熊本とカレー

大学の学部・修士・博士+αで積算すると人生の1/3の期間、熊本に住んでいた。熊本はとにかくメシが美味く、定食屋・ラーメン屋・うどん屋・焼き鳥屋等々、大学生が使えるお金の範囲内でも、ハイコスパの美味い外食にありつけた。

色々と通った店はあるが、中でも学部3回生の時に住んでいた、自宅から歩いて数分のマンション1階に出来たカレー屋は印象深かった。こだわりの強そうな独特の書体で書かれた手書きのメニュー。みじん切りの玉ねぎ(と当時は感じた)に絡みつく、スパイスに溢れたザクザク食べれるカレーに衝撃を受け、そこから修士の卒業までちょこちょこと通うようになった。

 
その後、紆余曲折を経てもう一度学生として熊本に戻ったのだが、その頃には元のマンション1階にはカレー屋が無くなっており(たこ焼き屋か何かになってた)「もう食べられないのか…」と少し残念に思ったのを覚えている。

…そこから1年と数ヶ月ほど経った頃、車で通った道路沿いに見覚えのある手書きの字体を見て「まさか!?」と思って調べたところ、色々とあって一度閉店したものの、場所を変えて店を再開させていたとのことだった。

 

前の店舗ではベースメニューが2種類(ボルケーノ:ザクザクしたカレー、ラーゴ:ルゥタイプ)で、そこに時期替わりのオリジナルカレー(牛すじ煮込みカレーとかあった)や豚足などのサイドメニューがあったと記憶する。新たな店舗では、ベースカレーにキーマが加わり3種類から選べるようになっていた。

 

数年ぶりに食べることが出来たカレーの味は、やはり初めて食べたときの衝撃をそのまま追体験できる代物だった。そこからまた数年間、チョコチョコと通うようになった。その間、熊本地震があったり、学位を取ったり、熊本で働いたりと自分の身にも動きはあったが、、、

 

ある日、お店のマスターから「店を閉める」と声をかけられた。

 

これまでカレーを食べに行った際、お店に余裕があるときにはマスターのお話をちょこちょこと聞いていた。「ユニークなカレーのアイデアはどうやって出てくるのか」から「前の店を閉めたいきさつ」なども。本当に波乱万丈な体験をされた上で、今の店をされていることを伺っていた。

 

なので、直後の自分は「えっ、なんで?」と衝撃の顔をしていたのだと思う。その次に言われたのは「病気が理由でね。医者の友人に『今の生活を続けるのは絶対にダメだ』と言われた」とのことだった。。。

 

閉店の前、最後に食べに行った際「レシピみたいのって無いんですか?」と聞いたら「お兄さんは頭がいいんだから、味を分析して再現できるでしょ」と笑われたのを覚えている。(そういえば、後から入ったお客さんが冷凍して保存すると言って、ルーを注文して持ち帰ってたな…)

 

それから転勤で熊本を離れ数年経った。久しぶりにマスターのお名前で調べると、お知り合いと思しき方のブログで亡くなられた旨が書かれていた(他に裏が取れる情報がないのですが、日付まで記載があるのでおそらく間違いは無いのでしょう…)。

 

矢沢永吉がお好きで、ある日食事に行ったところ、たまたまファンが集まる日だったらしく、お店の前で集まる人に「永ちゃんファンですか?」と聞かれたことがあったなぁ(「あっ…いや、違いますけど…」と言ったら、「あー失礼しました!お先に入ってください。我々は後から入るんでー」と譲っていただいた。皆さん、紳士でした)。

 

衝撃を受けたあのカレーを味わう機会が、もう、二度とこないだろうことが分ってしまい、衝撃を受けてしまったので、久々に書きました。今のところ、あのボルケーノを越えるカレーに出会う機会はまだありません。

 

美味しいカレー、本当に、ありがとうございました。

 

直接お名前を伺う機会も無かったのと、他に情報も無いので、実名を述べるのは控えますが、ご冥福をお祈りいたします。

論文査読

連日、共著の先生と論文査読修正事項の協議中。

正直、いままで何度もこれでしんどい目にあってきた。
自分の不出来を責められるから、しんどいし、自分には向かないのではないかとも思ったりしてたんだけど。

よくよく考えれば、経験が足りないんだから不出来で当たり前ではないか。
やり方をちゃんと勉強して、自分の身につくまで、何度でも言われ続けてやんよ!!

自分の論文をきちんと世に残して、認めて貰おうという意思をしっかり持ってないと、良くならん。
半端な気持ちではダメなので、ここが、踏ん張りどころ。

ようやっと

4月にプロジェクト研究員に就任してから3ヶ月、ようやっとプロジェクト立上げ時のドタバタ仕事が落ち着き始めてきた。
大学のシステムにウンザリするとこもあるが、雇ってもらっている立場だし、下手に黙々とを心がけて、愚痴やストレスの発散は別でちゃんとやるようにせねば。
環境へ順応出来ないとなー

いつ観たか?それが問題だ

特にきっかけもないんだが、学生時代に授業の一環でTHE WINDS OF GODを観劇したことをふと思い出した。
亡くなられてしまった今井雅之氏原作の舞台で、覚えているのが、ステージ上に設置された飛行機(のセット)に乗り込んでからの最後のシーンは20年近く経っても記憶に残ってる。
ただ、観劇時期が小・中・高のいつの時代か?の記憶が薄い。多分、中学時代だったと思うのだけど、それだと劇団(シアター青芸)のHPにある公演実績の開始時期とあわない。やっぱり高校なのかなぁ・・・。

ちなみに観劇した市民会館は数年前に休館の上取り壊されたらしい。

思い出に浸ったところで、作業の続きをやろうかね。

ど根性ガエルの娘15話を読んでみた

ど根性ガエルの娘』週刊アスキーで連載されてて読んでいたのが、いつの間にか掲載されなくなってたので「?」と思っていたら、ヤングアニマルのウェブで公開されてた。全然知らなかった。

ひょんなことから15話を読んだんだけど、読んだ直後、衝撃的すぎて呆気に取られた。
関連する過去のインタビュー記事等を探して読んでしまうほど、、、衝撃。
掲載誌が変更したのも、「そういうコト」かと。

ノンフィクションとはいえ、救いの無さすぎるオチが一般受けしないだろうってのは自分のような素人でもわかる。そりゃー「衝撃的なコトもあったけど、今はみんなで幸せーって感じで」って要望するわ。これは、何を見せるかというエピソードの取捨選択の話。でもさ、色々過去にはあったけど、今は全部がうまくいってて、幸せで、大団円なんです〜なんて話、現実にはそう無いような気がするんだよね。必ずどっかに綻びやら解決できていない問題が残ってる。

15話を読む限り、週アスの連載開始当初は構成に不都合な部分に当たるエピソードは描く気無かった。その見せてなかった部分みたいなところが、単行本1巻の発売間近という非常に絶妙なタイミングで垣間見えてしまった。

こっからさらに凄いと思ったのは、「そんな漏れ出てた不都合な事実は無かったコトにして、大団円のまま終わらせる。」って選択肢を取らなかった点だ。だって単行本出る直前なんだから、そりゃー普通は無かったことにするよ。でも、作者の大月さんは「意図して見せてこなかった不都合な部分を含め、もっと深い部分まで踏み込んで描く。」という選択肢を選んだんだな。ご自身の家族のコトをもっと深く描写し、自身とも向き合って表現されているという点が本当にグッと来た。

大人になっても、受け答えに正解を見つけてしまう癖は本当に共感する。
焼き肉の話、自分が一番苦しいと思っていても、周囲の家族には全く伝わらなかったって点、凄い怖かった。

次はどんな話が出るのか、楽しみにしとこ。

やはり追いつめられているワナ

今度は1年ぶりの更新。
1年前に心がけるようにエントリに書いてたけど、結局今は、精神的に若干追いつめられている。。。
前進はしているんだけど進みが遅くてうわーってなっている感じ。


・・・この1年で「エゴサーチ」という言葉の存在を知る。
ネット上で自分の名前を検索して、どのような評価が書かれているか調べることを差す言葉なんだと。
有名人とかは気にするんだろうなぁと思ってた程度なんだけど、、、


結構な人が既に気付いていることなのかもしれないけど、最近ちょっと思ったのが、有名人がTwitterエゴサーチリツイートすると、その相手が無名個人の場合でも、一気にフォロワーに拡散されて広まるんじゃね?って話。
「つぶやき」って言葉自体は、すごい軽いイメージなんだけど、リスクを考えるとTwitterでつぶやくこと一つでも周囲への配慮が必要だったりと、なかなか大変だと。

4年ぶり更新

年末年始
30日に帰郷して、洗車して、両親の実家に挨拶周り&年始会
2日の父親の実家に向かう途中の車中にて、
自分が生まれた直後、母親が育児ノイローゼにかかっていたこと。
そのことに、早くに気づいてやれなかった父の後悔を聞く。
「もし結婚して子供が出来たらちゃんと気遣ってやらないといけないよ。」と言われたが、まだまだそんな話は先のことでっせ(^O^)

しかし、平々凡々と大きくなってきたが、裏では両親が苦労していたってことを再確認した年末年始だった。
マイペースな息子に育ったので、まだまだ一人前に働いて、結婚するとかは程遠い、、、
心苦しいが、もう少しだけ辛抱してもらおう(^_^;)

今年の目標
自分のペースで、精神的に追い込みすぎない程度に頑張る。ってところか。