2008-05-18
SF小説を語るのに全てのSF小説を読む必要はあるか?
ずっと以前、
「何かを語るなら、まずは知識がないといけない。少なくとも、そのジャンルを全部読み尽くすくらいでないと……」
という言説を聞いたことがある。
それは確か、「SF小説を語るなら、古今東西全てのSF小説を読んでからでないと」といった文脈で語られていたように思う。
まだ少年だったぼくにとって、これはなかなか説得力のある言説だった。また、博識な人に強く憧れ、世界の全てを知りたいと思っていたから、ある意味魅力的な挑発でもあった。そのため、これを真に受けて、ありとあらゆるものを読んだり見たりした時期があった。
特に中学3年生の時は、マンガが好きだったから、出版された全ての男性向けマンガ雑誌を読んでいた(少年向けから大人向けまで)。当時の書店は立ち読みができたし、また出版点数も少なかったからそれが可能だった。
しかし、一年間その生活を続けてみると、さすがにバカらしくなった。時間がかかったというのもあるが、それ以上に、読む必要のないマンガがあまりにも多過ぎた。
というより、ほとんど全てが読む必要のないマンガだった(というのが一年かけて分かった)。マンガについて語りたいなら、わずかに一つ、多くて二つ読めば十分だった。
それは、その数少ない「読む必要のある」作品のうちに、マンガというジャンルのほとんど全てが凝縮されているからだった。それはフラクタルの図形のようなものだった。すぐれた作品というのは、それを読んだだけで、それを含んだジャンルの全体像さえも教えてくれるのだった。
それが分かるようになると、ぼくはほとんどマンガを読まなくなった。そうして、ついには全くといっていいほど読まなくなった。たまに(一年に二、三冊)、気になった作品を読むくらいだった。しかしそれでも、マンガを語るには十分過ぎるほどだった。
ぼくは、いくつかのジャンルでこれと同じことをした。「テレビゲーム」「ハリウッド映画」「野球」「お笑い」「世界文学」でそれをやった。
面白いもので、結果はいつもマンガと一緒だった。そのほとんど全てを知りくしても、「知るべきだった」と感じさせられたのはほんの数点に過ぎなかった。またそれさえ知っておけば、そのジャンルの全てを語ることが可能だった。
また、それ以外の作品を知ることは無駄に過ぎないという思いは、ますます強くなった。時間の無駄というのもあったが、記憶の無駄が大きかった。シャーロック・ホームズが記憶について考察したように、有限な人間の脳にとって、必要のない情報は頭をぼかしてしまうのだ。だから、入ってしまった余計な情報は、わざわざ捨てなければならなかった。
おかげで今では、「何かを語る時にそのジャンルを全て読み尽くす」などというのは、全くのナンセンスだと思ってる。SF小説を語るのに、古今東西全てのSF小説を読むなどというのは、この上なくバカげたことだ。むしろ余計な情報ばかりが詰め込まれるから、頭はどんどんぼやけてくる。これを言ったのは、きっと本をたくさん読んだ人なのだろう。本をたくさん読みすぎて、頭がぼやけてしまったからこんなことが言えるのだ。
だから、もし本当にSF小説を語りたいなら、読むのは一冊(多くて二冊)で良い。但し、それは重要な作品である必要がある。そして、それが重要な作品なのだということを、しっかり感じながら読む必要がある。それさえできれば、あなたは自信を持って、SF小説について語ることができるだろう。
