恋愛喜劇

いつもと変わらない朝の登校道。
僕はあくび甚だしく。
重い足を引きずっていつものように何をするわけでもなく学校へ向かう。
行きかう人たちの姿に、その人たちがこれから何をするのかなどを予想しつつ。
あの女子中学生かわいいな、などとこの生活に潤いを持ちながら。
毎日毎日変わらず繰り返されるこの生活にはもはや飽きを通り越してあきらめさえ感じている。
ああ、僕にもかわいい女の子の一人や二人声をかけてくれないかな。いやいないこともいないんだけどもっとなんていうか刺激というか。どきどきというか。
「ねぇ。」
この凝り固まっている日常を溶かす美少女が空から降ってきたりとか。
「っておい! 聞いてる?」
そんなジブリ的発想じゃなくてもたとえばあの角を越えた先で女の子とぶつかって、実はその子がうちのクラスの転校生で最初は言い争いばかりしていた二人 (もちろんその転校生と僕)だが、次第にいろいろ過去のことを知り、お互いに励ましあったりして実は向こうはこっちに気があって甘酸っぱくストーリーが展開していくとか。
「あのーもしもしー?」
あ、そうだ! 幼馴染だ。幼馴染。幼馴染が実はずっと僕のことを慕っていて高校生になったらさすがに気恥ずかしさが生じてしまいうまく話せずにいるけど、何かのきっかけで……たとえば事件に巻き込まれたりしてそれを僕が助けるざる状況になり、もちろん見事解決しそして昔から実は、なんていわれて赤面したりして。
「また妄想ですかー。盛んですね相変わらず。って――え。」
とにかく理由は何でもいいから潤いがほしいな。物語の主人公的にさまざまな女の子にすかれたりして。ほかの誰を見ていてもいいから、私はあなたを想い続けてもいい的なこといわれたりして。いいだろうなぁ。というか物語の主人公はできすぎなんだよな。普通あんなにもてるわけないだろ。いやまぁもてる人は確かにすごくもてるけどそんな人をわざわざ主人公にもってきてほしくないって言うのが読者の本心なんだと僕は思うよ。
「ああ、おはよう。明菜。」
先ほどからずっと後ろで気づいてもらおうとがんばっていた(僕が振り向いたときは体中を使って手を振り回していた)同級生の彼女に僕はようやく声をかけた。
「もう気づくの遅すぎ! なんなの。そんなに周りの中学生がかわいかった?」
唇を尖らし怪訝な顔で。なかなか面白い顔してるなこいつは。
「まぁそんなところかな。早いじゃないかお前にしては今日の登校。」
鈴川明菜は酷い寝坊屋で学校でも有名だ。
僕と同じクラスになった当初はそれこそ昼前まで学校に来なかったこともざらにある。
最近はわりかしましにはなったとは思うが、それでも遅刻の常習犯には変わりない。
「そりゃあたまには私だって寝起きのいい日くらいあるわよ。まぁたまにはあんたと一緒に登校してあげないとさびしがるでしょ。」
ここまではっきりいわれるとなんだか苦笑いしたくなるが、まぁ僕の潤いの一つは彼女にあるわけでそこは素直に、うんとだけ答えた。
彼女は当たり前のことのように手を差し出すと僕も当たり前のように手を握ってやる。
もちろん彼女とはとても仲はいいし、とても好きだ。
いろいろなこともやったし、もちろん今ここで言うに憚れないことだって。
いつも思うのは、こいつはとても素直な子だから、その分傷つきやすいということ。
だから僕は彼女を守るためなら何だってしたし、何だってしようと思っている。
いや、できないこともあるからそんなの嘘だけどさ。
それに今はもう現在形ではうまく表現できないな。
傲慢かな。
酷いかな。


一瞬の白昼夢の後僕は現実に戻される。
振り向いた先には助けを求めるように手を振る彼女の姿。
体中を使って必死に。
足があさっての方向に向いている。
それどころか無残にもとても直視できない量の血がコンクリートを伝って……。
なぜ僕は無視してしまったんだろう。いや無視? ただちょっとふざけて。
そしたら笑ってくれると思って。
そしたら唇を尖らして注意してくれると思って。
タイヤの後が鮮明に映る。
轢いといて逃げるなよ、畜生。
しかしそれより何より最悪なのは、僕がその彼女を見て助けもできず助けも呼べずただ立ちすくんでしまったことだ。
彼女は泣いていた。
そして手を振る力もなくなってそのまま。
そのまま。
そのままなんだよ。それ以上何も起こらないんだよ。
そのまま。
絶対的な言葉だ。
そのまま。
そのままなんなんだ。
誰か教えてくれよ。
僕に教えてくれよ。
普通の朝、道端にはたくさんの不幸が転がっている。
僕らはそれに気づかず、何一つ気づかず。
だからこそ他人の僕らは出会ってただただ恋をする。
彼女の冷たい顔に慣れてきたころ、僕はようやく電話を持っていることに気がつく。
急いで119とプッシュすると何をまず言うべきか頭のなかで思案しながら助けの声を待つ。
一瞬でとってくれるはずのそれの着信音が永遠のように感じて。
いっそこのまま切ってしまおうかとさえ感じて。