時間は魔法
日本3分、タイなら1分
カップヌードルの調理時間である。技術的には1分でも十分に作れるし、逆に5分ぐらいかけることも可能。なのだが日清食品は日本ではあえて3分に設定しているという。なぜならそれが「日本人が待つのに長くも短くもない心地よい時間」だからだ。同じ理由でタイではその国民性に合わせて調理時間を1分に設定しているという。(日本経済新聞9月12日)。
時間のマジックである。
基本的に人は「待たされる」ことを嫌う。これがまず大原則である。自発的に「待つ」のと半ば強制的に「待たされる」のでは、その時間に対する評価が大きく異なってくる。これも時間に対する不思議な感覚だろう。
だから、たとえば「これが最後の天王山、ゲーム差1で迎える阪神×中日三連戦の初戦」なんてことになると(今年はたぶんあり得ないけれど)、甲子園球場のまわりを徹夜組が取り巻くことになる。彼らは丸々一晩そこで時を過ごすのだが、それは待たされるのではなく待つのであり、その時間さえも楽しんでいるはずだ。
と考えてくると、大昔のことが思い出される。デザイン事務所などという、いかにも「軽いノリの人が集まりそう」と思われがちな職場に勤めていたのをいいことに、仕事で知り合う女性たちをよく食事などに誘った(え〜と、そんなことをしても、まあデザイン事務所の人やからねぇ、ぐらいに受けとってもらえて許されるのではないかと)。
「じゃあ、どこそこに何時に迎えに行くから」なんてやるわけだが、女の子というのは約束の時間にたいてい遅れてくるものだ。当時は、携帯電話などない時代である。だから、こちらとしては連絡のとりようもなく、ただただ待つしかない。その『待つ』時間を楽しめるかどうか(正確にいうなら『待たされている』と感じずにすむかどうか)は、相手によって大きく違った。
かわいいなあ、いいなあと思っている子が相手なら、やはり『待つ』ことは苦にならないのである。というか『待った』が故に、その後の時間がより充実するというか、密度が濃くなるというか。これだけ辛抱したんだから、きっちり楽しまなきゃ、みたいな気持ちになった。このあたりの微妙な心理状態を掴むことが時間マーケティングの基本になるのだろう。
話が変わるがUSJにはユニバーサル・エキスプレス・パスなるチケットがある。入園料とは別料金になるが、これを使えばいくつかの人気アトラクションでの待ち時間を大幅に短縮できる。長い行列に並ぶ必要がなく、別の入り口から入って行列をショートカットさせてくれる。
これもなかなかうまい作戦だ。
このパスは、7つぐらいのアトラクションで4000円ぐらいだったはず。ということは1アトラクションごとに600円弱の追加料金を払っていることになる。本来ならまったく払う必要のないお金、だが、逆にいえば600円ぐらい出せば、行列に並んで待たなくては済む。この600円を高いと思うか安いと受けとるかは、もちろん人によって違う。
ここで大切なのは、そうした選択肢が用意されていることだと思う。昨日書いた格差社会ほどたいそうな話ではないが、1アトラクションについて600円ぐらいですむなら、待たずにさっさと楽しみたい人もたくさんいるだろう。逆にいえば彼らは待たされるぐらいならUSJになんか行かない、と考える人たちだったかもしれない。だからエキスプレス・パスを用意することでUSJは、これまでなら取り逃がしていたかもしれない人たちを招き寄せることに成功しているわけだ。
一物二価でいいのか、などという疑問が出るかもしれないが、提供されている価値が明らかに違うのだから実際には一物二価とはいえない。同じアトラクションであったとしても、それを楽しむための時間が変わってくれば、価値も異なってくるのだ。これが時間の価値である。
そして、とにかくあふれかえるほどの情報の中でおぼれるように暮らしている現代人にとっては、その情報を処理したり楽しんだりするためにいくら時間があっても足りないのが現状である。だから、これからのマーケティングには『時間感覚の鋭敏さ』が何よりも欠かせないのだと強く思う。
ポイントは、まず絶対に『待たせ』ないこと。時間をかけなければならない場合は、相手が自発的に『待つ』意識を持てるようなセッティングにすること。つまり、待つ時間にもお客様が、何らかの価値を見出せるような過ごし方を考えておくことが大切だ。
これがタイム・マーケティング(という言葉が、すでにあるようだけれど)の真髄であり、その根本はやはりTime is Moneyなのだ。だって、この世の中で何より大切なのは命で、その命は限りある時間しか生きることができないのだからね。
昨日のI/O
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某大手製薬会社・事業報告書企画アイデア