2008-05-02
人間の本質をいとも簡単に見つける方法
「人間の本質とは何だろう?」という問いかけには、ぼくはシンプルに、古典や歴史の中にその答えを求めることにしている。
長い年月を経てもなお、時代の趨勢や移り変わりにとらわれることなく、ずっと変わらずに存在し続けている価値観や事象や性質――それを、ぼくは「人間の本質」だととらえている。簡単に言うと「昔も今も変わらないものが、人間というものの正体」というわけだ。
そして、その正体を見極めるには、古典や歴史が一番なのだ。古典は、人の心の細かな機微や、価値観のニュアンスまでをも感じ取ることができるし、一方歴史は、社会というのもの事象や性質を知ることができる。古典を読んで、あるいは歴史を読んで、その中に今と変わらぬ価値観や事象や性質を見つけることができれば、それがすなわち人間の本質ということになる。
例えば「源氏物語」の中で、主人公の光源氏が、妻の女三宮が産んだ赤ちゃんの顔に、別の男(柏木)の面影を見出す場面がある。証拠はないのだが、どうやら自分の子供ではないらしい。もともと疑ってはいたものの、その顔を見た瞬間に確信した。源氏は、何とも言えないやるせない気持ちになりながら、それでも「ああ、おれはそれでもこの子を育てていくだろうな」としみじみと思う。この「やるせないながらもしみじみする」という感覚は、1000年の時を超えた今のぼくにも強く共感できる。というわけで、これは人間の本質の一つなのだと、簡単に理解することができるのだ。
だから、ぼくは古典や歴史が好きだ。古典や歴史を読んで、その中に、今も昔も変わらない人間の価値観や事象や性質を見つけると、この世の真実を見つけた気になって、一人ほくそ笑むのである。
人がもともと持っているすばらしい感性をなるべく失わないようにする方法
人は誰でも、すばらしい感性というのを生まれつき持っている。それは、本当にすばらしいものをすばらしいと判断できる能力だ。本当に面白いものを素直に面白いと思える心である。
ところが大人になると、人はそれを失ってしまう。失うのを避けることは、どうやらとても難しいらしい。
大人になると、たいていが自動的に失われてしまう。たまに、大人になっても失わない人もいるが、しかしそういう人でもずっと保持し続けることはやっぱり難しい。たいてい何かのきっかけで失い始めるし、しかもそういう人たちは失い始めるとアッという間で、また失う量も人より多い。
最近、NHKで放送された「ミラクルボディー第3回『ハイジャンプ 翼なき“天才”』」という番組を見た。そこでは、2人の世界的なハイジャンプの選手が特集されていた。そのうちの一人に、とても興味を引かれた。彼が、類い希な子供の心の持ち主だったからだ。
その選手のプロフィールを簡単に紹介すると、名前はドナルド・トーマス。1984年生まれの今年24歳。もともとはバスケットボールの選手だったのだけれど、そのジャンプ力がずば抜けていたことから、友人に勧められハイジャンプに転向した。すると、みるみるうちに才能を開花させ、転向してから2年弱で、一気に世界チャンピオンまで上り詰めた。
このトーマスに特徴的なのは、そのフォームが素人目にも未熟だということである。空中で足をバタつかせる飛び方は不格好だし、踏み切りの位置や飛ぶ角度もでたらめ。専門家にいわせると、それはとんでもなく常識はずれで、一言で言うなら「ありえない」のだそうだ。番組に出てきた彼を形容する言葉の中で一番印象的だったのは「世界で最も洗練されていない選手」というものだった。
番組ではそこのところに深く入り込んでいなかったけれど、ぼくが注目したのは、このトーマスが持つ子供の心だった。まず彼は良い笑顔で笑った。それはまさに「子供のような」と形容される類のそれで、笑顔だけでなく、トーマスは何もかもが子供っぽかった。大学に通う車の中で鼻歌を歌っているのが子供っぽかったし、休み時間には彼の好きなマイケル・ジョーダンのサイトをネットで検索しているところも子供っぽかった。もうすぐオリンピックを控えているのに、もしNBA(アメリカプロバスケットボールリーグ)から誘いがあれば、今の立場を放り出してすぐにでも飛んでいくと、バスケットボールへの憧れを無邪気に語っていたのも子供っぽかった。
トーマスのジャンプに対する取り組み方も子供っぽかった。彼は、フォームとか調子とか以前に、朝起きてバーの前に立つと、そのバーを乗り越えていく自分がイメージできるのだという。後はそのイメージに則って、実際に飛んでみせるだけなのだ。そこには理論も経験も哲学もない。あるのはただ、彼の子供のような感性だけなのである。
トーマスが幸運だったのは、彼のコーチも、そうした彼の性質を見抜いていて、変に技術を教えたりしなかったことだ。今の子供のままの感性のところに技術を教え込むと、バランスを崩して飛べなくなる危険性が大きいと判断したのだ。
これはなかなかできないことで、ぼくは本当にすばらしいなと思った。そのコーチはもちろんハイジャンプの専門家で、トーマスのフォームが「ありえない」というのを誰よりも知りながら、それでもあえて彼の子供の感性を守ろうとしたのだ。それを知った時、このすばらしいコーチのもとでなら、トーマスは子供の感性を失うことなく、これからもすばらしいジャンプを続けていけるのではないか――ぼくはそう思った。
ところが、番組の後半になると、トーマスはとたんに飛べなくなっていた。あろうことか、彼は自らのフォーム改良に取り組んでいたのである。そしてそれは(番組では詳しく語られてはいなかったが)どうやら自分で判断してのことらしかった。彼は、踏み切りの位置やジャンプ方法などを見つめ直し、研究と練習で技術を身につけることによって、より高く飛ぼうとしていたのだった。
しかし、その結果は当然のことながら惨憺たるものだった。慣れない飛び方をいきなり試したものだから、生命線であるふくらはぎを痛めてしまい、競技からの長期離脱を余儀なくされるのである。それは、絵に描いたような転落劇だった。
番組が取材していた数ヶ月間のあいだに、トーマスはあまりにも鮮やかに子供の心を失った。それは一瞬のことだった。きっかけは、初めて世界チャンピオンとなった世界陸上にあったらしい。そこでのジャンプをビデオ解析した結果、最高到達点が現在の世界記録よりも上回っていることが分かったのである。それを聞いた彼の心に、大人の欲望が芽生えたのだ。彼は、世界チャンピオンになるだけでは飽きたらず、世界記録を残したいと思った。そして、そのためには、今の飛び方では不十分だと考えて、技術を習得しようと思い至ったのである。
これはそのまま、ギリシア神話のイカロスのような話だ。より高く飛ぼうとしたが為に、かえって飛べなくなるという悲劇。今の時点で、オリンピックの結果はまだ出ていないが、残念ながらトーマスは、世界記録を出すことはおろか、再び世界チャンピオンになることさえ難しいのではないだろうか。オリンピックに関していえば、メダルすら取ることは難しいと思う。それは、一度失われてしまった子供の心を取り戻すのは、本当に困難だからだ。失うのは一瞬だけれども、取り戻すには一生かかるといっても過言ではない。ピカソの年を取ってからの有名な言葉に「この年になって、ようやく子供の心と取り戻せた」というのがあるが、画家の場合はそれでもいいが、スポーツ選手の場合は、よしんば取り戻せたとしても、年を取ってしまった後では元も子もないのだ。
トーマスは、子供の心を失った。理解あるコーチがそばについていながら、それをとどめることはできなかった。そしてトーマス以外にも、こうした悲劇は歴史上枚挙にいとまがない。思いつくままに挙げていくと、マイク・タイソン、ランボー、尾崎豊、ジミ・ヘンドリクス、石川啄木、中原中也、岩崎恭子、カレン・カーペンター、チャーリー・パーカー、バスキア……
彼らが子供の心を失うきっかけはさまざまだが、共通していえるのは、他ならぬ彼ら自身が、自らそれをすすんでかなぐり捨てたことにある。彼らの子供の心は、けっして誰かからはぎ取られたり、損なわれたりするのではない。間接的にはそういうケースもあるかも知れないが、最終的には、トーマスと同じように、自らすすんで捨てることを選択してしまうのである。
彼らは、どうしてそれを捨ててしまうのか? そのことの答えは、ちょっとややこしいのだが、彼らが子供だからだということにある。子供だからこそ、彼らはすばらしい感性を持っているのだけれども、子供だからこそ、その子供の感性のすばらしさというものに気づけないのだ。それは、彼らにとっては当たり前のものだから、本当の価値が分からないのだ。そして、失ってみて、初めてそれに気付くのである。
だから、人がもともと持っているすばらしい感性をなるべく失わないようにする方法というのは、まず大人になるということなのである。逆説的なのだが、子供の心を一度捨ててしまうことなのである。失ってその真価を知ることが、それを失わないようにする一番の近道なのだ。
だから、失うのならなるべく早い方が良い。早いうち――まだ子供のうちにそれを失えば、その価値に早くから気付けるから、それだけ失う量も少なくて済む。しかも、子供の心を失った状態でもまだ子供であれば、心もやわらかくて素直だから、失ったそれを修復したり、取り戻したりするスピードも速い。
ピカソが、壮年に達してからとはいえ子供の心を取り戻すことができたのも、彼が早いうちから子供の心を失ったからに他ならない。画家であった父親の英才教育を受けた彼は、物心ついた時にはもう、子供のような無邪気な絵を描くことはできなくなっていたのだ。
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