夏への扉の最近の書評がおかしくないか?

0.最初に
今回の記事は、リンク先わすれてほったらかしていたブログに記載する、鬱憤晴らしのためのチラ裏です。
むっと来て思わず書いてしまった。今は少しだけ後悔しているってやつです^^;

最近SF作品のおすすめ記事が妙に乱立している。が、その中で夏への扉を愚作としている記事が数点出てきた。読んでみると「こいつら本当にちゃんと読んでいるの?」と思うような記事が多くて、知らない人に誤解されそうと思ってしまった。
 というわけで、自分なりに反論めいた記事を(こっそりと)書いてやろうというわけです。元記事にアクセスが行くのは癪に障るので、特にリンクは載せない(ばき

1.夏への扉は猫好きなら読むべきだろうか?

 夏への扉の書評には必ずといっていいほど「猫好きなら読むべき」という感じの文章が記載されている。
言ってしまえば「猫好きでなくても読んでいい」と思う。猫好きなら読むべきとも思わない。
 この小説を読んで、猫嫌いの人が多少の嫌悪感を持つ場合はあるかもしれないが、猫好きになる人はあまりいないだろう。猫好きな人が猫萌することもないと思う。
 ただ登場する猫=ピート=護民官ペテロギリウス 君はそれほど活躍するわけではないが、とっても勇敢で、正義感が強く、独善的である。実に猫らしい良いキャラクターだ。

2.夏への扉センス・オブ・ワンダーがない?

学生時代にセンス・オブ・ワンダーという言葉をつかったら「なにそれ?」と言われたことがあります(^^;
簡単に言うと、その小説が独自に持っている新機軸というか、アイディアというか。
 そんなわけはない。50年代後半のくだらないSFが乱立した時代に今でも読み継がれている小説にセンス・オブ・ワンダーがないとは言えないだろう?
 例えば、パーツをモジュール化した記憶装置付き万能メイドロボット(ただし掃除機のような形で人型ではない)、原始的かつ機械的・物理的なCAD、振れば火のつくタバコなど、面白いガジェットがたくさん出てくる。必ずしも間違っているわけではないが、配線に金を使わなくてはいけないというアナログな感覚が良い。さすがに基盤とか集積回路という概念は出なかったのだろうね。大型化することさえ抜かせば、実配線のほうが基盤よりある意味性能が良くなるのは現在でも変わらない。

 でも、今となってはもっと良いツールが普通にあるから、つまらないとはならないでしょう? 使い古されたアイディアだって言われても、これがオリジナル(?)だし。古き良き過去に書かれた未来を楽しむに面白さを感じても陳腐とは思わない。映像が出て切り替わる新聞? 今はタブレット端末でインターネット上のニュース見るという現実があるから陳腐だよ。なんて言っているあなた。某ファンタジーで出てきた写真が動く新聞も許せないの? それとも、ファンタジーなら許せるの?
ましてや今の時代にマッチしていないから読む価値がないなんてナンセンスにも程がある。そういう人は時代劇もシェイクスピアもくだらないというのだろうか? スペース・オペラは銀英伝スターウォーズがあるから、レンズマンキャプテンフューチャーは見る価値もないと? これらの作品が明らかにレンズマンに影響されているというのに。ラノベが氾濫しているから、明治時代の雑誌(正岡子規の主催したホトトギス)に掲載されたラノベ吾輩は猫である」は駄作だと? 

3.夏への扉の主人公はロリコン

 たいていの書評を見ると、主人公=ロリコンという書き方をされているが、全然ちがう。
彼は、婚約者と親友に裏切られ、薬を打たれて、信頼性が薄い冷凍睡眠会社にて無理やり冷凍睡眠させられた。もとからヤケになって冷凍睡眠には行こうとしていたのだけど、このへんの経緯はネタバレになるので一応おいておく。この婚約者は当然大人の女性である。技術者である主人公が営業である親友と起業した会社の事務員として雇っていた女性だからね。
さんざんネタバレしているから記載するが、最終的には親友の義理の娘と結ばれる。彼女が最初の時点で子供だったから、ロリコン説が浮上したのだろう。しかし、それは明らかに間違っている。
主人公は婚約者に裏切られ絶望した。その時に以前より親しくしていて、自分に好意を寄せていた少女のことを思い出す。つまり、この誰も信じられなくなった世界で唯一残った信頼出来る人間がこの少女しかいなくなってしまったわけだ。その彼女は親友からも、親友とつるんだ元婚約者からも疎まれていて、危険が近づいている。
そこで、彼女を(彼女の祖母のもとへ)保護するアドバイスをしに行き、その場で別れを告げる。が、彼女から自分を真剣に愛していると告白される。それならばと、「大人になってもまだその意志があるなら」君も「20歳になったら」冷凍睡眠しなさい。未来で目覚めたら、結婚しようと約束する。
 つまり、主人公は子供の時点での彼女には親しみ以上の感情は、ほぼ抱いていない。ましてや、光源氏のように自分の理想の女性に育てようともしていない。単に純真な知人の少女がこれ以上不幸にならないように願い、たとえ自分と結ばれる事にならなくても彼女が幸せな一生を送ってくれれば、それはそれで良いとだけ考えている。もちろん、彼自身にとっては最後の希望になるわけだが。
これがロリコンだといわれる人物の行動だろうか?
そして、彼女のとった決断は・・・。本編を読んでください。
 ま、ハインラインが性倒錯的なのは動かし用のない事実だが、夏への扉ではそれほど強烈でもない。むしろ、その点をあげつらうなら、ヌーディストな夫婦との出会いなんかの方が、よっぽど意味が無いと思う(^^;
でも、あの夫婦のキャラは好き。ラストシーンに出てくる夫のほうからの手紙の一節「年をとって、彼女はますます美しくなったよ」というのが深い夫婦の愛情を感じてよいのですよ。


4.話が稚拙でご都合主義すぎる

 これはごもっともだと思う。
 まぁ、今時の作品群を大量に読んでいることと、時代背景によるものだろう。
 なんといっても発表されたのは50年代後半。古き良きアメリカの時代で、未来には夢と希望しかない時代だ。21世紀には空飛ぶ車が飛び交い、家族旅行に月旅行にいっているだろうなんて言われていた時代。環境破壊や世界的不況なんて考えたこともない。人類はこれからどんどん発展していくと思われていた時代の娯楽作品。故に、ご都合主義とかいうのはナンセンスじゃないか? あるいは当時のSFは2度の世界大戦後の悲惨な時代からの脱却としてポジティブな思考が求められていたのかもしれないけどね。
 もちろん、同じ時代、近い時代にもっと暗雲たる未来を描いた小説も、もっとプロットが緻密で重厚な小説もたくさんある。それはそれで楽しめば良いと思う。夏への扉はハードSFというにはちょっとライトすぎるのは否めないが、それを求めなければ十分楽しめる万人向けエンターテインメント小説だ。故にちょっとSFなるものを読んでみようかなという若者には(それ以外にも?)十分楽しめると思う。

ただ、ラストシーンの主人公はちょっと調子に乗りすぎだと思う(w

こんなトコロで、だいたい思っているところを書ききったので、終了します。
近いうちに、もう少し別のネタとかも書くようにしたいな

ふと気づいたけど、あの記事、わざとこういう反応を出すためのネタだったとしたら、うまく引っかかったな(T_T)