Hatena::ブログ(Diary)

ハックルベリーに会いに行く このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-07-03

宇宙戦艦アキバ

1.

パシューと音を立てて、通信室の扉が気化した。つかつかつかと、急ぎ足の藤堂が靴音も高く入ってくる。扉は、今度はぶんと唸りを上げ、一瞬にして元の固体に戻った。

「呼んだか?」

「あ、艦長、お待ちしておりました」

山田がマイクロ反重力装置(MRGS)内蔵の宇宙椅子から立ち上がった。藤堂を先導して、直径二メートルほどもある球状の三次元モニターの前に立つ。

「こ、こちらをご覧下さい」

そこには、現在地から一千万キロメートル圏内の立体宇宙図が浮かび上がっていた。縮尺は一千万分の一。中央の白い光点は現在地。右手前下方にある青い光点が地球。そして左奥上方、ちょうど現在地を中心とした地球の対角に、ポツンとオレンジ色の光点が一つ、示されていた。

「どういうことだ?」

「ブンダー卿が『山手ライン』を突破しました」

藤堂は、ポカンと口を開けて山田を見た。

「バ……カな……ありえない」

しかしレーダーは、紛れもなく卿の戦艦が、地球防衛軍の配備した特別宇宙防衛ライン――通称「山手ライン」――をくぐり抜け、今や刻一刻と地球に近付きつつあることを示していた。

「説明しろ」

「つまりは、四谷司令官の作戦が全部読まれちゃってた――ってことですよ」

「……リア……ライザーだったのか?」

「だから、ぼくは初めから言ってたんです。卿は『ライザー』の可能性が高いって」


「リアライザー(もしくは『ライザー』)」とは、他人の思考を任意に読み取る、最上級とされるESP能力者を指す用語だ。

ブンダー卿がライザーである可能性は、以前から指摘されてはいた。しかしそれを確証するものがなかったので、これまではむしろ否定的な意見が多かったのである。

なにしろブンダー卿は、ライザーであれば楽々と打開できるような局面で、逆に苦境に追い込まれたりしていた。能力をあえて使わない理由も分からなかったから、ライザーではないとされていたのだ。

しかし、今なら分かる。卿はカモフラージュしていたのだ。それもこれも、全てはこの日の作戦のためだった。ライザーでないと見せかけ、地球防衛軍の裏をかいた。


おかげで、ブンダー卿の戦艦は、今や射程領域まであと五時間ほどの位置に迫っていた。領域に入った瞬間、帝国軍の誇る反重力砲によって、地球は宇宙の塵と化す。

「それをあのクソ四谷、正論ばっかり吐きやがって。しかしこれでやつもマジ終了だな。懲罰委員会は免れまい。いひひひひ」

「くだらないことを言うな!」

藤堂が、苛立たしげに一喝した。

地球が消滅すれば、委員会どころじゃないだろう」

「まぁ、消滅すればですけどね」

山田は、おどけたように肩をすくめてみせた。

「けど、まだ消滅したわけじゃないっしょ? 艦長、いくらなんでも消滅した時のことを話すのは、ちょっと早過ぎっすよ」

その言い草にカッとなって、藤堂は思わず山田をぶん殴ろうとした。

……しかし思いとどまった。三日前に殴ったばかりなのだ。山田の顔には、自分のつけた黒い痣がまだくっきりと残っていた。


三日前――

山手ラインに参加するはずだった藤堂らの搭乗するアキバ艦に、とんでもない手落ちが見つかった。なんと、ミサイルやレーザー砲の光粒子エネルギーといった、いわゆる武器弾薬の類が何一つ搭載されていなかったのだ。

武器弾薬の補給確認は、機関士である山田の仕事であった。藤堂は、艦長として最終チェックを怠った自らの手落ちも認めつつ、山田に問い質した。

「なぜ、補給確認を忘れたのか?」

すると山田は、こんなことを言い出した。

「わたしのミスではありません。自分は確かに整備部に補給を申請しました。しかし補給されていなかったのです。これは明らかに整備部側のミスだ。あるいは、自分を陥れるために誰かが仕組んだ罠かも。整備部から乗組員に昇格した自分は、多くの地上組に妬まれる存在でもありますからね」

ところが、これが簡単にばれる嘘だった。通信記録をチェックして、すぐに分かったのである。

これで、藤堂はキレた。山田の顔を、数十分に渡って断続的に殴り続けた。


その後、アキバ艦は地球に帰還し、武器弾薬を補給し直すこととなった。隊からは離脱するが、ブンダー卿との衝突はまだ先のことだと考えられていたし、作戦も多少の艦の欠損は織り込み済みだったので、アキバ艦の離脱そのものは、大きな問題にはならないはずだった。

ところが、そこで今回のことが起こった。ブンダー卿は山手ラインを突破し、今や隊の追い付かない位置にまで侵入したのである。

このままでは、射程領域への到達は時間の問題だった。そしてそれは、そのまま地球の消滅も時間の問題ということだった。

ただ、双方にとって一つだけ誤算があった。それは、他ならぬこのアキバ艦の存在だ。怪我の功名で、隊を離脱し地球に帰還中だったため、ただ一艦だけ、ブンダー艦に追い付ける場所にいた。アキバ艦は、今や地球を守る最後の砦ともいえた。

……しかし、それもこれも、武器弾薬が搭載されていればの話である。攻撃手段が何もない、いわば徒手空拳のアキバ艦に、最新鋭の性能を誇るブンダー艦を止める手立ては皆無に思われた。


と、ここまで考えて、藤堂はふと疑問に思った。それは、山田のはしゃいだような明るさだ。

いかに嫌っている四谷司令官がミスを犯したとはいえ、苦境に立たされたのは自分も含めた「人類そのもの」なのだ。それは、とてもはしゃいでいられるような事態ではなく、むしろ人一倍臆病で小心者の山田がビビってない方がおかしい。

「おい――」

藤堂は、眇めるように山田を見た。

「おまえ、なんか策があんのか?」

「あれ? 分かりました」

そう言うと、山田はいたずらがばれた子供のような顔で、嬉しそうに藤堂を見た。


2.

パシューと音がして、艦長室の扉が消失した。

「艦長?」

扉の向こうから、花咲エリカの声がした。

「入って良い?」

「どうぞ」

藤堂は、宇宙椅子に座ったまま振り向かずに答えた。

「お邪魔しまっす……あれ、どしたの? 元気ないじゃん」

「ああ、うん……やっぱ分かる?」

藤堂は、振り向くと弱々しげに苦笑いした。

「分かるよぉ……艦長すぐ顔に出るし――あ、分かった」

「ん?」

「山田のやつ、また何か問題起こしたとか?」

花咲エリカは、アキバ艦の航海士である。年齢は十九。まだ若いが、十一歳の時からこの世界に入ったからもう九年目の中堅だ。

顔つきは、ついこのあいだまで少女のようなあどけなさを残していたのに、近頃急に大人びてきた。ふっくらとしていた頬の稜線がそげ、鼻筋が明瞭になった。

眉がくっきりとしてきたのは、たぶん手入れをするようになったからだろう。爪も、近頃ではきれいに彩られていることの方が多い。

長いまつげに覆われたオリーブ色の瞳が、深みを増した。垂らした前髪の隙間から、射るような上目遣いで相手の顔を真っ直ぐに見る。

肩くらいまで伸ばした後ろ髪は外側に跳ね、右の耳だけ出していることが多い。印象的なちょっと厚めの唇は、両端のところが心持ち持ち上がって、真面目な顔をしていてもアルカイックスマイルを浮かべているように見える。

「どしたの? あいつ、今度は何をしでかした?」

心配そうに眉根を寄せ、エリカは言った。

「違うんだ」

それに対し、藤堂はちょっと肩をすくめてみせた。

「何かヘマしたってわけじゃない――と言うか、むしろお手柄かな」

「お手柄?」

「うん――」

藤堂は、真剣な表情になって向き直った。

「ここからは、任務の話だ。ちょっと、黙って聞いてほしい」

エリカも、口元をきゅっと引き結んだ。

「ん、分かった」


「――緊急事態が発生した」

藤堂は、これまでの事態をかいつまんで説明した。

ブンダー卿がライザーだったこと。山手ラインが突破されたこと。もう、防衛隊では追い付けない位置にまで侵入したこと。射程領域到達まであと四時間に迫っていること(あれから一時間が経過していた)。

そして、そのブンダー艦にただ一艦、追い付ける位置にいるのがこのアキバ艦だということ――

話すうちに、エリカの顔が青くなったり赤くなったりした。

「それで?」

堪えきれなくなって、エリカが口を挟んだ。

「人類は……地球どうなるの!?」

「うん、それについてなんだよ――」

藤堂は、緊迫した場面には場違いな、穏やかな笑みを見せると言った。

「山田が提案した案なんだけど、一つだけ……一つだけ人類を――地球を救う方法があるんだ」

「何?」

エリカは、とたんにホッとした表情になった。表情が、とにかくころころとよく変化する女の子なのだ。

「何、その方法って? 教えて」

「うん――」

藤堂は、表情を変えることなく言った。

「このアキバ艦で、ブンダー卿の船に突っ込むのさ」

さすがのエリカも、この時ばかりは表情を変えることができなかった。彼女は、顔を凍り付かせ――

「ツッ……コム? ……って、え? 体当たりする……ってこと?」

「そうだ」

藤堂は、重々しく頷くと言った。

「この船で、ブンダー艦に体当たりする。つまりは、『特攻』ってわけさ。玉砕戦法だ」

その声音には、心なしか自嘲の心情も含まれているようであった。


これこそが、山田の提案してきた「策」であった。

聞いてみると、それは「策」というより、至極単純な「道理」であった。

なにしろ、ブンダー艦に追い付けるのはこのアキバ艦しかなく、アキバ艦には武器がないから、攻撃するとなると玉砕しかないのだ。

しかし単純なようでも、これは意外と奥が深かった。

防衛艦には、通常タイタンシールド(TS)という機能が搭載されていて、もちろんアキバ艦にもある。これは、武器弾薬とは別のエネルギー系統だから、今のアキバ艦でも発動させることができた。

このTSを張ると、よっぽど強力な攻撃じゃない限りはね返すことができる。ただ、同時にこちらからも攻撃できなくなるから、いわば緊急避難用だった。使うのは、本当に瀕死になって敗走する時に限られていた。

このTSを発動させたまま、逆に敵艦に突っ込んでいけば、攻撃を受けないうえ、相手艦を破壊することも可能だった。但し、もちろん自機も大破してしまうが……


科学の発達によって、玉砕戦法など今では前時代の遺物になっていた。歴史上でも、最後に確認されたのは二十世紀前半の日本くらいだ。

ただ、それだけにこの作戦は有効だった。誰も玉砕戦法など考えてないから、防御策を講じてないのだ。

「これなら、ブンダー卿を止めることができる……。いや、これ『しか』だ! ……これしか、方法はない」

エリカは、しばらく無言で藤堂を見ていた。今は、そのオリーブ色の瞳が大きく見開かれている。そこに、いつもの奥深さはない。

藤堂は、それを見るのが居たたまれなくなって、視線を外した。

「艦長――」

エリカが、喉の奥から絞り出すような声で言った。

「それでは、その……するとわたしたちは……その……三人とも……つまり……」

「いや――」

藤堂は、エリカの言葉を制するように、振り向くと言った。

「この作戦は、わたし一人で実行する。きみと山田くんは、ポッドで脱出してくれ。脱出は、今から三時間後の宇宙時間十七時ちょうどだ。それまでに、いろいろと準備を進めておくように」

またしても、沈黙が二人を支配した。

やがて、口を開いたのはエリカだった。

「本気ですか?」

藤堂は、かすかに頷いた。エリカは、いやいやをするように首を左右に振った。

「……いや……ありえない。……て言うか、わたし、そんなのやだからね」

「……」

「なんで艦長なの?」

「……当然だろう。わたしが責任者なんだから」

「え、だって山田が言い出したんでしょ? なら、あいつに任せたらいいじゃない! いや、ううん、せめて籤引きにしようよ。公平にさ」

アキバ艦の搭乗員は、艦長、山田、エリカの三人だった。それぞれ責任の所在は別れているが、緊急時にも対応できるよう、艦の操縦は三人ともできるよう訓練されている。だから、この作戦の遂行は、やろうと思えば誰でもできるのだ。

「エリカ、落ち着けよ」

「……落ち着いてるよ。わたしの言ってることおかしい? あ、て言うか、じゃあわたしが行くよ。よく考えたら、わたしがパイロットだしね」

「それは許さない」

「はぁ?」

「分かるだろ? きみを、死なせるわけにはいかないんだ……。そんなことになったら、おれは耐えられない」

「何言ってんの!?」

突然、エリカが叫んだ。

「バカ言うのもいいかげんにして! なに? 『耐えられない』とか。ありえない! それはわたしも一緒でしょ!?」

「!」

「なら、わたしが耐えられるとでも思ってるわけ? バカにしないで! わたしのこと、それくらいの女としか見てなかったわけ!?」

藤堂は、呆然としてエリカを見た。そのオリーブ色の瞳には、涙が一杯で溢れそうになっていた。

「いや、別におれは、そんなつもりじゃ――」

「ありえない!」

エリカは、くるりと背中を向けると言った。

「あなたが死んだら、わたしだって……生きていけないよ……」

「エリカ……」

藤堂は、小刻みに震えているエリカの後ろ姿を見た。その小さな肩は、最近大人びてきたとはいえ、まだまだ幼さを感じさせるほど華奢であった。

藤堂は、椅子から立ち上がると言った。

「エリカ……おれを苦しめないでくれ」

それから、近寄ってその肩に手をかけた。

「おれは……おれは艦長なんだ。艦長には、艦長としての……」

その時、急に振り返ったエリカが、いきなり胸に飛び込んできた。そのまま、涙がいっぱいに溜まった瞳で、藤堂を真っ直ぐに見上げる。

藤堂は、その顔を見て息を飲んだ。それから、その瞳に吸い込まれるように、ゆっくりと顔を近付けていった。

「あ……んっ……」


3.

エリカの部屋の扉がパシューと消失し、山田がおずおずと入ってきた。

「あ、あの、お、おじゃまします」

「あ、どうぞ入って」

それで、山田が恐る恐るといった感じで入ってきた。

「ごめんね、忙しいところ呼び出して」

山田の後ろで、ブンと音を立て扉が再び固体化した。すると山田は、今度は急に無遠慮になって、室内をじろじろと見回した。

エリカは、自分のベッドの上に腰かけていた。着ているものは、脱出用の宇宙服ではなく、いつもの艦内用の制服だ。白いミニのワンピースで、胸のところに星形をしたペパーミントグリーンの防衛軍の紋章が入っている。手と足にも、それぞれペパーミントグリーンのラインが入った白い手袋とブーツ。


エリカに勧められ、デスクの横の宇宙椅子に座りながら、山田が言った。

「あれ? まだ準備してないの?」

「え? あ、うん……」

「急がないと、脱出まであと二時間だからね。ぐずぐずしてるヒマはないよ」

「あ、うん、そうね……。あ、実はそのことなんだけど……」

「うん?」

「……これでいいのかな?」

「いいって?」

「このまま、艦長一人に、その、責任を押しつけて……」

「そんなの――」

山田は、急に顔を真っ赤にさせるとヒステリックに叫んだ。

「いいに決まってるじゃん! だって艦長が自分で言い出したんたよ? 『おれがやる』って。それに、か、仮にも艦長なんだから……まあやるのが当然かと思われ」

「でも!」

エリカも、青ざめた顔で声を張り上げた。

「それを言うなら、わたしだってパイロットだよ!? 船を動かすのが、わたしの仕事! 本当なら、わたしがいかなければならないのに」

「は、花咲さんはいく必要ないでしょ?」

山田は、今度は驚いたような表情で、

「花咲さんは、ぼ、ぼくらの中で一番若いんだし……まぁ、に、二番目はぼくだけど。それに、なんといっても女の子なんだし……。そ、操縦だけなら、艦長だってできるし」

「――」

その言葉に、エリカは悔しそうな顔になって、

「それは、そうだけど……」

「で、でしょ?」

山田が、今度は勢い込んで、

「このアキバ艦には、ぼくも開発に参加した最新鋭の自動追尾システムもちゃんとついてるから。例え目をつむって操縦してようと、狙いを外すことはないと思うよ。まあ、わざと外そうとしたりしない限りはね」

エリカは、打ちのめされたように下を向いた。しばらくの沈黙の後、ポツリと口を開いた。

「……艦長って、すごいね」

「へ?」

「だって、地球を守るために、自分の命を犠牲にできるなんて……」

「う、うん――」

山田は、追従するような言い方で、

「そ、それは、確かにそうだね。最初にぼくがこの作戦を提案した時は、正直、く、籤引きにしようとか言われるんじゃないかと思って、び、びくびくしちゃったけど……あは、あははははは」

「……何か、艦長のためにしてあげられることないかな?」

「えっ?」

「そうだ――」

エリカは、急にベッドから立ち上がった。

「まだ、脱出までには二時間ある。わたし、艦長に聞いてくるよ。何か、わたしにしてあげられることはないかって」

「し……」

山田は、目をまん丸にして言った。

「『してあげられること』って?」

「え? あ、うん……」

エリカは、ちょっと戸惑ったような顔で、

「わ、分からないけど……。でも、艦長の言うことだったら、わたし、なんでもしてあげるつもり」

「な、なんでもっ!?」

「……うん」

「あ、いや……」

山田は、今度は取りなすように、

「な、なんでもってのは、ちょっとやりすぎなのでは?」

「そんなことはないでしょう?」

エリカは、反発するような表情で山田をにらむと、

「これから自分の命を犠牲にして地球を助けようとしてくれている人だよ? その人のしたいことをさせてあげるのって、わたし、当然だと思う」

「え、えぇっ!? あ、いや、うむむ……そ、そうなのか……」

「じゃ、ちょっと行ってくる」

そう言って、部屋を出て行こうとしたエリカを山田が呼び止めた。

「あ、ま、待って!」

「ん?」

「あ……い、いや、その……花咲さん、たった今、自分の命を犠牲にして地球を助けようとしている人に、なんでもしてあげるのは当然――って言ったよね?」

「うん」

「そ、それは、その、例えば――例えばだよ? 例えば……その、艦長じゃなくても……やっぱりそう思うのかな?」

「と、当然でしょ!」

エリカは、ちょっと怒ったような顔になって、

「わたしは、そういう気高い精神を持った人を、本当に素晴らしいと思うし、尊敬する。その気持ちを表現したいだけなの! それに……」

「そ、それに?」

「あ、うん……」

エリカは、ちょっと顔を赤らめると、もじもじするように、

「そ、そんな素晴らしい人が、この世に生きていたっていう証拠を――証を……わ、わたしの中に……その、残すことができれば……それはそれで、もっと素晴らしいことだとも思うし……」

「そ……」

山田は、がくんと顎が外れたような顔になった。

「それは一体、どういう意味なのかな?」

「あ――」

エリカは、顔を真っ赤にさせると後ろを向いた。

「それを言わせるなんて、ズルイよ……」

ごくり、と山田の唾を飲み込む音が室内にはっきりと響いた。それから、しばらく沈黙が二人を支配した。


やがて、エリカがおずおずと口を開いた。

「じゃあわたし、いくね……」

「あ、待って!」

そう叫んだ山田の声は、完全に裏返っていた。

「お、おれ、ちょっと艦長に言わなきゃいけないこと思い出した。こ、ここで待ってて! い、急いで行ってくるから! ほんとに待ってて!」

言うやいなや、転がるように部屋を飛び出していった。


4.

扉がパシューと消失して、藤堂とエリカが管制室に入ってきた。

「やあやあ、ごくろうさま」

それを、衛星管制ステーション長官の小早川が出迎えた。

「脱出ご苦労様でした。狭いポッドの移動で、わずか三十分でも大変だったでしょう。しかし、大変なことになりましたね。あのブンダー卿が、よりにもよってライザーだったとは。ところが、世の中何が幸いするか分からない。隊を離脱していたアキバ艦が、まさか地球を救うことになろうとは」

「まだ分かりませんよ――」

藤堂が、硬い表情を崩さずに言った。

「あとは山田が、上手くやってくれるかどうかです」

「うむ――」

頷くと、小早川は管制室の奥に設えられた大型スクリーンの前に立って言った。

「アタックまで、予定ではあと五分です。それを、ここで一緒に見守ることにしましょう」

それで、藤堂とエリカも手近の空いている宇宙椅子に並んで腰かけた。それから、周囲には聞こえないようひそひそ声で話し始めた。

「本当に、これで良かったのかな?」

「ん? どういう意味?」

「いや、その……結果的に、山田を犠牲にすることになってしまって……」

「気にすることないわよ――」

エリカは、藤堂の目を上目遣いに見つめて言った。

「最終的には、あいつが自分でやるって言ったんだから」

「うん……」

藤堂は、エリカの方は見ようとせず、前方の大型モニターをぼんやりと見つめた。モニターには、特別天体望遠カメラでとらえた、今まさにブンダー卿の船に突っ込んでいこうとするアキバ艦が大写しになっている。

エリカも、そのモニターに目を転じながら言った。

「……何があったか、聞かないの?」

「え?」

「なんであいつが、自分から犠牲になるって言い出したか……」

「……聞いてほしいのか?」

しばらく沈黙した後、エリカはゆっくりと首を横に振った。

「いや、ううん……聞いてほしくない」

「そうか……」

「でも、聞かれないのも逆に不安かな」

「おいおい……どっちなんだよ?」

藤堂が、エリカを向いて困ったように苦笑いしてみせた。するとエリカも、藤堂の方を見てぺろっと舌を出し、えへへと笑った。それで、二人は自然と笑顔になった。

そこに、小早川が近寄ってきた。二人は慌てて、目を前方のモニターに戻した。


小早川は、気を利かせて暖かいコーヒーを持ってきてくれた。二人はそれをありがたく受け取った。

「しかし、さすが藤堂さんですな。山田に花を持たせるなんて」

藤堂は不可解な顔で小早川を見た。

「……え?」

「いや、分かってますよ。チョンボをした山田に、名誉挽回のチャンスを与えてくれたんでしょ?」

「え……あ、いや……」

藤堂は、部下を犠牲にすることをなじられることこそ覚悟していたが、まさか労われるとは思ってもいなかった。

「いやあの、山田は、その、自分からあの役をやりたいと申し出てきたのです……それでわたしは、彼の熱意に負け……」

すると今度は、小早川の方が不可解な顔で藤堂を見た。

「は……?」

それからすぐに、「あっ」と何かに気づいたような表情になると、二、三度頷いてから言った。

「藤堂さんは、もしかして『全知の逆説』をご存じない?」

「『ゼンチノギャクセツ』? いえ、すみません、ちょっと解りかねます……」

小早川は、何もかもを了解したというふうに大きく頷くと、説明を始めた――


「全知の逆説」とは、ゲーム理論の有名な概念の一つだった。

そこでは、ゲームにおいて本来は有利であるはずの「全知」の存在(あるいはESP能力者)が、こと「チキンゲーム」においては、例外的に不利になるという逆説を表していた。


「チキンゲーム」とは、例えばハイウエイで、二人の人間が車を真正面からぶつかり合うよう互いに走らせ、どちらが最後まで避けないか、を競う度胸比べ――などのことである。

このゲームで、例えば片方が相手の心を読み取るESP能力者で、もう片方が普通の人間だったとする。すると、一見相手の心が読めるESP能力者の方が有利に思えるが、実際は違う。普通の人間の方が、相手のESP能力を逆手に取ることによって、逆に有利になるのである。

つまり、普通の人間の方が「絶対に避けない」と決めればいいのだ。ESP能力者は、それをESP能力によって知ることになるから、「自分も避けずにぶつかる」か「先に避ける」かの、二つの選択肢しかなくなってしまう。

そうなると、例えESP能力者といえども、ぶつかって死んでしまっては元も子ないから、先に避けざるをえなくなる。チキンゲームに負けるという屈辱は味わうにせよ、死ぬよりはまし、というわけだ。

つまり、このゲームにおいては、ESP能力者の方が相手の心を読めてしまうばっかりに、逆に相手に先手を打たれ、不利になってしまうのである……


それは、現在の状況にぴったりと当てはまった。正面からぶつかり合う、ブンダー艦とアキバ艦。ライザーであるブンダー卿と、普通の人間である山田――

「これは、機関学校では普通に習うことなのです。山田も知っているはずですよ。ぼくが学校の助手だった頃、その授業を受けてました」

「……」

「あ、艦長は『士官』学校でしたっけ?」

「え? あ、そ、そうです……」

「あ、じゃあこれは士官学校では教えてないのかな? 機関学校では、TSなどの永久機関構造力学(PMSM)を学ぶ時に、パラドックスの授業が必須になるんですよ。でもそうか、士官学校ではやらないのか……山田のやつは、そのことを知ってたのかな? で、それをあえて隠して、自分から申し出た」

「あ……」

藤堂も、それでようやく全てが飲み込めた。あまりのことに呆然とし、ポカンと大きく口を開けた。

一方エリカは、その隣で青くなったり赤くなったりしていた。またそれを抑えようともしたりして、とにかく大変だった。


小早川は、そんな二人に苦笑いしてみせると、

「やつに、まんまと一杯食わされたみたいですな。でもまぁ、いいではありませんか。この場合、誰がヒーローになろうが、大した問題ではありません。要は、地球が助かる――そのことがだいじなのです」

「そ、そうですよね――」

藤堂は、隣で爆発寸前のエリカを意識して、言い聞かせるように言った。

「誰の犠牲もなしで、地球も救われるのなら、こんないいことはない。そのことは、素直に喜ばないと……」

それから、正面のモニターに目を移した。すると、モニターに映し出された宇宙空間のブンダー艦とアキバ艦は、もうほとんどぶつかりそうな近距にまで接近していた。衝突予定時刻まで、あと一分。そしてまだ、どちらにも避ける気配はない……


「あ」

とその時、エリカが思い出したように声を上げた。それから、藤堂にだけ聞こえる小声で、早口に囁いた。

「でもそれなら、なんであいつは、最初っから自分で行こうとはしなかったのかしら?」

「え? あ、うむ……」

藤堂も、小声で応えた。

「もしかしたら、きみから有利な交換条件を引き出そうとしてやったとか? でも、そう考えると、やつもけっこうな策士だなぁ」

「いえ――」

エリカは、青ざめた顔で言った。

「あいつが真性のDQN(防衛軍におけるバカの隠語)だということは、艦長もご存じでしょう? 例の武器弾薬を積み忘れた件だって、すぐばれるような嘘をついたし」

「え? あ、うん……そういえば……」

「それに、前にこんなことがあったんです。艦長とあいつがポーカーをやってた時ありましたよね?」

「ああ、あの時はおれが大勝ちしちゃって、おかげであいつ、二度とやろうとはしなかったけどね」

「あの時、わたし、あいつの後ろから見てたんですけど――」

「う、うん」

「ある勝負で、あいつ、手札と見せ札から、艦長に勝ってることは明らかだったのに、艦長から大きなレイズがきたら、ビビって降りたことがあったんですよ」

「えぇっ?」

「わたし、後ろで見ていて思わず笑っちゃたんですけど……。あいつ、確かに頭は良いし、学校の成績は良かったかも知れないですけど、どうしようもなく短絡的で、おまけに小心者で臆病で、目先のことしか考えられないような――」

藤堂が、その先を引き取って言った。

「チキンだっていうのか!?」


藤堂は、思わず大きな声を上げていた。その声で、小早川はもちろん、部屋にいた他の管制官の誰もが、ビクッとして藤堂の方を振り返った。

しかし、藤堂も、そしてエリカも、もうそんな目を気にしてはいられなかった。二人は、正面のモニターに急いで目を移した。

そこには、今まさにぶつかり合いそうになる、二つの宇宙船が映し出されていた。そしてほどなく、その片方が、急激に軌道を修正していった――

二つの艦は、ぶつかることなく交差した。軌道を修正したアキバ艦は、大きく宇宙の彼方へと逸れていった。一方ブンダー艦はというと、そのまま地球への射程領域へと向かって、一直線に進んでいき……


(終わり)


関連