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2008-05-26

テレビは今後ますます細切れのコンテンツを発信していく場となりそう

日テレビ業界で働く知人と一緒にご飯を食べたのだけれど、そこで興味深い話を聞かせてもらった。近頃のテレビ、特にバラエティに関しては、もうお笑い芸人の細かいネタと、雑学系の情報番組ばかりなのだそうである。

どうしてそうなったかといえば、視聴者の興味というのが持続しないからだ。だらだらしてると、すぐチャンネルを変えられてしまう。結果、細切れなものを次から次へと出していく手法がどんどん増えている。その傾向は前からあったけれど、ここ1、2年はそれがとても顕著なのだ。


そうなった要因としては、「毎分視聴率」というものの存在が大きく関わっている。分毎にはじき出される視聴率の変動が、昔はゆるやかなカーブだったのが、今は大きく乱高下するようになった。「ザッピング」という視聴方が以前より顕著化し、視聴者は、今や「その番組」を見るというよりも、「テレビそのものを一つのコンテンツとして見る」ような感覚になっている。

それは、細切れな番組が増えたからそういう視聴方が定着したというのもあるだろうし、そういう視聴方に対応するために細切れな番組が増えた、というのもあるだろう。鶏と卵ではないが、そこで一種のスパイラルが発生しているのである。


テレビの、そうした視聴方に対応した番組作りというのは、「求められるものに最適化する」という意味では、以前より進んだのだろう。だから、ある種の「2.0」といえるのかも知れないけれど、そこで知人が危惧していたのは、そんなふうに「作り方」ばかりが先行し、番組の枠組みがガチガチに固定されてしまうと、以前のような、既存の価値観を打ち壊す大型タレント(特にお笑い芸人)が生まれにくくなるのではないか――ということだった。


昔のテレビは、まだ番組の枠組が今ほど固定されてはいなかったから、その枠組みを打ち壊すようなタレントの出現を誘発しやすいというのがあった。

それで有名なのは、植木等の「お呼びでない」というギャグだろう。これは、出番を間違えた植木が、出る場面ではなかったことに気付き咄嗟のアドリブで「お呼びでない?」と言ったのが、なぜか爆発的に受け、大きな流行を巻き起こした。こういう、ある種の偶然から生み出されたものというのは、計算されてない分、ハマると絶大なパワーを持つことになる。

テレビは今まで、そういう流行、あるいはタレントをいくつも生み出してきた。それが誕生する瞬間の興奮や感動には筆舌に尽くしがたいものがあるから、本当はみんな、そういうのを待ち望んでいる。けれど、もうそういう偶然を待っていられるような悠長な状況ではなくなっているから、今のような、確実に結果を出す堅実な方向にシフトしていかざるを得ない。

でもそうなると、かつてのような大型タレントの出現の可能性はますます狭まってくるから、そこのところがジレンマだ――という話しをしてた。


そこで一つ面白いなと思ったのは、番組のそういう細切れな見せ方というのは、今のテレビCMの状況にも似通っているな――ということだった。

テレビCMというのは、もちろん昔から細切れの見せ方だったわけだけれども、Web広告が台頭してきたこともあって、最近では、その細切れならではの特性を活かそうするものが増えてきている。

その代表ともいえるのが、よく見る「続きはWebで」というやつだ。今のテレビCMは、「商品の良さ」や「サービスの内容」といった、説明に時間のかかるメッセージは思い切って排除し、「とにかくWebサイトに誘導する」という方向性のみを打ち出すものが多くなっている。いわば「呼び込み」としての機能を強めているわけだ。


タレントに関しても、今の細切れな見せ方がさらに進行するならば、「テレビは呼び込み」と割り切ったタレントが、そのうち現れるのではないだろうか。

テレビでは、1分ほどのキャッチーなネタをやって、まずはユーザーを、Webなのか、あるいはDVDなのか劇場なのかは分からないが、別の場所に呼び込む。そこで、今度はじっくりしたものを見せる。そういう流れが、(これはテレビの在り方とも大きく関係してくるだろうけど)今後現れてくるのではないだろうか。


すると、その呼び込んだ先では、テレビとは違ったじっくりしたものを見せられるから、そこでまた、かつての植木等のような型破りなタレントが現れる可能性が生まれるのではないだろうか。

但しそれには、その芸人に、呼び込み効果のある短い芸と、じっくり見せられる長い芸の、その両方を兼ね備えておいてもらわなければならないけど。彼らには、スプリント能力と持久力、その両方が求められるようになるわけだ。


そういう話をすると、知人は、いやでもそれは、かつての大型芸人も多かれ少なかれ持ち合わせていたものだから、それほど心配はないだろうということだった。

それよりも大切なのは、テレビでつかんだそのユーザーを、誘導してくる「場」の方の確立だということだった。今でも、例えば松本人志などはDVDという市場で大きな地位を確立しているし、今後Webがさらに進化すれば、ダウンロードコンテンツというのも一般的になってくるだろう。

またそれとは別に、そういう映像メディアが氾濫することによって、それとは大きく差別化される「ライブ」というものの存在も、今後増すのではないか――という話しも出た。


ライブというのは、映像メディアに比べれば現地に足を運ばなければならない分手間はかかるのだけれど、そこでは映像メディアでは絶対に味わえない「体験」というものを得ることができるから、これは大きく差別化できる。今後、映像メディアが氾濫すればするほど、ライブという古くて新しいメディアの価値はますます高まってくるのではないだろうか。


だから、今後はライブに強いタレントや芸人に、そうした大型タレントが生まれる可能性が大きくなるのではないか。またそれと比例して、そうしたライブを開催する「劇場」という空間は、その存在価値をますます高めるのではないか――と、そんな話しが出たところで、この日の食事は終わったのだった。