ものがたり(旧)

atsushieno.hatenablog.com に続く

著作物に複製防止技術が施されたら、権利保護の範囲をロールバックする必要がある

多少補足しておくべきかどうするべかと思っていたら、ちょうどいいところに id:inflorescencia:20070518:1179472974 で具体的な解説を書いていただいたので、やっぱりちょっと説明を加えておきたいと思う。けど、返事の形でまとめるより、もともと考えていたかたちで書いてみたい。

inf.さんと僕の発想の違いは、copy of a book (or CD or whatever)を、コンテンツとして捉えているか、それとも著作物が化体した有体物と捉えているか、の違いにある、と僕は思っている(今回の上記エントリでそれが明確になったと思う)。inf.さんはAmazon Marketplaceなどで古書が流通していることを見て、それを「無体物のような」有体物、と表現している。つまり、取引が容易になったことで、有体物の取引があたかも無体物のバーチャルな取引のような形態に接近してきた、と考えているわけだ。

僕の発想は違う。僕はあくまで有体物である書籍(として市場に流通したもの)を、複製権の行使された結果である(権利行使済みの)物体として考えている。書籍は、古典的なコピーライト制度における自然的な排他性を、なおも維持している。すなわち、誰かが所有している間は、コンテンツの消費も排他的である。本人とその周囲のごく一部のみがコンテンツを消費する。こういう古典的なコピーライト制度の想定する権利は「複製権」であり*1、たとえば書籍を炊飯器でバラしてnyで流せば送信可能化権の問題になる(これは全く別の問題であり、混同して論じてはならない)。

inf.さんと僕は、語っている時制(?)が違うだけで(僕が過去〜現在形、inf.さんが現在〜未来形、かな)、考えていることがそう違っているわけではない(と思う)。僕の考えには、Amazon Marketplaceなどの場所において、入手が容易になったとしても、およそ人は入手した書籍を読み終わってすぐMarketplaceに出品しているわけではない、という感覚が根底にある。これは感覚論にすぎないから、反証データがあるとしたら、まあ見てみたい気もちょっとはするけど、出ている数値を評価する指針も別にあるわけではないし、「80%以上の利用者が、買って読んだらすぐに売っている」みたいな目立った結果が出ることもないだろうと思う。

(で、それがremarkableな問題だとは僕は考えていないので、inf.さんが頭を悩ませている「問題」の本質が法の不完全性にあるとは考えていても、僕はそれをbig issueだとは思っていない。)

で、ここからが僕が今日主に書きたかった本題なのだけど、

現在、デジタルコンテンツの流通は、「デジタルメディアなので複製等が簡単に行える」という理由で、(例えば)従来型の著作支分権に適用されていた著作権の制限規定が適用されないような「特別扱い」が認められてきた。ところが、もしデジタルコンテンツであっても、古典的なコンテンツ媒体と同程度の制約が複製防止技術によって生じてくるとしたら、もはやそこでは「簡単に行える」複製など存在しないのだから、従来の法制度のバランスに服した、制度の「ロールバック」が行われなければならないのではないか、と僕は考えている。

これは「著作物の流通が無体物的であれば、その流通は無体物の流通と同様の制約を受けるべきである」という議論と同様の発想に立つ、しかし全く真逆の問題だ。著作物の流通が複製防止技術によって有体物的な制約の下にあるならば、権利の保護も古典的なものとして制約を受けるべきなのである。

法の不完全性、というか、法の内在的規範*2、を実現するには、上記のような政策=法による解決*3が必要になると僕は思うのだ。

*1:だから僕は「複製権」にこだわっている

*2:ここでは、法が本来想定していた権利と義務の均衡

*3:inf.さんの最後の段落に無理矢理合わせてみた:|