ストレスフリーになろうよ!

自分はいわゆる社会人というものを都合15年ほどやっているのだが、年をかさねるごとに若かりし頃もっていた「大いなる夢」みたいなものが「現実」によって侵食されていくことを実感する。
特に自分の場合は「根拠なき自信」「どこから湧き出るのか不明の万能感」に突き動かされて学生時代にグループ・サウンドというか簡単にいうとバンドでいわゆるメジャー契約を獲得し、またその条件も悪くないものであったため根拠がないはずの自信を助長させる結果になったのである。
しかしやはり根拠のないものであり、つまり虚なることに自我の根っこのようなものを置いていたのは今となっては明白で、まあここには書ききれないが紆余曲折あって自分はそのバンドグループを脱退し、時間拘束の見返りに給与をいただくという一般的な社会人のスタイルを取ることで生計を立てることになったのである。
冒頭に書いたようにそれから約15年ほど立つのだけれども、多くの社会人の人が感じるであろうが、とにかく組織に属して労働するというシチュエーションには「理不尽」なことがセットになっていることが多い。
現在自分は仕事において理不尽、納得がいかない、なんでやねんこら的なことをぐぐっとがまんして同時にニコニコしたりして事を無きにしてクリア、なんて芸当をこなしている。
その結果どうなるか。
ストレスである。
「あなたのストレス発散法はなんですか?」なんてのがインタビューやアンケートに多いのはやはり社会の理不尽に溺れる人が多いからで、それを「バッティングセンターで1000球打つことです」「一般道を時速160?で走ることです」「万引きすることです」など人それぞれ様々であろう。
そういった様々なストレス解消法に共通しているのは鬱屈した日常を完全に忘れ、目の前のことに没頭し、テンションをアゲアゲにすることであると思う。
ところで自分は盆踊りというものをほとんどしたことがない。
それが10年ほど前だったか東京に居を構えていた時、友達や友達の友達や友達の友達が紹介してくれた友人などよくわからない集団で餃子パーティーを催し、満腹になったのち近所を散歩したのである。
その時実にいわゆるお盆であった。
で、僕が住んでいた杉並区というところは地域性が強く、町内会ごとに盆踊りを開催していたのである。
ちょうど餃子のあと散歩していたらすぐ盆踊りの一団に出会った。
みな、黙々と踊っている。
真ん中にやぐらが組んであり、なんとも言えない提灯の明かりに思わず酔いしれてしまった僕たちは主催者に無断で盆踊りにジョイントするかのようにして紛れ込んで踊り始めた。
演目は炭坑節であった。
一定の明かり。規則的な肉体的運動。延々と繰り返される音楽。
我々は完全にトランス状態にあった。
疲れを感じることなく場がお開きになるまで「掘って掘って〜〜」とか言いながら踊り尽くしたのである。つまりレイヴ体験である。
今思うと、あれは鬱屈した日常なと入る余地のないハイ・トリップ体験であった。
その感覚は今も忘れられない。
そのことを今日思い出して、そうか、仕事で辛い日は盆踊りでトリップに限るな、と思いついたのだけど凍てつく寒波襲来の中、盆踊りなどする機会は皆無だろうて一気に虚脱。

これちょっとマジで……。

Facebookで次のような問題があってそれについてのコメントがありました。

久しぶりに真剣に考え込んでしまった問題です。某幼稚舎の入学試験問題で解答時間制限が5分だというので、僕は落第です(笑)。
でも考え抜いて30分で正解を出しました。いかに大人は頭が固くなってしまっているのか。

問題はこうです。
「4人の男の子が図のように部屋の中に隔離されています。
この4人にはあらかじめ次のことを知らされています。
部屋に入っているのは全部で4人であること。
黒いキャップを被っている人は2人、白いキャップを被っているのが2人。
そして自分が何色のキャップを被っているかは知らされておらず、自分で自分の頭のキャップを手にして見るのは駄目。
またA君とB、C、D君との間は壁で仕切られて相手が見えない。
全員後ろを振り向いて見ることも絶対だめ。
さて、ここまでの条件をこの4人に話した上で、自分が何色のキャップを被っているかわかった人は声を出して答えてください、と部屋の外から先生が問いかけるのです。

ここからが問題です。しばらくの沈黙があった後、自分のキャップの色を当てた少年がいます。それはA、B、C、D4人のうち誰で、その理由はなぜ?という問題です。トンチでもなぞなぞでもありません。極めてまじめな問題なのですが、幼稚園生はすぐに答えてしまうのだそうです。ちょっと自分の脳の固さに落ち込みました。




あのー、これ「普通に大人が考えて」分からないとか30分かかるとかありえるんですかね????
俺分かったよ(ドヤッ) とかでなくほんとに。
こんなの問題文読んで図みたら1秒、まあそれは無理かも知らんけど10秒くらいで分かるでしょ??
そもそも幼稚園の入試問題でしょ。
大人になったから頭が硬くなったとかいう問題じゃないと思うんですよ。
まあ、これが分かったらどうやねんと聞かれたらどうもないですと答えますけど。

高岡騒動とフジテレビ問題について在韓の韓国人の友達にいろいろ聞いてみた・改変

俳優の高岡蒼甫さんのTwitterでの発言が元になって様々な噂が飛びかい、思いもよらぬ事実が明るみになったりしている近頃。
話題はフジテレビの外国人の株保有率から、すわ放送免許停止か?などというニュースにまで波及(これはライブドアニュースひろゆき氏がコラムのような形で書いたものを記事にしてリリースされたのですが、当のライブドアはとうの昔に韓国企業に買収され、現在はその韓国企業の出資100%の日本法人が経営しています。ってなんたる皮肉!)というか同時並行的にニュースが流れた(はいそこ!邪推しない!)。

さて、高岡騒動のあとこの件に関してロンブーの人やふかわりょう、なぜか浜村淳まで出てきていっそう混沌としてきています。
自分は騒動の初期、これは現地の韓国人は知っているのか?また知っていたとしてどう思ってるのか、というのが気になりました。
そこで、同業に就いていたということで仲良くなった韓国人の友人(といってもネット内ですが)にずばりメールで聞いてみたのです。

■そのメールの全文は以下―――――


“ お久しぶりです。お元気ですか。

日本は6月からずっと異常に暑くて大変です。
また原発事故の影響で、他の原発で定期検査を受けて再稼働して電気を供給するはずだったものまでとまってしまい、慢性的に電力が不足しています。
そのためにクーラーの使用は最小限にするというのがいまや常識になっています。
ただ、それで熱中症になって亡くなった老人がたくさんいるので問題は簡単ではありません。

さて、ちょっと気になることが日本で起こりつつあります。
始まりはネット掲示板2ちゃんねる)での書き込みでした。

※日本では2ちゃんねるに常駐していて常にさまざまな板(2ちゃんねる内のカテゴリ)をチェックし、自分でも書き込むというような人を「2ちゃんねらー」と呼びます

要約すると、日本のテレビ放送局のフジテレビが「韓国ブーム」ということを捏造してどんどん番組で紹介し、さらにエスカレートしたことで2ちゃんねらーたちが騒ぎ始めました。
例えば女子世界フィギュアの後などは優勝した日本の浅田真央選手のことよりも先にキム・ヨナ選手の特集を30分もやるなどといったことをやりました(わざわざ浅田選手のズッコケ等身大パネルを用意した番組もあります)。


ほかに、フジテレビでは歌番組はK-POPがほとんどで日本人はほとんど出ないような番組もあります。
確かにKARAや少女時代の知名度は高いのですが、セールスはよくありません(つまりTVで煽動してもそれに見合っただけの人気が出ていない)。
実はこれにはカラクリがあって、日本で活動するK-POPの歌手の歌の著作権は、なんとフジテレビが持っているのです。
なので、「K-POPが流行っている!」と無理矢理にでも放送して、少しでも売上を伸ばそうということらしいです。

そして、日本でとても人気があり実力もある宮崎あおいという女優さんの旦那さんがツイッターで「最近のフジテレビはどうなっているんだ?」と投稿。
どんどんエスカレートして「放送局が【これがいい!】なんて押し付けるのはオカシイ。しかも韓国のタレント。僕は日本人だ。日本人の歌が聞きたい」とも投稿。
「韓流のゴリ押しはごめんだ。それが映ったならすぐにテレビを消す」

ただしその旦那さん、高岡さんという俳優なんですが、韓国の俳優さんの中には心から尊敬する人や好きな韓国の俳優・女優、中のよい韓国人はいるとも発言しています。


彼が言いたいのは日本の放送局がどうして韓国を押し売りするのか?という点らしいのです。
ところが、そういったツイートを投稿した翌日、所属事務所を解雇されてしまいました。


では、フジテレビはどうしてそういうことをしているのか。
これがちょうどある人の指摘で明るみに出ました。
日本の法律では、放送局は公共の電波を使うので厳密な審査が必要です。当然日本の電波ですので、日本の会社にしか放送免許はおりません。
ところが放送局も株式会社で、上場している場合誰でも自由に株が買えます。

そこで。

もし(ありえませんが)、どこかの局の株式をアメリカ人が100%買ったらどうなるでしょう。
そう、乗っ取りです。正確には51%を一人の株主が持つと議決権のトップはその人が持つことになります。
これは問題です。
ですので、法律で「放送局の株式の外国人の保有率は20%を超えてはならない」という規定があります。
それを超えると放送免許取り消しになります。

ところが、フジテレビは外国人保有率が28.9%もあり、それが韓国人だというんですね。
※免許停止にならないのはいろいろとカラクリがあります


僕はレイシストでもないしナショナリストでもない。反韓でもない。むしろ好きなほうです。料理おいしいしね(笑)

ただ、上に書いた事は僕の理解を超えています。


◯◯さんはこの件についてどう思いますか?
あと、こういった騒ぎは韓国では報道やネットで伝わっていますか?

PS.なんと菅直人首相はある団体を経由させて北朝鮮にお金を送っていたことが発覚し、今大問題になっています ”



■そして返答は以下(要約)―――――


“ アツシさん、こんばんは。
本当にお久しぶりですね、お元気ですか。

日本は猛暑で大変ですね…最近、ソウルは大雨で山が崩され、数多くの被害が出ています。日本は大雨の被害はないでしょうか。

■韓国の週刊雑誌などのメディアではK-POPのことは特集記事やコラムとかでよく登場している
■フランスとかのユーロッパでもK-POPは大評判だというニュースが流れている
■ニュースではK-POPがどれだけ人気か、という点を強調している
■フジテレビや解雇された宮崎あおいの旦那さんの話は、ネットで調べたらちょっと出てくる程度
■上記の話題はニュースでなくBlogに翻訳されて公開されている程度
■しかも事態の把握も明確にできない形である

■自分的にはフジテレビ(※管理人注・スターダストプロモーションと誤認している)が解雇するまでやるのは理にかなっていないと思う
ツイッターは自分の意見を自由に言ってもいいはず
■人の好みはそれぞれなので、韓国が好きな人があれば、嫌いな人があるのは当然

●私は時々以下のようなことを感じる
■日本で成功した韓国の俳優を見ると、韓国のファンと日本のファンへの待遇(※ファンサービスほどの意か)が違う
■ある俳優が軍隊に入る前に日本のファン限定のイベントした
■韓国のファンには特別なイベントをするでもなくそっけない印象を受けました
■最近、ペ・ヨンジュンさんは一人の韓国の記者を訴えましたがその理由は「自分が移り住む家の写真を撮ったからプライバシーを侵害した」で、損害賠償請求(?)がかなり高額であった
■では果たして日本の記者が同じことをしたら(もちろん日本の記者はそこまでしないと思いますが)訴えたのか?(※管理人意訳・日本での芸能活動は金になるので日本国内ではゴタゴタを起こさないはずだ)

答えになったかどうか知れませんが、高岡さんのことはとても残念で、どうか良い方向に事態がおさまれば幸いですね ”


うーーん、論点が伝わっていないようなのが残念ですが、この騒動は韓国では問題視されていないようですね。
取り急ぎこの記事を書いたので、自分が書いたメールの内容にソースや注釈を添えられていなかったり、返答のほうにも同じようなことがあるのでこんど加筆・修正してまた記事を書いてアップしようと思います。

また、彼女からの返答から考えるに、韓国の芸能人やプロモーターも当然ビジネスとしてアジア圏進出を狙い、それに沿って活動している。つまり払いがいいなら本国より日本でたくさん笑顔を振りまくということ。
これは職業俳優、職業音楽家として当然の発想でなんら問題はない(まあ、母国でじわじわと人気が出て、日本でブレイクしたとたん「ニホン、ソシテ、アナタノコトガスキダカラ」になるってのもアレですが)。

と、このメールのやりとりからは自分が現地の韓国人から聞き出したいことは取れなかったと言わざるを得ません。
ただ、彼女は僕のメールの文章がまずかったせいか、表層の問題しか語っていない。
今騒がれているのは、メディアを使って、オーバーな言い方をすると、自国の文化を他国に洗脳に近い方法で流布させ、ここはちょっと話がそれるのですが、「外国人参政権」まで狙っていると。つまり体のよい”侵略”をされているのではないか、ということ。
分からないように嘘のブームを捏造し、日本人を虜にし、国家間の問題をすり抜ける形で知らない間に外国(ここでは韓国)が日本に侵略していく。
これだけ読めば完全に『トンデモ』の世界ですな……。

ちなみに自分はそのような『トンデモ』や陰謀論の側に立場を置いていない。
フジテレビの問題は純粋に「?」なのである。

しかし同時に『大韓民国国家ブランド委員会』なるものが実在するのも確かなのである( http://goo.gl/gfRF9 )。
国家ブランド委員会』を国が運営しているってこれ、かなりの『トンデモ』じゃないか?

今回、韓国人の彼女とのやりとりでは核心にせまったことは情報として得られなかった。
また、国家ブランド委員会のこともおそらく知らないようである。

フジテレビの暴走に端を発したこの問題。メールの相手の韓国の人ともう少しやりとりをしてみて、追記、あるいは事後録としてまた記事を書けたら、と思う。

スポーツマンシップにのっとり意地悪をする

テレビでバレーボール、女子バレーの世界大会(おもっくそホーム感出てましたが)をやっているのを見た。
自分はスポーツはやるのも見るのもほとんど縁がないがまあテレビでやっているときはたまに見る。相撲とかも。
実は20年間ほど、スポーツのことを考えてきたのだけれど、やはり競技だから「相手を打ち負かす」というところがポイントになってくる。
相手が返せないところにスパイクを決める。バッターが打ちにくいところを目がけて投げる。相手チームの選手のマークをかいくぐってシュート。相手の相撲取りのがら空きの脇を指してまわしを取る、etc......
何度も言うがスポーツは競技である。
言ってみればやられたほうは嫌な気持ちになるのだ。

※体操やフィギュアスケートのような「見て見て〜お上手でしょ〜〜」系は置いておく

相手はやられたら嫌な気持ちになり、やったほうは勝利に近づき喜ぶ。
と、書くとなんだかスポーツって「嫌がらせしたもん勝ち」という概念がふと脳裏をよぎる。
しかしそこは”スポーツマンシップ”ですよ、山ちゃん。
高校野球を見て、「うわぁ、私の年収低い…」じゃないや、「うわぁ……いけずやな」と思ったことありますか?

※「いけず」は「意地悪」ほどの意味の関西語

思いません。
これがスポーツマンシップのおかげなんです。

しかし

ひとつ、それはもういけずし放題のスポーツがあります。
20年間いろいろと考え続けて「いけずスポーツ」はこれだっ!
という結論に達しました。

テニスです。

テニスを御覧なさい。
とにかく相手が困ることしかしない。
困らないことは一切しない。
ちょっとボール球で様子を見たり、ジャブを打って相手との距離をはかったりしない。
ひたすらいけずをする。

「こっちに打っておいて、つぎはこっち!とみせかけて反対へ!というのは嘘でやっぱこっち〜〜。わはは〜〜」

というスタイルが延々試合中に繰り返されます。
もう見てると涙が出てきそうになります。
そして拍車をかけるのが「いけず」された結果、ボールを打ち返せなかったほうが「はあ〜〜」って感じで必ず脱力する。
ここもポイント高いです。
だって、いけずする→相手ミス→「はあ〜〜〜」→やった方ガッツポーズ、ですよ。
どこにスポーツマンシップがあるのでしょうか。
というわけで20年にわたる観察および研究の結果

テニスはいけずのスポーツと認定させていただきます!

インターネットと多重人格、そしてFacebook日本上陸

なんといってもtwitterが面白い。始めてまだ1年ちょっとなのだがすっかりハマってしまった。
開始した当初はあまりにシンプルなUIのため、「なにをしたらいいの?」という疑問ばかりでつぶやいても、タイムラインを眺めていてもさっぱりその面白さが分からなかった。
ツイ歴1年で分かったようなことを言うのはアレなのだが、twitterはタイムラインに現れるつぶやきがみんな一人称で、それぞれが発信した言葉―情報を「フォロー・フォロアー」という関係性の中で共有し、またリプライやDMでそれぞれが交流できるところに面白みがあるのだと思う。
twitterのサービスの草案は「ショートメールほどの文字数でリアルタイムに仲間同士の状況が把握できるサービス」であった。
その時々のユーザーの状況や思っていることを短文で投稿、閲覧するというサービスの概要から「ミニブログ」とも呼ばれる。
確かにそういう意味では「ミニブログ」と呼べるが、上記のような関係性からゆるいつながりが持てるため、SNSの一種だと自分は思っている。
Web上でそれぞれのユーザーが情報を発信し、それを共有したり互いに交流を持つことができるソーシャルメディアがインターネットを使ったサービスとして主流になっていることは間違いない。
ここでいうソーシャルメディアとはWeb掲示板ブログウィキペディアソーシャルブックマークSNS、そしてtwitterUstreamなどを指す(自分的に)。


ところでかなり前から感じていたことなのだが、使用するインターネットサービスごとにユーザーとしての人格が解離しているという現象が見受けられる。実際ネットユーザーのほとんどが当てはまると思う。
ユーザーがネット上では違う人格になるというのは2ちゃんねるの登場によるものだと思われる。
特に黎明期の2ちゃんねるは完全に匿名性が保たれていたのでレスを読む側にとって投稿主の人格の非同一性などに興味はないし、投稿主自身が無意識のうちに解離して書き込んでいたに違いない。
いつぞやにテレビで”匿名掲示板”の特集をやっていたが、ユーザーが「スレや板ごとに10個以上の人格を使い分けている」とインタヴューに答えていた。
2ちゃんねる内だけでネット解離は起こってしまうのである。そしてそれの尺度を上げるとソーシャルメディアのサービスごとにネット解離が起こっていることに気づく。
それぞれのサービスには暗黙の了解(明示してあることもあるが)や、独特の文化、集団心理のようなものがあり、ユーザーはそれらに追随しているうちに解離してしまうのであろう。
つまり、”2ちゃんねるの私””mixiの私””ブログの私””twitterの私”が知らず知らずのうちにできてしまっているということ。ただし、ここで同一性は損なわれない。なぜなら解離を起こしているのがインターネットというバーチャルの世界の中であるから、同一性はリアルの世界の中で保たれているのだ。インターネットにハマってついにリアルでの同一性まで損なわれてきたらまず病院へいくかパソコンを粗大ごみに出すべきだ。
ソーシャルメディアとしてのインターネットサービスを利用して解離が起こるのは仕方のないことなのかもしれない。2ちゃんねらーと呼ばれる人たちは2ちゃんねるの中では2ちゃん用語?を使う。そうでないと2ちゃんねるに参加しても面白くないに違いない。


ただ、一つ面白い現象だなと思うのがさまざまなインターネットサービスで、ユーザーが2ちゃん用語を普通に使うことである。例えば笑いを表現するために草を生やす「wwwwww」、他に「なになにだお」「DQN」「ワロタ」「◯◯ですが何か?」「乙」マスゴミ」「◯◯厨」「ようつべ」「自演乙」、etc……
なぜ2ちゃん用語が2ちゃんねるの外でも認知されているのか。それは2ちゃんねるに存在するある意味閉鎖的な暗黙の了解や世界観、マナーなどが島国であり数百年も鎖国をしていたという歴史的背景をもつ我々日本人の集団心理と合致する部分が多いからではないだろうか。
それぞれ違うインターネットサービスにおいてなぜか2ちゃん用語が使われているならば、それは解離していても日本人のナショナリティを持っていると言っては大げさか。
逆に言うと、日本で流行し、定着したソーシャルメディアはあくまで日本仕様なのかもしれない。実情は知らないがtwitterの使い方、楽しみ方も日本と欧米諸国とでは異なると思う。


話がそれたが、では解離した自分ではなく、リアルの”私”と同一のまま参加できるソーシャルメディアはないものか。
そのサービスの特性からいってFacebookが該当するであろう。周知のことと思うがFacebookは原則実名で、ユーザー数が世界で5億人の最大のSNSである。元々はアメリカの学生専用のSNSであったが2006年に一般に開放。一気にユーザーが増えた。日本でも2008年にサービス開始。現在日本でのユーザー数は150万人を超えたあたりだという。世界的には先行していたMySpaceをわずか3年で追いぬいてしまった。
ところで自分もかつてMySpaceのアカウントを持ち、今Facebookにも参加している。私見ではあるがこの両者、どこか共通する違和感を感じるのだ。
それはUIがインターナショナルに対応していることなのか、欧米人仕様のいわゆる”大味”UIなのか、なにに起因するものかは分からない。
ただ、そのままだと日本では定着しない気がする。つまりさまざまな国の人達と共通する趣味や話題で交流し、情報を共有するスタイル。これは日本版Facebookを使ってみても日本人にはユーザビリティを感じられないのではないか。
先に書いたが日本でのFacebookユーザー数は150万人。一方mixiは今年2000万人を超えた。
Facebookはどうも日本での普及に本気で取りかかっているようだ。英語に興味がある人、外国の友達が欲しい人、海外に住んでる友達と簡単楽しみながら連絡を取りたい人、等には受け入れられるだろう。
けれど実際はあれだろ。

日本人は日本の友達同士でFacebook

2005年からはじめました

自分はパソコンのことに関しては、疎い、と断言できる。
なにせ自分用のパソコンを買ったのが2005年。
それまでも仕事などで使ったことはあったが個人的に使うということはなかった。って当たり前である。持ってなかったんだから。
それまでずっと持っていなくて、ウインドウズ95が登場しても買わなかった。自分にはいらない無償の長物と勝手に思っていた。
ところがインターネットの爆発的な普及によって興味が湧いてきた。
ちょうとそのころ立花隆が『インターネット探検』(1996)、『インターネットはグローバル・ブレイン』(1997)という著書を発表している。
2005年といえばWEB2.0などという概念が提唱されたころか。
WEB2.0と言われても自分はいまひとつというか本当のところ意味をしらない。
しかし、ちょうどその頃、どうしてもパソコンが欲しくなったことから考えると大体のこと意味はイメージとしてつかめる。
WEB2.0以前、当然自分はパソコンを持っていなかったので、インターネットを利用するのはパソコンを持っている友人のところかネットカフェ(当時はほとんど漫画喫茶という呼び方だったなあ)だけであった。
その頃のインターネットの楽しみ方はいろいろなサイト、企業や興味のあるなにかのサイト、ホームページをあちこち見て回る”ネットサーフィン”がほとんどだったと思う。
それと検索エンジンによる調べ物。
つまり何か知りたいことを調べる、欲しい情報を求めてWEBの海を漂う。そんな風にして情報を得るために使っていた。
その後、2ちゃんねるを代表とする掲示板のサイトなどの利用者が増え、続いて日本にSNSが現れた。元祖的なものでありいまだ日本の代表的なSNSmixiの登場である。
自分は2ちゃんねるはたまに閲覧する程度で頻繁に利用はしなかったがmixiはすぐにのめり込んだ。そう、ちょうどパソコンを買った頃だと思う。
それまでインターネットは自分の向こうにあり、そこから情報を得ていたのに、いつの間にか自分もインターネット、WEBの中に入って、自分発で情報を送ることができた。これがとにかく面白かった。またWEBの世界の中で自分と他人がそれぞれ発信する情報を共有できる、ということがバーチャルではなく、インターネットをインフラとして現実がつながっているということを実感した。
そしてもう一歩大きく進化したのがブログの登場であると思う。
それまで企業や個人の情報提供の場として存在していたWEBサイトではなく、ブログは誰もが作成できるツールが開発されいよいよネット住人総記者とも言える状態になった。
ブログの登場と同時にRSSトラックバックという機能が使われ始め、引用やリンクなどを自動で行えるようになった。
もうこの頃にはネットサーフィンなどというものは過去のものになり、ユーザーは配信される情報を受け取り、またときに配信者となった。同時に掲示板やSNSで情報の共有、意識の交流を日常的に行うようになっていった。

ここまでずらっと書いたが、2005年に初めて自分用のパソコンを買って、本格的にインターネットを活用し始めたというのはタイミングとしてはローラーコースターに乗っているような感じであった。
特にこの数年で”ソーシャルネットワーキング”という概念が浸透してきたと思う。
はてななんてその最たるものだ。
ソーシャルブックマークはまさに情報の共有のための最良のツールである。

さて、いよいよツイッターの登場である。
ミニブログとも呼ばれるがソーシャルメディアの一面もある。
自分もツイッターのユーザーでさまざまな用途に役立っているがまだまだ可能性があり進化するものが出てきたと認識している。

2005年にインターネットデビュー(笑)を果たした自分は、真っ白な状態から近年のWEBの進化を体現したネット住人であると自負している。

なんて言っていると近頃クラウドコンピューティングなるものが登場してきた。
まったく忙しくてしょうがない。