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ぺんぎん堂、楽園の読書と暮らしのあれこれ

2012-12-25

『お堂っこ様』

人鳥堂の飯島です。意見は私個人のものです。

 宮城県黒川郡大和町吉岡上町に『穀田屋』(高平和典)という酒屋があります。酒類の販売だけでなく、『七ツ森の四季』という特別純米酒を酒造、販売している造り酒屋でもあるようです。


『無私の日本人』

 その前代未聞の企ては、明和三年(1766年)三月五日の夜、近世江戸期にあってなお鎌倉時代以来の中世の遺風を残す、仙台藩伊達家六二万石、黒川郡吉岡宿という宿場での二人の男の茶飲み話からはじまりました。一人は、奥州で古くから茶どころともいわれた吉岡で茶師を営み、京都宇治の上喜撰にも劣らぬ銘茶をつくりあげた、いわば改革的産業人とでもいうべき人物、菅原屋篤平治、知恵者です。そして、いま一人が、本書『無私の日本人』(磯田道史)の主人公、穀田屋十三郎です。

 「『公』が、おのれの暮らしを守れなくなったとき、人々はどう生きればよいのか」、疲弊が激しい宿場の行く末を憂い、宿場の人々の「永代のうるおい」を実現するために、悩んでいた彼は、実は、その悩みが、実家浅野屋の先代甚内の対岸であったことを知り、家督を継いだ弟の当代甚内をはじめ老母、妻子のことごとくが身代のすべてをなげうつ覚悟でいたことを知ります。十三郎は、八名の同志とともに前代未聞の企ての実現に突き進んでいきます。

 その前代未聞の覚悟とは、仙台藩の殿様に大金を貸し付け、その利息を宿場のすべての人々に配分するというものです。それには、この吉岡宿のおかれた仙台藩領内における位置付けがありました。吉岡宿は直轄領ではなく、家臣に下賜された領地だったのです。したがって、直轄地では得られる藩からの合力(助成)が得られなくても、課せられる賦役は直轄地と同じという不公平がまかり通り、その重さが宿場の疲弊の原因となっていたのです。

 何度も藩へのねがいあげを重ねても、取り合わない仙台藩に対して、先の様な、しくみと資金の調達を財産をなげうって行い、近世身分社会の幾多の困難も乗り越えて、ついにことを成し遂げ、藩からの利足、小判四十二両、銭九百十二文が吉岡宿にもたらされたのは、安永二年四月五日のことでした。これまでには、多くの人々のかかわりがあり、無名の代官の援助などこれまた武士社会にあっては奇特というべき下級官吏の働きもありますが、詳しくは本書に譲りたいと思います。まずは読んでほしいと思います。

 まさに「無私の日本人」が、ここにいます。しかし、本書を読むとあらためて、現在の私は如何なる日本人なのかと、自身に問うてみないわけにはいかないと感じます。

 十三郎の遺言はほぼ伝わっているそうですが、その第一は、十三郎のしたことを決して人前では語らぬこと、驕らず、高ぶらず、地道に暮らせというものであったそうですが、子孫ほ本当にそうしたと書かれています。地道で正直な商売で、穀田屋は平成まで絶えることなく続きます。ただ、十三郎の小さな木像を密かに作り、家内に納め「お堂っこ様」と呼び信仰したといいます。

 なお、穀田屋には、藩から公式に認められたものではありませんでしたが、「高平」という苗字を隠し姓としてもっていたことも本書では触れられています。

 この本は、年末から新年に、日本の来し方行く末に思いを致すとともに、自らの来し方行く末を想いつつ、心静かに読みたい一冊です。

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