです。だからこそ『序』ではミサトさんが「わたしたちも土日出社してるの」とシンジ君を宥めすかしたり、『破』ではレイが「ポカポカしたい」などと抜かしたりするのだと。

ただわたくし、この微温的な改変を諸手をあげてバンザイする気分にはなれませんでした。まだナイーブな僕様ちゃんだった頃に夏エヴァを見、てひどいダメージを食らった人間なものですから、「今更優しくされてハイそうですかと尻尾振れるかよ!おりはよう、おりはよう!」という屈折した怨念がガモガモと沸き起こってきてしまうのです。まーメンドくさい。

とは言え、この軟着陸路線は妥当と言えば妥当、実際おいらのようなオタ以外にも受けているのだから、まーええんちゃいますか。みたいな感情もあったのです。言うなれば現在の新日本プロレス、棚橋エンタメ路線に対する受容の仕方。ベビーフェースが勝利するハッピーエンドで愛してまーすと観客も大合唱。これで多くの人々が幸せになるのであれば、今更ストロングスタイル云々と腐すのも野暮天だよな……と。そう思っておりました。

ところが今回の『Q』です。正直、最初から最後まで口ポカーンでした。なにこの超展開……どうしちゃったの庵野せんせい、ポカポカエンタメプロレスするんじゃなかったん……。突然のヒールターンに受け身も取れずオロオロするばかり。

終わった後も喫茶店でギニャーと悶絶談義です。「庵野せんせいご乱心」「もしかマジメにエヴァを作り直すのに飽きたのか」「ヤマト2199やりたくなったとか」「いや、それよりモヨコと上手くいってないんじゃ……」と真剣な顔で話し合い。それより自分の人生を見つめ直せという話です。

しかし一緒に見た友人が、「いくらなんでもこれおかしくない?」と。『破』の時に流れた予告と今回はまるっきり繋がっていない。だいたいあの時の終わりは、エヴァソゲリオンがメルトダウンしそうなところに槍降ってきて急停止、カオル君降臨で「今度こそ君を幸せにしてみせる」とかなんとか。それで今回の『Q』展開じゃーバカの書いた脚本ですよと。たぶん次回は『破』の続きから始まり、綾波を助けることが出来たルートの話なんですよと。つまり再びポカポカプロレスにベビーターンするための布石ですよと。

あー言われてみれば確かに。以前から赤い海であるとか、ループものじゃないかという指摘はあったけれど、わたくしはそれ旧劇場版に繋がる世界なんだと思っていたのですね。そうじゃなくて、この新劇場版のシリーズ内でループもしくは分岐してるという設定なんだと。

大いにありうるよなーと思えるのは、スタッフも重なる『トップをねらえ2! 』にてやはり「○○が実は××でした!」という仕掛けを用意していたことです。そう思うと急速に腑に落ちることが多々あり、今回のトンデモ超組織とか、キャラクターの改変とか、ケツ拭く気ないから故の大振りなんだと。次回予告で流れたアシュラ男爵なんかフォローする気もないギャグちゃいますのと。とすれば完全にイッパイ食わされたわけであり、上で書いたようなわたくしの煩悶はいいカモと言う他ありません。

いや、ここまで書いてきても若干の不安も拭えず、ふつうに『Q』の設定のまま続いたらどうしよう……とも思うのですが。どちらにしろ次回公開されたらわたくしはまたいそいそと足を運んでしまうのです。く、悔しい、でも感じちゃう!(どうしようもない)

DersuDersu 2012/11/20 02:04 2年半ぶりの更新がコレというのがなんとも… みんな庵野が本質的には自分のチンチンの話を書きたい私小説作家なのは知ってるんだけど、庵野がワークとしてラノベが面白いもんだから、ラノベとして全うしてほしいと願ってる。庵野はそれに応えるようなそぶりを見せつついきなり私小説に舵をきって「なあ、オレのチンチン形おかしくない?大丈夫かな」みたいなことをスニーカー文庫で言い出して客を絶望させる。そんなことを17年続けてる。

DersuDersu 2012/11/20 02:05 訂正、「庵野がワークとして書いてるラノベ」でした

atozatoz 2012/11/20 03:45 おいら自身、久しぶりの更新がこれかよ!とは思いましたよ……。深夜に勢いで書くとロクなことないんだよな……。

atozatoz 2012/11/20 03:49 ライスワークを全うしてくれ!と大半が願っているというのは確かに。佐山聡みたいなものか……。タイガーマスクしてくれれば良かったのに、血が騒いで制圏道してしまうという……。

DersuDersu 2012/11/21 19:14 「破」が好評だったうえにメチャクチャビジネス規模がでかくなってるのに平気で「ウソよねーん」と手のひら返して菅原ヴンター発進!できちゃうのは、国民的ヒーローだったタイガーマスクを「ただの布」と言いきった佐山を彷彿とさせますね。しかしTV版・旧劇であらゆる罵詈雑言を浴びても生き延びてきた庵野の根性は半端じゃないです。庵野は「オレは何を言われてもいい(実際言われてきた)、しかしお前は必ず殺す」と観客に特攻かけてきてるわけで本当に怖い。客を深く傷つけることができるのはこういう捨て身の人なんだよな…

atozatoz 2012/11/22 01:24 ただ上で書いたように、今回のこれはかつての夏エヴァのように観客を殺しに来ているのではなく、テンコジ警察結成に至るための三味線なのだとしたら、更にたち悪い、たち悪いのですがあんた凄えよ……とも思います。
週刊連載の漫画とかならともかく、こんな数年単位の映画興行で上げ下げをやってしまうなんてと。
いやでも違うのかな……ああ、もっかい見てみようかしら(カモ過ぎ)

2010-02-11

[]『(500)日のサマー』 『(500)日のサマー』 - 空気吸うだけ を含むブックマーク

500 Days of Summer

★★★☆☆

自分とは縁もジェンヌゆかりもない、コジャレた映画かと思って敬遠していたのですが、かなり熱い童貞映画でした。倫理的な落とし所もごく真っ当で、軟着陸のススメと言いましょうか。

以下、ネタバレ。

たまたま最近『ボーイズ・オン・ザ・ラン』を読んでいたので引き合いに出すのですが、あの漫画では序盤のヒロインちはるはビッチもビッチ、理解できないもの、暗黒神ヨグ=ソトースとして片付けられてしまいます。でもこの映画はそうではない。サマーはビッチではないし、むしろ彼女に自分の身勝手な理想像を押し付けてしまう童貞男子側の問題、幼さをホロ苦く描いて自省を促されます。

トム君が公園でサマーと再会する場面が良いです。今までの仕事を辞めて、遣りたい事へ向けて走り始めた(筈の)トム君。ちったあ成長しているのかと思えば、サマーを詰問してしまう相変わらずの無様っぷり。ヒィイイイ…許して下さいオイラが悪かったんですぅ…と画面から目を背けたくなります。それでも、別れ際ではトム君もサマーを祝福し、未来に幸あれと告げることに成功します。ここグッときます。童貞がヤセ我慢してカッコつける瞬間があると、無条件に支持したくなるのです。

と、映画自体は楽しませて頂いたのですが。インターネッツ上で「サマー分かるわぁ。わたしも同じなのよねぇ」的な感想を読むと、僕様ちゃんの中のミソジニー、童貞ダークナイトがムクムクと湧き上がってきて…ちょっとマタンゴと言いたくなります。トム君の頭がお花畑なのは認めますが、サマーも十二分に問題ありますよ…。

例えばバーでの遣り取り。あの場でのトム君の行動は、そんなに唾棄すべきことなのですか…と思うのです。俺だったら目逸らして遣り過ごすよ…あるいは殴られた挙句に逃げ出すよ!むしろワンパン成功したトム君なんてデカした!(byフォッカー少佐)てなもんですよ。いやサマーはそういったマチョ気分、「オレがオレのカノジョを守る」という自意識こそ嫌うってことなんでしょうが。これをオイラが「だよねー分かるわー」とは到底言えないです…。

「でもあれなんでしょおおお、そこをサマーの気持ち分かるよねーとか言う方がモテなんでしょおおお!」と居酒屋で吠えたところ、友人(既婚者)に「そんなことだけじゃモテませんよ。つうか映画どうこうでモテたりとかないです」と返されシュンとなりました。そうですよね…いちばん爆破したいのは自分自身だ…うぐぅ。

2010-02-08

[]『マイマイ新子と千年の魔法』 『マイマイ新子と千年の魔法』 - 空気吸うだけ を含むブックマーク

マイマイ新子と千年の魔法  オリジナル・サウンドトラック

★★★★☆

50万周期の時を超え、カールチューンが呼び覚まされる…わけではない。失われたのではなく、初めから存在しない物語。

以下、ネタバレ。

終盤、横の席のオッサンがスンスンと泣いており、気持ち悪いなーと思っていたのですが、気付けばオイラもメソメソと落涙。まー気持ち悪い。

フィクションをノスタルジーとして消費するのは、あまり宜しくないことだと思うのですが、この映画に郷愁を感じないと言ったら嘘になります。もちろん自分が生まれ育った年代や土地柄は、劇中の人物たちと程遠いのですけれども、あのような時間はかつてわたくしにも確かにあったと思うのです。

新子や貴伊子は些細なことに夢中になって喜び、あるいは心を痛め、必死になって走り回ります。それは時に筋の通っていない、無茶な行動に見えるのですが、彼女たちにとっては極めて切実なことに感じられます。薄汚れたオッサンとなったわたくしにも、子供の時分にはあのようなひたむきさ、誰かのために全力で行動する瞬間がありました。それが今ではジャガリコを貪りながら『けいおん!』を見てヤニ下がり、『ゆびさきミルクティー』に爆笑する毎日。美しさの欠片もない…!もう戻れない、もう帰れない日々。失われて久しい物語。そのことを思ってハラハラと涙に暮れるのです。

と言うのは嘘です。まやかしです。何故ならば、僕様ちゃんは既に子供の頃からして極めて怠惰な人間だったからです。新子や貴伊子のように健やかでも美しくもなく、狡っ辛いガキンチョでした。子供時代と現在のわたくしは途切れることなく繋がっていて、昔も今もセコく「ズルして頂き!」を信条に生きています。そんな人間からすると、『マイマイ新子』はあまりに眩しく、貴い物語に思えるのです。

念のために断っておくと、この映画は無邪気な子供を無条件に肯定し、あの頃は良かったなーと感傷に浸るお話ではありません。むしろ世界には子供が知覚することの出来ないアレやコレやがあって、それは黒でも白でもなく、ひとりの人間や社会の中に同居しているんだぜ、という風に語られます。例えばタツヨシのおとん。あるいは保険医のひづる先生。話が進むにつれ、全き大人に見えた彼、彼女も完全無欠ではないことが明らかになります。しかしだからと言って腐ってやがる、薙ぎ払え!と否定されるわけではない。ひづる先生はキチンと祝福されて旅立ってゆくし、タツヨシはおとんを嫌いになったりはしない。

そのような複層的な世界の上で、新子や貴伊子の見せる勇気や情熱は尚のこと美しいものに思われます。だからこそわたくしはエグエグと嗚咽するのです。うーん、どっちにしろ気持ち悪い。