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2008-07-08

モンスター化する女優

以前、「面白さと狂気というエントリーで書いたのだけれど、何かを面白くするためには、あるいは魅力的にするためには、ある種の「狂気」を自らの裡に宿さなければならない。

これは、演出家や作家といった「作る人」もそうだけれど、タレントやミュージシャン、俳優といった「演じる人」にも当然求められる。それについて、前にテレビ関係者の人から聞いて面白かった話があるので、ここに書いてみる。


ちょっと前に、「女王様」化して話題になった女優がいたが、あそこまで表に出るのは珍しいけど、女優(に関わらず女性タレント)というのは、売れるに従ってたいてい「モンスター化」していくのだそうである。ただそうでない人も若干いて、そういう人は逆に「聖人化」していくのだそうだ。その割合は9:1くらいだそうである。そしてモンスターにも聖人にもならない人は、たいていすぐに芸能界から消えていくらしい。


ではなぜほとんどの女優がモンスター化するのか?

それは、そういう「仕組み」になっているからなのだそうだ。


女優の卵たちが芸能界に入るのは、例外もあるけれど、多くが十代の半ばといった年頃だ。彼女たちは、二世タレントでない限り、芸能界とはそれまで無縁の生活を送ってきたから、まだモンスターでも聖人でもない普通の人ばかりだ。

その普通の人が芸能界に入ると、まず初めに弱肉強食社会の厳しさを思い知らされる。具体的に言うと、ぞんざいに扱われるのだ。女優の卵たちは、たいていみんな「芸能界というのは蝶よ花よのきらびやかな世界」と想像して入ってくるのだけれど、現実はそれとは全く逆で、これまで家庭や学校では味わったことがないくらいの手ひどい扱いを受ける。軽く扱われ、ぞんざいにされる。彼女たちは、たいてい人より可愛いから、これまでちやほやされるばっかりだったので、そういう扱いに慣れてない。だからびっくりする。そしてショックを受ける。

みんなここで、「芸能界というところは、売れなければひどい扱いをされる」というのを強烈に味わわされる。それで辞めていく人もいるのだけれど、残った人は、「じゃあどうやったらぞんざいな扱いをされずに済むか」「どうやったらこの状況を抜け出せるか」というのを考え始める。そうして、「売れたい」「這い上がりたい」という強烈な上昇志向を持つようになるのだ。


やがて、幸運にも売れてくるようになると、ある地点を境に、周囲の扱いが違ってくる。それまでぞんざいに扱われ、挨拶しても無視されるばかりだったのが、逆に向こうから挨拶されるようになる。今まで偉ぶっていた人たちが、急に下手に出てくる。ぞんざいな口ぶりだったのが、敬語が混ざるようになる。

そうした、ちょうど売れ始めたくらいのタイミングで、彼女の前に一人の人物が現れる。それは所属事務所の社長――あるいはそれに類する権力者だ。女優にとっては、いわば「お目通りが叶う」というやつだ。それは、社長室に呼ばれる場合もあるし、食事に誘われる場合もある。いずれにしろその会見は、恭しい、儀式張った、形式張ったものに演出される。

そこで社長は、その女優に初めて言葉をかける。しかもそれは、優しさのこもった紳士的な言葉だ。彼女がこれまでさんざん浴びせられてきた、ぞんざいな言葉とはまるで違う。

女優はそれに感激してしまう。社長といえば、彼女にとっては雲の上の存在だ。その天上人から、言葉を、それも優しい紳士的なそれをかけられたのだ。そこで彼女は、初めて自分が以前よりはワンランク上のクラスに上がったことを知る。そしてそれに強烈な達成感を得る。また、クラスが上がったことにプライドを持つようになる。


プライドを持つようになった女優は、やがて必然的に周囲と衝突する。特に、一番近いマネージャーと衝突する。

マネージャーは、彼女の売れなかった頃からずっと接しているから、一番態度が変わっていない。一番気安くて、一番ぞんざいな扱いを今でもしてくる。女優は、それに段々我慢がならなくなるのだ。そうしていつしか、その不満が爆発するのである。


女優とマネージャーが衝突すると、しかしたいていはマネージャーの方が勝つ。クラスが上がったといっても、まだ小娘にしか過ぎない女優にとって、社会経験も芸能界経験も上のマネージャーは、まだまだ太刀打ちできる相手ではない。

すると女優はどうするか? 彼女は、女性らしい短絡さで、社長に直談判するである。社長とは、以前お目通りが叶った時に連絡方法を聞いていた。だから、あらゆる仲介をすっ飛ばして、直接窮状を訴えかけに行くのである。有り体に言えば、「告げ口」するのである。

マネージャーに、こんなにいやなことを言われた」と。


すると、女優から「告げ口」された社長はそこでどうするのか? その訴えは、たいていは女優の小娘らしいワガママから端を発したものなので、非は女優の方にある。社長には、もちろんそれが分かっている……


しかし社長は、そこで女優を諫めるようなことは絶対にせず、逆にそのマネージャーを呼びつけて、みんなの前で叱りつけるのである。

その時の、社長の決めぜりふはたいていこうである。

「確かにお前は悪くないかも知れない。しかし立場をわきまえろ。お前はマネージャーなんだぞ! 何かあって、あいつが売れなかったら、お前に責任が取れるのか!?」

芸能界には、厳然としたヒエラルキーがある。売れてるタレントは、何よりも上の立場だ。社長にそう言われると――しかも売れる売れないの責任問題を問われると、マネージャとしてはぐうの音も出ない。だから、いかに自分の方に理があろうとも、その言葉に従わないわけにはいかないのだ(従わなければ、その事務所を、あるいは芸能界そのものを辞めるだけになる)。


そうして女優は、今や自分が強大な力を手に入れたことを知る。ワガママは、社長に訴えればたいていのことは通るようになったのだ。そうなると、以降の歯止めは全く利かないようになる。糸が切れた凧のように、その鼻っ柱は高くなるばかりだ。雪だるまのように、そのプライドはふくらむ一方だ。そうして、モンスターへの道を真っ逆さまに転がり落ちていくのである。


女優をモンスター化させるのは、芸能界に内在するそうしたシステムにある。

では、なぜ芸能界は(あるいは芸能プロの社長は)女優をモンスター化させるのか?

それには、主に二つの理由がある。


一つは、その女優に狂気を植え付けるため。

不思議なことに、女優というのはワガママであったりモンスターであったりした方が、面白いし魅力的で、世間の受けも良いのだ。そして演技も、以前より良いものになる。それこそが、「狂気」の持つ大きなパワーだった。

女優たちは、最初はたいてい「狂気」などというものは持ち合わせていない。しかしそれでは、競争の激しいこの世界ではやっていけない。だから、何とか狂気を持つ必要があるのだけれど、まだ小娘に過ぎない彼女たちには、そんな考えが理解できるはずもなく、またやり方も分からない。そこで大人たちが、そういうシステムを構築して、彼女たちに自然とそれを植え付けさせるようにしているのだ。


もう一つは、社長が自らの権力を保持するためというのがある。

一旦モンスター化した女優は、誰もコントロールできなくなるのだけれど、その中にあって、社長だけが唯一それをコントロールできるようになる。女優のワガママは社長によって担保されているわけだから、女優も、社長の言うことだけは聞く。そのことによって、社長の権限が相対的に引き上げられるのである。

つまり「社長でないと解決できない」という状況が、より多く生まれるようになるのだ。芸能界というところは、芸能プロの社長といえどもうかうかしていればすぐにその座を乗っ取られてしまう、生き馬の目を抜くような世界だ。ぼんやりしていると、気付いた時には優秀なライバルや部下からその座を追われてしまう。だから、持てる権限は多いに越したことはないのだ。そして社内のマネージャーの権限は、なるべく抑えておくに越したことはないのだ。

その意味で、部下であるマネージャーの力を弱体化し、自分にしかコントロールできないモンスター女優が増えることは、芸能プロの社長にとっては願ったり叶ったりなのである。


芸能界というのは、上の二つの理由から、女優をモンスター化させるような仕組みをその裡に構築しているのである。女優というのは、けっしてもともとモンスター化しやすい女の子ばかりが集まってくる職業ではない。どんなに普通の子でも、一旦この仕組みに組み込まれると、否応なくモンスター化してしまうのだ。


但し、もちろんどんな事柄にも例外というのはある。このシステムに組み込まれても、モンスター化しない女優たちというのがいる。それが「聖人化」する女優たちだ。

聖人化する女優たちは、モンスター化することを拒否した人々である。理由はざまざまだが、モンスター化するのが嫌で、なおかつ女優を続けたいと考える一部の者たちだけが、聖人化への道を歩むことになる。


モンスター化を拒否した女優たちが聖人化するのは、それ以外に生きる道がないからだ。

女優になって、襲い来るさまざまな理不尽や困難に耐えるには、自らが鬼になって全てを跳ね返すか、その逆に慈悲深い聖者となって全てを受け入れる以外に方法がない。その中間はない。中途半端な気持ちで耐えられるほど、その理不尽や困難はなまなかなものではないのだ。

だから、一部の敬虔で、意志が強く、寛容で慈悲深い者たちが、聖者への道を進む。聖者となって、全てを受け入れると決めてしまえば、そうした理不尽や困難にも耐えられるようになる。


また聖者となることには、もう一つのメリットもある。それは、女優にとって不可欠な「狂気」を手に入れられることだ。

聖者もまた、「狂気」の人の一種である。普通なら耐えられない理不尽や困難を、厭うことなく笑って受け入れてしまうのだから、常人の神経ではない。従って、聖者化した女優たちもまた、その演技が面白くなり、キャラクターが魅力的になるのである。


そうして、芸能人というのは、中でも特に女優というのは、モンスターか聖人しかいなくなるのである。

時折、テレビの収録に参加した芸能界以外の人が「あの芸能人は物凄い態度が悪かった」とか、その逆に「あのタレントは神様みたいに良い人だった」と言ったりするのを聞くけれど、それらはあながちオーバーな表現ではなくて、芸能人というのは、特に女優というのは、本当にそういう両極端な人しかいないのである。

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