実力はフォームの美しさに


生でプロレスを見た。 


生まれて初めての経験である。団体名は大阪プロレス、ショーアップの要素が多分に入っている。とはいえリングサイドで見る分にはなかなかの迫力だ。投げられリングに叩き付けられるたびに「ドダン」といった鈍い木の音がする。素人があの勢いで投げられたら、一発で失神させられるぐらいのすごさがある。


が、レスラーは平気だ。前座の選手などは体もそれほど大きくないのだけれど、たとえば上腕三頭筋の鍛え上げられ方が違う。シャツの裾から見えるその筋肉には、まさに筋金が入っている。そうした力をフル解放して試合をやるのは、もちろん危険きわまりないことになる。だからある程度ショー的に見せる演技をするのは仕方がないのだろう。それでもなかなかにおもしろかった。


そして目の前で繰り広げられているプロレスを見ながら、頭の中では一人のレスラーを思い出していた。個人的にプロレスといえばローラン・ボック(正確にはローランド・ボックか)である。テレビで見たのは二度だけ。しかも、そのうちの一度はヨーロッパで撮られた素人ビデオに毛が生えたぐらいの映像でしかない。というか実際にその映像を見たのかどうかさえ、記憶が定かではない。しかし不思議なことに『その』映像は今でもはっきりと残っている。


『その』映像とは、あの猪木さんがローラン・ボックに受け身の取れないスープレックスで投げられ、破れた一戦である。この試合により戦いの場がヨーロッパだったこともあって、ボックは一気に伝説のレスラーとなった。当時でもガチンコのプロレスがたまにはあったのだと思う。たいていは猪木さんが絡んでいる試合で、途中からなぜかセメントになったりした試合があったはずだ。タイガー・ジェット・シンが腕を折られたりした一戦などがそうだったのだと思う。


そうした試合で使われる技は基本的に地味な関節技である。それなのにボックがセメント勝負で使ったのはひたすらスープレックスだった。とにかく組んだら投げる。しかも低く、つまり受け身をとらせないように。頭からマットに叩き付けるように。とてもシンプル、しかしそのフォームには凄絶な美しさがあった。だから印象に残っている。


ボックが日本にやってきたときの試合もテレビで見た。今度ははっきりした映像である。とりあえずダブルアームスープレックスといえば『人間風車byビル・ロビンソン』の世代である。だからボックのスープレックスは、めちゃめちゃ異常に見えた。そこには人間風車で見慣れた華やかさとか大技といった趣がまったくない。


ボックから受ける印象は、ひたすら相手を痛めつける、それも一刻も早く試合を終わらす、そのために全力を尽くすといったもの。ショープロレスの要素はほとんどゼロである。が、なぜか、ボックのスープレックスは美しいとおもった。


後付けの理由にしかならないが、理に適った動きには美しさがあるのだと思う。この場合、理に適うとは目的合理という意味だ。そもそもレスリングとは格闘技である。格闘するということは相手を叩きのめすということであり、格闘技の技はそのために磨かれてきたはずだ。


しかし、ビジネスとしてのプロレスで、体を鍛え抜いた大男たちが真剣にやり合えば、そんなのはビジネスとして成立しない。いくら体を鍛えていても、相手も鍛えているわけだから、本気で戦ったらほぼ間違いなくお互いがダメージを受ける。だからどうしても「見せる」技を取り込まなくてはならない。それでも、十分に楽しめたのだ。ローラン・ボックを見るまでは。


ボックがやったのは、プロレスの文法を無視することである。彼が従ったのはプロレスではなく、本来の格闘技の文法であり、そこには別の美しさがあったのだ。その美しさに魅了された人間はたくさんいたんじゃないだろうか。格闘技の本当の美しさ、相手を倒すためだけに研ぎ澄まされた技の凄みが、ボックの技には間違いなくあったのだから。


もちろん、そうした技は猪木さんだっていくらでもできたはずだ。しかし彼は新日本プロレスのリーダーでもある。プロレスをビジネスとして成立させなければならない。だから格闘技の美しさとプロレスの現実的な側面を両立させるべく葛藤していたのだと思う。


理に適った動きの美しさは、もちろん空手にもある。たとえば回し蹴りのフォーム一つでも、それはわかる。威力のあるしなやかな蹴りは、やはり美しい。あるいは型の演舞を見てもわかる。たとえそれが初めて見る型であり、一つ一つの動きの意味などまったくわからなくても、師範たちの演じる型は美しい。誰だってそう思うはずだ。


なぜなら、そうした無駄のない動き。目的合理的な動作をカッコいいとか美しく感じるように、人間の脳はプログラムされているのだから。もう少し突っ込むと、それが生存には有利だからだろう。


まあ、口で言うのは簡単である。が、仮に正拳中段突き一つとって見ても、人から「きれいやね」と言ってもらえるだけのレベルに達するには、どれだけの数を繰り返さなければならないことか。まさに千日をもって極とし、万日をもって真に至る世界なのだろう。先は長いのである。



昨日のI/O

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『子どもは判ってくれない/内田樹
『ストップひばり君/江口寿史
→実家の本棚で見つけて、つい読みふけってしまった。これもある意味掟破りのマンガでしたね。

ストップ!! ひばりくん! 1 (ホーム社漫画文庫)

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