2008-06-11
桃井はるこの記事のブクマが「自己正当化人間」ホイホイになっているよ
という記事については特に何も言うことがないのだが、そのブクマコメントが「無責任な自己正当化人間」ホイホイになってて面白いことになってるよ\(^o^)/
以下、抜粋。
これ以上秋葉原を無反省に楽しむのは良くないと思うよ\(^o^)/問題は「秋葉原的な何か」にあったのだから、そこを見て見ぬふりしたら「趣都」も「新しい姿」にはならないと思うよ\(^o^)/
- ululun
- 報道とは当事者性を帯びた瞬間に残酷な牙を剥く
そういうカッコつけた言い方はかえって物事の本質を曇らせるよ\(^o^)/あなたの言葉を読んだら、自分の野次馬根性が正当化された気になって何の反省もしない自己欺瞞者がまたたくさん作られるよ\(^o^)/
- seiichirou-02
- いいはなしです。
このエントリーを読んで「いいはなし」と言える感覚がすご過ぎるよ\(^o^)/
- hasenka
- 本当に聖地になってしまったのだな
忌々しい出来事のあった場所を赤の他人に「本当の聖地」などと呼ばれるのには強い抵抗を覚える人が少なからずいると思うよ\(^o^)/
- guri_2
- こういう文章を一生懸命書いてくれる人がいてよかった。
物事を肯定するのは良いことだけれど、何でもかんでも肯定してると結局道を見誤った者にも「仕方なかったんだ」と言い訳を与えてしまうことになるので問題の解決を先送りしてることになるよ\(^o^)/あなたの言説はいつも対処療法でしかないので長い目で見ると世の中を悪くする方向にしか作用してないよ\(^o^)/
- s-miyashita
- 悲しい話だ。マスコミは凄惨な事件が発生した場所で喪に服すものの気持ちがわからないどころか、チャンスとばかりにフラッシュを焚く。なぜそんなに一方的な行動が取れるんだろう。いい死に方しないよ、きっと。
あなたみたいな人が現場に居合わせるとまず真っ先に携帯電話をかまえて血みどろの被害者を写し始めるよ\(^o^)/最後に呪いの言葉を吐かないでいられないところに馬脚が現れちゃってるよ\(^o^)/それとこのブコメに星をつける人のセンスが全く分からないよ\(^o^)/
- shunirr
- こんなマスコミに倫理観があるといえるのだろうか。
マスコミのニュースを興味を持って眺めている時点であなたも同罪だという「自己を省みる心」が欠如し過ぎているよ\(^o^)/あなたのような相対的に物事を見ることのできない人がモンスターペアレントになるんだよ\(^o^)/
「貢献者」とか言って「アキバ文化」を無反省に称揚するのはどうかと思うよ\(^o^)/もっと事件から学ばないと\(^o^)/
- akillerOKN
- ustしてた人叩くよりかはマスゴミ叩けばいいのに
だってもしあなたが現場にいたとしたらきっとustしまくってたでしょうからね\(^o^)/マスコミを叩くにしても同罪である自分を正当化してから言うのでは説得力ゼロですよ\(^o^)/
端から見たらどっちもどっちですよ\(^o^)/
- ajtptwtptja
- ありがとう、あなたのような方がいる限り、日本は大丈夫です。
一瞬で「日本は大丈夫」となる、すぐれた思考回路を持つあなたのような方がいる限り、日本は大丈夫ですよ\(^o^)/もちろん皮肉ですよ、念のため\(^o^)/
- sichimin
- 怒りが沸く。現場をネット中継することの是非は私には分からないけど、こういうマスコミの姿は積極的に広めるべき。常に市民の目によって監視されていることを意識させないと、マスコミに自浄能力は期待できない。
「市民の目によって監視」とか「自浄能力」とか人任せにするんじゃなくて、あなたができることを今すぐした方がずっと状況は良くなるよ\(^o^)/
「期待する」ってあんた牧歌的過ぎるよ\(^o^)/「アンチメディア・メディア」なんて一瞬でメディア化するんだから、そんなものは何の役にも立たないよ\(^o^)/メディアは人間の本質なんだという事実にもう少し目を向けられるといいよ\(^o^)/
- d346prt
- Ustで流してたやつが叩かれてたけど、現場の状況伝えるのと悲しんでる人をアップで撮るのとどっちが不謹慎なのかってことだよね。
そうやって安易に自分を正当化できる人が、まず現場で真っ先に携帯電話をかまえるんだよ\(^o^)/それどころかもしマスコミに入ったら、みんなを代表して被害者遺族にマイクを向ける役割を率先してこなすようになるよ\(^o^)/
一人だけ論点がずれまくってるのがいっそすがすがしいよ\(^o^)/がんばって生きて\(^o^)/
- sshi
- こういう光景をこそ一般人が中継するべきなんじゃね
それは結局「同じ穴の狢」だが、この設問はなかなか興味深いよ\(^o^)/元のエントリー自体が「中継」にはなってないけど「報道」になってる側面にも目を向けるといいよ\(^o^)/
- candy296
- 無粋なマスコミへの対抗策:彼らにカメラを向けて応じましょう。悪意は持たず、堂々と。ケータイのムービー機能でもかまいません。彼らは撮影され、自分の言葉を他人に記録されることに慣れていませんから。
提言自体は悪くないがその後の文言に想像力が欠如し過ぎているよ\(^o^)/マスコミの人は当たり前のようにマスコミ以外の人よりも「自分の言葉を他人に記録されることに慣れてい」るよ。\(^o^)/結局マスコミを貶めたかっただけなんですね、わかります\(^o^)/
基本的には同意だがそれは何も「秋葉原」に限ったことではないよ\(^o^)/全ての街が平和の象徴でなければならないという視点を持った上で、なぜ秋葉原で事件が起きたのかをもう一度考えてみるといいよ\(^o^)/
- s00516
- (´;ω;`)いつかまた皆に平穏な日々が戻りますように / 今、献花台の前にいるマスコミは紛うことなき「マスゴミ」
言ってることは一見正論に聞こえるけど、被害者やその家族たちにはもう以前のような「平穏な日々が戻」らない人たちもいるという視点が決定的に欠如しているよ\(^o^)/デリカシーがないというのもそうだけど、もう少し人の気持ちを考えられるといいよ\(^o^)/
- sugarmaple
- くだらない、信念とも言えない様な意地しか持っていない報道関係の人間達よ、良く読んで噛み締めるがいい。これが、あそこに集う多数の人間の真実の思いであり、貴方達が踏みにじって来たモノだ。
あなたも犯人にシンパシーを感じてしまうんですね、わかります\(^o^)/でもマスコミを悪く言ったって一番大きな問題は解決されないよ\(^o^)/
ここで「ソフマップ」を持ち出すことは、「献花する人たち」へのデリカシーをも欠くことになる――ということにも気付けるといいね\(^o^)/
- fuji_hajime
- カメラを向けることがテロになりうることを自覚していないのか。/id:candy296 さん。激しく同意。別に叩き報道ではないところでですが、カメラを向けたところ、逆に撮られてその日のニュースに使われたことがあります。
こんなところで「テロ」なんて言葉を持ち出されたら本当のテロにあった人々はたまったもんじゃないよ\(^o^)/言葉は使う場面に気をつけようね\(^o^)/
- okgwa
- やめろといわれてなおカメラを向けるマスコミはまさしくプロ。人としての良心が根っこから腐って朽ちないとマスコミでプロにはなれないという。
結局それを求めている大勢の人たちがいるのだという視点が欠落しているよ\(^o^)/「マスコミ=悪、一般市民=善」という二項を対立させたところで、自分がいやらしく慰められるだけで問題自体はちっとも解決されないよ\(^o^)/
桃井はるこは別に「撮影されたから涙ぐんだ」わけではないよ\(^o^)/ぼくも昔はこういうことに偽善を感じていたこともあるけど、そのうちそうじゃないということが分かるようになるよ\(^o^)/でもこういう視点を持つことは本質に近づくためのステップになるよ\(^o^)/
意味はあると思うけど「マスコミ論」には帰さない方がいいと思うよ\(^o^)/それよりも「アキバ的な何か」にもともとマスコミを吸い寄せる力があったわけで、それが何だったかというのを考えた方がずっと建設的だと思うよ\(^o^)/
嫌みではなく、理解できないものは理解できなくてもいいんだよ\(^o^)/「気分が悪い」と思うその直感をいつまでもだいじにしてもらえたらいいと思うよ\(^o^)/
何度も言うけどそれはマスコミの姿勢じゃなくて人々の姿勢なんだよ\(^o^)/あなたの言う通りだけど、あなた自身も来週中には事件を消費しちゃって、自分がこんなふうに思ったことも忘れてるだろうって視点が欠けてるよ\(^o^)/
率直に意見することは悪いことじゃないけど、あなたに欠けているものがあるとしたら「ネタにマジレスカッコワルイ」という視点かも知れないよ\(^o^)/
そんなこと願ってもムダだよ\(^o^)/もっとひどいことになるのは確定的に明らか\(^o^)/
むしろ終わらせて新しく始めた方がきっと上手くいくよ\(^o^)/これまでの反省とか事件から何かを学び取ろうという姿勢はゼロなんだね\(^o^)/
そんなことをしても事態が泥沼化するだけだよ\(^o^)/負の連鎖という言葉を知らないのかな\(^o^)/
この文章は非常にいやらしいよ\(^o^)/そんなことは聞かなくても分かるだろうに\(^o^)/この人は絶対女の子にモテないよ\(^o^)/
- shibuyan730
- 秋葉原って本当にいい町だな。
どこからそういう結論が導き出されたのか、一度頭の中をのぞかせてもらいたいよ\(^o^)/
- yellowlabel
- 撮ってる人間は撮られる覚悟はあるのか?
ほぼないよ\(^o^)/ただ、だからなんだって言うのかな?\(^o^)/もし撮られたらその時に考えるだけのことだと思うよ\(^o^)/
- alnrch
- マスコミは批判されないからそれ自体が酷くなるな
これだけ批判されててもまだ「批判されない」と思ってしまうのは、そう思わないと都合が悪いからなのですね、わかります\(^o^)/
- yu--nyan
- 本当にマスゴミはゴミ(むしろそれ以下)。傷口に塩を塗ってる連中、というのがよくわかりました。怒りがこみ上げます。
こんなことに「怒りがこみ上げ」る前に、もっと他に怒りをこみ上げるべきところはあるはずだよ\(^o^)/それをもっとよく考えてみようね\(^o^)/
- complex_cat
- 若い人の視点の方が的確に状況を捉えている。言語化も素晴らしい。
とりあえず桃井はるこを「若い人」というカテゴリーでとらえることはピントがずれまくっているということだけ教えてあげるよ\(^o^)/現場にいた記者やカメラマンには桃井はるこより若い人たちがきっといたと思うよ\(^o^)/
- Shamrock
- 記事をあさるハイエナの群れって事です、こんな連中が人権とか言っていると寒気がする。
「報道の自由」ってなら分かるけど、「人権」ってマスコミに限らず誰でも言ってるんじゃないかな?\(^o^)/
そんなことしても誰からも認めてもらえないよ\(^o^)/また皮肉やジョークとしても面白くない上に不謹慎だよ\(^o^)/
- irasally
- 毎回思う。放っておいてほしいだろうにと。いったい誰が見たいの?
それはきっとあなたの親友のお母さんとその仲間たちが見たいんだと思うよ\(^o^)/ちょっとは頭を働かせたり、周囲の状況を見てみたりしようね\(^o^)/
- ys0000
- 週末献花しに行こうかと思ったんだが、暫く置いたほうがいいのだろうか。まったくマスゴミは腹立たしい。
その通り、「暫く置」くのが一番賢明な判断だね\(^o^)/
- nemotatsu
- 今回の事件は、事件そのものの酷さとマスゴミの愚かさの2段パンチで本当に悲しくなるわ・・
正確に言うなら「事件そのものの酷さ」「マスゴミの愚かさ」「それを見て自己正当化するあなたのいやらしさ」の3段パンチだよ\(^o^)/
ブクマはどんどん増えているみたいなので、今後も追加するかも知れないよ\(^o^)/
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ブログ芸者の断末魔の叫び声が聞こえる
ぼくが常々怖いなあと思っているのは民衆というやつだ。
日本では「世間」と言ったりもする。「世間の目」と言う時の「世間」だ。最近では、「暴走する『世間』―世間のオキテを解析する」という、近年益々力を強めている「世間」についての興味深い考察がくり広げられた、とても面白い本が出たりもした。まだ読んでないけど、こういう本が出るくらい、世間というのが今も変わらぬ圧倒的なパワーを持ち、それを一向に衰えさせていないというのは、ぼくも強く感じる。
民衆は怖い。特にその意見の総体である「民意」というやつが怖い。
歴史を見ても、どんなに専政をくり広げた圧制者たちだって、この民意というやつには逆らえなかった。むしろ圧制者たちは、民意を味方につけたからこそややこしかったりした。圧制者たちは、たまさか民意を味方に付けたばっかりに、その悪政を暴走させることになった。その最も分かりやすい例がヒットラーだ。彼への支持率には圧倒的なものがあった。
民意というのは善にもなれば悪にもなる。共通するのは、いつの時代も圧倒的なパワーを持ち、どんな個人もそれを無視できないということである。
民意の怖いところは、それがまるで一個の生き物であるかのように付和雷同することだ。ユングの言う「集合無意識」の為せる技なのだろうか、本来は別々の個体であるはずなのに、まるでムカデのたくさんある足のように、何かをきっかけとして、複雑ながらも統制された動きを始める。よく訓練されたサッカーチームのように、最小限のコミュニケーションで、最大限の意思統一が「あ・うん」の呼吸で図られる。
そんな民意の中でも特に怖いと思うのは、誰かを持ち上げたり落としたりする行為だ。
民衆はこれが好きだ。これまでの歴史の中でも、何度となくくり返されてきた。ローマ時代の皇帝についてもそうだし、マリー・アントワネットやヒットラーについてもそうだ。日本人だって例外ではない。義経や信長を筆頭に、最近では安倍前首相など、祭り上げられ、後に貶められた人物は、枚挙にいとまがない。
それは、民衆という一個の生き物が生きながらえる上での本能なのかも知れない。そうすることで、ある種のバランスを保ってきたのかも知れない。誰かを持ち上げて、落とす。その行為を幾度となくくり返すことで、人は、人間という種全体を生きながらえさせてきたのかも知れない。
民衆というのは、まるで優秀なお笑い芸人のツッコミ役のような性質を持つ。まるで明石家さんまのようだ。誰か美味しいボケ役を見つけたら、まずはその人物を泳がすだけ泳がす。おだてるだけおだて、乗せるだけ乗せて、心のたがを緩めさせる。油断させる。
そうしておいて、木のもうこれ以上登れないという高い所まで登らせておいて、一気に落とす。叩き落とす。手のひらを返す。梯子を外すどころの騒ぎじゃない。文字通り叩き落として、その上完膚無きまでに叩きのめす。
民衆は、これを何度もくり返してきた。
最近の事例で印象に残っているのは、ホリエモンだ。ホリエモンの、あの事件前の持ち上げ方と、事件後の手のひらの返し方は本当に凄まじかった。それはまるで、胴上げをしておいて、いきなり床に叩き落としたようなものだった。みんなそれまでさんざん持ち上げておいたのを、事件をきっかけに、示し合わせていたかのように一斉にサッと引いたのだ。
あの時ぼくは、民衆の力の凄さをあらためて思い知らされた。そして民意というものの恐ろしさをあらためて知った。あの時ぼくは、本当に怖いと思った。この一斉さ、付和雷同さには、どんなカリスマでも適わないと思った。
さて、何が言いたいかというと、それはとある一人のブロガーについてである。世間ではアルファブロガーといわれる、とても有名な方だ。なんでも、はてなのトップ4のブクマを合計した数のブクマを一人で稼ぎ、またプログラマーとしてはアルファギーク。自宅はハリウッド映画の撮影に使われたし、本を出せばベストセラー。アフィリエイトの金額も桁外れで、中卒にも関わらず、幼い頃にIQテストで天才と認定された経歴の持ち主。若くして巨万の富を稼ぎ、その上本は1冊5分で読む。理系だけではなく、文系の才能も併せ持つ、真の天才、そして真のスーパーマンのような人物だ。
その人物――アルファブロガー氏が、今断末魔の悲鳴を上げている。但し本人は自覚してないらしいのだが、しかしどうやら無意識的には気付いているみたいだ。
それは、氏の上げるブログのエントリーから窺い知れる。その行間から、断末魔の悲鳴が聞こえてくるのだ。氏は今、とても追いつめられている。氏は今、息も絶え絶えだ。
このアルファブロガー氏こそ、今まさに民衆によって選ばれた「持ち上げられ」の対象である。持ち上げられ、あがめ奉られ、称揚され、おだて上げられている、「胴上げ」のターゲットに他ならない。それは、氏のブログのアクセス数やブクマ数、そしてトラックバック数やブックマークコメントの内容などによって可視化されているから、そうした状況は、氏のみならず、多くの人々の共有するところだ。
その状況が、在りし日のホリエモンとそっくりだ。プロ野球参入はならなかったものの、ニッポン放送株買収を表明し、「詰んでる」と息巻いていた、あの頃のホリエモンそっくりだ。その個人を取り巻く状況が、その持ち上げられ方が、その称揚のされ方が、その浮き足立ち、また追いつめられた感じが、スケールこそ少々異なるものの、あまりに見事な相似形を成している。
今のアルファブロガー氏と、ホリエモンの状況はそっくりだ。
手のひらを返される前のホリエモンも、それにはっきりと異を唱える人は少なからずいた。そのピントのずれた感じに疑問を投げかける人や、胡散臭さを感じつつも、それを指摘して嫉妬していると誤解されるのが嫌なので、遠巻きに眺めながら反撃のチャンスを虎視眈々と窺ってる人たちが、少なからずいた。
件のアルファブロガー氏を取り巻く状況も、それとよく似ている。コメント欄やブクマコメントを見ても、近頃では、氏のピントのずれ具合を指摘する声は多い。
但しそれらは、いずれも控えめなものばかりだ。それは、ホリエモンの時と同じように、大きな声で反論すると嫉妬に見られてしまうから控えてるというのもあるだろうし、あるいはもっと怖ろしいのは、明石家さんまのように、もう少し良いボケをかますまで、まだこのまま泳がしておこう――というのもある。それはまるで一個のツッコミ芸人のように、民衆が結束し、ツッコむのに一番良いタイミングを、胴上げをやめて地面に叩き落とすのに一番良いタイミングを、虎視眈々と窺っているのである。
ぼくもこれまで、それを窺っている者の一人だった。胡散臭いとは感じながらも、今日まで虎視眈々と、その時を待っていた。
しかし今日、何だか急に、それが可哀想になった。と言うのも、氏はもう、叩き落とされるまでもなく、苦悩しているというのが分かったからだ。
もはや青息吐息なのだ。馬脚は完全に現れている。また氏自身も、その状況に無意識ながらも気付いており、しかしながらどうやって抜け出せばいいのか分からないから、もがき苦しんでいるのだ。氏は今、とても苦しんでいる。
その苦しんだ末の断末魔のようなエントリーが、火曜日の昼に上がった。それは、日曜日の昼下がりに起きた、通り魔事件について述べたものだった。
氏にとって、この事件はどうやら最も語りにくい種類の事件だったらしい。理由は色々推測できるが、最も考えられるのは、氏がこの事件の犯人に対してシンパシーを覚えてしまった――ということだろう。沸き上がってくる「共感」の気持ちを、ついに抑えることができなかったのだ。
おそらく、分かってしまったのだ。犯人の気持ちが。そして理解してしまったのだ。その行動を。
だから、同情の気持ちを禁じ得なかったのだろう。そこには、一歩間違っていたらおれも――という、憐憫というよりは、現代社会の生み出したある種のひずみの生け贄として「犠牲」になった犯人に対する「申し訳ない」という気持ちが、あったのではないだろうか。そしてそれを、ついに頭から追い払うことができなかった。
その苦悩は、氏のエントリーを上げた「時間」に如実に表れている。
いつもは、どんなテーマについても脊髄反射的にアップするのが氏の身上である。誤解や誤字、誤謬を恐れないどころか、むしろそれを一つの個性として、ブログの魅力の一つとして前面に押し出すのが、氏のこれまでのやり方だった。
そうした氏のブログの性質から見れば、事件発生から丸二日後にアップされたその記事は、事件の大きさから考えるとむしろ異常とも言うべき遅さである。これは何も理由がないと考える方が不自然だ。またその間、ほとんどエントリーをアップしなかったところを見ると、その苦悩の深さも容易に窺い知れる。きっと、丸二日間というもの、ほとんど寝ることさえできずに考え続けていたのだろう。
「この事件に対して、どんなエントリーを上げれば良いのか?」
と……
氏が悩んだ理由は、自分の思うところを素直に述べたエントリーでは、世間の賛同を絶対に得られないことが分かっていたからだ。いや、そんな生易しいものではない。もし正直に自分の気持ちを吐露したならば、それは必ずや大炎上を引き起こし、もうこれ以上ブログを書き続けることができなくなるということまで、氏には予測がついていた。
それを予測することくらいは、氏にとって朝飯前だった。無頼を気取るも本質的には小心者で、世間の反応が怖いと言うよりももともと依って立つ自分の意見などないから世間の反応を窺いながらでしかエントリーを上げることができなかったテキスト芸者とも言うべき氏が、しかしここにきて、件の事件に触発されて、抑えがたい情動、抑えがたい思い、抑えがたい「自分の意見」というものが、身体の奥底から沸き上がってくるのを感じてしまったのだ。
その意味では、本来それは人間性のある種の発露として、祝福されて然るべき事柄のはずだった。しかし、長年身に染み込んだ芸者体質の悲しさで、それを正直に吐露することが、彼にはどうしてもできなかったのである。
それならば、エントリーを上げないという方法もあったはずなのだが、しかし氏にとっては、やはりそれも選択できない事柄だった。
なぜなら、世間の、この事件に対する氏の反応を期待する向きには、並々ならぬものが感じられたからだ。そうした期待を裏切るのは、これもまた、身に染み込んだ芸者体質が許してくれなかったのである。
それはまさに、進むも地獄引くも地獄の無間地獄だった。事件が起きてから丸二日間、氏を悩まし、苦しめていたのは、そうしたトレードオフさえ利かない、負けること確定ののっぴきならない状況だったのである。
そうして、地獄のような二日間を過ごした後、さんざん悩み、苦しみ、呻吟し、懊悩し、のたうち回った末に、もとある情動をこねくり回し、ひっくり返して、オブラートに包むというよりは意識的におちゃらけ、バカを装い、何も知らない振りを決め込み、最後は力任せに書き殴ることで、ようやく一つのエントリーを書き上げたのだった。
それがこれだ。
このエントリーの支離滅裂さについては、もはや説明不要だろう。「キチガイにノリモノ」というサブタイトルが、そのアンビバレンツな内面を映し出して余すところない。本当は、自分自身を投影し、同情や親愛の念すら感じてしまう犯人に対して、あえて「キチガイ」と罵倒することで、世間に本心を悟られまいとしているのだ。その、踏み絵を踏んでしまったキリシタンの苦悩は、いかばかりだったか。その苦しみの断末魔が、行間から抑えようもなく漏れ聞こえてくるのである。
ぼくはかつて、これほどもの悲しいエントリーを見たことがない。この記事は、そんな前代未聞の断末魔の叫びを聞いてしまったことの、一野次馬としての記念真紀子だ。
