ATSUの弁護士日記

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atsuhirolaw

一行紹介

日常でふと感じた一般的事柄を書く個人的・気まま日記です

自己紹介

東京都渋谷区神宮前(原宿)に生まれる。

      • 原宿病院で出生する。当時の原宿は開発前であり,単なる普通の街に過ぎなかった。その後4歳のころに,横浜市の飯島直子も住む綱島に引っ越した。綱島も今はかなり賑やな街となっているが,当時はもの凄い田舎だった。鶴見川でよくザリガニなどを捕まえた。小学校の入学前に,原宿に舞い戻った。

神宮前小学校(途中港区麻布の南山小学校に2年間)から,

      • 小学校時代はずっと「鍵っ子」(私は両親が離婚したため,母と一緒に暮らしていたので)であり,放課後は女の子(ブリジストンの豪華な社宅に住んでいたA倉みどりさんは忘れられない)とよく遊んでいた。成績はオール3くらいで,先生にひいきされることは全くなかった。一度南山小学校に転校したため,転校が2回となり,転校生の悲哀を味わうことになり,その悲哀から身を守るためにギャグを身につけ,その威力を身を以て実感していった。小学校高学年の頃,いわゆる列島改造ブームが起きて,原宿は一気にファッションの町へと転身していった。

上板橋第1中学  

      • (お笑い集団大川興業総裁大川豊ー高校も同じであったーや,おぎやはぎの小木も同じ上板一中だそうだ)
      • 渋谷区から板橋へきて,その下町振りにはびっくりした(渋谷はいいところだったようだ)。そのころ,中学校は校内暴力やツッパリなどで荒れていたが,幸い私は2年の時に割と平穏なクラスに恵まれて,そこそこ勉強することができた。

都立豊島高校(声優-タッチやハイスクール奇面組出演・高橋美紀は3年間同じクラスでバレー部のマネージャーでもあった)入学

      • 高校受験は5段階評価で3と4が半々の成績で,なんとか二流都立高校である豊島高校にもぐり込んだ(が,内申が関係ない一発勝負の受験で,意外にも東大に合格者を出す私立巣鴨高校にも合格したーしかし,金がないので都立校に行った。)。
      • さて,高校時代はバレー部(補欠)に入部し,高2まで練習に明け暮れていた。が,私の世代になってからは常に1回戦で負けていた。バレーに打ち込んだため,成績はクラスで30番台を低迷していた。しかし,高2の9月から,女性にもてたいという不純な(?)動機で突如勉強を開始し,2学期の中間テストでクラス35番から1番にジャンプアップした。しかし,成績は上がったが,それでもてるようになるわけでもなく,女性には相変わらず振られ続けた。高3になり,それなりに受験勉強していたのだが,高3の秋にパチンコを覚えてしまい,その誘惑・刺激に負けて次第に勉強しなくなっていった。そのころのパチンコは,ようやく手打ち式から電動式に切り替わった直後の時代であり,ある機種では絶対に損しない打ち方が存在していた(通称セコパチと称したものであり,要するに止め打ちである。)。当時1日打って平均1200円くらい稼いでいた(当時の1200円はかなりの額であった。)。受験の前日もパチンコをしていて,当然現役のその年は受験した4校全て不合格となった。

成城大学に3ヶ月行く

      • しかし,3月にたまたま受験した成城大学法学部の2次募集(若干名しか合格しない)に合格してしまい6月までは通った。
      • 成城は,アットホームな大学で,観光研究会と法律研究会に所属した(当時の成城大学には金田正一の息子賢一が来ていた。また法律研究会ののE藤さんは仲良くして下さった。)。しかし,司法試験には向かないことから次第に足は遠のいていった。

浪人生活

      • 夏から再び勉強を始めた。浪人時の夏に信州学生村に来ていた同じ高校出身の女性と知り合い,その人が私の初めて彼女となった(受験時まで毎日のように池袋のサンシャイン60でデート?していた,その気が強い彼女は実家が薬屋だったため薬学部へ進学した)。その年の大学受験は,中央大の法学部法律学科と明治大法学部(補欠合格)と早稲田にも合格した。早稲田の合格発表の時は,受かると思ってなかったので,番号を見たときはビックリした。お礼に大隈重信の銅像に何遍もお辞儀をした。

早稲田大学法学部を卒業。

      • 早稲田に入って,キャンパスにあふれんばかりのその学生の多さにびっくりした。また,当時は施設やカリキュラムなど,およそ大学とはよべないほどお粗末であった(生協食堂は戦場であり,喜山は食事のまずさは凄まじいものであったー年代物の洋食店・ボンマルシェで良く食事をしたが,同じクラスの金持ちのT原君はその店に入るなり,目を白黒させていた。)が,教授ー鎌田,浦川ーは夜の9時まで法職課程をやってくださり,やる気がある人には勉学できる環境であった。3年生までは学費の元を取ろうと俗に言う「4階の法読」で,よく勉強した(3年生時は択一合格,全優)。そのころ,法学部の3階や4階には山男のようなベテラン?受験生が沢山いた(自分もそうなってしまったが)。慣れないことをしたので4年生時にどでかい反動に見舞われた(山高ければ谷深し)。勉強もしないで,工場などでバイトをしては遊んでいた。

埼玉県庁へ

      • 卒業した翌年,これではまずいということで公務員試験を受け,その年の12月から埼玉県庁(順位38番)に入り,県税事務所や県民部で仕事をした。途中,霞ヶ関の文化庁にも出向した。当時も司法試験は受験しており,択一は毎年合格していた。が,90年の灼熱38度の中の論文受験以来燃え尽き,徐々に余りやらなくなっていって,92年からは受験もしなくなってしまった。

司法書士試験合格後に再受験開始

      • しかしここまで法律を勉強していて,何の証もないのは悔しいと,司法書士に転向し,96年にクーラーのある前橋で受験して,司法書士試験に合格した(この合格は私にとって自信の回復も含めて非常に大きいものであった)。
      • 横浜の戸塚で97年の司法書士中央研修をしていたとき,研修が楽しくて「よし!とにかく司法研修所だけには絶対行くぞ」と夕刻の伊勢佐木町で突如決意し,再び勉強を開始した。開始から数ヶ月で98年択一に合格する。その後,99衝撃の択一落ち,00年総合C,01年総合E,02年総合Aの過程を経て,03年司法試験にやっと合格した。
      • (G→落→C→E→A→合格ー論文BADGAA総合A順位635番,口述300点順位565番)

司法研修所

      • 修習地はさいたまで,集合修習は8組。クラスでは75人中2番目の高年齢で,なかなか若い人?には馴染めなかった。研修所の300円弁当が好きで,当時誰もいない4階において一人で食べていた。
      • しかし,民事裁判修習では,裁判官やもう一人の配属修習生とうまが合い,とても楽く過ごした。弁護修習では前会長さんに就かせて頂き,とても役に立った。05年修習終了(58期)。

06年からは弁護士として活動している。

      • 趣味は,人間関係に予測可能性を与えて関係を円滑化する星座占い,スポーツ全般,鉄道旅行,競馬,ものまね(鶴瓶,中尾彬,デーモン小暮,出川,江頭など),チャットである。
      • 弁護士稼業をやってみて,この稼業はブログに書けない,まさに人間欲望渦巻くルツボたる側面が多いし,人間の嫌な面ばかりみることになる。若い新人がその中にノーガードで入るのはちょっと危ない気がする。
      • 尊敬する人:車 寅次郎(男はつらいよ) 

・・理由 欲もなく,周りを元気にする人だから。

      • 取得資格(取得順)
      • 昭和年代 宅建, 行政書士
      • 平成元〜10 簿記2級, 測量士補, 司法書士
      • 平成11〜 現行(旧)司法試験, マンション管理士, 英検2級(^^;)
      • 平成22 海事代理士取得


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